第24話 三教指帰
最初の夜、筆は一行だけ書いた。
文の起こりには必ず由がある。
なぜ書くのか。誰に向かって書くのか。それを自分に答えさせないうちは、次の一行が書けなかった。墨をすり直しては、一行も書かずに夜を終えた日が幾日もあった。天が朗らかであれば象を垂れ、人が感ずれば筆を含む。古の聖人の書も、詩も賦も、みな内に動くものがあって紙に写された。凡と聖と、貫きは違えど、人がおのれの憤りを写して、何が悪い。
三年前、置き文の一行で手が止まった。その同じ手が、いま何十行も紙を埋めようとしていた。
*
形が決まるまでに、十日かかった。
初めは論の形で書き出した。儒と道と仏、三つの教えの浅深を順に論じる。筆は走った。大学寮で鍛えた論の筆は、いくらでも走った。走らせて、読み返して、破った。破った紙が、膝のまわりに溜まっていった。踏まぬように足を組み替えた。
これでは、あの夜と同じだった。
囲炉裏を挟んで大足に勝った、あの論戦。勝って、何も届かなかった。論は正しさを証すことはできる。だが、人を動かさない。索が言葉でできていないように、人の心も論理でできてはいない。正しい論をいくら高く積んでも、鷹雄の底の抜けた退屈には一寸も届くまい。
では、何なら届く。
考えて、真魚は香染寺の回廊を思い出した。あの人は一度も真魚に説教をしなかった。ただ、問うた。あなたは、覚えられぬものが欲しいのですね、と。それだけを問うた。論ではなく、人の声だった。声には顔があった。顔のある言葉だけが、人の底まで降りていった。
劇にしよう。
人を、立てるのだ。紙の上に。儒を説く者、道を説く者、仏を説く者。それぞれに顔を与え、声を与え、ひとつの家に集わせて言葉を戦わせる。読む者の目に映るのは、論の当否より先に、人が争い、人が破れ、人が頷くその姿だ。
筆を執り直して、真魚は最初の人物の名を書いた。
亀毛先生。
書いてひとりで少し笑った。亀の毛。この世に存在しないもの。兎の角も、そうだ。主人の名は、兎角公とした。存在しない者たちの家で、存在しない客が教えを説く。噓の名だ。だが、不思議だった。噓の名を借りたとたん、筆の運びが変わった。真魚の名で言えば言い訳になる言葉が、亀毛先生の口からならまっすぐに出た。
名を借りる。仮の名の陰でだけ、言える本当がある。
その仕組みに気づいたとき、指の先が微かに震えた。
*
亀毛先生は、雄弁の人にした。
九経三史を囊に括って心に蔵める大学者。舌を巻けば、蘇秦も張儀も黙る。書きながら可笑しかった。これは、誰の似姿か。位の岸を極めていれば、二十年ののちになっていたはずの男。大学寮の、もうひとりの真魚だった。
その亀毛先生が、兎角公の館で放蕩の甥を説教する。甥の名は、蛭牙公子。性は狼のごとく、礼儀に馴れず、博打を業とし、鷹狩りを事とし、昼夜、酒と色を楽しみとする。
書きながら真魚の手が一度止まった。博打。鷹狩り。酒。これは、どこかの誰かの写しではないか。
筆がそこまで進んだ夜だった。
「おい」
振り向くと、鷹雄が部屋の入口に立っていた。灯りの洩れるのを見て、酒の帰りに覗いたらしい。断りもなく入ってきて、書き上がった紙を無遠慮にめくった。酒の匂いが、墨の匂いの上に薄くかぶさった。灯が、酒の息で一度ゆれた。字は、読めるらしかった。
しばらく黙って読んでいた。袖の内でいつも鳴っている賽が、鳴らなかった。
「……これは、俺か」
「さて」と真魚は言った。「蛭牙公子と申す、どこにもおらぬ人です」
「どこにもおらぬ、な」鷹雄は鼻を鳴らした。それからめくった紙を戻した。紙の端が、めくった指の跡で少し波打っていた。「で、この亀毛とかいう先生は、こいつに何と言うのだ」
「聞きたいのでしょう」
真魚は書いたばかりの段を声に出して読んだ。孝より大なるはなく、身を立て名を揚げるより先なるはない。学問は苦しくとも、蛍の光、雪の明かりに書を読んだ古人がある。心を改めれば、曲がった蓬も、麻のなかに立てば直くなる。亀毛先生の説教は、大学寮仕込みの堂々たる儒の正論だった。
読み終えると、鷹雄は長いこと黙っていた。
それから手にしていた瓶子をそっと床に置いた。
「……続きは」
「まだ、書いておりませぬ」
「書けたら、読め」
それだけ言って、出て行った。真魚は、灯の下に置かれた瓶子を、長いこと見ていた。
*
