第8話 王様が、予約なしでやってきた
夜の王国商務局は、昼間とはまるで別の場所だった。
昼間ならば、書類を抱えた役人が廊下を行き交い、商人たちが窓口に列を作っている。
だが、今はほとんど人影がない。
受付の明かりも消えかけていた。
「本日の受付は終了しております」
窓口の向こうで、若い役人が言った。
「承知しています。ただ、緊急の相談がありまして」
「明日の朝、改めてお越しください」
「食料の搬出許可についてです。魔王軍への物資供給に関する件で、すでに担当の方と話をしています」
役人の表情が変わった。
「……レオン商店の方ですか?」
「はい」
「申し訳ありませんが、その件は現在、上層部の判断待ちとなっております。私どもでは対応できません」
「では、上層部の方に取り次いでいただけませんか?」
「この時間に、ですか?」
役人は困ったように眉を下げた。
「お気持ちはわかります。しかし、規則ですので」
その言葉を聞いて、俺は苦笑した。
規則。
この世界に来てから、何度この言葉を聞いただろう。
もちろん、規則が必要なのはわかっている。
勝手な判断で物資を動かせば、国の安全を損なうかもしれない。
役人にも仕事がある。
それでも、目の前の問題は、受付時間が終わるのを待ってくれない。
「……わかりました。明日の朝、また来ます」
俺は頭を下げた。
役人は、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「お力になれず、申し訳ありません」
「いえ。お仕事ですから」
建物を出ると、夜風が頬を撫でた。
結局、何も変わらなかった。
食料は倉庫にある。
許可は出ない。
注文の期限は、あと数時間。
そして、魔王軍の兵士たちは、今も空腹のままだ。
「……どうしたものかな」
俺は、空を見上げた。
星はきれいだった。
異世界の星空は、前世の日本よりもずっと明るい。
だが、星がいくらきれいでも、腹は膨れない。
「帰るか」
店に戻って、ヴァルガに事情を説明しよう。
それが、今できる最善のことだった。
そう考えて歩き出したとき、背後から声がした。
「そこの者。少しよいか」
振り返ると、街灯の下に二人の男が立っていた。
一人は、仕立てのよい外套を着た中年の男。
もう一人は、無言で周囲を警戒する大柄な男だった。
外套の男は、俺の顔を見て、穏やかに微笑んだ。
「レオン商店の店主殿とお見受けする」
「そうですが……」
「少し話をしたい。時間をいただけるかな?」
俺は、相手を観察した。
高価そうな服。
姿勢のよさ。
無駄のない動作。
そして、こちらを見つめる目。
商人ではない。
役人とも少し違う。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
男は、困ったように笑った。
「名乗るのが先だったな。私は――」
そのとき、大柄な男が小さく咳払いした。
外套の男は、わずかに肩をすくめた。
「……今は、ただの旅人ということにしておいてほしい」
「旅人ですか」
「そうだ」
「では、申し訳ありませんが、今夜は急いでおりますので」
俺は頭を下げて、その場を離れようとした。
すると、外套の男は、意外なことを言った。
「食事をしたいのだが」
「……はい?」
「この近くに、遅い時間でも食事のできる店はないだろうか?」
俺は思わず、相手の顔を見た。
「食事、ですか?」
「ああ。できれば、温かいものがいい」
なるほど。
事情はよくわからないが、客らしい。
それなら、話は別だ。
「うちの店は、もう閉店しています。ただ、簡単なものならお出しできます」
「それはありがたい」
男は、ほっとしたように笑った。
「案内してもらえるだろうか?」
「ええ。こちらです」
こうして俺は、素性のわからない二人を連れて店へ戻ることになった。
◇
「おかえり、レオン」
店に戻ると、アリシアがカウンターを拭いていた。
ユリウスは、奥の椅子でうとうとしている。
ヴァルガは、窓際で腕を組んでいた。
「お客さん?」
アリシアが、外套の男たちを見た。
「そう。簡単な食事を出してほしいそうだ」
「わかった。何を作ろうか?」
「スープとパンでいいかな。まだ残っているだろう?」
「もちろん」
アリシアは、すぐに厨房へ向かった。
