第9話 王都支店、開店初日から大行列
王都に店を出す。
その話を聞いたとき、俺は最初、冗談だと思った。
「……もう一度、お願いします」
「王都に店を出すのだ」
魔王ヴァルガは、当然のことのように言った。
場所は、王都エルグラントの商業区。
人口は辺境の町リュネの数十倍。貴族御用達の高級商店から、庶民向けの市場まで、あらゆる商売が集まっている。
つまり、競争相手も桁違いということだ。
「いやいやいや。うちは、町の小さな雑貨店ですよ?」
「知っている」
「大規模な商会でもないんです」
「それも知っている」
「王都の土地代がいくらするか、ご存じですか?」
「調べさせた」
「人件費は?」
「調べさせた」
「……準備がよすぎません?」
ヴァルガは、涼しい顔で紅茶を飲んだ。
「君の店には、王都でも需要がある」
「何の需要ですか?」
「安心して買い物ができる場所としての需要だ」
俺は言葉に詰まった。
王都に店を出すこと自体は、以前から考えていなかったわけではない。
ただ、まだ早いと思っていた。
リュネの店でさえ、仕入れや人手の問題が山積みだ。
ベルク商会との関係も、決してよくなったわけではない。
そんな状況で、王都にまで進出する。
普通に考えれば、無謀だ。
「……どうして、そこまで俺の店を大きくしたいんですか?」
ヴァルガは、少しだけ表情を引き締めた。
「君の店を大きくしたいわけではない」
「え?」
「必要な場所に、必要な店があればいい。それだけだ」
彼は窓の外を見た。
「我が軍への食料供給が終わった後、君は兵士たちに、余った食料を安く売っただろう」
「余剰分ですから。倉庫に置いておくより、売った方がいいと思ったんです」
「その結果、我が軍の補給担当者は、君の店から直接購入したいと言い出した」
「……そうなんですか?」
「人間の商人からも、問い合わせが来ている。君の店では、魔族だからという理由で取引を断らないのか、と」
俺は、ため息をついた。
どうやら、またしても話が大きくなっているらしい。
「俺は、普通に商売をしたいだけなんですけどね」
「ならば、普通に商売をすればいい」
「王都で?」
「王都で」
ヴァルガは、にやりと笑った。
「君が決めることだ。私が強制するつもりはない」
その言葉を聞いて、俺は考え込んだ。
王都には、リュネにはないものがある。
大きな市場。
多くの客。
豊富な仕入れ先。
そして、今まで出会ったことのない人々。
もちろん、危険もある。
だが、店を続けるためには、いつか次の段階へ進まなければならない。
「……一度、見に行ってみます」
俺は答えた。
「出店するかどうかは、その後に決めます」
「それでいい」
ヴァルガは満足そうにうなずいた。
◇
王都へ向かう馬車の中で、ユリウスはずっと落ち着かなかった。
「本当に、王都に店を出すつもりなのか?」
「まだ決めていないよ」
「だが、場所を見に行くんだろう?」
「それはそうだけど」
「王都には、王国でも有数の商会が集まっている。ベルク商会だって、王都に本店があるんだぞ」
「知っている」
「知っていて、行くのか?」
「行かなければ、何もわからないだろう?」
ユリウスは、頭を抱えた。
「お前は、恐怖というものがないのか?」
「あるよ。今も、土地代のことを考えて胃が痛い」
「そこなのか!?」
向かいの席では、アリシアが笑いをこらえていた。
彼女は今、店の護衛兼、商品の管理担当という立場になっている。
剣の腕は相変わらず一流だが、本人は「皿洗いよりは少し責任が増えただけだ」と言っていた。
ミロも同行している。
母親の体調が安定し、近所の人たちにも助けてもらえるようになったため、数日間の出張なら問題ないとのことだった。
「レオンさん、王都って、そんなに大きいんですか?」
ミロが窓の外を見ながら尋ねた。
「大きいぞ。人も多いし、建物も立派だ」
「お店もいっぱいある?」
「いっぱいどころじゃない」
「じゃあ、うちのお店なんて、目立たないんじゃ……」
その言葉に、俺は少し考えた。
「そうかもしれないな」
「えっ?」
「でも、目立つことだけが大事じゃない。必要な人に見つけてもらえればいいんだ」
ミロは、しばらく考えてから、うなずいた。
「ぼくも、そう思います」
その小さな返事が、妙にうれしかった。
◇
王都エルグラントは、想像以上だった。
城壁は高く、街路は広い。
石造りの建物が立ち並び、馬車と人々が絶え間なく行き交っている。
通りには、焼き菓子の香りが漂っていた。
宝石店。
武器屋。
魔道具専門店。
衣料品店。
食料品店。
どの店も、リュネの商店街とは規模が違う。
「……これは、すごいな」
思わず声が漏れた。
店を出す以前に、どこで何を売ればいいのか、まったく見当がつかない。
そんな俺に、案内役の商人が声をかけた。
「こちらが、今回ご紹介する物件です」
通りの角に、二階建ての建物があった。
立地はいい。
人通りも多い。
一階は店舗、二階は倉庫や事務所として使えそうだった。
「家賃は?」
「月額、金貨二十枚です」
「……はい?」
聞き間違いかと思った。
「金貨、二十枚です」
俺は、そっと視線を逸らした。
リュネの店なら、何か月分になるだろう。
いや、何年分だ?
