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第10話 売り切れた商品は、魔王軍でも手に入らない

その日、俺の店に三人の女がやって来た。


 一人は、俺を守るためなら王国の騎士を敵に回す元剣聖。


 一人は、王都でも指折りの美貌を持つ銀髪の令嬢。


 そして、もう一人は――。


「レオン様! わたくしを、お嫁さんにしてください!」


 魔王の娘だった。


 ……いや。


 待ってくれ。


 俺は雑貨屋の店主であって、結婚相談所の所長ではない。


 しかも今、王都では大規模な物資不足が起きかけている。


 ベルク商会の不自然な大量仕入れ。


 魔王軍からの緊急注文。


 仕入れを断られ始めた職人たち。


 解決しなければならない問題は山積みだ。


 なのに、どうしてこうなった。


 話は、三時間前に遡る。


     *


「店長! 保存食、売り切れです!」


「えっ」


「薬用包帯も残り二束です!」


「ええっ」


「それと、外にすごい行列が!」


「えええっ!?」


 開店から一時間。


 王都支店は、かつてない混雑に見舞われていた。


 客が求めているのは、保存食、薬品、金属製品。


 昨日まで普通に買えた商品ばかりだ。


 だが、王都のあちこちで品切れが始まった結果、まだ商品が残っている俺の店に客が殺到したらしい。


「おい店主! 保存食はないのか!」


「すみません。本日分は完売しました!」


「金なら倍払う!」


「ありません!」


「三倍だ!」


「ないものは、ありません!」


 俺はカウンター越しに頭を下げた。


 金を積まれたところで、商品は増えない。


 この店の規則は、世界の法則より優先される。


 だが、店の外にある商品を無から作り出せるわけではない。


 俺は魔法使いではないのだ。


「レオン」


 アリシアが、俺の袖を引いた。


「少し休んでください。朝から何も食べていません」


「あとで食べるよ」


「その『あとで』を、もう三回聞きました」


「……数えてたのか」


「はい」


 アリシアは真剣な顔で、俺の前に小さな包みを置いた。


 中には、焼きたてのパンと薄切りの肉が挟まれている。


「作りました。食べてください」


「ありがとう。助かる」


 俺が受け取ると、アリシアはほっとしたように微笑んだ。


 元剣聖。


 王国最強とまで呼ばれた女性。


 そんな彼女が、今は俺のために朝食を作ってくれている。


 人生、何が起きるか分からない。


「……レオン」


「ん?」


「口元に、ソースが」


 彼女の指が伸びてきた。


 俺の口元を、そっと拭う。


 近い。


 思ったより、ずっと近い。


 アリシアの長い髪から、石鹸のような香りがした。


「……取れました」


「あ、ありがとう」


「いえ」


 なぜか彼女の耳が赤い。


 俺も、たぶん同じ顔をしている。


 その瞬間。


「店長! お客様です!」


 ミロの声が飛んできた。


 助かったような、惜しかったような。


 俺が振り向くと、入口に一人の女性が立っていた。


 銀色の髪。


 澄んだ青い瞳。


 仕立てのよい紺色のドレス。


 年齢は二十歳前後だろうか。


 姿勢からして、普通の商人の娘ではない。


「こちらが、噂の店ですのね」


 女性は店内を見渡し、俺に視線を向けた。


「あなたが店主のレオン様?」


「はい。そうですが」


「わたくし、セレスティア・ルミエールと申します」


 その名前を聞いた瞬間、アリシアの表情が変わった。


「ルミエール公爵家……?」


「ご存じなのですね」


 セレスティアは優雅に微笑んだ。


「ええ。王都では、少しだけ名の知られた家ですから」


 少しだけ。


 後で知ったことだが、ルミエール公爵家は王国でも屈指の名門らしい。


 その令嬢が、なぜ俺の雑貨屋に?


