31 最後の執行者
薄暗い部屋の中で肉に呪符を縫い付けている。術師は白いマスクの下で吐き気を抑えながら、身体を開けられている男を見ていた。死斑の出た身体は甘い匂いで内臓を手にとっても顔色一つ変えない。
……気味が悪い。何なんだ。
少し前にも教祖に言われて同じようにしたことがあった。その時は自分は見ていただけだったが、施した術師は先日燃え尽きて死んだ。
こんなことをしていいんだろうか?それよりもこの男はなんだろう?教祖は鬼のゲームなんたらと話していたが、死者であることは理解できる。
「んん」
小さく男が呟いて視線だけを術師に向けた。その目は血走っていて恐ろしい。
口の端から絶えず涎が落ちて、今も何かしら危機感がある。隙を見せたら殺されそうな気がして仕方がない。
全てが終了し術師は真っ赤に染まったゴム手袋を外す。縫い目だらけの男に服を着るように促して術師は目を逸らした。
早くここから立ち去りたい。一刻も早く。
術師が男に背を向けた時、耳元で息遣いが聞こえた。ハッとして振り返る。
物欲しそうな目に涎が服を濡らしている。
術師は逃れるように足を一歩後ろに踏み出して男の目を見つめた。
「……さあ、今から教祖様のところへ行きましょう」
男は顔色を変えずに術師に促されると小さく頷いた。
くるりと踵を返し少し早足で歩きだす。後ろをついてくる男の事は気にかかるし、今こうして後ろを取られているのも恐ろしい。できれば後ろにつきたいくらいだが、おとなしく着いてくるのなら好都合だ。さっさと教祖に引き渡して自分は部屋に戻りたい。
廊下を抜けると左手に木造施設、奥に宿舎兼施設が見える。術師たちが何かするために簡易の小屋のようなものが外から見えない位置に建てられている。
していることを考えればそこになるし、第一に信者達は術師たちが何をしているかなど知らないのだ。一部を除いて。教祖は怖がるといけないから、と言っていたが実際は違法なことだ。信者を生体として実験したり、これも研究であり、神の思し召しなどと嘯いているのは滑稽だ。
仕事は終わった。部屋に戻ろう。
同時刻、施設の前にたどり着いたイツカは丁度外にいた信者達に声をかけていた。イツカが人を探していると聞いた彼らは快く受け入れ中へ。
「すいません、突然おしかけて」
「いいえ、いいえ。きっとあなたの探している人は来ているでしょう。天心教はどなたにも優しい教えを持っています。どうぞゆっくりしていってください。では」
「もし、お泊りになる際はお声掛けくださいね」
親切な信者達に礼を言って頭を深々と下げ、彼らが行ってしまうのを待ってイツカは施設を探し始めた。普通の住居のように見える建物には複数の宿泊部屋があるようだ。廊下を出来るだけ静かに歩き、開いているドアは中を確認した。どの部屋にもカシミヤはいない。そしてナツキも。
「やっぱりあっちかなあ……」
施設の奥側の窓から見える木造施設。立派な建物は宗教施設そのもの。
裏口を見つけて外に出ると裏庭には見覚えのあるパーカーが怪しげな装束の男に連れられて歩いている。イツカは声をかけようとしてそれを止めると、建物の影に身体を潜めた。
足元はよろめきゆらゆら歩いている。両手が前に出てぶるぶる震えているのがわかった。
…………なんだあれ、カシミヤさん?
二人の顔が確認できる位置を歩いていく。前を歩いている男は真っ青で汗でびっしょり濡れていた。その後ろをどす黒くなった顔のカシミヤが口をぽかんと開けている。
イツカは片手を胸に当てた。どくどくする心臓を押さえて俯く。
カシミヤだけど彼じゃない。イツカの知っているカシミヤじゃない。
……ヤバイ。けど止めないと。止めないといけない気がする。
イツカの頭に少し前の優しいカシミヤがめぐる。子供に会いたい、会えたなら救いたいと。
……でもどうやって?
そう思った瞬間、イツカは飛び出していた。
「カシミヤさん!」
前を歩いていた男がイツカを見て驚き、後ろのカシミヤが動きを止めた。
「あなたは誰ですか?一体何を?」
困惑する男をよそにイツカはカシミヤに駆け寄ると肩を掴んだ。
「何してんの?子供さん、捜すんでしょ?」
カシミヤの目が一瞬揺れて、イツカは頷く。
「俺だよ、イツカ。わかる?一緒に捜すから、ね?」
「…………イツカ?」
零れるように声にしたカシミヤ。けれど口はぽかんと開いたままで涎が垂れている。
「カシミヤさん。しっかり」
イツカの手がカシミヤの身体を揺らす。その時鈍い音がした。
「………………え?」
身体にビリッと信号が走っている。内蔵をまさぐられる感覚がしてイツカは俯いた。カシミヤの腕が腹に突き刺さっている。パーカーの袖が血で染まり、彼の腕が引き抜かれるとピンクの何かが見えた。
「カシ…………ミ……な……」
喉まで上がってきた熱い物を吐き出してイツカはよろめく。耳に悲鳴が聞こえたが次第に遠くなった。
雨だ。雨が降っている。イツカはぼんやりと目を覚ました。
これは夢か?何があったんだっけ?
手は動く?足は動くな。目は……開く……。
視界は白く知らない風景にイツカは辺りを見渡した。ゆっくりと歩を進めると足元は砂利がひかれていて、少し水が流れていた。
「なんだここ?」
イツカの視線の少し先に誰かいる。
「誰?」
白い靄の中から現れたのは、小太りの人の良さそうな男だった。ビジネスマンのようにワイシャツにスラックスを着ている。
「……あれ?こんにちは」
小太りの男はイツカに近づくと人懐っこく笑う。
「……こんにちは……あの、ここは?」
「ああ。死にたて?」
男は首を何度か振るとポケットから紙を取り出して何かを確認している。
「ん?予定にないなあ……そうか、突然だったのか」
「あの?」
意味がわからないイツカをよそに男は話し出す。
「まだ、引っ張られてるね。うーん、そうか、君が最後だ」
「最後?」
「そう、今から君は強制的に戻される。うーん、何かされてるみたいだけど、最後まで頑張って。最後の執行者はいつもこうだなあ」
「シッコウシャ?」
男は袖をまくり上げる。赤黒い腕がすうっと伸びるとイツカの顔の前に手の平がかざされた。その指が閉じられていくと同時にイツカの意識が飛んでいく。
「良いですか?よく聞いてください。あなたは鬼のゲームの執行者になりました。あなたで最後です。あなたは現世に戻り、三人殺してください。そうすれば煉獄に堕ちず、あなたは鬼になれます。かならずあなたが思う三人を殺してください。さもなくば………………」