俺は二人に席を勧めた。
「どうぞ。少しお待ちください」
外套の男は、店内を興味深そうに見回した。
「小さな店だが、よく整っているな」
「ありがとうございます」
「壁の規則も、なかなか興味深い」
男の視線が、壁に貼られた紙に止まった。
『店内での盗みは禁止』
『店内での暴力行為は禁止』
『店内での威圧・脅迫行為は禁止』
『当店では、商品に問題がある場合、確認を拒否しません』
『当店では、種族による差別をお断りします』
男は、一つずつ読み進めた。
「……最後の規則は、特に珍しいな」
「そうですか?」
「この町では、人間と魔族の間に、いろいろな問題があると聞いている」
「ええ。残念ながら」
「それでも、この店では差別を断るのか」
「少なくとも、店の中では」
俺は、少し考えてから答えた。
「店の外の問題まで、俺一人で解決することはできません。でも、店に入ってきた人を、種族だけで追い返すつもりはありません」
男は、何も言わずに俺を見た。
その目は、先ほどよりも真剣だった。
「……なるほど」
ちょうどそのとき、アリシアが料理を運んできた。
湯気の立つスープ。
焼きたてではないが、温め直したパン。
そして、塩漬けの野菜。
特別な料理ではない。
だが、空腹のときには、それが何よりありがたい。
男はスプーンを手に取り、スープを口に運んだ。
「……うまいな」
その一言は、意外なほど素直だった。
「ありがとうございます」
「高級な食材を使っているわけではないのだろう?」
「はい。ありふれた野菜と豆です」
「それなのに、味が深い」
男は、もう一口飲んだ。
「料理人の腕がいいのだな」
「本人に伝えておきます」
厨房から、アリシアの声が飛んできた。
「聞こえているぞ」
俺たちは笑った。
そのとき、ヴァルガが窓際から立ち上がった。
「……お前は」
外套の男が顔を上げた。
ヴァルガの表情が変わった。
それまでの穏やかな顔が消え、鋭い視線が相手を射抜く。
「なぜ、ここにいる?」
店内の空気が、一瞬で張り詰めた。
ユリウスが椅子から飛び起きた。
「何だ? どうした?」
そして、外套の男を見た瞬間、顔色を変えた。
「……まさか」
男は、スープの皿を置いた。
「久しぶりだな、ヴァルガ殿」
「質問に答えろ」
「食事をしに来ただけだ」
「ふざけるな」
ヴァルガの声が低くなる。
「お前が、護衛まで連れて、こんな町の小さな店に来る理由がそれだけだと?」
男は、少しだけ笑った。
「食事が目的なのは本当だ。だが、君の言うとおり、それだけではない」
俺は、二人の顔を交互に見た。
どうやら、知り合いらしい。
しかも、ただの知り合いではない。
「ええと……お二人は、お知り合いで?」
男は、俺に視線を向けた。
「そうだな。私は、彼と長い付き合いがある」
「……そうですか」
「そして、君とも話をしたいと思っていた」
俺は眉をひそめた。
「俺と?」
男は、静かにうなずいた。
「君の店について、いろいろと報告を受けている」
報告。
その言葉で、俺は嫌な予感がした。
「ベルク商会の件も?」
「もちろん」
男は、スープをもう一口飲んだ。
「王国商務局への申請。魔王軍への物資供給。大商会からの買い取り提案。そして、それを断ったこと」
「……ずいぶん詳しいですね」
「この国の商売に関わることだからな」
男は、スプーンを置いた。
「さて、そろそろ名乗るべきだろう」
彼は外套の襟を整え、背筋を伸ばした。
「私は、アルベルト。アルベルト・フォン・エルグラント。この国の国王だ」
沈黙。
本当に、何も聞こえなくなった。
ユリウスが口を開けたまま固まっている。
アリシアが厨房から顔を出し、動きを止めた。
ヴァルガは、深いため息をついた。
「……やはり、お前か」
そして俺は。
「……はい?」
としか言えなかった。
◇
「こ、国王陛下!?」
ようやく声が出た。
俺は慌てて立ち上がった。
椅子が後ろに倒れかける。
「し、失礼いたしました! まさか、そのような方とは知らず……!」
「座りなさい」
国王は、穏やかに言った。
「今は、食事の途中だ。形式ばった挨拶は必要ない」
「しかし……」
「これは命令ではない。頼みだ」
その言葉に、俺は動きを止めた。
国王は、店内を見回した。
「私は、予約をせずに訪れた客だ。店主が恐縮する必要はないだろう?」
