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37 抱擁に

 ナツキを抱きかかえて走っていくレイモンドの背中を目で追いながら、ミズナギはイツカの足を止めていた。あのまま放っておけばナツキは殺されて、あっけなく人生が終わってしまう。ただでさえ楽しい人生ではなかったろう。そう思うと行動せざるをえなかった。

 片手でイツカを止めて。もう片方で結界を張る。ミズナギは室内を見渡して唇を噛む。ここが屋外ならば水がある。そうであればまだ力も使いやすいが、二人を逃がす時間稼ぎが出来れば今はいい。

「イツカ……もう言葉も忘れたか?」

 目の前で前かがみに揺れているイツカの目には虚ろしかない。そして体に呪符が仕込まれていることから術師を見つけなくてはならない。が、動けそうもない。というのも、イツカが重いのだ。片手で術を行使しているが、イツカの持つ力と術師の力で押されている。油断すれば術は解けてイツカはナツキを追うだろう。

 さてどうするか。鬼の手を借りてもいいが……。

「鳶丸よ、炎は使えるか?」

 後ろで控えていた鳶丸が頷くとミズナギは視線を天井へ。

「建物を燃やせ。雨の中では火では燃えぬ」

「しかし良いのですか?手を出しても」

「かまわん。人柱など今の世にあってはならん」

「了解しました」

 鳶丸が奥に消えるのを確認してからイツカに視線を移す。ずりずりと足元が動いている。先に術師を倒せばいいがそういうわけにもいかず、ミズナギは呪縛を強くした。イツカの足元から光の蔓が絡まっていく。獣に似た声でうめき苛立ちながらミズナギを睨んでいる。

「イツカよ、しっかりせい。獣ではなかろう。お前は今ナツキを殺したいと願っておるんじゃろう?それをすればもう戻れんぞ」

 ナツキ、その言葉にイツカの唸り声が止まった。しかしまたぶるぶると頭を抱えて叫び声を上げるとぎりっと歯を食いしばったのか血が零れ落ちた。

「…………イツカ」

 ゆっくりと瞬きをしイツカは術を解くとその場を駆け出した。イツカは入り口に向かい外へ出る。それを追いかけてミズナギが飛び出すと雨の中、イツカは体勢を整えてミズナギに走り出していた。拳が数度飛んできては軽くいなしてゆくが結界を外に張るため印を結ぶ。雨のせいで力は強くはなっているが加減が難しい。振りかぶったイツカの腕を片足で塞ぎ、虚ろだったイツカの目に光が戻る。一瞬ミズナギは驚いて後ろによろめいた。印を結んでいた腕をイツカが掴み噛み千切る。そこから流れるように肩を爪で抉り、蹴りだした足を捉えて肉を引きちぎる。バランスを崩しミズナギはその場に倒れこんだ。



 建物から蒼い炎が上がり白い煙が上がっている。

 鳶丸は三号に指示を出して後を追わせ、ミズナギを救出する。イツカを止めてはいるが鳶丸の力が押されている。術師だけの力ならまだしもイツカの力だろうか?冷や汗が顎を伝うと腕の中のミズナギが息を吐いた。

