第47話 四つの船
南都の門は、言葉どおり開いていた。大寺の甍が、昼の日を白く返していた。
九年前、阿波の山裾の堂で、山を下りませんかと言った人は、いま大寺の経蔵を預かる身になっていた。取り次ぎに立った僧に、空海は名乗った。四国の山と岬で行じてきた者、空海と申します、と。奥からあの学僧が、転がるように出てきた。
「あなたが」
学僧は僧形の来訪者をまじまじと見た。九年前の、山の風体の面影を、その顔の中に探しているのだった。探し当てて、それからあの日の別れの言葉に思い当たったらしかった。
「言葉になった日には、必ず、都に届く、と。あなたは、そう仰った」
「届きに、参りました」
空海は頭を下げた。
「書より先に、本人が届くことになるとは、思っておりませんでしたが」
学僧は笑った。笑って、目の縁を指で押さえた。
奥の坊に招じ入れられた。学僧はまず、あの写しの写しの礼を、言われる前に言った。
「あの三巻は、いまも、私の枕頭にあります。満じられたと、風の噂に聞きました。室戸で、と。まことですか」
「まことです」
「では」と学僧は身を乗り出した。九年前と同じ、誠実な乗り出し方だった。膝がひとつぶん前に来た。「谷の答えは、出ましたか。書物の中にはない、と仰った、あの答えは」
「出ました。そして、その答えの続きが、海の向こうにあると知りました」
空海は大日の教えのことを話した。書物の外にある芯。面と向かって、手から手へ。学僧は聞きながら幾度もうなずいた。うなずいて、最後に言った。
「九年前、私は、あなたを南都へ誘って、断られました。今日は、あなたが、私に、頼みに来られた。この日を、どれほど――」
言いかけて、学僧は言葉を変えた。
「いえ。……何なりと。あの日から、あなたの後ろ盾になることが、私の楽しみに、なっておりましたので」
*
事はそこから駆け足で動いた。
学僧は九年、待っていた人だった。あの山の私度僧がいつか法の内に入る日のために、師僧への口添えの言葉を温め続けていた。そこへ本人が、満行と新しい名と渡海の志を持って現れたのである。書の名声があとを押した。あの三巻の作者だと知れると、南都の学僧たちの間で、会いたいという声が次々に立った。空海は乞われるままに語り、問われるままに答えた。雄弁は九年の山を経て、静かな深さに変わっていた。語るほどに道は開いた。
得度の儀は、東大寺の戒壇で行われた。
剃髪は二度目である。形ばかりに伸びかけた髪に剃刀が当てられた。壇上の剃刀は研がれて滑らかで、あの春の山寺の、谷の水と沙門の剃刀とは何もかもが違った。
それでも目を閉じると、同じ音がした。
じ、と、髪の落ちるあの音。あのときは位が落ち、名が落ち、縁が落ちた。落とすものは七年前に落とし終えている。今日の剃刀は落とすためのものではなく、載せるためのものだった。
儀が果てて、名簿に名が記された。
僧・空海。
国の帳面にその三文字が載った。生まれて三十一年、都の学生の欄から消えて十年。帳面から逃げ、帳面に怯え、帳面の外の人々に生かされてきた男の名が、墨の乾く音とともに法の内にあった。堂の高い天井の下で、香の煙がゆっくり立ちのぼり、梁の闇に消えていった。
壇を下りるとき、立ち会いの老僧がひとこと言った。
「七年、山におられたそうな。長い、得度でしたな」
長い得度。その言い方が正しかった。今日の儀は仕舞いの一筆に過ぎない。得度そのものは七年かけて谷と、翁と、飢えと、海が済ませてくれていた。
度牒が下りた。
薄い、一枚の公験である。空海はそれを両手で受けた。九年前、阿波の山裾で、この紙を断った。位の岸の切符と呼び、谷の答えは切符では買えないと言って断った。同じ紙でも、風の向きで行く先が変わる。あの日のこれは、都へ戻る紙だった。今日のこれは、海を渡る紙である。
*
留学僧の枠は、こじ開けるものだった。
国の船に乗る学問僧の席は初めから決まっており、名もなき新受戒の僧が滑り込む隙など本来ない。それを三つの力が押し開けた。大足の銭。南都の推挙。そして、書の名声である。あの三巻は、都の官人たちの間にも読み手を持っていた。三教を並べて仏を立てたあの筆が、唐で密の教えを学びたいと言っている。その話は、思いがけない高さまで届いた。風は繋げないが、乗ることはできるのだった。
かくして、留学僧・空海の名が末席に加えられた。