「……それは、そうですが」
「ならば、食事を続けよう」
国王は、何事もなかったかのようにパンを手に取った。
ヴァルガは、呆れた顔をしている。
「お前は、昔からそうだ。相手を驚かせてから、何事もなかったように振る舞う」
「君に言われたくはないな」
「私は名乗っている」
「魔王だと名乗っただけだろう」
「それで十分だ」
「そうかもしれないな」
二人は、まるで昔なじみの友人のように言い合った。
……国王と魔王が、うちの店で。
スープを飲みながら。
俺は、そっと頬をつねった。
痛かった。
夢ではないらしい。
「レオンさん」
ユリウスが、俺の袖を引いた。
「どうするんだ……?」
「俺が聞きたい」
「国王陛下だぞ!?」
「見ればわかる!」
「魔王と国王が同じ店にいるんだぞ!?」
「それも見ればわかる!」
「お前、少しは緊張しろ!」
「もう十分している!」
俺たちの小声の言い合いを聞いて、国王が笑った。
「仲がよいのだな」
「いえ、別に……」
「そうか。では、少し話をさせてもらおう」
国王は、食事を終えた皿を脇へ寄せた。
「レオン殿。君に三つ、質問がある」
俺は背筋を伸ばした。
「はい」
「一つ目。なぜ、魔王軍への食料供給を引き受けた?」
「注文を受けたからです」
国王が、わずかに眉を上げた。
「それだけか?」
「はい。もちろん、相手が魔王だと知ったときは驚きました。ただ、注文の内容そのものに問題がなければ、お客様として扱うのが、うちの店の方針です」
「相手が敵国の軍であっても?」
「……そこは、簡単ではありません」
俺は正直に答えた。
「軍に食料を届ければ、戦争を続ける力になるかもしれません。一方で、食料がなければ兵士が苦しみます。どちらが正しいか、俺には簡単に判断できません」
国王は、黙って聞いていた。
「だからこそ、条件を確認しました。ヴァルガさんは、食料を待つ間、近隣の村を襲わないと約束してくれました」
「その約束を、君は信じたのか?」
「信じるしかありませんでした。ただし、無条件ではありません」
俺はヴァルガを見た。
「約束が破られたら、今後の取引を見直します」
ヴァルガは、静かにうなずいた。
「そのとおりだ。私は約束をした」
国王は、二人を交互に見た。
「なるほど」
そして、二つ目の質問をした。
「なぜ、ベルク商会の提案を断った?」
俺は、少しだけ迷った。
「条件が合わなかったからです」
「金額は、かなりよかったと聞いている」
「はい」
「店の将来にとっても、有益だったのではないか?」
「そう思います」
「それでも断った理由は?」
俺は、壁の規則を見上げた。
「最初に説明した用途と、違う使い方をされる可能性があったからです。それに、食料を売ってくれた人たちには、何のために使うかを説明しています」
「買い取った後の用途まで、君が気にする必要はないという意見もあるだろう」
「そのとおりです」
俺はうなずいた。
「だから、すべての商品について、同じ対応をするつもりはありません。でも、今回の取引では、用途も含めて説明したうえで仕入れました。俺が勝手に話を変えるのは、違うと思ったんです」
国王は、しばらく俺を見つめていた。
やがて、ゆっくりとうなずいた。
「最後の質問だ」
彼は、壁に貼られた規則に視線を向けた。
「君は、この店の規則が、国の法律よりも優先されると考えているのか?」
店内の空気が変わった。
ユリウスが息をのんだ。
アリシアが、厨房から出てきた。
ヴァルガは、腕を組んだまま国王を見ている。
俺は、慎重に言葉を選んだ。
「いいえ」
国王が、目を細めた。
「ほう」
「この店の規則は、店の中での約束です。国の法律を無視していいとは思っていません」
俺は、壁の規則を指さした。
「ただ、国の法律がどうであれ、俺はこの店で、盗みや暴力を認めません。脅迫も、種族を理由にした差別も認めません」
「それが国の方針と衝突した場合は?」
「……そのときは、話し合います」
「話し合いで解決しなかったら?」
俺は、少しだけ苦笑した。
「そのときは、困りますね」
国王は、意外そうに目を瞬いた。
「困る?」
「はい。俺は、国王陛下と戦えるほど強くありませんし、国の法律を変えられるほど偉くもありません」
