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 ヴォルクが皇城の外壁に取りついたのは、雪が深くなった夜だった。

 二日かけて衛兵の交代時間を確認し、壁の低い箇所と死角を割り出した。見取り図は古かったが構造の癖はわかった。増築された離宮の位置も、出入りする御用聞きから聞いた通りだった。

 吹雪の夜は視界が悪く、衛兵の巡回が緩む。壁を越え、屋根伝いに渡り、離宮の裏手に降りた。

 扉の前に見張りの衛兵が二人。ヴォルクは死角から近づいて、一人の首に腕を回し、意識を落とした。もう一人が振り向く前に顎を打って倒す。音は雪が吸収し、殆ど響かなかった。

 衛兵の懐から鍵を抜き取り、扉を開けた。


 暖炉の火が低く燃えていた。

 部屋の奥で膝を抱えて座っていたリコリスが、扉が開く音に視線を上げる。

 現れたヴォルクを見て壁際にいた女官が目を見開いた。


「荒れるのを待っていた」

「……うん。わかってるよ」


 立ち上がったリコリスは、皇城に相応しいだろう、贅を尽くした衣装で着飾られていた。少し痩せて見える。


「お世話になりました。僕はここを出ていきます」


 リコリスが穏やかな声で告げた。


「リリス様……」

「詳細は言えませんが、アンナさんも、この城から早く離れた方がいい」


 アンナは唇を噛んで目線を下げ、それから小さく頷いた。


「……元より、陛下の無理でここに留めてしまい、申し訳ございませんでした」

「貴女のお心遣いを忘れません。……ありがとう」

「お気をつけて」


 アンナが頭を下げる。

 リコリスはヴォルクが差し出した手を取った。


「行くぞ」


---


 リコリスが離宮から出ると、久しぶりに見る空が白かった。夜明け前の空が吹雪いている。外にほぼ出ない生活を送っていたので雪の中の移動で息が上がってくる。足手纏いにならないよう、リコリスはひたすら足を動かした。


「あの女官は優しかったのか」

「助けてもらった、僕を逃して立場が悪くならないといいけれど……」


 アンナには初日に皇帝の来訪を防いでもらった恩がある。窓のない部屋での閉塞的な日々のなか、何くれとリコリスを細やかに気遣ってくれた。職務に忠実で、色めいた女官を叱りつけて遠ざけた。妹がいると、編んだ手袋を手に話していた。

 城に巻き起こった複数の混乱。雪崩のように、もう止めようがない。リコリスの世話をしていたことで実害を被らないことを祈るばかりだ。


「皇帝はどうなった」


 この十日間あまり、部屋に通ってきた皇帝の姿を思い出す。あの離宮に連れてこられた時こそ強引ではあったが、一日ずつ距離を縮めようとしてきて、乱暴を働かれることもなかった。理知的で鋭い瞳を持つひとだった。この広い国を統治するだけの器を感じた。


「僕たちが営業に行った侯爵家の令息に、毒を盛られて」


 最後に相見えた時の、皇帝の灰色がかった顔。

 自分がこの城に来た時から結末は決まっていただろうが、それでも遣る瀬無い。


「……きっと、長くはもたない。商会は?」

「出てきた。これからこの国は荒れる。だが、グリシャが上手いことやれば生き残るだろう」


 ヴォルクは足を止めずに言う。


「そう……」


 祖国を、そしてこの一年半という短くはない期間を過ごした場所をもこの男に捨てさせたのは、自分だとリコリスは思う。

 この国では「呪い」と呼ばれた、体質らしきもの。


「僕のこれは……治るものなのかな」


 巡らせた考えが、リコリスの口から零れ落ちた。


 幼い頃「あげる」と言ってきたのはどのような存在だったのか、どうして自分に何かが与えられたのか、もらったものがどういうものなのか。

 何故、何を撒き散らして周りが壊れていくのか、わからない。「呪い」と言われればそのような気もするが、ヴォルクにもローワンにも何かは与えられていたはずだ。だが二人の周りではそのような話は聞かない。

 ヴォルクは前を向いたまま、少し間を置いた。


「さあな。治らなくても俺は困らん」

「でも……これがなければ、誰も巻き込まないで済む」


 伯爵家の令嬢も、皇帝も、あの令息も、自分さえ関わらなければ穏やかに暮らしていただろう。

 俯き加減のリコリスを一瞥し、ヴォルクはその手を引いて上を向かせた。

 幼い頃から変わらない、感情の読みづらい黒曜のような瞳。


「お前が探したいなら付き合おう。その代わりグチャグチャ悩むなよ、リリィ」


 その言い方がヴォルクなりの肯定だと、リコリスにはわかった。珍しく幼い頃からの愛称で呼ばれ、目の奥が熱くなるのを感じた。

 どうしてこの男は、自分のそばにいてくれるのだろう。


「どちらにせよこの寒さには飽きた。次は雪の降らない国に行く」


 その決定に、リコリスは久しぶりに、声に出して少し笑った。

 凍てつくような寒さもあって表情筋は動かしづらかったけれど、きちんと笑えたと思う。


「帰ってきたヴォルの外套の雪を浴びる生活も終わりなんだね」

「お望みなら今ぶっかけてやる」

「いやだよ、吹雪ですでにびしょ濡れなんだから……」


 睫毛が凍るほどの冬。初めて宿の窓から白に染まった景色を見た時の衝撃は忘れられない。

 鑑定という、自分のできることでお金を稼げることがわかった。グリシャは、リコリスの美貌を無理に売り物にしようとしない、適切な距離をとってくれる人だった。

 拐われた先の皇城で、妹思いのアンナに出会い、皇帝の強引で理知的なところと執着心を肌で感じた。呪いごと引き受けるとまで言われ、遠巻きにされるよりも、嬉しかった。

 壊れてしまった周囲のことを思うと気が咎めるけれど、悪いことばかりではなかった。


 そして、ヴォルクが隣にいてくれる。


「……ヴォル、ありがとう」


 肩に雪が積もるのをたまに振り払いながら、雪の中を歩いていく。

 二人の足跡はすぐに雪で埋まり、見えなくなった。

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