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6 恋人たちの終幕

 春から夏に切り替わる季節。雨の季節とも呼ばれる時期だ。

 ベットで喧しく鳴る目覚まし時計を止めると、イツカは目を擦り体を起こす。

 デジタル時計はもう十時を回っている。言うなれば昼前だ。ふと視線の端にある携帯端末のランプがチカチカ光っているのに気付いて手を伸ばした。

 瞬きを繰り返しながら操作する。メッセージアプリが起動して既読のついていないメッセージが並んでいた。

「やっべ……」

 メッセージは全て恋人ナツキからのものだった。履歴を辿れば、もう二時間近くは待っている様子で、始まりは怒っていたが、最新のメッセージは心配の文字で埋められていた。


 何かあったのかな?大丈夫?見たら連絡ください。


 その優しい言葉の上には九時半。イツカは飛び起きると急いでシャワーに飛び込んだ。準備を済ませて家を出る。待ち合わせ場所は駅近くのカフェだ。大通りに出るとタクシーを捕まえて乗り込んだ。携帯端末を取り出し、もう一度アプリを開く。メッセージを送るとすぐに返信が来た。


 良かった、連絡ついて。気をつけてね。


 うざい……そんな言葉が浮かんで消えてを繰り返している。近頃は鼻について、どうしようもない。待ち合わせ場所のカフェに到着すると、窓際の席にナツキはいた。本とノートを広げている。多分時間潰しに読書ノートでも作っているんだろう。

「ごめん、遅くなった」

 一呼吸して声をかけると、ナツキはにっこり笑って頷いた。

「良かった……事故とかだったらって心配してた」

「悪い」

 ナツキの前の席について、オーダーを取りにきたウェイトレスに軽食を注文する。

「あれ、食べてないの?」

「……うん、起きたばっかで……」

 口から出た言葉にハッとして顔を上げる。ナツキは一瞬動きを止めたが、小さく「そう」とだけ言って、またノートにペンを走らせる。

 ムカツクな。この反応。

 運ばれてきた軽食を口に運び、目の前のナツキを盗み見る。出逢った頃とは違い随分と大人になった。美人だとは思う。知り合いに会うとよく、紹介しろよとは言われていたから。それでも仕事場に新しい女の子が入ると、どこかで比べてしまっている自分がいた。ナツキとは違うな……なんて。

「ねえ……、聞いてる?」

「ん、何?」

 持っていたフォークを止めて顔を上げると、ナツキはしょうがないという顔をした。

「食べたらどうしようか?……映画の予定だったけど、今から行って……次の部が夜になるかなあ」

「ああ……どっちでもいいよ」

 ぶっきら棒な言葉にナツキの動きが止まる。彼女は小さく息を吐いてから微笑んだ。

「……そっか。じゃあ、見たいって言ってたショップにでも行ってみる?」

 ナツキはテーブルの上を片づけ、携帯端末を取り出した。多分地図の確認だろうが、イツカは溜息をついた。

「……ああ、いいよ。お前の行きたいとこでさ」

 皿の上を綺麗にしてスープの入ったマグを空にすると、お冷のグラスに手を伸ばした。くっと飲み干して喉から胸にかけて冷たい水が流れ込む。ナツキは黙って携帯端末をいじっている。

 うざ……と飲み込んでイツカは切り出した。

「なあ、ナツキ」

「何?」

「俺らさ……もうよくない?」

 別れ話ってこんな感じだっけ?

 すんなり出た言葉にイツカ自身も驚いたが、それ以上にナツキの眼は大きく開かれて、揺れていた。見るからに動揺し、うっすら涙に滲んでいく。

 そういや女はこんな顔をするよな……。

「そうじゃないかな……って思ってた……今日もさっきまで寝てたんだよね?」

 ナツキは指を祈るように組んでテーブルの上に置く。緊張からか声も震えている。

「……それは悪かったって……仕事で疲れてて」

「知ってるよ!そんなの分かってる!だから!いつも怒らないようにしてたんじゃん!」

 ヒートアップしていく声に周りの席から視線が注がれる。

「おい、ちょっと抑えろって……」

「抑えろ?どういう意味で言ってる?別れ話なんでしょ?」

 ナツキの拳が強くテーブルを叩く。大粒の涙がぼろぼろ零れて、その時ふいにそんな顔初めて見た気がした。

 俺なんで……泣かしてんだよ。

「そういう意味じゃ……」

 イツカは両手を出して言い繕う。けれど口が空回るだけで虚しいだけだった。

「もういい!今だってうざいって思ってるんだよね?」

「はあ?思ってねえし」

 見透かされた気がして声を荒げてしまう。ナツキは大きく深呼吸して、そして笑った。

「……ねえ、もういいよ。いつもつまんないから遅れてくるんだろうって思ってたし。他の子にすればいいよ」

 立ち上がり鞄を持つと、傍に置いてあった伝票をひったくって行ってしまった。

 空気を読んだのかしんと静まりかえった店内に陽気な音楽が流れている。ナツキが立ち去った後もちらちら視線は注がれていたが、時間が経つにつれ、それもなくなり平穏へと戻っていく。テーブルの上にはナツキが用意していた映画のチケットが二枚、悲しく置かれていた。