ユリウスが、なぜか気まずそうに視線を逸らした。
「それでも、店で守りたいことはあります。できる限り、守る方法を探します」
俺は、まっすぐ国王を見た。
「俺にできることは、それだけです」
長い沈黙が流れた。
やがて、国王は笑った。
「……なるほど。よくわかった」
彼は椅子から立ち上がった。
「今日は、よい話を聞けた。食事もおいしかった。代金を払おう」
俺は慌てて首を振った。
「いえ、陛下から代金をいただくなど……」
「なぜだ?」
「なぜ、と言われましても……」
「私は客として食事をした。君は店主として料理を出した。ならば、代金を払うのが当然だろう?」
国王は、カウンターに銀貨を置いた。
「お釣りはいらない、と言いたいところだが、それではほかの客に不公平だな。正確な金額を教えてくれ」
「……では、こちらです」
俺は、震える手で代金を受け取った。
国王は満足そうにうなずいた。
「ありがとう。また来よう」
「……また、ですか?」
「予約は必要か?」
俺は、思わず答えた。
「いえ。うちは予約を受け付けていませんので」
国王は声を上げて笑った。
「それはいい!」
◇
帰り際、国王はヴァルガに声をかけた。
「ヴァルガ殿。少し、外で話せるだろうか」
「構わない」
二人は店の外へ出ていった。
俺は、ユリウスとアリシアを見た。
「……今の、夢じゃないよな?」
「夢なら、俺は今すぐ目を覚ましたい」
ユリウスが、額を押さえた。
「国王陛下に、普通にスープを出したのか……」
「普通に注文されたからな」
「そういう問題じゃない!」
アリシアは、少し笑った。
「だが、悪くなかったと思うぞ」
「何が?」
「お前の答えだ。国の法律を無視すると言わず、それでも自分の店で守るものを譲らなかった」
彼女は、壁の規則を見た。
「私は以前、命令に従わなかったことで、すべてを失ったと思っていた」
その声は、静かだった。
「だが、あのときも、守りたいものがあった。命令に従うことだけが、正しいわけではないのだろうな」
俺は、何も言えなかった。
アリシアは、もう一度笑った。
「……さて、片づけの続きをしよう。明日も店を開けるのだろう?」
「もちろん」
俺はうなずいた。
「明日も、明後日もな」
◇
しばらくして、ヴァルガが戻ってきた。
「レオン」
「はい」
「国王から伝言だ」
俺は、思わず身構えた。
「……何でしょう?」
「明日の朝、王城へ来てほしいそうだ」
「王城へ!?」
ユリウスが叫んだ。
「何を話すつもりなんだ!?」
「詳しいことは聞いていない」
ヴァルガは、椅子に腰を下ろした。
「ただ、今回の食料供給について、王国としての判断を下すつもりらしい」
「それは……」
俺は、期待と不安の入り混じった気持ちになった。
許可が出れば、食料を運べる。
三千人分の注文を、ようやく果たせるかもしれない。
だが、王国が何を求めてくるのかはわからない。
「それから、もう一つ」
ヴァルガが続けた。
「国王は、君の店を王国の管理下に置くことも検討しているそうだ」
「……は?」
今度こそ、言葉が出なかった。
「管理下って、どういう意味ですか?」
「この店を王国公認の特別商店とし、君の規則や営業方針について、王国が一定の権限を持つ。そういう案が出ているらしい」
俺は、壁の規則を見上げた。
王国の管理下。
つまり、国が店に関与する。
仕入れ先も。
販売先も。
場合によっては、店の規則まで。
「……それは、困りますね」
「そうだろうな」
ヴァルガは、うなずいた。
「だからこそ、明日は慎重に話をすることだ」
俺は、カウンターに両手をついた。
この店を始めたのは、ただ商売がしたかったからだ。
誰かが立ち寄り、食事をして、商品を買い、また帰っていく。
それだけの場所でよかった。
けれど、魔王が客になった。
勇者が店に通うようになった。
追放された剣士が働き始め、差別されていた少年が明日から働くことになった。
そして今度は、国王までやってきた。
いつの間にか、小さな店が、国と魔王軍の問題に巻き込まれている。
「……俺は、ただの店主なんだけどな」
思わず、つぶやいた。
ヴァルガが笑った。
「知っている」
「本当に?」
「少なくとも、私にとってはな」
彼は、立ち上がった。
「明日、王城へ行くのなら、私も同行しよう」
「魔王が王城へ?」
