第14話 苦情受付日は自白の宝庫です
「そもそも持参金の分別管理など面倒なのだ! 妻となる女の金は、家長である私の金になるのが当然だろう!」
「そうだ! それにあの『不誠実交際条項』とやらも厳しすぎる。少しばかり愛人を囲うなど、貴族の男としての甲斐性ではないか!」
王立公証院の第一婚前契約相談室。
本日の相談窓口の前には、レティシアの作成する契約書に文句を言いに来た貴族の男たちが、ずらりと列を作って怒鳴り声を上げていた。
数日前、レティシアの作成した契約書のおかげで、一人の令嬢が借金まみれの悪辣な婚約者から無事に逃げ果せた。
その噂は瞬く間に社交界に広まり、誠実な者たちは彼女の手腕を称賛したが、逆に「後ろ暗い事情」を抱える者たちにとっては、レティシアの存在は目障りな障害でしかなかったのだ。
「共同声明条項などというものも不要だ! 婚約を破棄する時は、女側に何か問題があったことにして一方的に追い出すのが普通だろうが!」
「全くだ! 小娘がしゃしゃり出て、伝統ある貴族の婚約のあり方を乱すな!」
次々と飛んでくる理不尽な苦情と罵声。
しかし、レティシア・アーヴィングの表情は、氷のように冷たく、凪いだままだった。
(あぁ、本当に……クレーマー対応というのは、前世も現世も変わらないわね)
前世の法務部やコンプライアンス窓口で嫌というほど学んだことがある。
『怒りに任せて文句を言いに来る人間は、自らの非や不正の証拠を、自分からペラペラと喋ってくれる』という真理だ。
レティシアは彼らに一切反論せず、手元の『苦情受付記録用紙』に羽ペンを走らせ続けた。
「なるほど。ロイド男爵は、奥様となる方の持参金を事業に流用するご予定があるため、分別管理は不要、と。バッカス子爵は現在すでに愛人を囲っておられるため、交際制限は困る、と。承知いたしました、ご意見として正確に記録しておきます」
レティシアが淡々と相槌を打ちながら記録していくため、貴族たちは自分たちの意見が聞き入れられたと勘違いし、さらに調子に乗って声を張り上げた。
「分かればいいのだ! お前のような不吉な令嬢の作った条項など、我々は絶対に認め――」
「――実に有意義な意見聴取だったな。ご苦労、レティシア」
騒ぎ立てる貴族たちの背後から、ひどく冷たく、絶対的な権力を孕んだ声が降ってきた。
男たちが弾かれたように振り返ると、そこには漆黒の軍服に身を包んだ王立公証院総裁、王弟ノア・ヴァルトハイムが立っていた。
「そ、総裁閣下……っ!」
ノアは青ざめる貴族たちには目もくれず、レティシアのデスクに歩み寄り、彼女が書き上げたばかりの『苦情受付記録』を手に取った。
黒革の手袋に包まれた指で書類を弾き、ノアは獲物を見つけた肉食獣のように、冷酷な笑みを浮かべた。
「持参金管理を嫌がるということは、表に出せない隠し借金があるという自白。愛人条項を嫌がるということは、契約違反となる不適切な交際相手が既にいるという自白。そして、共同声明を拒むということは、将来的に相手の名誉を不当に毀損する計画があるという自白だ」
「なっ……!? ち、違います、殿下! 我々はただ、伝統的なあり方を……!」
「黙れ」
ノアの一瞥だけで、部屋の空気が凍りつき、貴族たちの悲鳴は喉の奥で詰まった。
「自ら不正の予定を書き連ねた署名入りの書類を、公証院に提出してご苦労なことだ。監査対象が一気に増えて何よりだよ」
「か、監査、対象……?」
「当然だろう。これほど明白な『契約違反の予備軍』を放置するほど、私は無能ではない。王立公証院の権限において、ここに名のある者たちの財務状況および素行の特別監査を直ちに開始する」
ノアの死刑宣告に等しい言葉に、貴族たちの顔から完全に血の気が引いた。
自分たちの身勝手な主張が、そのまま自らの首を絞める確たる証拠として記録されてしまったのだ。彼らはガタガタと震えながら、逃げるように、あるいは崩れ落ちるようにして面談室から去っていった。
「……お見事です、殿下。彼らもこれで、少しは契約の重みを理解するでしょう」
嵐が去った室内で、レティシアは小さく息を吐いた。
ノアは苦情記録を部下に渡すよう指示すると、いつもの冷徹な顔を少しだけ和らげ、レティシアを見た。
「いや、見事なのは君だ。相手の怒りに乗じず、自白を引き出して証拠化する手腕。私の直轄にふさわしい、完璧な対応だった」
「恐れ入ります。前世……いえ、昔少しだけ、こういう方々の相手に慣れていたものですから」
レティシアが謙遜して微笑むと、ノアは「これ以上、彼らの下らない自白を聞く必要はない。少し休め」と、彼女に温かい紅茶を差し出した。
相変わらず、部下(レティシア限定)の労働環境と精神的負担に対するケアが手厚すぎる。前世では苦情を聞かされるだけ聞かされて放置されていたレティシアにとって、この上司の存在は本当に有り難かった。
「ありがとうございます。少しだけ休憩を頂いたら、午後の契約確認業務に戻りますね」
紅茶を一口飲み、安堵の息をつくレティシア。
しかし、ノアの表情はすぐに、先ほど貴族たちを一蹴した時よりもさらに深く、険しいものへと変わった。
「……あぁ、監査といえば。もう一件、君に目を通しておいてほしい厄介な契約がある」
ノアはそう言うと、自身の腕に抱えていた、一際分厚く、そして王家の紋章が押された重厚なバインダーをレティシアのデスクに置いた。
「これは……王家の、婚約契約書ですか?」
レティシアが不思議そうにバインダーの表紙を見ると、そこには美しい飾り文字で、ある人物の名前が記されていた。
『第一王位継承者 王太子エドガー』
「王太子殿下の……?」
「そうだ」
ノアの氷のような瞳が、静かな怒りを孕んで細められた。
「我が国の愚かな次期国王が、自身の署名で『致命的な真似』をしている。……君の目で、契約の状況を確認してほしい」
平和な相談窓口に、突如として持ち込まれた国を揺るがす最大の火種。
レティシアは紅茶のカップを置き、静かに、そして確かな覚悟を持って、その分厚い契約書の表紙を開いた。