 そうだ、別れ話してたんだよな……。主に俺のせいで。

 視界に広がるのはナツキの部屋だ。彼女からのメッセージで今ここにいて、訳の分からない状況に立たされている。いつの間にか眠っていたようだった。

「嫌な……夢だ」

 イツカは髪をくしゃくしゃとかき混ぜると体を起こした。照明が少し落とされているのは、多分この家にいるあの男の仕業だろう。ぐんと体を伸ばして首を回すとリビングのドアが開く。レイモンドだ。少し乱れたシャツに片手で髪を撫で付けている。彼はキッチンでグラスに水を入れるとゆっくりと飲み干した。

 レイモンド、見るからに東洋人ではない。百九十センチほどある上背にがっしりとした筋肉質な体。年齢は三、四十代くらいだろうか。それに・・・あの顔。

 イツカがじっと見ているとレイモンドはグラスを持って目の前に現れた。すっと差し出されてそれを受け取る。

「どうも……」

「いいえ」

 レイモンドは奥のソファに腰かけると、ふうと息を吐く。

「何か、まだお聞きになりたい事でもありますか?」

「え?……ああ。そりゃあ……いっぱいあるけど」

 言葉を濁してぐっと歯を食いしばる。なんか、むかつくんだよな。そう思って見たレイモンドの顔が微笑む。

「……全ては理解しがたい。あなたの苦悩は分かります」

「あのさ……」

 手に持っていた水を飲み干してグラスをテーブルに置いた。

「さっきから気になってた……あんたさ。若返ってない?」

 少し離れた場所に座ってはいるが、明らかに会った時よりも若く見えた。何より口元の皺が減っている気がしてならない。

「私の名はレイモンドです。確かに……若返ってはいるでしょうね……数年くらいでしょうが」

「……なんで?あ、あの綺麗な人を抱いて精気を養ってる……みたいな?」

 渇いた笑いと冗談のつもりが、彼の頷きに全て壊される。

「ええ、その通り」

 レイモンドはソファにもたれかかると足を組んだ。

「あなたがご存知かわかりかねますが、力というのは陰と陽、光と影。交じり合い修復し、お互いに力の交換をします。ミズナギ様は陰、私は陽」

「……それってあの黒と白の丸いマークみたいな?」

「はい」

「けど……ああいうのって男と女って奴じゃないの?あの人、男だよね?」

 イツカの問いにレイモンドは視線を落とした。黙ったままで息を吐くと前方を強く睨みつける。それに耐えられずイツカはお茶を濁す。

「……余計なこと……でした」

「いいえ……問題ありません。けれどあなたはどうしても口にしてしまう癖があるようですね?ナツキ様と喧嘩をしていたと聞きました」

「え?……ああ。まあ」

 うざいな、ナツキの奴、そんな話してんのか……イツカの舌打ちにレイモンドは笑う。

「お互いのことは話し合いをしたり、触れ合い慈しむことで解り合うものです」

 まるで当たり前かのように言われ、イツカは苛立って睨みつけた。

「何聞いたか知らんけど、あんたには関係ないことだ!」

「そうですね。失礼いたしました。今後のことについて少しお話してもよろしいでしょうか?」

「ああ」

「執行者の残りは六名。私たちはまだ狩りを行ないます。その間、ミズナギ様と私の力でナツキ様をお守りしますが、万が一に備えてあなたにはナツキ様の傍に。結界は張られています」

「ああ……俺は武器とか持ってなくていいわけ?」

「いいえ、その必要はありません」

「は?じゃあ、余計に……」

 イツカの言葉を手で遮ってレイモンドは続けた。

「今、ナツキ様は水に浸かっています。あの中にいれば執行者には見えません。それが私の力によるものです」

 制止された手を払ってイツカは怒鳴りつける。

「待てよ!色々おかしいだろ!ナツキは見えない?じゃあ俺は?守ってる俺はどうなんだよ!」

「私たちは必ず狩りを成功させます。しかし執行者の自由も尊重しなければなりません、執行者が一人殺した時点で私たちの狩りは始まります」

 イツカの目がかっと見開いた。怒りに唇が震えている。

「じゃあ!じゃあ!俺は死ねって言う事かよ!」

 レイモンドの胸に掴みかかりソファに押し付けた。

「……その通りです。それでもあなたの自由も尊重されます。あなたは自分自身で何もかも決めることが可能です。全て忘れて此処を去ることも、そして普段と同じように生きることも出来るのです。ナツキ様はあなたにと仰っていましたが、眠りについている彼女の御守をわざわざする必要はありません」

 なんでこんな風に言われなくちゃいけないんだ。冷たく言い放たれてイツカは唇を噛む。

「なら帰る!」

 売り言葉ではなかったが喧嘩腰になって吐き捨てて席を立つ。レイモンドはイツカを見上げていたが、怒る様子もなかった。ただ静かな目で見つめているだけで。

 なんでだよ!なんなんだよ!苛立ちが体中をめぐって握り締めた拳が震えていた。

 ドアを開けた時、後ろからレイモンドの優しい声が響いた。

「気をつけてお帰りください」

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