「何か問題があるか?」
「問題しかないと思いますけど……」
「ならば、問題をひとつずつ片づければいい」
ヴァルガは、扉へ向かった。
「今夜は休め、レオン。明日は長い一日になる」
彼が出ていったあと、店内は静かになった。
俺は、壁の規則を見上げた。
この店で守りたいものは、何なのだろう。
盗みをさせないこと。
暴力を振るわせないこと。
種族で差別しないこと。
商品に問題があれば、きちんと確認すること。
どれも、特別なことではない。
けれど、それを守るために、国王と交渉することになるとは思わなかった。
「……まあ」
俺は、椅子を元の位置に戻した。
「明日にならないと、わからないか」
そして、店の看板を裏返した。
『本日の営業は終了しました』
その下に、小さく書き足した。
『明日も通常営業の予定です』
予定、と書いたのは、念のためだ。
何しろ、明日は国王との面談がある。
魔王も同行するらしい。
普通の商店なら、臨時休業にするところだろう。
それでも、俺は店を開けたいと思った。
ここは、誰かが帰ってこられる場所だから。
◇
翌朝。
王城へ向かう馬車の中で、俺は何度も服の襟を直していた。
隣にはユリウス。
向かいにはヴァルガ。
アリシアは、店を任せるために残っている。
「……本当に、俺も行く必要があるのか?」
俺が尋ねると、ユリウスは即答した。
「あるに決まっているだろう」
「でも、王城だぞ」
「だからだ!」
ヴァルガは、窓の外を見ていた。
「心配するな。君は、いつもどおりに話せばいい」
「いつもどおりって……」
俺は深いため息をついた。
やがて馬車は、王城の正門へ到着した。
高い城壁。
磨かれた石畳。
整列する騎士たち。
その光景だけで、場違いな場所へ来てしまったと実感する。
案内されたのは、大広間だった。
王国の重臣たちが左右に並び、中央の玉座には国王アルベルトが座っていた。
昨日の外套姿とは違う。
豪華な衣装。
王冠。
威厳に満ちた表情。
だが、俺を見ると、昨日と同じように笑った。
「よく来てくれた、レオン殿」
「お招きいただき、ありがとうございます」
「さて、本題に入ろう」
国王が手を上げると、重臣の一人が書類を広げた。
「レオン商店による魔王軍への食料供給について、王国として審議した結果――」
俺は息をのんだ。
「条件付きで、搬出を許可する」
「……本当ですか?」
「ただし、供給量と引き渡し先を記録し、王国へ報告すること。今後、戦況に重大な変化があった場合は、許可を見直すこと。以上が条件となる」
完全な自由ではない。
だが、食料を運べる。
少なくとも、今回の注文は果たせるかもしれない。
「ありがとうございます!」
俺は、深く頭を下げた。
国王はうなずいた。
「礼には及ばない。君が集めた食料が、どこへ、どのように運ばれるのか。それを確認する必要があると判断しただけだ」
「はい。条件を守ります」
「よろしい」
国王は、次の書類を手に取った。
そして、表情を変えた。
「次に、レオン商店の営業についてだ」
嫌な予感がした。
「君の店は、種族による差別を認めず、店内での暴力や脅迫を禁止している。これは、店主としての方針だと聞いている」
「はい」
「しかし、君の店の規則が、王国の法律や公的な命令と衝突した場合、どのように扱うべきか。王国としても整理する必要がある」
国王は、書類を机に置いた。
「そこで、君の店を王国公認の特別商店とし、王国の監督下に置く案が出ている」
広間がざわめいた。
「公認の特別商店になれば、仕入れや流通の面で優遇を受けられる。君の店の価値を考えれば、悪い話ではないと思うが?」
俺は、書類を見つめた。
そこには、細かな条件が並んでいた。
王国の指定する商品を優先的に販売すること。
特定の客への販売について、必要に応じて王国の指示に従うこと。
営業規則の変更について、王国の承認を得ること。
そして、最後の項目。
『王国の安全保障上、必要と認められる場合、店舗の営業および商品管理について、王国が一時的な指揮権を持つ』
俺は、ゆっくりと書類を閉じた。
「……陛下」
「何かな?」
「この案を、俺が受け入れた場合、店の規則を変えることもあるのでしょうか?」
「必要があればな」
「たとえば、王国が特定の種族への販売を禁止した場合は?」
