第65話 虚往実帰
山が、あった。
九月の初め、船が博多の湾に入ったとき、空海は舳先でそれを見ていた。低く丸く重なり合う緑の山々である。大陸の果てのない地平線を二年見てきた目に、山々はほとんど駆け寄ってくるように見えた。稜線があった。谷があった。目の落ち着く先が、どちらを向いてもあった。
国に帰ったのだと、目が分かった。
湊に船が着いた。二年前、四つの船が並んだ湊である。人夫たちの呼び交わす声が聞こえた。荷を下ろせ。綱を引け。潮が変わるぞ。
言葉が全部、届いた。
訳を経ずに、耳に入るそばから意味が立った。魚の値を争う声も、子を叱る声も、綱の軋みに混じる唄も。二年前、言葉の届かない浜で柵の中にいた。届くというだけのことが、湊の雑踏の中で胸の奥まで温かかった。
往きは、この湊から西へ回り、田浦の岬から灘を越えた。
荷を下ろすのに二日かかった。その二日、空海は船を降りなかった。箱の数を、湊の役人がまた指で追った。唐の関でも、明州の湊でも、同じ追い方だった。目録の外の三箱は、僧の身の回りの物として帳の端に書かれた。遠成が、何も言わなかった。
追い終えて、役人は帳面を閉じ、それから初めて空海の顔を見た。
「唐から、これだけを」
「これだけを」
若い従者が先に降りて、岸からこちらへ手を差し出した。指の曲がったほうの手だった。
「阿闍梨さま。国でございます」
空海はその手を取らずに、板を渡った。降りた足が、地を踏んで、揺れた。地は揺れていないのに揺れた。
三十四日の海のあと、赤岸鎮の砂でも同じ揺れ方をした。あのときは膝をついた者がいた。砂に頬をつけた者もいた。今度は、誰も膝をつかなかった。板の下に、帳面を持った役人が立っていたからである。
収まってから、従者に礼を言った。
夕刻、どこかの寺の鐘が鳴った。
耳が止まった。日本の鐘である。長安で聴いた鐘とは音の腹が違う。行きにそう蔵った。帰りの耳には、逆のことが起こった。湿ってまるい、余韻の長い音。身体の芯がその音の形を覚えていた。
頭より先に、身体が帰り着いたのだった。
鐘の音といっしょに、香の匂いが風に乗って来た。長安の香ではなかった。
*
都へは行けなかった。
二十年の約を二年で破った僧である。国の資で渡り、国の期を欠いた。沙汰が下りるまで大宰府に留まるべし。それが大宰府の役人の達しだった。
達しを読み上げる官人の手で、紙の端が潮風に鳴った。読み終えて紙を巻き、官人はこう付け足した。
「留まれ、とだけにございます。追え、とも、捕えよ、とも書いてはおりませぬ」
官人は紙を懐に納めた。空海は礼を言った。頭を下げているあいだ、荷の箱の数を数えていた。数え終えて、どこへも行かない数だと分かった。
遠成が済まなそうな顔で言った。
「型どおりの扱いでござる。悪しからず思われるな。それがしが都で取りなし申す」
「お待ちします。待つことなら慣れております」
遠成は少し笑った。
「あのときは、あちらの国の柵でござったな。今度は、おのれの国の、柵とは」
おのれの国の柵。
口の中で繰り返すと、笑いの形をした言葉が、喉の奥に硬く残った。
*
観世音寺に居るべし、という官の牒が出た。
湊から大宰府までは、荷車の後ろを歩いた。二年ぶりの日本の道である。曲がっていた。山を避け、谷に沿い、田の畦を縫って曲がっていた。
荷車は軋みながら、曲がるたびに荷を片側へ寄せた。人夫が肩で押し戻す。押し戻すのが、曲がりの数だけあった。
足が、曲がりの手前で早く着いた。まっすぐを二千里歩いた足が、道の先をまっすぐだと思って踏むのである。踏み直す。また踏み直す。
山の肩が動いた。動いた向こうに刈ったあとの田があり、株が並び、藁を焼く煙が一筋立っていた。
目が休まなかった。休まないのに、身体が楽だった。
着いた。観世音寺は、古い大きな寺である。堂の柱の太さに、建てた時代の心が残っていた。都府楼の甍が松の向こうに見え、その先に水城の土手が横に長く伸びていた。
荷は寺の一室に納められた。戸には大宰府の封が貼られた。風を入れる日は、寺の三綱が立ち会った。
その日、戸を開けると、墨と香と潮の匂いがした。二年の道のりが、匂いになって部屋の空気に籠っていた。越州で買った三箱も、いちばん奥に積まれた。国の目録には載らない箱である。
寺の僧たちは遠巻きだった。
