4 宝石の名
太陽は姿を見せず黒い雲が広がっている。光の竜が走れば音が遅れて響き、ごろごろと唸っては雨は降り続け終わりがない。
儀式のための清めを済ませ、ベットに座ったナツキは濡れ髪で浴衣を着ている。腰紐のみなのは脱がせやすいようにとのこと。本格的にナイフで切られると思うとナツキは緊張していた。
レイモンドは部屋の灯りを少し落として、ナツキの頬にそっと触れた。
「大丈夫です。痛みはありません。私の誘導に従い身を任せてください」
小さく呟いてナツキはベットに横たわる。
暖かな手の平が瞼に触れ、優しく低い声が耳に響く。聞いたことのないこれは神様の言葉だろうか?ずっと聞いていたい、そんな気にさせる声だった。
胸の奥深くでピリリと痛みが走り、暗闇の中でナツキは瞼を開く。夢を見ているとすぐに悟った。闇のその向こうに明るい美しい光。ゆっくりとそちらへ向い、たどり着いた足元が強く光っていた。
水晶のように透き通った床は光を放ち、ゆっくりと脈動している。
足下の透明の棺の中では誰かが眠っていた。見たことのない顔だ。西洋人とも東洋人とも違う、男とも女とも区別の付かぬ美しい顔。その長い睫毛が揺れて瞼が開いた。
「ナツキよ」
声が聞こえたわけではない。けれど耳の奥に低く響いてきた。
「感謝する、私の親愛なる僕を連れてきてくれたことを」
ナツキは小さく返事をしたが声にはならなかった。
「ああ、お前の事はよく知っている。我はミズナギ、お前の中にいる。良く聞いておけ。我はこれよりお前から出でて、僕と共に狩をする。それが終われば雨は止む」
「あの」
やっと出た声が喉の奥につかえて、急な息苦しさに目を閉じて小さく咳き込む。
苦しい……。深呼吸を繰り返し、落ち着いた頃に瞼を開くと、誰かの足が見えた。驚いてナツキは手を前に出す、指先に冷たいガラスのような壁が触れた。
「え?」
手の平でガラスを叩き、急な圧迫感に周りを見渡した。ここはさっき見下ろしていた足元だ。いつのまにか入れ替わったのだ。まるで棺桶のような場所に悲鳴を上げると、ミズナギが見下ろしていた。
「ナツキよ……あの日……ナイフを……お前に罪はない」
「え?……よく聞こえない」
戸惑うナツキの返事を待たず、ミズナギは遠ざかっていく。
「お前を……最後……守ろうぞ」
「待って!」
声を上げて目の前のガラスを叩く。背中から溢れてきた暖かな水が体を包みこみ、侵食していく感覚が眠りを誘う。必死でもがき叫んでも届かない。重くなる瞼に逆らえずそのまま眠りに落ちた。
その頃、レイモンドはベットに横たわるナツキに馬乗りになって、ナイフを彼女の額に当てていた。緊張から汗でシャツが張り付いている。真剣な眼差しで深く息を繰り返し
顎先からポタリと水が落ちた。
ゆっくりとナツキの額に切れ込みを入れていく。紙が捲れるようにナイフの先から丸まり中から水の膜が顔を出す。唇を通り喉元まで切り開くとナイフを置き、切れ込みから両手を突っ込んだ。透明な水に濡れていく手を何かの形に沿わせて、レイモンドはゆっくりと息を吐く。手が最奥までたどり着くとそれを持ち上げた。
ナツキの中から男とも女とも区別の付かない美しい顔が現れる。長い睫毛がぴくぴくと揺れても唇は動かなかった。
レイモンドは美しい顔を胸に抱き、指先で背中を辿ってその体を引きずり出す。ようやく全てが現れた頃にはぺしゃんこになったナツキの皮と、汗だくで倒れこんだレイモンド、その腕の中にミズナギがいた。
息を整えてレイモンドは体を起こす。腕の中を見るとハッと目を見開いた。美しい顔に男の体が付いている。大きく溜息をついたが、でもどこか安堵してナツキの皮を両手で抱えると浴室へ向かった。
水の入ったバスタブにナツキの皮を浮かべて両手で沈める。皮の切れ込みから水が入り、チャックが閉まるように元に戻り本来の姿になると浮かび上がった。
レイモンドはナツキの唇に口をつけ、ふうと息を吹き込む。その顔に赤みが戻り、ほんの少し薄目が開く。
「ナツキ様、無事終わりましたよ。あなたのメッセージもイツカに届いています」
ナツキが小さく瞬きをすると、レイモンドはその額にキスを落とす。
「おやすみなさい。あなたのためにも早く終わらせましょう」
またバスタブの中に沈むナツキを置いて、レイモンドは寝室へ戻った。
ベットにはミズナギが横たわっている。傍に座ると柔らかな頬に触れた。まだ冷たい体は青白い。着ていたシャツを脱ぎ、覆いかぶさると頭を撫でる。すうっとミズナギが息を吸い込んで瞼を開く。淡い色の瞳がレイモンドを捉えると柔らかに細まって弓になった。
「レイ……」
「まだ……戻りませんか?」
「もう少し……かかる。我は……変わらぬか?」
ミズナギの細い指がレイモンドの唇に触れて、レイモンドはそれに口づける。
「お変わりありません。見たところ二割ほどしか戻っていませんね。抱いてもよろしいなら力は少し戻せます」
ミズナギは柔らかな口を開くとレイモンドを受け入れた。
事が過ぎて、レイモンドがぱたりとベットに倒れこむとミズナギはぱちりと目を開いた。ゆっくりと体を起こし両手を挙げ手の平を確認し体に触れる。足の指を動かすと、隣に横たわるレイモンドを見た。
「……我は男の体のようじゃ」
抱き合っていたのに気付いていないとは……レイモンドは苦笑する。
「そのようですね、宿主のナツキ様に何かなさったのでは?」
「ナツキ?」
「はい。あなたを外に出す時に随分と時間がかかったのです、通常ならもっと早くできたはずですが、あなたの力によるものかと。ナツキ様にはそのような力はありませんから」
「……そういえば何かいたな……。ああ、そうか。それでか」
ミズナギは何かに納得したように頷いた。
「宿主はナツキといったか。あれは魂が死に掛けていてな。それで女である我を与えてきたようだ」
「ええ?大丈夫なのですか?」
レイモンドが飛び起きるとミズナギは笑う。
「ああ……ガワだけだ。あれに神気はない。それにお前も少しはナツキに力をやったのだろう?」
「はい。本当に少し……私も力が足りませんでしたから」
「さっき抱き合ったから戻ってはいないのか?」
ミズナギの微笑みにレイモンドも口元を緩ませる。
「はい。完全にとは行きませんが随分と戻りました。やはり儀式に力を使いすぎたようです」
ふうとベットに横たわるとレイモンドは目を細めた。
「こんな体勢で失礼いたします。お帰りなさいませ、ミズナギ様」
「すまないな……女の私ならば、お前との水で百に戻してやれたろうに」
「いいえ、私は随分と長い間、あなたを探していたのですよ。お会いしとうございました」
「我もだ」
二人は微笑み合うと体を寄せた。口付けを交わすごとに二人の中の水が交差してゆっくりと溶け合う。水に溶けた愛はまたゆっくりと分裂し、きらきらと水の雫へ変わっていく。少し淀んでいたレイモンドの水が透き通る薔薇色に変わり、力という波が二人を包んでいた。




