2 七月に零
ピチャンピチャンと規則正しい音がする。雨どいから水が落ちている?ああ、まだ雨が降っているのだと気付いて瞼を開いた。いつもと同じ光景に、ゆっくりと体を起こすも
ゴムが弾けるような痛みに視線を走らせる。腕には包帯、足も傷だらけで包帯以外何も着けていないことに気付き、赤面して傍にあった毛布を手繰り寄せた。
私、どうやって帰ってきたの?昨日のアレは夢ではなかった?それに誰が手当てを?
寝室のドアは少し開いていた。見渡す限り、確かにここは自分の部屋で全て見覚えある。ベットの端にある三十センチくらいのぬいぐるみは昔、友達から誕生日に貰った物だ。
静かにベットから下りると、椅子にかけてあったシャツに手を伸ばす。見覚えのないものだが膝まで隠れるほどだから男性物だろうか。寝室を出れば服は確保できるし、今はないよりましだ。
ドアの隙間から覗くと廊下は灯りがついている。静かに移動し、リビングのドアが少し開いているのを確認した。誰かいる、もしかして昨日のお爺さん?
リビングからは人の声がしていた。数秒してTVだと気付き、そっと隙間から中を覗く。
ニュースが流れている。どうやら殺人事件があったのか現場に駆けつけたレポーターが話している。TVの前のソファには白髪の後頭部が見えた。雰囲気的にはあの時の老人に見える。
あの人だよね……?
ナツキは覚悟を決めてドアを開けた。小さく鳴った音に男は振り返る。
明るい場所で見た男は老人とは思えないほど若かった。確かに良く似ているが四、五十ほどの年齢に見える。彼は立ち上がるとナツキの傍に歩いてきた。
「大丈夫ですか?痛みは?」
優しい声に薄い色の瞳がナツキを捉えて、一瞬吸い込まれそうな気がした。
「……いいえ。あの……どなたですか?」
男は優しく微笑むとナツキの手を取りソファに座らせた。少し離れた場所できちんと立ち軽く頭を下げる。
「初めまして、ナツキ様。レイモンドです」
すっとレイモンドが顔を上げると、まっすぐな瞳が飛んできた。ドキリとして目を逸らし、TVを見る。丁度レポーターは死体があった場所に立っていた。地下鉄の階段だ。レポーターの膝まである水がちゃぷちゃぷと音を立てて揺れている。
「あ……」
あの場所だとすぐに分かった。あそこでサラリーマンが殺されたのだ。二、三言葉を交わしただけだったが、顔も声も覚えている。
「やっぱり……殺されたんだ」
ナツキの呟きに傍に立っているレイモンドは頷く。
「はい、これは予定調和です」
「え?」
意味不明な言葉にナツキは顔を上げた。瞬きを繰り返すと首を傾げる。
「今……なんて?」
レイモンドはソファの背もたれに手をかけると「失礼」と小さく断った。ナツキの頬に触れて首を伝い、シャツのボタンに手をかける。胸元を二つ外して襟元から肩に手を滑らせると服をずらした。丁度包帯の巻かれた腕が見えて、ナツキは小さな悲鳴を上げる。
「何!?」
抵抗するナツキの手を捕まえて、レイモンドはもう片方で包帯に触れる。
「落ち着いて下さい。私も随分と回復はしましたがまだ完全ではありません」
意味がわからないまま、体の中でじわじわ水が流れる音がして、それが加速した。痛む場所が暖かくなり和らいでいく。
「何……これ?」
「私は水の神の使徒です」
「は?」
ぽかんとするナツキにレイモンドは笑うと、そっと唇を重ねた。触れるだけの口付けから、侵入した舌が絡み合う。唇の細胞がぴりりと反応して、舌先から喉を通り、まるで何か強い波が体中を巡っていく。息が漏れるたびに体内時計の針がゆっくりと逆回転し熱くなっていく。火照る体にナツキの力が抜けるとようやく唇が開放された。
薄い色の瞳に張りのある肌、目の前のレイモンドは先ほどよりも若返っている。明らかに老人ではない。
「え?」
訳も分からず声を上げると、レイモンドがナツキの腕から包帯を外した。
「もう良い筈です。動かしてみてください」
そう言われて痛んでいたはずの腕を上げる。すんなりと何事もなかったように動いた。
「ええ?」
レイモンドはすっと跪くと、ナツキの足元のシャツをたくし上げる。あわらになった太ももに手を触れさせて膝へ降ろした。
「治っていますね。良かった」
さっき確認した時、怪我をしていたはずだ。なのに何もなかったように綺麗になっている。
「どういうこと?」