唐帰りの阿闍梨だという。二十年の約を破った罪の身だともいう。都の沙汰を待つ宙吊りの客である。どう遇してよいか、誰も量りかねていた。
空海は量られるままに、いつもの日々を置いた。朝の名の経。掃除。頼まれる前に経蔵の虫干しを手伝った。
ひと月ほどして、十月に入った。年かさの僧がひとり、虫干しの縁に並んで坐った。経蔵をあずかる僧で、名を浄基といった。指の腹が、紙を繰りすぎて薄くなっている。
「唐の経は、紙が違いますな」
「厚うございます。墨を吸ったきりで」
「こちらのは、返してきますでな。何十年も繰っておると、指のほうが先に減りますな」
浄基はそれきり何も言わずに、しばらく一緒に巻を返していた。
*
やるべきことは決まっていた。
筆である。
国に目録を奉らねばならない。持ち帰ったものの帳簿である。数は、もう出ている。関で検められ、湊で照らされた目録が、そのまま手元の行李の底にある。写せば済む。
書きはじめてすぐ、済まないことが分かった。あれは通すための紙だった。役人が箱の数と巻の数を指で追うための紙である。今度は、通してもらうための紙ではない。差し出す紙である。組み直さねばならなかった。
読むのは帝であり、朝廷である。密の教えの名を聞いたこともない人々である。その人々に、この荷が何であるかを伝えねばならない。唐の都で七つの手を渡ってきた火が、八人目の手で、いまこの国の岸まで来ている。そのことの意味を。
帳簿にして、口上書。
*
夜ごと書いた。経の名のひとつずつに来歴を添えた。この経は誰が天竺から運び、誰が漢語に訳し、どの師の手を経ていまここにあるか。目録は名簿になっていった。人の名を毎朝呼んできた口が、経の名の来歴を一行ずつ数えた。
書きながら思った。
私が何を持ち帰ったかを書くのではない。
何が私を通って、この国に来たかを書くのである。
数える頭が、生涯でいちばんよく働いた。数は紙にあった。来歴は頭にあった。一巻の書き手の名。訳した人の名。師から受けた日付。頭の中の帳面が、紙の余白へ下りていった。山で殺そうとした力の、これがいちばん遠くまで来た使い道だった。
墨がなくなるたび、水を足して磨り直した。硯の海は、朝には黒く乾いていた。
*
罪のことを、どう書くかで一夜を潰した。
触れずに済ませる書き方はいくらでもあった。荷の値打ちを並べれば、期のことは霞む。霞ませて差し出すのは、あの浜で覚えた筆の遣い方でもある。
一度は、そう書き出してみた。二百十六部という数から始める文である。数は嘘をつかない。数を先に立てれば、期のことは三行あとに、小さく置ける。
目で追い直して、その紙を伏せた。
あれは他人のために遣った筆だった。
空海は、結びの一段を、罪から書き起こした。
期を闕く罪は、死しても余りあり。
死しても余りある、と自分で書いた。手が、少し汗ばんでいた。
この一行を軽くすれば、軽くなった分は、この一巻を奉る者のほうへ寄る。累は及びませぬか、と訊いたとき、及ぶやもしれませぬ、と答えた人がいる。
罪は、こちらで使い切っておく。
そのうえで、次の一行を置いた。
蔵に寝ねたる得難きの法を、生きて請来す。
二行を並べて読み返した。値打ちは荷のほうにあって、こちらにはない。
*
書き終いに近づいた夜、書いたばかりの行を読み返して、手が止まった。
虚しく往きて、実ちて帰る。
書いていた。この四字を置くのは、初めてではない。
福州の浜で書いている。大使の名で出した嘆願の中に、重い船が空で出て満ちて戻るのは大王の徳のおかげだと書いた。船の話であった。書いた者の名は出さなかった。
この年の正月、長安で、師の碑に書いている。
尊きも卑しきも、虚しく往きて実ちて帰り、近きより遠きより、光を尋ねて集まった、と。あの寺の門をくぐった者たちのことを書いた一行である。新羅から、剣南から、河北から、南の海の国から来た人がいた。みな空の器で来て、満ちて出ていった。
石に刻んだとき、自分のことだとは思わなかった。思わずに書いた。
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二年前、あの船に乗った男はからっぽだった。位もなかった。名も知られていなかった。持っていたのは、名の帳面と渇きと、埋まらない窪みだけだった。
窪みは、いま鳴っていない。
あの窪みが、この四字の前半を掘っていたのだった。