「本日は、商談に参りました」


 セレスティアは、持っていた小さな革鞄を開いた。


 中から取り出されたのは、一枚の発注書。


 俺はそれを受け取り、目を通した。


 そして、固まった。


「……保存食、一万食?」


「はい」


「薬用包帯、五千束?」


「はい」


「携帯用の金属食器、二千組?」


「はい」


 セレスティアは、にっこり笑った。


「すべて、こちらのお店から購入したいのです」


 俺は、ゆっくりと発注書を置いた。


「申し訳ありません」


「あら?」


「売れません」


 彼女の笑顔が止まった。


「……お値段の問題でしょうか?」


「いえ。在庫がありません」


「でしたら、仕入れていただければ」


「仕入れ先でも品薄が続いています。納期を約束できません」


「代金は、前払いでも構いません」


「それでも、ありません」


 セレスティアは目を瞬かせた。


 おそらく、金を出して断られた経験が少ないのだろう。


「……不思議な方ですわね」


「よく言われます」


「わたくしが誰か、ご存じですか?」


「先ほど、お名前を伺いました」


「そうではなくて」


「公爵家のお嬢様だと、アリシアから聞きました」


「では、なぜ?」


 俺は首をかしげた。


「商品がないからです」


 セレスティアは、しばらく俺を見つめていた。


 そして。


「ふふっ」


 小さく笑った。


「ふふふっ……あははっ!」


 突然、声を上げて笑い始めた。


「面白い! 本当に面白い方ですわ!」


「……ありがとうございます?」


「お父様がおっしゃっていたとおりです。陛下の提案を断った変わり者の店主がいると聞きましたが、まさか公爵家の注文まで断るなんて!」


 なるほど。


 王様の件も知られているのか。


 嫌な予感しかしない。


「それで、どうして大量の物資が必要なんですか?」


 俺が尋ねると、セレスティアの笑顔が少し消えた。


「王都の南に、ルミエール家が管理する救護院があります」


「救護院?」


「戦争で家を失った人や、病気で働けなくなった人を受け入れる施設です。最近、そこへの物資の納入が突然止まりました」


「……ベルク商会ですか?」


 セレスティアは、わずかに目を見開いた。


「ご存じなのですね」


「いえ。確認しただけです」


「ええ。ベルク商会から、従来の三倍の価格でなければ納品できないと通達がありました」


 三倍。


 俺は眉をひそめた。


 市場の需要が急増すれば、値上がりすることはある。


 だが、救護院のような施設は、簡単に予算を増やせない。


「それで、うちに?」


「はい。ですが、わたくしの見込み違いでしたわね」


 セレスティアは発注書を引き寄せた。


「無理を申し上げました。失礼いたします」


 彼女が立ち上がる。


 俺は思わず声をかけた。


「待ってください」


「はい?」


「一万食は無理です。でも、今夜までに必要な人数は何人ですか?」


 セレスティアが振り返った。


「……今夜まで?」


「はい。まず、今日食べる分を考えましょう」


「三百人ほどです」


「そのうち、自力で食事を取れない方は?」


「五十人ほど……ですが、なぜそのようなことを?」


「保存食がなくても、食事は作れます」


 俺は紙を引き寄せた。


「穀物と野菜なら、まだ手に入る場所があります。携帯食にこだわらなければ、今日の分は何とかなるかもしれません」


「ですが、調理する人手が」


「それも、考えましょう」


 俺はアリシアを見た。


「今日の仕込み、どれくらい余裕がある?」


「人数によりますが、三百人分なら、応援があれば可能です」


「ミロ、近所の食堂に協力を頼めるか?」


「はい! 行ってきます!」


「待って。店番を代わってからにしよう」


 俺はセレスティアに向き直った。


「ただし、条件があります」


「条件?」


「必要な食材の実費と、調理してくれる人への賃金は払ってください。うちも、協力する食堂も、無償では続けられません」


 セレスティアは、俺をじっと見つめた。


「……利益は?」


「適正な手数料はいただきます。でも、困っている人の足元を見て値段を吊り上げるつもりはありません」


 彼女は、何かを言いかけた。


 しかし、その言葉を飲み込む。


「……あなたは」


「はい?」


「本当に、変わった方ですのね」


 その声は、先ほどよりずっと柔らかかった。


     *


 午後。


 俺たちは救護院に届ける食事の手配に追われていた。


 近所の食堂が二軒、協力を申し出てくれた。


 野菜を売る農家も、事情を聞いて少し安く譲ってくれた。


 だが、無料ではない。


 俺は一人ひとりと数量と価格を確認し、帳簿に記録した。


 善意だけで人を働かせるわけにはいかない。


 善意は大切だ。