「ご説明します」と彼は立ち上がると少し離れて姿勢を正した。
「もう一度、自己紹介をいたします。私はレイモンド。この度、あなたの中にいるミズナギ様を返して頂たく参りました。」
「はい?私の中?」
「はい」
ナツキは眉をしかめて苦笑する。
「何、その流行の転生どうのこうのみたいなくだり……」
確か、少し前に見たアニメはそんな感じだった。
レイモンドは無表情に頭を振る。
「いいえ、あくまで偶然紛れ込んだだけです。あなたにミズナギ様の素質はございません」
「ああ、そうなんだ」
「ただミズナギ様の力が大変強いので、あなたを助けているのは確かです。それゆえ昨日の執行者にも殺されずに済みました」
「執行者?」
「はい。順を追って説明してもよろしいですか?」
なにかアニメみたいな話にナツキは鼻で笑いながら、二度頷いた。
「少し前から地上は雨に見舞われています。これは鬼のゲームが始まった証拠です。鬼のゲームは地獄行きとされた者の中から鬼がランダムに執行者を選び、地上へ放ちます。執行者は三人の者を殺めれば認められ、また地獄へ戻されます。執行者は雨の中のみ活動でき、そして水のある場所であれば存在できます」
彼は真面目な顔をして続けた。
「そして私、レイモンドは水の神の使徒として、執行者を狩に来ています。その間、雨は止みません。また私の力も使い雨を降らせます」
ナツキは、ん?と首を傾げる。
「え?じゃあ雨が降らなければいいんじゃないの?」
「その通りですが、執行者を狩ることを辞めることはありません。鬼のゲームが終わるまでは」
「そんな……勝手な」
「はい、こちらの都合です。しかし決して自由を侵すことはありません。ですので、執行者が永遠と人を殺めなければ、ただ追うのみで狩は行ないません」
「……待って、じゃあ……執行者が誰か殺さないと……鬼のゲームは終わらないってこと?」
「はい、そうなります……が執行者は必ずゲームを始めます」
「……そんなのおかしい!誰か死ななくちゃいけないなんて!」
「けれど、それが定めなのです。現在、執行者たちはゲームを始めたため、私は狩を実施しています。執行者は十人、そのうち三人は仕留めました。ただ私の体も疲労しているため、ミズナギ様をお返し頂きたい」
納得の出来ない話にナツキは黙り込む。しかし一番引っかっている事がある。
「……あの」
「なんでしょうか?」
「ミズナギ様って何なの?」
レイモンドは頷くと膝をついた。
「あなたの中にいるミズナギ様は……、私はあの方の僕なのです」
し、僕?ナツキはとりあえず飲み込んで話を続ける。
「ああ……それはそうとして……様ってつくから神様とか?」
「はい。水の神の子となります。少し奔放な方で、力が強い分……」
彼はくすりと笑うと口元を抑えた。
「時々、地上で嵐になりますね。酷い飢饉が起きたりしますが……あれをミズナギ様が起こしておりました。封印されてからは長らくそのようなことはありませんが……」
「え?それって……封印しておいたほうがいいんじゃ……」
「どうでしょうか。いずれ、あなたの皮を破って出てくるでしょうから、私に任せて頂ければ、あなたを残すことはお約束できますよ」
皮を破って?ナツキは顔を青くしながら言葉を探す。
「待って……なにそれ。さっきも聞いたけどアニメとかで見る転生とかじゃないの?それだったら私なんだから問題ないと思うけど」
「いいえ、違います。ミズナギ様は転生なさることはありません。偶然あなたの中に落ちて、寄生している形です。力が漏れ出ていることを考えると、力が半分近く戻った時に、宿主の体は壊れてしまうでしょう」
「じゃ、じゃあ!私からミズナギ様を取り除いたら私はどうなるの?」
「今のあなたの状態から考えて、ミズナギ様を出したとしても皮は残ります。その後は私の水の力で元に戻すことは出来ましょう。鬼のゲームが終わる頃、雨が上がる頃にはあなたは普通の人としてまた戻れます」
「それって約束できる?」
ナツキの真剣な言葉にレイモンドは深く頷く。
「はい、神の使徒ですから、お約束いたします」
まるでモンスター映画の宿主が腹から食い破られる姿を想像してナツキは目を瞑る。
選択肢がない……か。
「少し時間をください」
レイモンドはまた立ち上がると礼儀正しく頭を下げた。
「かしこまりました」