国王は、すぐには答えなかった。
「国の安全を守るために必要な措置であれば、検討することになるだろう」
俺は、深く息を吸った。
「申し訳ありません」
広間が静まり返った。
「このお話は、お断りします」
誰かが息をのむ音が聞こえた。
重臣の一人が、顔を真っ赤にした。
「無礼者! 国王陛下のご厚意を――」
「よい」
国王が、手を上げて制した。
そして、俺を見た。
「理由を聞かせてもらえるか?」
俺は、書類を両手で持った。
「この条件では、店の規則を守れなくなる可能性があるからです」
「王国の監督下に入れば、仕入れも安定する。商売を続けやすくなるはずだ」
「はい。それは理解しています」
「それでも、断るのか?」
「はい」
俺は、まっすぐ国王を見た。
「俺は、店を大きくするために、この店を始めたわけではありません。誰でも安心して入れる場所を作りたかったんです」
声が震えそうになった。
それでも、続けた。
「王国の管理下に入れば、いずれ、誰を客として迎えるかまで、自分で決められなくなるかもしれません。それでは、俺が作りたかった店ではなくなってしまいます」
国王は、黙っていた。
「もちろん、法律を守ります。違法なことをしていいとは思っていません。王国からの正当な要請があれば、きちんと話し合います」
俺は、頭を下げた。
「ですが、店の中で守ると決めたことまで、手放すつもりはありません」
長い沈黙が流れた。
やがて、国王は書類を脇へ置いた。
「……そうか」
その顔から、笑みが消えていた。
「君の考えは、よくわかった」
俺は、返事を待った。
国王は、ゆっくりと立ち上がった。
「レオン殿。君は、ひとつ勘違いをしている」
「……何でしょうか?」
「私は、君の店を管理下に置く案を、最終決定したわけではない」
国王は、重臣たちを見回した。
「これは、王国としての選択肢の一つだ。君の意見を聞いたうえで、判断するつもりだった」
重臣たちが、互いに顔を見合わせた。
「君の店には、確かに特殊な性質がある。だが、だからといって、ただちに国が取り上げるべきだとは限らない」
国王は、俺に向き直った。
「ただし、君が断った以上、今後も何の問題もなく営業できると約束することはできない。王国には王国の事情がある」
「承知しています」
「それでも、君は店を続けるのだな?」
「はい」
国王は、しばらく俺を見つめていた。
そして、ふっと笑った。
「ならば、続けるといい」
俺は、思わず顔を上げた。
「……よろしいのですか?」
「君の店は、君のものだ。法律に違反しない限り、商売を続ける権利がある。それを、私が気まぐれに奪うわけにはいかない」
国王は、玉座に腰を下ろした。
「ただし、今回の食料供給については、条件を守ること。問題が起きれば、改めて話し合う。それでよいな?」
「はい!」
俺は、深く頭を下げた。
今度こそ、本当に助かった。
そう思った。
しかし、国王は最後に、思いがけないことを言った。
「それから、レオン殿」
「はい?」
「君の店には、近いうちに、もう一度行こうと思っている」
「……え?」
「昨日のスープは、なかなかの味だった。次は、別の料理も食べてみたい」
俺は、思わず目を瞬いた。
「もちろん、お待ちしております」
「うむ。では、今日はこれで失礼する」
国王は満足そうにうなずいた。
こうして、俺たちは王城を後にした。
◇
帰りの馬車。
俺は、背もたれに体を預けた。
「……疲れた」
「当然だ」
ユリウスが、深くうなずいた。
「国王陛下に店の管理を断るなんて、普通は考えられない」
「俺だって、考えたくなかったよ」
「それでも、よく言ったと思う」
ユリウスの言葉に、俺は顔を上げた。
「……ありがとう」
「勘違いするな。俺は、お前の考えすべてに賛成しているわけじゃない」
ユリウスは、窓の外を見た。
「だが、誰を守りたいのか、自分が何を大切にしているのか。そこだけは、はっきりしているんだな」
「……そうかな」
「ああ」
ヴァルガが、静かに口を開いた。
「レオン。ひとつ、聞いてもいいか?」
「何ですか?」
「もし国王が、あの場で店の管理を命じていたら、どうするつもりだった?」
俺は、少しだけ考えた。
「……困っていたと思います」
「それだけか?」