昼と夜が、筆を両側から動かした。
昼は、鷹雄の顔だった。退屈の底に沈んだ、佐伯の血。あれを、あのままにはしておけぬ。夜は、五常の索だった。粥の湯気と、息災かの四角い字。あの縄に、まだ何も返していなかった。この二つが毎日、代わる代わる、夜明け前の机に真魚を座らせた。
亀毛先生の儒は、蛭牙公子をいったん改心させる。孝と学問の道は、たしかに人を立たせる。だが、その上へ虚亡隠士が現れる。痩せて、飄々と、雲に乗るような男。富貴も孝名も死の前には朝露ぞと笑い、不老長生の術を説く。書きながら、真魚は山で会ったひとりの行者を思い出していた。木の実で命をつなぎ、齢を数えるのはやめたと笑った痩せた老人。その顔を虚亡隠士に貸した。それでも長く生きることは、生の意味には答えなかった。
そして最後に仮名乞児を立てた。
仮の名の、乞食僧。痩せた頬。擦り切れた衣。手には鉢と、藜の杖。都の人が目を背けるみすぼらしい若い僧に、真魚は儒と道のそのさらに底を語らせた。生まれ、老い、病み、死ぬ。都の外れで見た、筵をかけられた行き倒れの乾いた足の裏。あの四つの苦から、位も長生も、人を掬い上げはしない。生死の際を照らす灯だけが、掬う。
乞児の段を書くとき、筆がいちばん静かだった。
姿を借りる、という感じが、しなかった。痩せた頬も擦り切れた衣も、山を下りた日に水鏡が映したそのままだった。仮名。かりの名。まことの名は、まだない。まことの名は、あの谷の百万遍の先にしかない。
*
雪が、来た。
三巻が成ったのは、その夜だった。上巻に亀毛先生の儒。中巻に虚亡隠士の道。下巻に仮名乞児の仏。三つの教えが順に深く、ひとつの魂を導いていく。読み終えた者が顔を上げたとき、行きつく先へ、おのずと目が向くように。
題を考えた。
筆を持ったまま、長いこと雪の音を聞いた。それから書いた。
三教指帰。
三つの教えの、帰するところを指す。指すだけだ。連れては行かない。書物にできるのは、指し示すところまでだ。歩くのは、読んだ者の足だ。それでいい。それが、言葉というものの正しい分際だった。
最後に、序を書いた。叔父に就いた日から大瀧嶽の岩まで、来し方をひととおり記した。一人の沙門に虚空蔵求聞持の法を教わったことも書いた。その果てに、一句を置いた。誰か能く風を繋がん。置き文に書いたあの風を、今度は世に向かって書いた。
そして、末尾に筆をこう置いた。
唯だ憤懣の逸気を写せるのみ。誰か他家の披覧を望まん。
時に、延暦十六年、臘月の一日。
*
誰の披覧も望まぬと書いた書を、真魚は翌る朝、ただ一人にだけ見せに行った。
「叔父上。三年前の置き文に、記しました。いつか言葉にできる日が来たならば、必ず書き記して、お目にかける、と。その、続きにございます」
大足は三巻を受け取った。その日は、何も言わなかった。夜、大足の部屋の灯は朝まで消えなかった。
翌る朝、大足は囲炉裏の前に三巻を置いて座っていた。目が、赤かった。
「蛭牙公子とは、あやつのことか」
「どこにもおらぬ人にございます」と、真魚は目を伏せた。
「言いおるわ」大足は少し笑った。それから、笑いをしまった。「――この乞児は、おまえじゃな」
真魚は答えなかった。答えないことが、答えだった。
大足は下巻の巻緒を指でなぞった。長い沈黙のあとで言った。
「三年前、わしはおまえに、道か逃げかと問うた。もう、問わぬ。これは、逃げた者に書ける書物ではないわ。わしは学問というものを、五十年、書物の側から見てきた。学問の先に何があるかと問われれば、より深い書物じゃと答えてきた。おまえは、その先を書きおった。書物の先へ行くために書物を書く者を、わしは初めて見た」
それから、大足は三巻を丁寧に真魚のほうへ押し返した。
「持って行け。行く先へ、な」
*
部屋に戻って、真魚は三巻を行李の脇に置いた。
三年の渇きが、書物の形になった。あとは、歩くだけだ。
ただ、ひとつだけ残っていた。
言葉になったもののどこにも、書かれていないものがひとつ。三巻のどの行間にも、それだけは、そっと伏せておいた。仮名乞児の道心に偽りが混じるのを恐れたのではない。あれだけは、仮の名の陰でさえ、置けなかった。
答えを持って来る。あの門前の誓いの答えは、いま袂のなかにある。
雪の晴れ間の朝だった。真魚は香染寺への道を歩き出した。




