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19 神様

 丑三つ時を回る頃、それはうぞうぞと動き、腫れた瞼の下でじぃっと遠くを見つめる。さっきまで世話係の女が嫌そうな顔で体中を濡れた布で拭いていた。

 神様と崇めているわりに、露骨な顔をする。こちらがうまく体を動かせないのを分かっていて、腹を拭く時は目を逸らすのだ。背中を拭いている時はもう酷いのだろうな。

 それは必死で寝返りを打つ。動かないのは半分死んでいるからだ。頭の一部は生きているとしても、血は死んでいるし流れもしないのだから、この体は屍同然だ。元の材料になった子供はかわいそうだ。一人は生きたまま切り刻まれて、もう一人は魂の抽出だとかで実験に使われた。

 ぶくぶくぶよぶよとした青紫に腫れた両手に黄緑が混じっている。もう腐敗が酷い。この体は鼻が利かないから匂いすらわからない。

 外からでっぷりとした男がやってきた。出逢った頃から自分は父親だと喚き散らしているから、この体の父親だろうか?

 時々無意識に口から「とうと、とうと」と零れるが、これはこの体の母親がいつも言っていた言葉だ。上手くは言えてはいないが。

「とうとうやってしまった、とうとう。ごめんなさい……ごめんなさい」

 母親は愛しそうに涙を流しながら体を摩っていた。

 それがこの体に入った時、まだ子供の意識は一つだけあって、悲しげに泣いていた。自分達が何かわからないけれど、とてつもなく悲しい事にあると理解しているように。

 それは魂となった子供を抱いていた。泣きじゃくる赤ん坊は頭が二つある。

 魂の記憶を辿れば子供は双子だったのだ。非情にも殺されて嬲られて繋がれて、もう二度と人に戻ることはできない。

 それは子供をあやしながら問う。

「お前達はどうしたい?」

 小さな手はそれの手を握って、アブブと微笑む。まだ母親を恋しいと思う年だ。無理はない。

「今は眠れ」

 それはすうっと現実の赤ん坊の体で目を覚ました。でっぷりした男の腕に抱かれていて、男は転寝をしているようだった。

 それは赤ん坊の口から紫の煙を出して、男の鼻の穴から脳へと侵入する。

 男の体がガクッと揺れると、バチンと目が開く。男は腕の中の赤ん坊をそっと降ろすと、両手を握り確認した。

 立ち上がり揺れるでっぷりとした体を嫌悪した目で見下ろす。

「……だらしない」

 男は片手で頭の天辺を掴むとぐっと引っ張った。皮膚が引きあがり、顔が吊りあがる。数分ほどそうして手を離す。男の体は先ほどよりも少し痩せ、顔は狐のように笑っていた。

「教祖様?」

 ドアが開き、一人の女が入ってくる。暗がりに目を凝らしている女はまだ若く美しい。男は舌なめずりすると笑った。

「ここです。さあ、こちらへ」

「え?教祖……様?」

 女は暗がりの中へ入ると、目の前にいる男の顔を見上げた。見知った顔でないのだろう、女は首を横に振った。

「ど……どちら様でしょうか?」

「私はアマツだ。知っているだろう?」

 男の指が彼女の顎に触れて、ゆっくりと首を伝い、襟元のボタンを外した。

「お名前は存じておりますが……教祖様のお顔が……」

「気に入らないのか?」

「そんなことは!……あ」

 女の目が男の瞳に映る何かに気付いた。瞳の中にいるのは狐だ。狐の瞳は細長く光り、男の顔を変貌させる。元の顔よりももっと美しく、体もまた引き締まった。その妖艶さに女は吐息を漏らす。

「さあ、始めよう」




 ぽつりと建つバス停の屋根の下、イツカと男はベンチに座って雨宿りをしていた。

「酷いですねえ」

 空を見上げるように男が顔を上げる。二人が一緒に行動し始めてから随分と経つが、雨は酷くなる一方で、あまりに豪雨となったためタクシーでもと思ったところで二人して金がないことに気付き、現在に至る。

「仕方ないですよ……本当は急ぎたいですけどね」

 雨の音にかき消されながらイツカは呟く。それに苦笑すると男はベンチにもたれた。

「こんな雨ですから、少し私の昔話に付き合っていただけませんか?」

「ああ、はい」

 男は笑い腕を組む。

「私は生きていた頃、妻がいたんです。妻とは学生の頃に知り合って結婚して、幸せでした。さあ、いざとマイホームを買って。そんな時、妻の母が倒れまして……妻は母親に付きっ切りでそれは毎日翻弄されていました。私も送り迎えやら色々していましたが、仕事で少し家を開けることになったんです。妻はそれを受け入れてくれました……私はそれに甘えていたんです」

 男は悲しげに微笑む。

「妻はその頃もう限界だったんでしょう。それから私が家に戻ると妻はもういませんでした。妻の母親は少しして亡くなり、妻がどこにいるのかを私はずっと探していました。そして見つけたんです。天心教を」

「出家……してたんですか?」

「いいえ。妻はその新興宗教に身を寄せていたんです。私も調べた時、なんて良い宗教だろうと思いましたよ。身寄りのない者、沢山の人を支援したり受け入れたり……妻はその一人でした。なので私は天心教の扉を叩きました。しかし、もう妻はいませんでした。死んだと言われて、私はそこで絶望し……高いビルの屋上から飛びました」

 イツカはギョッとしたが、男はまっすぐ遠くを見つめている。

「そしてここへ戻ってきました。……信じられますか?まあ、信じられなくてもいいんです」

「……よくはわかりません」

 ぐっと両手を握ってイツカは唾を飲み込んだ。

「俺も……やらなくちゃいけないことがある。知ってる奴が……あそこにいる」

「では私もお手伝いしましょう。あそこには私の子供がいるのです」

「子供?」

「はい。天心教で教えられたのは妻は子供を無事産んだこと、しかし死んだと。子供は自分達が保護していると。だからせめて……子供を返してもらい、私の実家へ連れて行こうと考えています」

「……まだ存命なんですか?」

「……それが出来たら……もう私は全て受け入れてもいいと考えています」

 全てを理解は出来ない。死んでから戻ってきたなんて変な話だ。しかしナツキの事、あの連中の事を考えると腑に落ちる気もした。

「……雨、止みますかね?」

 イツカは遠くの空を見た。

「どうでしょうか……早めにお願いしたいものです。といっても私は雨でもそんなに、なんですが、あなたが疲れてしまうでしょうから」

「ああ、そういえば。名前聞いてなかった……何て呼んだらいいですか?俺はイツカ」

「カシミヤです。どうぞよろしくイツカさん」

 差し出された手をぎゅっと握り二人は微笑み合う。

 雨は激しく叩きつけていたが、遠くの空は少し光が射していた。

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