頭の中で計算しようとして、やめた。
「もう少し、手頃な物件はありませんか?」
「ございます。ただし、こちらより人通りが少なくなります」
「どのくらい?」
「通りを三本ほど外れた場所になります」
「見せてください」
こうして、俺たちは王都の物件をいくつも回った。
どれも一長一短だった。
人通りが多ければ家賃が高い。
安ければ、客が少ない。
広ければ維持費がかかる。
狭ければ、商品の種類を絞らなければならない。
結局、夕方まで歩き回っても、決め手になる物件は見つからなかった。
「……今日は、ここまでにしましょう」
俺は、疲れた足をさすった。
「王都は、商売をするにも金がかかるな」
「当たり前だ」
ユリウスが言った。
「だからこそ、大きな商会が強いんだ。資金力が違う」
「そうだな」
俺は、通りの向こうを見た。
そこには、ひときわ大きな建物があった。
正面には、麦穂と天秤の紋章。
ベルク商会の王都本店だ。
人々が次々と出入りしている。
荷馬車が何台も並び、従業員たちが忙しそうに荷物を運んでいた。
あれが、俺の店とは比べものにならない大商会。
正直、勝てる気はしない。
だが、俺は別に、ベルク商会に勝ちたいわけではなかった。
ただ、客に必要とされる店を作りたい。
それだけだ。
◇
翌朝。
俺たちは、再び王都の商業区を歩いていた。
昨日見落とした路地を確認するためだ。
その途中、ミロが足を止めた。
「あれ……」
「どうした?」
ミロが指さした先には、小さな広場があった。
広場の隅に、古い建物が建っている。
周囲の店に比べると、かなり地味だ。
看板は色あせ、窓も小さい。
だが、入口の前には、なぜか人が集まっていた。
「何かあったのかな?」
俺たちは、近づいてみた。
人々の話し声が聞こえてくる。
「本当に、ここで売っているのか?」
「昨日、知り合いから聞いたんだ」
「でも、こんな場所に店があるなんて知らなかったぞ」
「店主が来るのを待っているらしい」
どうやら、何かの店が開くのを待っているらしい。
俺は、建物の看板を見た。
文字は、ほとんど消えている。
かろうじて読めたのは、『雑貨』という二文字だけだった。
「……ここ、空き店舗じゃないのか?」
案内役の商人が答えた。
「ええ。以前は小さな雑貨店でしたが、半年ほど前に閉店したと聞いています」
「それなのに、なぜ人が?」
「さあ……」
そのとき、建物の奥から老人が出てきた。
「お待たせしました。今日は、こちらの商品をお持ちしました」
老人が掲げたのは、小さな木箱だった。
箱の中には、針、糸、留め具、簡単な工具など、日用品が入っている。
「それを待っていたんだ!」
「昨日、売り切れてしまってね」
「これがないと、仕事にならないんだよ」
人々は、次々と商品を受け取っていった。
俺は、思わず目を見張った。
この店は、閉店したはずだ。
なのに、客が集まっている。
老人は、どうやら近隣の職人たちから注文を受け、必要な商品を届けているらしい。
店がなくなっても、客の需要はなくなっていない。
ただ、商品を買える場所がなくなっただけなのだ。
「……なるほど」
俺は、つぶやいた。
「何が、なるほどなんだ?」
ユリウスが尋ねた。
「店を出す場所は、人通りだけで決める必要はないってことだ」
俺は、古い建物を見つめた。
「この辺りには、職人が多い。必要な商品があるのに、近くで買えない人たちがいる」
「それで?」
「もし、ここに店を出せたら、役に立てるかもしれない」
俺は、建物の入口へ向かった。
「すみません。こちらの建物について、詳しく伺いたいのですが」
老人は、俺の顔を見た。
「建物を借りたいのかね?」
「はい。まだ検討中ですが」
「それなら、大家を紹介しよう。だが、一つだけ忠告しておく」
老人は、真剣な顔をした。
「この場所は、儲かる場所ではないよ」
「……どういう意味ですか?」
「大通りから外れている。貴族も来ない。高級品も売れない。普通の商人なら、もっといい場所を選ぶだろう」
「そうでしょうね」
「それでも、借りるつもりかい?」
俺は、もう一度、広場を見た。
針を買った職人が、うれしそうに商品を抱えて帰っていく。
必要なものが手に入った。
それだけで、仕事が進められる。
俺は、その光景を見て、自然と笑っていた。
「はい。少し、話を聞かせてください」
◇
その日の午後。
俺は、古い建物の大家と交渉した。
建物は築年数が古く、修繕も必要だった。