「たぶん、もう一度、話し合おうとしていたでしょうね。それでも駄目なら、法律の専門家を探して、できることを調べる」
俺は苦笑した。
「正直、勝てる気はしません」
ヴァルガは、笑った。
「それでも、諦めないのだな」
「店を続けたいですから」
馬車が、町の入口へ差しかかった。
遠くに、見慣れた看板が見える。
『レオン商店』
小さな建物。
古い棚。
限られた商品。
それでも、俺にとっては、何より大切な場所だった。
「……帰ったら、すぐに食料の搬出準備をしよう」
「期限は過ぎていないのか?」
ヴァルガが尋ねた。
「ぎりぎりです。でも、今からなら間に合うはずです」
「ならば、急ごう」
俺は、馬車の窓から店を見つめた。
この店は、まだ小さい。
力もない。
資金も潤沢ではない。
それでも、守りたいものがある。
誰かが安心して入れる場所。
失敗しても、もう一度やり直せる場所。
種族や肩書きではなく、一人の客として迎えられる場所。
俺は、胸の中でつぶやいた。
――いつか、この店をもっと大きくしよう。
ただし、店を大きくするために、店の意味を失うことはしない。
そのとき。
馬車の外から、ミロの声が聞こえた。
「レオンさん!」
店の前で、ミロが大きく手を振っていた。
その隣には、母親らしい女性の姿もある。
俺は馬車から飛び降りた。
「ミロ! どうしたんだ?」
「おかえりなさい! お母さんが、どうしてもお礼を言いたいって!」
女性は、深く頭を下げた。
「息子を雇ってくださると聞きました。本当に、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、明日からよろしくお願いします」
ミロは、うれしそうに笑った。
「ぼく、明日から頑張ります!」
「ああ。期待しているよ」
その笑顔を見て、俺は思った。
やっぱり、間違っていなかった。
この店を始めて、よかった。
◇
その夜。
レオン商店は、予定どおり開店準備を進めていた。
食料の搬出許可は出た。
商務局への報告書も作成した。
倉庫の荷物は、明朝、魔王軍へ向けて運び出す予定だ。
すべてが解決したわけではない。
ベルク商会との関係は悪化したまま。
王国の監督下に入る話も、完全に消えたわけではない。
それでも、今できることは進められた。
俺は、最後に店内を見回した。
アリシアが棚を整えている。
ユリウスは、運び出す荷物の確認をしている。
ミロは、母親と一緒に、明日の仕事について説明を受けていた。
そして、ヴァルガは、カウンターの席で、いつものようにスープを飲んでいた。
「レオン」
ヴァルガが、俺を呼んだ。
「はい?」
「今回の件、感謝している」
「まだ、食料を届け終わっていませんよ」
「それでもだ」
彼は、スープの皿を置いた。
「君は、私たちを単なる敵として扱わなかった。だからといって、何でも許したわけでもない。条件を決め、約束を求め、できないことはできないと言った」
ヴァルガは、静かに笑った。
「私は、そういう商人を信頼したい」
俺は、少し照れくさくなった。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ」
ヴァルガは立ち上がった。
「では、明日の荷物を待っている」
「はい。必ず届けます」
彼は店の扉へ向かった。
その背中を見送りながら、俺はふと思った。
魔王も、勇者も、国王も。
それぞれに立場があり、守りたいものがあり、譲れないものがある。
俺にできるのは、そのすべてを解決することではない。
ただ、自分の店でできることをする。
約束した商品を届ける。
代金を正しく受け取る。
客を公平に扱う。
間違いがあれば、認める。
そして、明日も店を開ける。
「……さて」
俺は、看板を確認した。
『レオン商店』
その下には、いつもの言葉が書かれている。
『いらっしゃいませ』
明日も、誰かがやってくるだろう。
困っている人かもしれない。
腹を空かせた兵士かもしれない。
道に迷った旅人かもしれない。
あるいは、また国王かもしれない。
誰が来ても、やることは変わらない。
俺は、店の灯りを消した。
「明日も、営業しますか」
誰にともなく、そうつぶやく。
答えは、決まっていた。
「もちろんだ」
この店は、まだ始まったばかりなのだから。




