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13 悲しき思い出

 異常気象をニュースは伝えている。町に警報とアナウンスが流れ始めると、一部の住人の姿は見当たらなくなっていた。足元には常に水が流れ、どうしても外に出なければならない人の足を取っている。

 そんな中、スーツ姿の二人の男が傘をさし歩いている。膝元まで濡れようがお構いなしだ。すれ違う者はその二人の顔を見上げた。

 えらく上背のある男達で一人は恐ろしいほどに美しく、男か女か見分けがつかない。もう一人も美しいが、何よりがっしりした体躯がスーツに映えていた。

「このあたりか?」

 恐ろしいほどに美しい顔の唇が動く。その声を聞いた時、見上げていた者は足を止めてしまった。聞いたことのない声、恐ろしく、けれど全てを包み込んでしまうような優しい声色。二人の前で傘を落とすとその者は走り出した。

 けして振り返ってはならない。そんな気がして。



 青ざめて走ってゆく男を見送って、レイモンドは周りを見渡した。町の中は雨のために人の姿はなくなっている。執行者の被害に遭わないのであれば都合は良いのだろうが、鬼のゲームは執行者が三人殺さなければ終わることはない。ただ長引くだけだ。それに一人殺さなければ狩人は執行者を狩ることができない。どちらにしろ人はいなければならず、雨は災害のように続く。が残り四名。事が動くまでには犠牲者は三名必要になる。

「レイ」

 レイモンドは名前を呼ばれてミズナギを見た。

「何か気付いたか?」

「……いいえ。ただ今の状況に理不尽さを感じてしまって」

 鬼のゲームの話をした時、憤っていたのはナツキだった。彼女が思うとおり、勝手な話なのだ。

「そうじゃな。しかし人が自由なように、それぞれも自由でなければならない。それに……鬼は人でもある。地獄は人で溢れているというのに」

 しとしとと降る雨にミズナギは傘を持ち上げた。空を見上げる瞳は悲しげだ。

「欲が続く以上はこうした遊びも続く」

 遠く空の上で光の竜が走り、またポツポツと雨が降り出す。ミズナギがすうっと視線を降ろし遠くを見つめた。

「来たぞ。まだ殺されてはいないがな」

 雨が酷くなる中で赤になった信号を無視して女が走ってくる。何度も後ろを振り返りながら、両手で顔を拭っている。あらゆる水が彼女の化粧を崩し顔を黒く汚していた。

 女は一度躓いて転んだが、また立ち上がり、少し離れた場所で自分を見つめている男二人に気がついた。

「た、助けて!」そう言って手を伸ばす。しかし目の前には何もなく女は戸惑いながら周りを見渡した。

「確かにいたのに……」

 戸惑いながら後ろを振り返る。パーカーにフードを被った何者かがゆっくりと女に迫っていた。



「あんなところにいちゃダメですよ」

 寸での所であの場所に飛び込んできたのは鳶丸で、女のまばたきの一瞬を盗んで二人を抱えると少し離れた無人の廃ビルに飛び込んでいた。

 廃ビルからは女と執行者の姿は確認でき、声も人ではない三人には届いている。

「かたじけない」

 レイモンドが頭を下げると鳶丸は首を横に振った。

「いいえ。けど……あの執行者泣いてましたね」

「ああ……」

 ミズナギは同意すると腕を組んだ。

 地上は雨が酷くなっていた。逃げられないと悟ったのか女は地面に座り込んだまま執行者を見上げている。

「あんた、死んだんじゃなかったの!なんで生きてんのよ!」

 震える声で女は執行者に叫ぶ。空が光るとフードの下の顔が映し出された。まだ少女のような顔に涙がとめどなく流れ何も言わずに唇を噛んでいる。

 雨に打たれたままで女は舌打ちする。目の前のその顔には嫌気がさしていた。

「何、泣いてんのよ?ふざけてんじゃないよ!急に現れたと思ったら、殺してやるってのたまって追い掛け回した結果がこれかよ?」

 女はゆっくり立ち上がり、少女に近づくとその肩をドンと押した。

 後ろに尻餅をつき少女は顔を上げる。

「ふざけてんじゃねえよ。まじでさ。つうか、お前なんで死んでないの?」

 女は前かがみになると少女の頬を平手打ちした。

「あの時、殺したはずだよな。いいや、お前は自分で死んだんだ。学校の屋上から飛んでさ、頭もグッチャグチャだったはずだ。あたしらは動画で撮ってた。お前はもう死んでんだよ」

 苛立ったのか女は拳を握ると少女の頬を打つ。

 その時少女の瞳に灯っていた光が消えて、その奥から闇がやってきた。じわっと顔が黒くなり、目の周りのクマが縁取りのように広がっていく。

 女は少女の顔など見ていなかった。ただ渇いた笑い声を上げて背を向けている。一歩踏み出した時、少女がゆらりと立ち上がった。音もなく女の背に立ち細い指で首を掴んで折り曲げた。

 女には何も解ってはいなかった。ただ口から泡を吹いてその場に倒れこむ。後ろに立っている少女の顔が見えたのかは定かではない。

 雨が叩き付ける中で少女は空に向かって咆哮する。絶望に似た音色に、離れた廃ビルで見守っていた三人は動き出した。

 地上では少女が雨に濡れ、ふらふらと体を揺らして両手を広げて踊っている。

 三人が近づくと少女はそちらを向き、口を開いた。

「アイ、シー、ユー」

 鳶丸は二人を横目にお手並み拝見と傘で顔を隠し足を止める。レイモンドは二人分の傘を折りたたみ、傍の壁に立てかけた。

「アイ、シー、ユー」

 少女は嬉しそうに笑ってミズナギを見る。大きく開いた両手の先は赤黒く爪が尖っていた。

 ミズナギが一歩足を踏み出し息を吐く。口元で息が白くなると周りの空気が氷の結晶となり、音を立てて冷えていった。

「もう戻れぬよ」

 ミズナギは舞うように片手をあげる。その指先で水滴が小さな氷に変わりキラキラと輝きだす。ゆったりとした動きに少女は見惚れていた。口をポカンを開き、涎をだらだら垂らしている。

 ミズナギは半回転、逆回転とその場に足先で印を書いて自身の周りに氷を作っている。それは奇跡のように美しかった。

 雨が小さな氷に変わりキラキラと光り渦を巻く。

 ミズナギの唇が開き優しげな声で歌いだした。

生命いのちを結べや、水のしもべよ、遠くの空まで流れ行け、罪人つみびとなれど悲しいものよ。生命を謳えよ、水のしもべよ、永久とわは内なるもの」

 ミズナギの周りを旋回していた氷の粒は、すでに少女の周りを飛んでいた。びっしりと小さな欠片が少女を囲み、パズルのように美しく嵌っていく。少女は目の前に現れた壁に驚いたが、鏡のように映すそれに触れて首を振る。映し出されるそれがまるで自分ではないと言いたげだった。

 しかし自身の背中越しに誰かを見つけて、安堵に眉が下がる。誰かの唇がそれに答えるように微笑を浮かべると少女もまた笑った。

 聳え立つ氷の壁に一瞥し、ミズナギは最後の一振りを高く上げた。少女の周りを包んだ氷の壁はピタッと出口を塞ぎ、ミズナギの唇がふうと息を吹くと同時に中央に向けて縮んで行き、隙間がなくなると氷の柱となった。氷の柱からは赤黒い水が流れ出て、執行者は消失した。


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