二十年の留学である。一、二年で戻る短期の還学生とは、格も扱いもまるで違う。船中の居場所は狭く、唐での宛ても自分で立てるほかない。狭さも宛てのなさも、山の七年で寝起きを共にしてきたものだった。二十年ぶんの海の深さを、汲みに行くのである。
*
難波津から船に乗り、瀬戸の内を西へ下った。
讃岐の沖を船は通った。空海は舷に立って、生まれた国の山々を見た。屏風のような連なり。あの麓の浜に父母がいる。文は届いただろうか。船は止まらない。故郷はまた遠ざかった。二十年ぶんの見納めである。夏の瀬戸は凪いで、島影が幾重にも青く重なっていた。舷を叩く波は、室戸の波より柔らかかった。
筑紫の湊に、船団は集結していた。
四つの大船である。近くで見ると山のようだった。帆柱が空を突いていた。舷側は黒く、継ぎ目に詰めた槇皮の色がまだ新しかった。湊は人で沸き返っていた。大使の一行、判官、録事、通訳、医師、陰陽師、水夫、そして学問の僧たち。積み込まれる荷。国の贈り物の箱。人の声、荷の軋み、潮の匂い。空海の耳が、船出前の湊の音の全部を聞き分けながら蔵っていった。湊の空には夏の雲が高く立っていた。
その雑踏の向こうに、その人はいた。
*
ひと目で分かった。
人垣が割れていたからである。供の僧たちに囲まれ、経典の箱を捧げ持たせ、湊の役人たちに深々と頭を下げられて、その僧は第二船のほうへ歩いていった。還学生。国費で渡り、一、二年で戻る、選ばれた学問僧。帝の内道場に侍る護持僧。天台の教えを究めるために、国の期待のすべてを背負って渡る人。
最澄さま、と誰かが囁いた。
空海は雑踏の端から、遠くにその人を見た。
思っていたより細い人だった。背は高くなく、肩は薄く、歩き方に飾りがなかった。囲む人々の熱と、囲まれる本人の静けさが釣り合っていなかった。その顔に、空海の目は意外なものを見た。疲れである。生真面目な、深い疲れ。国の宝と呼ばれる人の顔に、宝の重さがそのまま乗っていた。
あの人も何かを背負っている。
それが最初の感想だった。羨望は湧かなかった。山の七年が、そういうものを洗い流していた。国の宝として渡る人と、名もなき留学僧として渡る者と。同じ海を渡り、同じ唐で、それぞれの教えを汲む。
人垣の向こうで、その人がふと顔を上げた。
視線が雑踏の上を泳いだ。一瞬、こちらへ来るかと思われた。来なかった。視線は交わらなかった。その人は供に促されて、船のほうへ歩み去った。
交わる日は、まだ、遠い。
人垣が閉じ、湊はまた荷積みの音に戻った。潮風が、雑踏の熱をゆっくり運び去っていった。
*
船団は、肥前の田浦に回った。
外海へ出る前の、最後の風待ちである。浜には仮の宿が立ち並び、数百の人が風を待った。待つ日々は長かった。水夫たちは網を繕い、役人たちは書き物をし、僧たちは経を読んだ。宿の軒では、干した網が昼の風に乾いた音を立てていた。
同じ宿の若い留学生が、ある晩、遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、三教指帰の、作者どのと伺いました」
書の名は、都でそう呼ばれ始めているらしかった。若者は、あの書を都で三度写したと言った。それから思い切ったように問うた。
「唐は……恐ろしくは、ありませぬか。海も、二十年も」
「恐ろしい、でしょうな」空海は正直に答えた。「ただ、海の広さより、教えの海の広さのほうが、私には大きく見えております。目の前の海は、渡れば終わる。教えの海は、渡っても終わらぬそうですから」
若者は、分かったような分からないような顔で頷いた。頷いてから少し笑った。恐ろしいと正直に言った僧を信用したらしかった。
空海は毎朝、浜に出て名の経を読んだ。
行李の底の帳面から、幾十の名を順に声に乗せた。室戸の海で預かった名たちである。渡る海に、名たちを先に慣らしておくように。浜の朝の光の中で、名を乗せた声は西の海へ出ていった。潮の音を数えて育った耳が、瀬戸の内とも室戸の外海とも違う、玄界の潮の音を聞き分けはじめていた。この潮を越えて行くのである。
うねりの間合いを毎朝測った。
漁師の見立ての稽古だった。まだ、間合いは常のままだった。浜の夕は長く、沖に沈む日が、水脈の果てをしばらく染めていた。夕餉の煙が、宿々の軒から低くたなびいた。
そして七月の初め、風が南から変わった。