そのため、家賃は大通り沿いの物件より、かなり安い。
ただし、改装費は自己負担。
さらに、最初の半年間は、売上が少なくても家賃を支払わなければならない。
決して楽な条件ではない。
それでも、俺は契約書に目を通した。
「……ここにします」
ユリウスが、驚いた顔をした。
「本気か?」
「うん」
「昨日まで、王都の物件は高すぎると言っていたじゃないか」
「高いのは、今も変わらないよ」
「なら、なぜ?」
俺は、窓の外を指さした。
「ここなら、必要なものが近くで買えない人たちに、商品を届けられる」
「それだけか?」
「それだけだ」
俺は、契約書に署名した。
もちろん、不安はある。
王都で商売をするのは初めてだ。
知名度もない。
仕入れ先も、まだ十分ではない。
それでも、必要としている人がいるなら、やってみる価値はある。
「よし。決まりだ」
俺は、手を叩いた。
「まずは、掃除から始めよう!」
◇
開店準備は、想像以上に大変だった。
床には埃が積もり、棚は古くなっている。
壁の一部には、雨漏りの跡もあった。
アリシアが剣を置き、雑巾を手に取った。
「……私は、剣士なのだが」
「今日は掃除担当です」
「そうか」
彼女は、黙々と床を拭き始めた。
ユリウスは、壊れた棚を修理している。
ミロは、商品の箱を運んでいた。
俺は、近隣の職人たちに話を聞きながら、何を仕入れるべきかを調べた。
必要とされていたのは、派手な商品ではなかった。
丈夫な針。
切れにくい糸。
安価な工具。
靴の留め具。
布を補修するための小さな部品。
どれも、一つひとつの利益は小さい。
だが、なくなると困るものばかりだった。
「……よし」
俺は、仕入れ帳簿を閉じた。
大商会のように、何でも大量に売る必要はない。
まずは、この地域で必要とされる商品を、必要な量だけ用意する。
それが、俺の店のやり方だ。
そして、開店前日の夜。
俺たちは、看板を取り付けた。
『レオン商店 王都支店』
その下には、いつもの言葉。
『いらっしゃいませ』
「……いよいよだな」
俺は、看板を見上げた。
リュネの店を開いた日のことを思い出す。
あの日も、不安だった。
客が来るのか。
商品は売れるのか。
店を続けられるのか。
何もわからなかった。
今も、同じだ。
ただ、一つだけ違う。
今は、一人ではない。
「みんな、今日はありがとう。明日からも、よろしく頼む」
俺が言うと、アリシアがうなずいた。
「任せておけ」
「ぼくも頑張ります!」
ミロが元気よく手を挙げた。
ユリウスは、少し照れくさそうに言った。
「……まあ、俺も手伝ってやる」
「ありがとう」
俺は笑った。
「それじゃあ、明日に備えて休もう」
◇
開店初日。
朝、店の扉を開けた。
通りには、まだ人影が少ない。
俺は看板を確認し、商品を並べ直した。
これで準備は整った。
「……開店します!」
誰に向けたわけでもなく、声を上げた。
最初の客が来たのは、それから三分後だった。
「すみません。針はありますか?」
「はい。こちらです」
「丈夫なものが欲しいんですが」
「でしたら、こちらがおすすめです。少し値段は上がりますが、長持ちします」
客は針を手に取り、しばらく確かめた。
「……これを二つください」
「ありがとうございます」
最初の売上。
金額は小さい。
それでも、うれしかった。
続いて、別の客が入ってきた。
「靴の留め具はあるか?」
「ございます」
「糸も欲しい」
「こちらです」
さらに、工具を買いに来た職人。
布を補修するための部品を探す仕立て屋。
仕事で使う小物をまとめて購入する工房の主人。
客は、一人ずつ増えていった。
昼前には、店内が人でいっぱいになった。
「すみません、糸はどこですか?」
「針が売り切れそうだぞ!」
「工具の追加はないのか?」
「順番にお願いします! 商品は十分ありますので、落ち着いてください!」
俺は、汗を拭いながら対応した。
まさか、こんなに客が来るとは思わなかった。
しかも、誰も高級品を求めていない。
必要な商品を、必要なときに、近くで買いたい。
ただ、それだけだった。
「レオンさん、針が残り少ないです!」
ミロが叫んだ。
「糸もです!」
「わかった! 倉庫の在庫を確認して!」
アリシアは、商品の補充を手伝いながら、客の列を整理している。
ユリウスは、なぜか店の外で案内係をしていた。
「押さないでくれ! 全員、順番に入れるから!」
勇者が、雑貨店の行列を整理している。