 けれど、それを使い潰す商売は、長続きしない。


「レオン様」


 セレスティアが、俺の隣に立った。


「あなたは、いつもこうなのですか?」


「こう、とは?」


「自分に何の得もないことに、そこまで手を尽くすのですか?」


「得ならありますよ」


「まあ」


「救護院の方が元気になれば、いつかうちの店に買い物に来てくれるかもしれません」


 セレスティアは、くすりと笑った。


「商売人ですのね」


「一応」


「でも、それだけではないでしょう?」


 俺は少し考えた。


「……昔、困っているときに、誰にも助けてもらえなかったことがあるんです」


 前世の話だ。


 仕事で失敗したとき。


 誰も悪くない顔をして、誰も責任を取ろうとしなかった。


 気づけば、俺ひとりが取り残されていた。


 あのとき、たった一人でも、味方がいてくれたら。


 そう思ったことがある。


「だから、誰かが困っているとき、少なくともこの店では『知りません』と言いたくないんです」


 セレスティアは黙った。


 やがて、小さな声で言った。


「……素敵ですわ」


「え?」


「何でもありません」


 彼女は微笑んだ。


 その頬が、ほんの少し赤く見えた。


 気のせいだろうか。


 そのとき。


「レオン」


 背後から声がした。


 アリシアだった。


 なぜか、いつもより表情が硬い。


「荷物の準備ができました」


「ありがとう。助かったよ」


「……ずいぶん、楽しそうでしたね」


「え?」


「いえ。何でもありません」


 アリシアは、俺とセレスティアを交互に見た。


 セレスティアは、その視線に気づいたらしい。


「あら。あなたが、元剣聖のアリシア様ですのね」


「……そうですが」


「レオン様とは、長いお付き合いなのですか?」


「長い、というほどではありません」


「では、わたくしにも機会がありますわね」


「……何の機会ですか?」


「ふふ。秘密です」


 アリシアの眉が、ぴくりと動いた。


 俺は、なぜか背筋が寒くなった。


 剣聖と公爵令嬢。


 どう考えても、俺が間に入っていい組み合わせではない。


 だが、セレスティアは楽しそうだった。


 アリシアは、あまり楽しそうではなかった。


 ……何か、まずいことをしただろうか。


     *


 夕方。


 救護院への食事の搬入が終わった。


 厨房を借りて作った温かい粥と、野菜を煮込んだスープ。


 豪華な料理ではない。


 それでも、食事を受け取った子どもたちは、嬉しそうに笑った。


「お兄ちゃん、ありがとう!」


「おいしかった!」


「また来てね!」


 俺は笑って手を振った。


 その隣で、セレスティアが静かに目を伏せていた。


「……わたくし、恥ずかしいですわ」


「どうして?」


「今まで、救護院のためにお金を出すことが、助けることだと思っていました」


「それも、大切ですよ」


「でも、今日初めて、ここで暮らす方々の食事を、最初から最後まで見届けました」


 彼女は、子どもたちの笑顔を見つめた。


「お金を払って終わりでは、見えないことがあるのですね」


「そうですね」


「レオン様」


「はい」


「わたくし、あなたのお店で働いてみたいです」


「……はい?」


 俺は耳を疑った。


「一日だけでも構いません。商売を、教えていただけませんか?」


「公爵令嬢が、雑貨屋で?」


「いけませんか?」


「いけないというか……」


「お給金は不要です」


「それは駄目です」


 俺は即答した。


 セレスティアが目を丸くする。


「なぜですの?」


「働いてもらうなら、賃金は払います。身分は関係ありません」


 彼女は、しばらく俺を見つめていた。


 そして。


「……決めました」


「何を?」


「明日から、こちらで働かせていただきます」


「いや、まだ採用すると言ってないんですが!」


「面接が必要でしたら、受けますわ」


「そういう問題では……!」


 そのとき、背後から静かな声がした。


「店長」


 アリシアだった。


「……本当に、雇うのですか?」


「まだ決めてないよ」


「そうですか」


 少しだけ、ほっとしたように見えた。


 だが、次の瞬間。


「でしたら、私も、正式に店長の補佐役として働かせてください」


「え?」


「今までは、手伝いという形でしたから」


「いや、もう十分働いてもらってるけど」


「そうではなくて」


 アリシアは、まっすぐ俺を見つめた。


「私が、店長の一番近くで支えたいんです」


 言葉が止まった。


 夕暮れの光が、彼女の髪を照らしている。


 その表情は、剣聖として戦っていたときよりも、ずっと真剣だった。


「……アリシア」


「……はい」


「いつも、ありがとう」


 俺がそう言うと、彼女は少しだけ微笑んだ。


「それだけで、十分です」


