35 愛ゆえに
床下からの手が暗闇に消え、天井の崩落が落ち着くと、開いたままの扉から三号が顔を出した。
「ご無事ですか?」
三号の柔らかい声に二人は振り返る。
「ああ、大丈夫だ。三号殿は?」
「はい、平気です。ナツキ様も無事です」
腕に抱かれたナツキが顔を出すとレイモンドは安堵したのか微笑む。
それを見てナツキも微笑み返す。ミズナギは一瞬レイモンドを見たがすぐに視線を逸らした。
「それでそちらは?」
レイモンドの問いに少し顔を曇らせて三号が頷く。
「はい。今、鳶丸様が……」
「どうした?」
「執行者です」
三号の言葉に二人は凍りつく。最後の執行者が現れたのだ。ミズナギはゆっくり瞬きをすると乱れていた髪を両手で整えた。
「わかった」
ミズナギが歩き出すとその後ろをレイモンドが行く。三号たちの傍を通り過ぎる時、すれ違いざまにナツキがレイモンドの袖を引いた。
「……レイモンドさん、イツカが」
それを聞いてレイモンドは何かを察したのか頷いた。
二人は廊下を歩き広間へと向かう。先を歩き出したレイモンドの肩に触れるとミズナギは足を止めさせた。振り返るレイモンドの唇を奪いその目を見る。何も言わずに離れると執行者のいる扉を開いた。
中では怯える信者達を周りに置いたまま、執行者が二人取っ組み合いをしていた。丁度一人が組み敷かれ押さえつけられている。何か話をした後、首をもいで執行者は泣きながら立ち上がった。
レイモンドの目に映ったのはイツカだった。執行者に成り果ててしまったイツカ。まだ意識があるのかおかしな言動はしていない。けれど匂いが死者と混ぜ物で、捲られた腹から覗いている呪符に眉をひそめた。
「愚か者が……」
ミズナギは鳶丸の隣に立つと呟いた。そして背中に刺していた銃で倒れている執行者の頭を撃ちぬく。頭がぐしゃりと潰れると、信者達の中で悲鳴が上がった。踊り狂うように男が一人燃えている。蒼い炎で焼かれて消し炭になると消え落ちた。
イツカは潰れた執行者の頭を抱えるとまた泣き崩れる。
「どうしたら…………良かったんだよ。俺は」
優しい言葉をかけるべきだろうか、レイモンドはゆっくりと歩み寄る。イツカはどう見ても執行者で、狩るべき存在である。彼を見るにまだ人は殺していない。だからレイモンドは手を出すことができない。ミズナギもそれを理解しているのか様子を見ている。
執行者の命を奪ったとしても、それはなんの意味もない。これを知る者たちはただ口をつむぎ、彼の行動を待つしかない。
しかし彼が殺すべき相手…………と視線をドアのほうへ移す。三号だけが顔を出しているがナツキがいる。執行者の殺すべき相手とは心から愛し、愛ゆえに殺したいと思うほど憎い人間。
人の世界は慈しみに満ちている。しかし人の心は複雑で愛が深ければ深いほど歪み、相手を束縛してしまう。欲望の発露、相違なければ暴力となる。愛の形はそれぞれに違い、一方的に与えられるもの、奪うもの、そういったもの全てが愛となる。相手を許そうとする心も愛。人と人が関わりあい、どのような形であっても線が繋がり成立してしまう。悲しみを抱えた死者が持つ恨みの強さは許そうとした心の裏返しだ。
そして最後の執行者は九人目が殺した者になる。無作為でなく必ずそうされている。これは神が定めたもの。人の欲の歯止めになるように、そう願って作られたもの。
鬼のゲームとは人が鬼になったから作られたのだ。人であった鬼はやはり人と同じく鬼としての時間を豊かにしたいと願う。地獄の管理人として、送られてくる魂の数が少なければ増やそうともする。けれど地獄を豊かにするには人は死ななければならない。だから十人の執行者に三人を殺させる。特定の三人を殺すまでは他に何人殺してもかまわない。そうして地獄は潤沢となる。
地上の生者からすれば酷い話である。自分達の預かり知らぬところで勝手に決定されて命を奪われるのだから。なので神は生者の側に立つ。それでも平等であるために執行者が一人殺した時点で狩りは開始される。
悲しいゲームだ。レイモンドは泣いているイツカを見つめていた。彼が行動を起こすまで……。
…………燃え尽きた。あんな姿に俺もなるのか?
仲間だったであろう黒い消し炭を術師は見つめていた。手が震えている。目の前では先ほどから以前教祖が話していたようなことが起きている。まさに奇跡。
しかし、奥の間から逃げてきた信者たちの話によれば、もう教祖は死んだという。我々が殺してきた多くの子供たちの亡骸も暴かれて、教団はもうお終いだとも。
教祖が死んだとて術師の自分達がいれば教団はなんとかなる。教祖は奇跡によって死んだとすればもっと信者は増えるし、今ここにいる信者たちは目撃している。目の前に起きていること全てが次に繋がるのだから。
術師は群集から離れて柱の影に移動した。先ほどまで二人の死者が戦っていた。一方が勝ち、今は事が起こっていない。このまま彼が外に出れば我々は助かるが、ここに乗り込んできた巫女たちやあの男たちを始末しなければならない。
術師は両手で印を結び、ぼそぼそと呪いをする。自分が縫いこんだ呪符の力が発動し、あの二人組みだけでも死者が殺してくれれば、巫女くらいならなんとかなるだろう。
右手で左手を包み、指を立てる。カッと目を開くと部屋の中央にいた死者が狂ったように大声を上げた。
その場に座り込んでいたイツカの身体が燃えるように熱くなり、血が沸騰したのかと叫び声を上げた。どうすれば、そんなことを考えていた矢先だった。
目の奥が熱く、目玉が燃えてしまいそうでイツカは両手で顔を抑える。
……何、何が起きてる?痛え…………。
少し離れたレイモンドの声がかすかに聞こえたが何を言ってるのかはわからなかった。ただ体中が燃えるように熱く、何も考えられなくなっている。
頭に浮かぶのは……ナツキ。ナツキだ。
イツカは前かがみに両手をつく。背中からぎりぎりと音がしてそれが首を伝って脳まで上がってくる。
ざわざわと髪が逆立ち、顔の感覚は無くなっていた。
ナツキ、いるんだろ?どこ?
頭の中がナツキだけになっていく。愛しい、会いたい、抱きたい、触れたい……殺したい…………。
イツカの中の何かがプチっと音を立てて切れると彼の意識は消失した。
ゆらっと立ち上がり、虚ろな目に口がぽかんと開いて涎がダラダラ流れ始める。両腕は前に下がり、両手は赤黒い爪がぐぐぐと伸びていく。
「ナツキ……」
イツカの口から零れた声にナツキが反応した。
「……イツカ?」
三号の傍で顔を覗かせると、イツカが顔を上げて歩き出す。足が重いのかズンと音を立てて近づいていく。それを見ていたレイモンドの顔が青くなり目を背けた。
ミズナギはゆっくりと手を動かし指を立てると、イツカの足元に小さな円陣が浮かび彼の足が止まる。円は光を放ちイツカを包み込む。
「レイ、ナツキを連れて逃げよ」
レイモンドが振り返るとミズナギはただ顎をしゃくった。
一瞬ためらって、レイモンドは唇を噛むと三号の手からナツキを奪い、その場を逃げ出した。