これを国への口上に流用すれば、師の門の話が、この身の話になる。
空海はその四字に、墨を引いた。
かわりに、荷の名を置いた。
*
目録は成った。大同元年十月の二十二日である。遠成が発つ日、空海はそれを託した。上表の作法に則った一巻だった。遠成は両手で受けた。受けてしばらく、その重さを量るような手つきをした。
それから巻を繰った。繰る手が、末のあたりで止まった。おのれの名が書かれている、そのすぐ上の二行だった。
「死しても余りあり、とは」
遠成は顔を上げなかった。
「御坊。これでは、減らしてやろうという者の立つ瀬がござらぬ」
「はい」
「はい、とは」
「立たせずに、差し出します」
遠成は巻を持ったまま動かなかった。
「それがしの取りなしは、どこへ置けと」
「置かずにおいてください」
遠成の指が、巻の端を一度きつく握った。それから巻を閉じ、初めより丁寧に畳んだ。
「これで都が動きませぬなら」
と遠成は言った。
「それがしは、国の目を疑い申す」
遠成の一行は、冬の入りの街道を東へ発っていった。空海は寺の門前で、その列が坂の向こうへ消えるまで見送った。
荷の中のいちばん軽くて、いちばん重い一巻が、都へ上っていった。
*
返答は来なかった。
上りは二十七日、下りは十四日と聞いた。指で数えれば、いちばん早い返事でも師走に入る。そこまでは、数えているだけで済んだ。
街道は、寺の門の前を通っている。師走に入ると、掃除の手が坂の上で止まるようになった。越えてくるのは在の百姓と、鉢を提げた僧だけだった。
年の瀬が来た。沙汰も、咎めも、召しも、何もなかった。
福州の浜を思った。あのときは、疑いという相手がいた。観察使を動かせばよかった。相手が見えたから、筆の届け先があった。
今度は、相手が見えなかった。
都は疑っているのでもなさそうだった。咎める気なら沙汰が来る。認める気なら召しが来る。どちらも来ない。届いた目録は読まれたのか。読まれて、どこかの棚に置かれたのか。
言葉の通じる国で、言葉が動かない。
霧の朝があった。水城の土手が、根元から消えていた。
土手はそこにある。歩いていけば当たる。当たるはずのものが、見えないだけである。
赤岸鎮の柵は、竹と縄でできていた。杭は浅かった。浅くても、どこにあるかは見えた。あの浜では言葉が通じて、なお信じられなかった。
いまの柵は、紙一枚だった。どこに立っているのかが、見えなかった。
もう一度書けばよい、と思った。硯を出し、水を落とすところまでは行った。
福州には宛名があった。疑っている人がいて、その人に届けばよかった。この紙は、誰に宛てて書くのか。
墨は磨らずに終わった。
浄基が一度だけ訊いた。
「都は、返してきませぬか」
「まだにございます」
「紙は、繰らねば傷みますでな」
*
冬の観世音寺は静かだった。朝の水瓶に薄い氷が張り、割ると手の芯まで冷えが走った。
雨の日は、軒から落ちる雫の音を聞きながら経の傷みを繕った。晴れ間には経帙を干した。冬の日を吸って、乾いた匂いがした。
浄基が干し方を覚えて、手伝うようになった。翌る日から二人になり、三人になった。誰も唐のことは訊かなかった。訊かないことが、この寺の遇し方だった。
ときおり、寺の北の山を中腹まで登った。冬枯れの草の上に立つと、木の間から遠く海の光が細く見えた。風が潮の匂いを運んで、僧衣の裾を鳴らした。
海の向こうに唐がある。あの都の壁の内に、師の碑が立っている。東を見れば都がある。都の奥に、あの門がある。
どちらも遠かった。
都が黙っているあいだは、あの門の前に立つ日も来ない。そのことに、どこかで息をついている自分がいた。
早く帰れ、と師は言った。早く帰った。遺誡は果たしている。果たした先が、開かない。
夢の中の師に問いたい夜もあった。
問えば、あの声が言う気がした。火に問え、と。
問うた。火は燃えていた。燃えているということのほかに、返るものはなかった。
渡す相手は、まだひとりもいない。
冬が深くなった。
掃除の手は、もう坂の上で止まらなくなっていた。
朝の勤めの声が霜の庭に白く立ちのぼり、そのまま空に消えた。嵐の夜、この声は男たちの足の裏まで届いた。いまは、庭の霜までしか届かなかった。
年が明けた。境内の梅が咲いて、散った。花の白が土に還るまで、都は黙っていた。
福州の浜は、五十日だった。
今度の浜には、数がなかった。




