34 罪と罰
雨雲に紛れて光の竜が走り稲光が落ちる。数時間前から滝のような雨。森は白い煙を上げて動物たちも静まり返っている。
天心教施設。奥まった部屋には書物をあさる教祖、その周りには女が数人が侍っている。扉が開き二人の男が入ってくると教祖は目を丸くした。
一人は見たことのないほど美しい男、その隣には背の高い外国人。
教祖は唾を飲み込んだ。
「……信者?違うな……それにどうやってここに?」
「入れてもらいました」
背の高い外人が軽く会釈して辺りを見回した。
「ミズナギ様があなたと話したいと」
「ミズナギ様?」
隣にいた美しい男がふわりと教祖の前にしゃがむ。さらりと髪が肩から落ちて花の匂いがした。
「お前が教祖じゃな?」
男とも女ともつかぬ顔がこちらを見つめている。教祖は震えだす手を押さえて平静を装った。
なんだ、こいつは。それにこの声…………体が震える。
「ええ、いかにも」
長い睫毛が揺れてその奥の美しい瞳に自分が映る。見られていることでこれほど緊張するとは。身体は正直で先ほどから膨張している。服を着ておいて助かった。
「それはどこで手に入れた?」
ミズナギの長い指が教祖の手元を指す。ただ少し動いただけなのに目を奪われたのが分かって首を振った。
「ん?これ?これは謂わば教本。私を導いてくれる」
ぺらりと頁を捲る。古い本で全て手書き、書いたのは教祖の遠縁にあたる人物だと聞いたことがあるようなないような。ただ、この本には摩訶不思議な事が多く書いてある。気味の悪い呪術、死者を蘇らせる方法や、死体を動かす術に、所謂呪いの本だ。
この本のおかげで教祖は随分と稼いできた。天心教を創り、めでたく教祖にまで成った。昔は女にも縁はなかった。売女ばかりで清純な娘などありつけなかったが教祖となればそれも簡単だった。少しばかり醜い容姿、出っ張った腹でも金さえあればなんとかなる。
教祖は鼻で笑うとミズナギをねめつけた。
「聞いてどうする?」
顔色一つ変えずに美しい顔はそのままだ。少し歪んだところも見てみたい。
「教えて欲しいなら対価を寄越せ」
目の前のまるで女神のような男を屈服させたい。
教祖は胡坐をかくと片手を伸ばした。
「何をくれる?」
ミズナギの後ろの男の顔が苛立ちに変わる。教祖は一瞬怯んだが、ミズナギが片手を上げた。
「良い。それでお前は何が欲しい?我は何も持たぬ」
ごくりと教祖の喉が鳴った。
「では裸に。私に身を捧げなさい」
ミズナギは立ち上がるとジャケットをするりと脱ぐ。ネクタイに手をかけて指先で緩めると教祖に冷たい視線を落とした。白いシャツ姿で袖のボタンを外す。
その姿は美しく、目の前で絵画が動いているようだと教祖は思った。
襟のボタンを胸元まで外したところでミズナギの手が止まる。
「ん?」
教祖が前のめりに見ているとミズナギはその顔を覗きこむ。
「お前と交わる気などない」
「え?」
「お前には高嶺の花よ」
フフと微笑む顔が美しく、教祖はたまらず顔を赤くした。
「だ、騙したのか?」
「騙してなどおらぬ、誓約など交わしておらぬよ」
ミズナギは片手で髪をかきあげて後ろの男に微笑みかける。
「さて、お前がどう考ようとどうでもよい。我はお前のためにここにいるわけではない。その教本とやらのこと、お前が話したくなければこれ以上は聞かぬ」
するっと立ち上がり、踵を返すと歩き出す。
「ただ……ここは邪気が強い。多くを殺めれば鬱屈もしよう」
ミズナギはゆっくりと右手を振上げる。その指先から小さな水の雫がぼつぼつと現れては円を描いていく。まるで古い舞のようで教祖はミズナギの一挙手一投足に見惚れていた。美しい唇がかすかに唱える呪いはその場の者には聞こえず、けれどミズナギの舞を誰も止めることは出来なかった。ただ見惚れ、その目から涙が零れていく。
教祖は訳もわからず自分の中に感情が流れ込んでくるのを感じていた。
今まで見たことのない、自分が生きてきた中で知ることのないもの。
邪悪などなく神聖で……。
ミズナギの周りをくるくると水が渦巻いて天井に張り付くように広がっていく。木造の壁がギシギシ鳴り始め、ゆっくりと黒く腐食していく。
ハッとして教祖は身体をびくんと動かすと、息を吐いて咳き込んだ。いつの間にか息をすることも忘れてしまっていたようだった。
まるで緊縛されていたように。
「止めろ!ここが壊れる!」
もがくように出した声に外人の男は目を向けたが、ミズナギは舞を続けている。天井がバラバラ崩れていくのを気に留める様子はない。
そのうち、天井の一部が開いて、何かがドサっと落ちて来た。赤黒く汚れた布の塊は小さな人の形をしている。
壁際にいた女が正気を取り戻したのか、目の前に起きていることに悲鳴を上げて周りを引き連れて逃げ出した。そしてまたドサッ、ドサッと塊が落ちて来る。
教祖は顔を青くするとその場に塞ぎこんだ。
「ああ…………あああ」
ほんの少し視線を上げる。赤黒い塊から真っ黒な煙が這い出ると人型になり、教祖へ向かって歩き出していた。殆どが子供の姿で教祖は震えながら後ずさる。
ミズナギは両手を揃えると動きを止めた。足元には美しい文様が描かれて水が反射をしたように光っている。
「準備は整ったぞ、レイ」
後ろで待機していた外人の男・レイがミズナギの合図で両手で印を作っていく。
一つ、二つと進むごとにミズナギの足元で文様が光り梵字が浮かびあがる。
教祖にのしかかり黒い影たちはうめき声を上げていた。
影であるはずなのに重みがあるそれは酷い腐敗臭がしていた。
いるはずがない、こんなものあるはずがない。
教祖は震える手で印を結び、必死に呪いを唱えるも、気休めでしかない。
レイの唇が止まると両手が揃えられた。
教祖の上に乗った黒い影はどろりと融けて形を失くして行く。木造の床に穴を開けて、その奥に闇が見えた。影から離れようとする教祖の腕を影が掴み、融けた黒い液が肉を溶かしていく。ジュッと音がして教祖が悲鳴を上げる。
「やめろ、やめてくれ、嫌だ、嫌だ」
赤ん坊の影が教祖の頭にのしかかり、小さな手がべたりと額に触れた。
「ああ、熱い!熱い!やめろ!やめてくれ!痛い!熱い!」
焼かれていく熱さに目玉が蒸発して消えた。教祖は視界を失い、まとわりついた影に腕を焼かれて、もろくなった骨がその場で折れた。床下から伸びる黒い手は欲しがるように動いている。じゅるじゅると黒いマグマのように影は全てを溶かしていく。そして床の隙間へと落ちていった。