「もうよい……放してやれ」

 すでにミズナギの術は解け、鳶丸が指を崩すとイツカは走っていってしまった。雨の中、ぐったりとしたミズナギを抱えて鳶丸は座り込む。

「手加減しなくても……」

「まあな。あとはレイモンドがやる……」

 ゴホッと血を吐いてミズナギが笑う。

「ほら、無理せんでください」

 鳶丸はミズナギを抱きかかえると庭の大きな木の下へ移動した。

「ここなら雨はしのげます。あなたが水の神であっても、今の雨は重い。普通なら死んでますよ。なんでここまでするんですか?」

 鳶丸を背にミズナギは笑う。

「……ナツキのためよ」

「ナツキ様?」

 強く降って来た雨を見つめながらミズナギは息を吐く。血を流しすぎたせいで目が回っていた。

「ナツキは……いつも与える愛ばかりで、枯渇していた。だから……」

 ミズナギは目を閉じる。体の中の水が暖かく循環し始めるのを感じた。

「…………愛してしまうのは仕方ない。あれは我の……」

「ミズナギ様?」

「レイ……愚か者が」

 鳶丸の腕の中でミズナギは意識を失った。




 薄暗い灯りの下、ナツキは目を覚ました。目の前のあるレイモンドの顔をまじまじと見て指先で唇に触れると微笑みが零れる。静かに服を着るとレイモンドを残して部屋を出た。

 眠る前、レイモンドは話してくれた。イツカは今、執行者になっている。だから止めるためには誰か殺さなければならないと。それはイツカの最愛でなければならない。

 私でもいいだろうか?そんな気持ちでふらふらと雨の中を歩き出す。さっきまで暖かかった体ももう冷えていた。もっと彼の腕の中にいたかったのは嘘じゃない。

 イツカ……そう思って顔を上げた時、三号の姿が目に入った。

「ナツキ様!」

 三号が走ってくると彼はぐっしょり濡れている。雨の中必死で追ってきてくれたんだろう。

「レイモンド様は?ご一緒では?」

「まだ中です。眠るのが遅かったから……休ませてあげたくて」

 ナツキの微笑みに三号は照れて頷いた。

「そうですか……。では私はナツキ様と一緒にいましょう」

「それなんだけど……ね……」

 言いかけて顔を上げた。静かな住宅街に遠くから走ってくる足音が聞こえてくる。二人が目を向けるとそれは足を止めた。パーカーのフードを被り、少し前かがみで歩いてくる。ナツキが足を踏み出すと三号がその手を引いた。

「危ないです」

「わかってる……」

「わかってないですよ!あれは執行者です、人殺しだ」

 声を荒げたことに三号は頭を下げると首を何度も振った。

「ナツキ様」

「でも……終わらないでしょ?」

 ナツキは三号の手を握ると微笑んだ。

「ありがとう、三号さん。」

 駆け出してイツカの下へ走っていく。

「ナツキ様……」

 悲しげな声が背中越しに聞こえてナツキは泣き出しそうだった。ありがとう……好きな人が愛してくれた。愛をくれた。ずっと思ってた、自分は誰も上手に愛せないんじゃないかって。だからイツカの事も大切に思っていてもどこか他人事で心配するフリばかりしていた。他の女の子と遊んでいても嫉妬はしたけどそれだけだった。それ以上は踏み込めなかった。それに……あの日。ナイフを何度も何度も振り下ろした罪は消えない。

 ナツキはイツカの前に立つと彼の顔を見上げた。すっかり以前とは違う顔に両手で触れて名前を呼ぶ。

「ナツキだよ。イツカ…………わかる?」

 イツカの瞳にナツキが映る。その目にじわりと涙が浮かんで両腕でナツキを抱き寄せた。その腕の強さにナツキは体を預けた。

「…………ナツキ」

 ぽつりと零れた声にナツキは頷いた。変わらない声に優しくイツカの背中に腕を回す。抱きしめられた腕の力が強くなり、ナツキの体が圧迫された。締め付けられて小さく息を吐きながら、イツカの背中を撫でる。

「ちゃんと…………愛して……あげられなかったね」

 声にならず口から血があふれ出る。背中に突きたてられた爪が内蔵を潰したのだ。イツカはナツキの体を引き剥がすと血まみれの手で頬に触れた。

「……ナツキ、俺らは出会い方を間違ったんかな?」

 息も絶え絶えのナツキに口付ける。虚ろな目の奥に悲しさが見えて、ナツキが首を振る。

「そんな……こと……ないよ。大好きだよ」

「ナツキ……」

 イツカはもう一度ナツキを抱きしめる。ぎゅっと強く力をこめると骨が砕ける音がした。だらんとしたナツキの足から血が零れ落ちていく。足元が赤く染まった頃にはナツキはもう動かなくなっていた。

 その場に座り込んでイツカは腕の中のナツキを見つめていた。雨で彼女の顔の血を綺麗にし頬を撫でる。その目は虚ろだったが涙が流れていた。小さな声で彼女の名前を呼び続けている。

 ピシャンと空で雷が落ち、イツカは顔を上げる。視線の先にはレイモンドが絶望の顔をして立っていた。彼は銃をイツカの額に当てると何も言わずに弾き金を引いた。何度も銃声が響き、イツカが後ろに倒れこむ。雨の中、レイモンドは二人の亡骸を前にただ立ち尽くしていた。


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