なんとも不思議な光景だった。
午後になっても、客足は途切れなかった。
そして、夕方。
ようやく、店内が落ち着いた。
俺は、椅子に座り込んだ。
「……終わった」
「終わっていないぞ、レオン」
アリシアが、帳簿を差し出した。
「売上の確認が残っている」
「……そうでした」
俺は、机に向かった。
売上を集計する。
仕入れ原価。
販売価格。
残った在庫。
返品や交換の対応。
すべてを記録し、確認した。
結果は――。
「……すごい」
思わず、声が漏れた。
初日の売上としては、十分すぎる数字だった。
もちろん、家賃や人件費、仕入れ代金を差し引けば、利益はそれほど大きくない。
それでも、この店に需要があることは、はっきりした。
「よかったですね、レオンさん!」
ミロが笑った。
「ああ。本当によかった」
俺は、窓の外を見た。
夕暮れの広場では、まだ何人かの職人が話をしていた。
「明日も開いているかな」
「今日、買えなかったものがあるんだ」
「近くにこういう店ができると、助かるな」
その声を聞いて、胸が温かくなった。
店を開いてよかった。
そう思えた。
◇
その夜。
ベルク商会の王都本店。
豪華な執務室で、商会長ドランは報告書を読んでいた。
「……レオン商店?」
彼は、眉をひそめた。
「辺境の町にあった、あの小さな店か?」
「はい。王都の職人街に支店を開いたとのことです」
部下が答えた。
「初日の売上は、予想を大きく上回っています。特に、針や糸、工具の小部品など、低価格の日用品がよく売れたようです」
「そんなものが、なぜ売れる?」
「周辺に、同種の商品を専門に扱う店が少なかったためかと」
ドランは、報告書を机に置いた。
「……偶然だろう」
「しかし、近隣の職人たちから、追加注文が相次いでいるそうです」
「偶然だと言っている」
ドランは、窓の外を見た。
王都の商売は、単純ではない。
大きな商会ほど、扱う商品の種類も、取引先も多い。
だからこそ、細かな需要をすべて拾いきれないこともある。
だが、辺境の小商人が、その隙間に入り込む。
しかも、魔王軍や王国との問題を抱えながら。
それは、気に入らなかった。
「……監視を続けろ」
「かしこまりました」
「どこから商品を仕入れているのか。誰と取引しているのか。何を売っているのか。すべて調べろ」
部下は一礼した。
ドランは、最後に付け加えた。
「それから、近隣の商店にも話をしておけ。あの店に、好き勝手をさせるな」
「承知しました」
部下が出ていったあと、ドランは一人、机の上の報告書を見つめた。
そこには、初日の売上と、商品の販売数量が記録されていた。
利益率は低い。
扱う商品も、ありふれている。
大商会が本気で競争するような相手ではない。
それなのに。
なぜか、嫌な予感がした。
◇
翌朝。
俺は、店の扉を開けようとしていた。
そのとき、店の前に、見慣れない男が立っていた。
高級な服。
整えられた髪。
そして、胸元に輝く麦穂と天秤の紋章。
「おはようございます、レオン店主」
男は、丁寧に頭を下げた。
「私は、ベルク商会王都本店の支配人、マルセルと申します」
「……ベルク商会?」
「はい。商会長ドランより、あなたにご挨拶を申し上げるよう、仰せつかっております」
男は、笑顔を浮かべた。
「本日は、あなたの店について、ぜひお話を伺いたいと思いまして」
俺は、扉の取っ手から手を離した。
どうやら、王都での商売は、思った以上に忙しくなりそうだった。
しかも、客だけではない。
大商会まで、うちの店に興味を持ち始めたらしい。
「……それは、わざわざありがとうございます」
俺は、店の扉を開けた。
「どうぞ。お話を伺います」
男は、満足そうに店内へ足を踏み入れた。
その瞬間、壁に貼られた規則に目を留めた。
『店内での威圧・脅迫行為は禁止』
男の笑顔が、ほんのわずかに固まった。
俺は、それを見逃さなかった。
「当店では、お客様を歓迎しています」
俺は、いつもの調子で言った。
「ただし、商談も通常どおりです。お互い、納得できる条件で話をしましょう」
男は、規則から目を離した。
「……もちろんです」
こうして、王都での二日目が始まった。
俺は、まだ知らなかった。
この小さな店が、やがて王都の商業そのものを揺るがすことになるとは。
そして、俺自身が、今まで以上に大きな選択を迫られることになるとは。
ただ一つ、確かなことがある。
今日も、店を開ける。
それだけは、変わらない。




