第5話 筆者不詳手記A
【文書種別】筆者不詳手記
【作成日】不明
【作成者】不明
【取得経路】不明
【状態】断片/作成環境不明/改行は復元時のまま
あの男を刺した手が、まだ残っている。
洗っても落ちない。
血ではない。
血なら、落ちた方が怖い。
手は、俺のものだった。
誰かに動かされたわけではない。
夢の中で見ていたわけでもない。
見ていただけなら、まだ言い訳ができた。
上着の袖口に、赤黒い跡があった。
胸元に札があった気がする。
それが誰のものだったのかは、思い出せない。
学校の廊下は、思ったより狭かった。
子どもの声が遠くでしていた。
こちらを見る目があった。
俺は、そこにいるべき人間ではなかった。
それなのに、あの男のいる部屋だけは分かった。
案内されたのか。
呼び出されたのか。
勝手に入ったのか。
そこが抜けている。
扉の前で、戻れると思った。
どこへ戻るのかは考えなかった。
ただ、まだ戻れると思った。
中から声がした。
俺の名前ではなかった。
たぶん、別の誰かを呼んでいた。
その名前を聞いた時、手が重くなった。
あの男は、こちらを見た。
驚いていたのかは分からない。
ただ、目だけがこちらに向いた。
まだ何もしていないと思った。
その考えが、一番遅かった。
手が動いた。
止める時間はあった。
止める理由もあった。
それなのに、止まらなかった。
あの男が倒れた。
音が消えた。
終わったと思った。
でも、終わらなかった。
部屋を出たあとも、手だけが残った。
廊下が変わっても、胸元の札が変わっても、呼ばれる名前が変わっても、手だけは残った。
あの男を刺した。
そのはずだ。
そうでなければ、俺は何をしたのか分からなくなる。