 十分。


 本当に、そうなのだろうか。


 彼女の瞳を見ていると、何か大切なことを見落としている気がした。


 だが、その意味を考える前に。


 遠くから、轟音が響いた。


 地面が揺れる。


 救護院の窓が、かたかたと震えた。


「な、何だ!?」


 俺は空を見上げた。


 王都の上空に、巨大な黒い影が浮かんでいた。


 翼。


 角。


 長い尾。


 まさか。


「……竜?」


 その影は、ゆっくりと高度を下げていく。


 王都の警鐘が鳴り始めた。


「魔物だ!」


「竜が来たぞ!」


「騎士団を呼べ!」


 人々が悲鳴を上げ、逃げ惑う。


 アリシアが即座に俺の前へ出た。


「レオン、下がって!」


 腰の剣に手をかける。


 セレスティアは青ざめていた。


 俺も、足がすくんでいた。


 竜なんて、近くで見たことがない。


 しかも、あれは明らかに普通の魔物ではない。


 黒い鱗に覆われた巨体。


 燃えるような赤い瞳。


 そして、額には、見覚えのある紋章が刻まれていた。


 魔王軍の紋章。


 竜が、王都の広場へ降り立つ。


 石畳が砕け、土煙が舞った。


 騎士たちが剣を抜く。


 アリシアも、今にも飛び出しそうだった。


 だが。


 竜の背中から、ひとりの少女が飛び降りた。


 黒いドレス。


 腰まで伸びた銀紫色の髪。


 小さな角。


 そして、ヴァルガによく似た、深紅の瞳。


「レオンという人間は、どこにいるのですか!」


 少女は、広場に響き渡る声で叫んだ。


 俺は思わず、一歩前へ出た。


「……俺ですけど」


 少女の視線が、俺を捉えた。


 次の瞬間。


 彼女は駆け出した。


「見つけました!」


「えっ」


 速い。


 アリシアが反応するより先に、少女は俺の目の前まで来ていた。


 そして。


 ぎゅっ。


 俺に抱きついた。


「……え?」


 俺は完全に固まった。


 少女は顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。


「わたくし、魔王ヴァルガの娘、リリアーナと申します!」


「……は?」


「お父様から、あなたのお話を何度も聞いております!」


「……それは、どうも」


「魔族も人間も分け隔てなく扱い、魔王軍三千人を飢えから救った、勇敢な商人だと!」


 周囲がざわめいた。


 魔王の娘。


 その言葉だけで、騎士たちの顔色が変わっている。


 だが、リリアーナはまったく気にしていなかった。


「わたくし、ずっとお会いしたかったのです!」


「あ、ありがとうございます」


「そして、今日、お会いして確信しました!」


「……何を?」


 彼女は、俺の両手を握った。


 赤い瞳が、きらきらと輝いている。


「レオン様!」


「はい」


「わたくしを、お嫁さんにしてください!」


 沈黙。


 完全な沈黙だった。


 王都の広場で。


 騎士たちが剣を抜き。


 竜が翼を広げ。


 公爵令嬢が口元を押さえ。


 元剣聖が、恐ろしいほど静かな表情を浮かべている。


 その中心で、俺は思った。


 ……誰か。


 助けてくれ。


     *


「……店長」


 アリシアの声がした。


「説明していただけますか?」


「俺が聞きたい!」


「レオン様」


 今度は、セレスティアだった。


 なぜか、笑顔が怖い。


「魔王のご息女とも、お知り合いだったのですね?」


「今、初めて会いました!」


「あら。初対面で求婚されるなんて、ずいぶんおモテになるのですね」


「そういう話じゃない!」


 リリアーナは、俺の腕にしがみついたまま、二人を見た。


「あなた方は、レオン様の何なのですか?」


 まずい。


 ものすごく、まずい。


 アリシアが一歩前へ出た。


「私は、レオンの店で働いています」


「わたくしは、明日から働く予定ですわ」


「予定!?」


 俺の抗議は、誰にも聞かれなかった。


 リリアーナは、しばらく二人を見比べていた。


 そして。


「なるほど」


 にっこり笑った。


「つまり、お二人とも、まだ奥様ではないのですね!」


 アリシアの剣の柄が、ぎしりと鳴った。


 セレスティアの扇子が、ぱちんと閉じられた。


 俺は、天を仰いだ。


 世界を救うつもりなんて、ない。


 ただ、普通に商売がしたいだけなのに。


 どうして俺の店は、いつもこうなるんだ。


 だが、その騒動の最中。


 リリアーナの表情が、不意に変わった。


「あっ。そうでした」


「……まだ何か?」


「お父様から、急ぎの伝言があります」


 彼女は俺の腕を離した。


 その顔から、先ほどまでの無邪気な笑みが消える。


「魔王軍への物資供給が、完全に止まりました」


 俺は息をのんだ。


