36 恋する人
雨の中、ナツキはレイモンドの腕の中にいた。滝のように叩き付ける雨の粒が顔に当たらぬように守られて、彼の胸に顔を埋めている。
先ほど、三号からひったくるように奪われて、遠ざかっていくイツカやミズナギの姿が見えた。
何か言おうとしたが、ミズナギの悲しげな顔に口を噤んだ。
イツカ……恐ろしい顔をしていた。あんな風ではなかったのに。鬼達が話していたとおりならば彼はもう死んだのだろう。そして自分を殺しに来た。
ナツキはレイモンドのシャツをぎゅっと掴んで涙を堪えた。頭に浮かぶのは昔の記憶。
初めてナツキとイツカが夜を過ごした時。イツカの手が震えていた。どうしたのか聞いてみたら、「お前が好きすぎて触れるのが怖い」と言った。あの日、ナツキもまた同じだった。
どうしてこんな風になってしまったんだろう……。
ミズナギの言葉に反射的に動き、ナツキを抱えて逃げ出してしまった。
執行者の暴走を考えるとミズナギが危険な可能性が高い。鬼の二人がいるとしても、イツカが特定の誰かを殺さなければ手出しできない。後悔を滲ませながらも腕の中にいる者を守るためにレイモンドはとにかく走って誰もいない民家に滑り込む。もう随分とナツキの身体が冷えていたからだ。
「大丈夫ですか?」
ガタガタ震えるナツキを抱えて無人を確認してから結界を張り、暖かい風呂を作る。そこにナツキを沈めると数分して彼女の頬に紅がさした。濡れた服のボタンを外してナツキの肌に触れる。少し暖かさが増したが、芯は冷え切っている。熱い湯を出しつつ、レイモンドは呪いを唱える。彼女の身体にあるミズナギのガワを使って、彼女自身の魂が生に近くなるように。ミズナギのガワは殆ど力が残っていない。レイモンドは出来る限りの力を使い、ナツキを再生させていた。
蛇口からポタポタ落ちる水音にレイモンドは目を覚ました。いつの間にか眠っていたようで、ナツキは安らかな顔で眠りについている。
「良かった」
頬に触れて体の水を確かめる。ここに来た時よりも随分と良くなっている。肩を降ろして息を吐くとナツキを湯から引き上げた。タオルで包みベットに運ぶ。まだ体を動かせないのかレイモンドに寄りかかったままでかすかに瞼を動かした。
「どうですか?」
ナツキはうっすら目を開けると小さく頷く。その唇に指を触れさせるとまだ冷たく、上から覗き込んだ。
「寒いですか?」
「大丈夫」
かすかに聞こえた声にレイモンドは笑う。
「冷たいですよ」
「……うん」
「嘘はつかなくていい」
「うん……あのね」
ナツキは囁くように声にした。少し冷たい息が頬にかかる。
「イツカ……大丈夫かな?」
「…………わかりません。けれどあの場にいればナツキは死んでいました」
レイモンドの言葉にナツキが眉を下げた。
「そっか……」
「我々は執行者の一人目が死ぬまでは手は出せない決まりなのです」
「うん、じゃあ……私が」
ナツキが言い終わる前に、そんなことはないとレイモンドは首を振る。
「でも、きっとイツカは私を殺したいよね」
渇いた笑いを零すとくしゃくしゃと笑顔を崩した。
「……怖いな」
ナツキの目から涙が零れて、レイモンドの胸がぎゅっと痛んだ。
彼女の言葉は間違いではない。事が始まれば皆、見守るしかない。
「…………なんでかな。ずっとね、イツカの事、大好きだった。ちゃんと好きだった。どんなに裏切られても、大切に思ってた」
「ナツキ……」
「好きだった人に殺されるの……怖いな。怖い。けど……好きな人が……守ってくれないのも……怖いの」
震える指でナツキがレイモンドの服を握った。
「ごめんなさい……分かってる。分かってるの。レイモンドさんはミズナギ様を愛してるって……なのに、私」
ナツキの心臓の音が響いていた。それに重なるようにレイモンドの鼓動も高く鳴る。
「私は……ミズナギ様のものです。」
「分かってる、分かって……」
鳴き声に変わってナツキが腕を動かすとレイモンドはそれを捕まえた。ベットに押し付けて言い訳を繰り返すナツキの唇を塞ぐ。深く侵入して彼女の力が弱まるまで口付ける。くたりと体から力が抜けるとレイモンドはネクタイを外した。
「ええ、私もよく分かっている」
彼女の髪を撫でてレイモンドは微笑む。
「ナツキ、君を愛している」
シャツを脱ぎ捨ててナツキに覆いかぶさった。
「レイモンドさん」
「うん?」
「いいのかな…………こんな」
指が絡まり重さが加わっていく。素肌が触れると熱さで揺れる。
「いいさ」
「ミズナギ様は……いいの?」
「あの方は全て知っています」
あの場を逃げ出す時、ミズナギの悲しそうな目が悲しかった。全て分かっていてレイモンドを行かせたミズナギの想い。ぐっとベットに沈み、ナツキの瞳の奥深くに堕ちていく。
「知っている?」
「そう、今こうしていることも。そして私の気持ちも」
「………………」
ナツキの目から涙が溢れて、レイモンドは唇で受け止めた。
「泣かなくていい。ナツキが悪いわけじゃない」
「悪いよ……なのに……止められない」
「うん。ナツキ、聞いて」
「何?」
「覚えている?」
唇が触れてナツキが吐息を零す。
「あの日、君を抱いたことを」
「覚えてる。嬉しかったんだ……凄く……イツカはそんな風に愛してはくれなかったから」
レイモンドの瞳が揺れて、ナツキの頬に指が触れた。
「イツカのことはもういい…………忘れていい」
「…………忘れられないよ」
土砂降りの雨の中、腕がちぎれたミズナギが地面に座り込んでいた。
血塗れで酷く傷ついている。
イツカは前かがみで獣のようにミズナギの周りをうろついている。隙あらば飛び掛ろうという魂胆だろうか。その口にはミズナギの腕がぶら下がっている。
すぐ傍では天心教の木造施設が蒼い炎で焼かれていた。施設の前でミズナギを見た鳶丸は拳を握ると三号に指示をした。
「ナツキ様を追え」
「はい」
三号が走り出し、鳶丸は庭一体にかけられた結界がひび割れているのに気付く。ミズナギはもう動けそうにないが、まだ彼の力で結界が張られている。いずれこれが解ければイツカはナツキを追うだろう。
時間は一刻と過ぎていく。
鳶丸はイツカを足止めするために印を結び呪いをかける。ミズナギよりも弱いがないよりマシだろう。結界を覆うように薄くベールが降りると鳶丸の首から汗が零れ落ちた。
ぴたりとイツカの動きが止まり、目がうつろになる。
鳶丸は急ぎミズナギに近づくと彼の体を抱えて距離を取らせた。
「ミズナギ様、すいません……遅くなりました」
「いや、すまぬ。あれは燃えているか?」
「はい。浄化の炎で燃やしています。形も残りませんが、きっとあの世へ上がれるでしょう」
「うむ」
ゴホッと血を吐いてミズナギが鳶丸の胸に倒れこむ。その体は肩が抉られ、腕はなく、足は肉が落とされていた。
「誓約なんて守らなくても良かったんじゃないんですか」
泣き出しそうな顔で鳶丸が叫ぶとミズナギは笑う。
「仕方ない。神とはそういうもの。永遠の命を持つ限り、それは人とは違うのだから」




