26 システムの構築
昼過ぎなのに外は雲に覆われて暗かった。傘を少し持ち上げてイツカは道路を流れていく水の群れを見る。久しぶりによく眠ったせいか身体は軽かった。面倒を見てくれた老婆は洗濯もしてくれたらしく、渇いた服も嬉しかった。
それでもしとしと降る雨のせいで、渇いていた服はもう濡れている。
目が覚めた時、カシミヤはいなかった。老婆も何時出て行ったのか知らないらしく、行きたがっていた場所へ行けば合流できるかも知れないと天心教を目指している。
「……あの人、あいつらの言ってたゲームの奴だよな」
カシミヤ本人もそのような事を言っていた。信じがたいが、実際にあの大雨の中を成人の男を背負って息切れもせずに歩き続けられる人間は稀だろう。それにカシミヤは若い男ではない。イツカの父親くらいにも見えた。もう一つ信じざるをえない物があるのだとすれば首の死斑だろう。
昔、興味本位でそんな写真をネットで漁っていた時期があったが、同じものだ。気味が悪いとも思う……だとしても。
イツカは傘をぎゅっと握ると唇を結ぶ。
出逢ってからカシミヤはずっと親切だった。話を聞けば子供を救いたいと希望を口にしていた。けして人を殺したいなど話していたわけじゃない。
「……くそっ」
悪態が口から出た。雨も止む気配はない。
ふと頭にナツキの姿が浮かんだ。
TVに映ったナツキはイツカの知る女ではなかった。真っ白で気味が悪い。……ああ、そういえば初めて会った時、あんなだった。
十年以上も前、まだ中学生の頃、窓際の席にやたら白い女子が座っていた。彼女はおとなしく穏やかでクラスでは人気があった。
イツカはその辺にいるようなやんちゃ坊主で、その女子と話をしたくてぶっきら棒に彼女の前の席に座った。
大きな目を丸くして何度か瞬きしたのを覚えてる。
「おまえ、白いよな。キモチワルイ」
イツカの第一声は最悪だった。教室が一瞬時が止まったように静まり、そのあとザワっとした。それを破ったのは白い女子だ。
「うん、あんまり焼けないんだ。真っ白でしょ?」
そう言って自分の腕をさすって笑った。それがナツキとの出会いだ。
付き合い始めたのは大学生になってからで、社会人になってからも続いていた。
ナツキはいわゆるマドンナみたいな存在で、友人たちも一目置いていた。だからナツキを手に入れれば羨ましがられるだろう、そんな気持ちだったと思う。
好きだとか愛してるとか特別な気持ちは持ってなかった。不思議と手に入ればナツキから距離を置きたくなる。色んな女と付き合い始めたのはその頃だ。
「ねえ、これって……イツカの?」
部屋の掃除をしていたナツキが振り返り片手を上げる。指先には小さなピアスが一つ。見たことあるな、と思考をめぐらせていると彼女は何かに気付いたのかイツカの手にそれを置いた。
「失くさないように」
全て分かっていて怒りもしない。全部許してくれる聖人のような女。それに苛立って彼女の手を無理矢理引いた。
「ちょ、まだ掃除途中だよ」
「あとでいい」
嫌がる身体を触ってイツカは彼女がどうするのか待った。無理矢理だから怒るよな?けれどナツキは仕方がないと瞼を落として頷いただけ。
イツカはナツキが嫌いだった。聖人ぶっている女だ。
無理矢理抱いても乱れない、イツカの渇いた嘘みたいな好きにもちゃんと答えてくれる。
「くそっ」
思い出してイツカは目の前の水溜りを蹴り上げた。
なんであいつは不幸じゃないんだ?俺はこんなに不幸なのに。
小さい頃、何不自由なく与えられてきた。でもどこかぽっかり穴が開いていて、満たされることはなかった。
そんな時、世界中でかわいそうな子供が死んでいると知ったのだ。自分よりもかわいそうな人間がいることに心から嬉しくて、イツカは夢中になった。
死にかけている人を見るだけで心が満たされる。まだ自分は幸せなんだって思えてホッとした。
なのに……ナツキは違う。他の女は不平不満を言い、最後にはナツキを悪く言う。多分、ナツキが綺麗だから、そいつと付き合ってる俺と寝てることを天秤にかけているんだ。くだらない女、でも俺とよく似て可愛い女。とっかえひっかえして嫉妬しあって、複数いるセックスフレンド、その中の一人でいるのが楽しそうだった。
それでもナツキが一瞬見せる寂しそうな顔は好きだった。寄り添ってあげたくて優しい言葉で抱きしめたくなる。愛したくなる。
イツカの舌打ちが雨の中で大きく響いた。
「……なんでだよ、俺は」
ナツキなんてどうでもいいはずなのに……。
まだ未練があるのか?脳裏にあの日見た光景が思い出されて歯を食いしばる。
ベットの上にいたナツキとレイモンドとかいう大男。嫌がることもなく、男に寄り添ってイツカを見つけると驚いた顔をしていた。
「くそっ」
なんなんだよ!俺の事。無茶苦茶にしやがって!ナツキの奴!ナツキのくせに!
持っていた傘を力任せに放り投げた。傘はくるりと円を描き花を咲かせるように水の上に落ちた。
ポツポツと傘に大きな音を立てて雨が強くなる。レイモンドは隣を歩いているミズナギに視線を向けた。回復はしているが、全快ではない。
傘に隠れてはいるが青白い顔はまた酷くなっている。神は死なない、分かっていても……レイモンドは足を止めると唇を結ぶ。
「レイ、どうした?」
「いいえ。今朝のニュースで酷い死体が発見されたと……執行者、九人目になります」
ニュースでは詳細は語られなかったが、部屋の惨状が伝えられていた。床から天井に飛び散った血飛沫、それから想像できるのはありえないものだろう。
「さぞかし恨みも深かろう」
本当によく出来たシステムだと思う。恨みや未練を残した者を下界、すなわち生者の世界へと戻してやり、人とは違う力を与えて復讐させる。成功すればその者は鬼となり地獄へ留まることが出来る。そしてゲームにはレイモンドたちのような狩人もおり、負ければ全てから解き放たれて無と還ってしまう。人というのはそれぞれが因果で繋がれており、必ずそこへ戻るのだ。地獄へ行っても煉獄へ行っても、いずれその因果の鎖で引かれ、また生のシステムへと戻されていく。
鬼のゲームというのは地獄にいる鬼たち、元が人間達が考えたゲームだ。そして生者に干渉する形となるために神と協議し、それでは狩人側は生者側にと決定し今に至る。しかし生者からすれば迷惑な話ではあるが、地獄へ未練を残し恨みを抱えた者たちの末路を知る鬼や神たちからすれば、致し方なく、ある意味の救済にもなる。だからこそ狩人は執行者が動かなければ手を出さないのだ。
「レイ」
名前を呼ばれて顔を上げると、事件のあった家の前にいた。まだ人はまばらにおり、規制テープの向こうにある玄関は赤く染まっている。
警察が忙しなく動いている様子を少し離れた場所で眺めながら、二人は視線を合わせるとまた歩き出した。
「ここにはもういない」
ミズナギの言葉に頷き、レイモンドは傘を少し上げた。かつては綺麗な一軒家だったろうそれは、今や人々が目を背けるものとなっていた。