「……何だって?」


「国境の補給拠点で、保存食と薬品が買えなくなったのです。商人たちは、みんな同じことを言っています」


「何て?」


 リリアーナは、まっすぐ俺を見た。


「『ベルク商会からの通達で、魔王軍に物資を売ることはできない』と」


 広場の喧騒が、遠くなった。


 やはり、ベルク商会か。


 いや。


 まだ、彼女の言葉だけでは証拠として足りない。


 だが、王都の物資不足と、魔王軍の補給停止。


 その二つが、同じ名前につながった。


「……それで、ヴァルガは?」


「お父様は、兵を動かさないと決めています。ですが、補給が止まったままでは、いつまで持つか分かりません」


 リリアーナの声が震えた。


「レオン様。お願いします。お父様を、みんなを、助けてください」


 俺は、彼女の顔を見た。


 さっきまで、結婚してくれと騒いでいた少女だ。


 だが今は、魔王の娘として、必死に頭を下げている。


 俺は、深く息を吸った。


「……分かりました」


 リリアーナが顔を上げた。


「本当ですか!?」


「ただし、約束はできません。うちの店にだって、商品がないんです」


「それでも……!」


「だから、まずは調べます。どこで物資が止まっているのか。誰が、何のために止めているのか」


 俺は、王都の通りを見た。


 夕暮れの街。


 帰り道を急ぐ人々。


 そして、遠くに見える、ベルク商会の巨大な本店。


「それから、必要なものを、必要な人に届ける方法を探します」


 リリアーナは、涙をこらえるように唇を噛んだ。


「……ありがとうございます」


「お礼は、まだ早いですよ」


 俺は笑った。


「商品を届けてからにしてください」


 そのとき。


 アリシアが、俺の隣に立った。


「私も行きます」


「危険かもしれないぞ」


「知っています」


 彼女は、迷わず答えた。


「だからこそ、あなたの隣にいたいんです」


 セレスティアも、静かに歩み寄ってきた。


「わたくしも、お手伝いしますわ」


「公爵家を巻き込むわけには……」


「巻き込まれるのではありません」


 彼女は、まっすぐ俺を見つめた。


「わたくし自身が、あなたの力になりたいのです」


 リリアーナは、俺の腕をぎゅっと握った。


「もちろん、わたくしも!」


「……君は、まずお父さんに無事を知らせような」


「はい! 婚約のご報告も!」


「婚約してない!」


 アリシアが、静かに剣の柄へ手を伸ばした。


 セレスティアは、笑顔のまま扇子を閉じた。


 リリアーナは、楽しそうに笑っている。


 俺は、頭を抱えた。


 ……どうやら。


 俺の店は、商品不足だけでなく、別の意味でも大変なことになりそうだ。


 だが、そんな騒がしい時間は、長く続かなかった。


 店に戻った俺たちを、一通の書状が待っていたからだ。


 差出人は、王都商業組合。


 内容は、たった一枚。


『王都における流通秩序の維持を目的として、貴店の仕入れおよび販売活動について、臨時審査を実施する』


 その下には、さらに一文。


『審査終了まで、指定品目の新規仕入れを停止すること』


 指定品目。


 保存食。


 薬品。


 金属製品。


 ――俺の店の、主力商品ばかりだった。


 俺は、書状をゆっくりと机に置いた。


 大商会が商品を押さえた。


 その直後に、商業組合がうちの仕入れを止めようとしている。


 偶然だとしたら、出来すぎている。


「レオン……」


 アリシアが、心配そうに俺を見た。


 俺は、笑った。


「大丈夫」


 自分でも、少し驚くほど落ち着いた声だった。


「まだ、店は閉めないよ」


 俺はカウンターの奥へ歩き、いつもの札を見上げた。


『当店では、種族による差別をお断りします』


『店内での威圧・脅迫行為は禁止』


 この札は、店の中でしか力を持たない。


 王都の商業組合を止めることも、ベルク商会の倉庫を開けることもできない。


 けれど。


 店の外にいる人間が、何もできないわけじゃない。


「明日、商業組合に行こう」


 俺は言った。


「それから、ベルク商会にも」


「……正面から、ですか?」


 セレスティアが尋ねた。


「はい」


 俺は書状を手に取った。


「どうやら、あちらは俺たちに、商売のやり方を教えてくれるつもりらしい」


 だったら。


 こちらも、ひとつ教えてあげよう。


 小さな店だからといって、何でも言いなりになると思ったら、大間違いだ。


 そして翌朝。


 俺はまだ知らなかった。


 ベルク商会が用意した契約書の中に、俺の店を奪うための仕掛けが隠されていることを。


 さらに、その契約書を見たセレスティアが、初めて父親の名前を使うほど激怒することになるとは。

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