第6話 当店では、種族による差別をお断りします
「魔王軍への食料供給を許可しろ、だと?」
王都商務局の特別調査官、セドリックは、俺の提出した書類を机に置いた。
「私は、そんなことを一言も言っていません」
「では、何を求めている?」
「取引の内容を確認していただきたいだけです。食料を売ること自体が違法なのか、それとも、魔王軍への販売に特別な許可が必要なのか。そこを明確にしてほしいのです」
「言い方を変えただけだろう」
セドリックは、冷たい目で俺を見た。
「魔王軍は王国の敵だ。敵に物資を供給する行為が、どれほど危険かわからないのか?」
「危険性は理解しています」
「ならば、なぜやめない?」
「やめるべきだという判断には、まだ至っていないからです」
隣でユリウスが、息をのんだ。
アリシアは黙って壁際に立っている。
この三人で役所に来るのは、どう考えても人選を間違えた気がする。
勇者と元剣聖がいる商談なんて、普通はない。
しかも、相手は王国の調査官だ。
俺は、机の上に書類を並べた。
仕入れ先一覧。
商品の数量。
支払い記録。
魔王軍との注文書。
そして、食料供給を行う目的についてまとめた報告書。
「こちらが、現在までの取引記録です。食料の調達先はすべて記録しています。代金も、各商人に支払う予定です」
セドリックは書類を一枚ずつ確認した。
「……小口の取引ばかりだな」
「大きな商会に断られましたので」
「断られた?」
「はい。魔王軍との取引を望まない商会もあります。それは相手の判断ですから、無理に売ってもらうつもりはありません」
「では、なぜ小さな商人たちから集める?」
「一軒では用意できない量だからです」
俺は地図を広げた。
「この町と周辺の農村から、余剰食料を少しずつ集めています。食料を売りたくない人には売ってもらわない。売ると決めた人には、適正な代金を支払う。それだけです」
セドリックは、しばらく地図を見ていた。
「魔王軍が食料を受け取ったあと、何をするかは考えたのか?」
「考えています」
「彼らが兵力を回復し、王国軍に攻め込んだら?」
「その可能性はあります」
「村を襲い、人々を殺したら?」
「それも、可能性としてはあります」
「ならば、やめるべきだろう!」
セドリックが机を叩いた。
俺は、彼の怒りを正面から受け止めた。
「では、食料を売らなかった場合はどうなるでしょうか」
「何?」
「魔王軍の兵士が食料を失い、近隣の村から奪うかもしれません。もちろん、それが必ず起きるとは限りません。ですが、起きないとも言い切れない」
「魔王の言葉を信じているのか?」
「信じているわけではありません。だから、条件をつけています」
俺は、ヴァルガとの注文書を示した。
「食料を供給する条件として、近隣の村を襲わないことを求めました。魔王は、それを約束しています」
「魔王の約束など、何の保証にもならん」
「おっしゃる通りです」
セドリックは、意外そうに俺を見た。
「……反論しないのか?」
「保証がないことは事実ですから」
俺は、書類を整えた。
「だからこそ、取引を記録し、約束が守られなかった場合には供給を停止する。可能なら、王国側にも状況を確認していただきたい。俺一人で魔王軍を監視することはできません」
「商人の分際で、王国に協力を求めるのか」
「商人だからこそ、できることとできないことを区別しています」
セドリックは黙った。
俺は続けた。
「俺にできるのは、食料を集め、代金を払い、約束した場所へ届けることです。戦争を終わらせることも、魔王軍のすべてを支配することもできません」
そして、最後に言った。
「ですが、できないことを理由に、できることまで放棄したくはありません」
部屋の空気が静まった。
セドリックは書類を閉じた。
「……明日までに、王国上層部の判断を仰ぐ」
「ありがとうございます」
「ただし、それまでは食料の搬出を禁止する。これは変わらない」
「承知しました」
交渉は、またしても決着しなかった。
役所を出たところで、ユリウスがうなった。
「お前は、どうしてあんなに落ち着いていられるんだ?」
「落ち着いているように見えたか?」
「少なくとも、俺よりは」
「内心は、かなり焦っているよ」
俺は空を見上げた。
「期限は迫っているし、許可も出ない。正直、胃が痛い」
「なら、もっと強く言えばいいだろう!」
「強く言えば許可が出るなら、そうするさ」
ユリウスは黙り込んだ。
「でも、相手にも立場がある。王国は王国で、人間の兵士や村人を守らなければならない。俺の話だけを聞いて、簡単に許可を出せるわけじゃないんだ」
「……お前は、敵の事情まで考えるのか」
「敵かどうかを判断する前に、事情を確認することはできるだろう?」
ユリウスは、何かを考えるように視線を落とした。
そのときだった。
通りの向こうから、子供の泣き声が聞こえた。
◇
「返してよ! それは僕のパンだ!」
声のした方を見ると、少年が大柄な男にしがみついていた。
男は少年の手を振り払い、パンを握りしめている。
「うるせえ! 魔族のガキが、人間の町で偉そうにするな!」
少年の頭には、小さな角があった。
魔族だ。
周囲の人々は、遠巻きに見ているだけだった。
「おい、やめろ!」
ユリウスが駆け出そうとした。
だが、その前にアリシアが動いた。
彼女は男の前に立ち、静かに手を差し出した。
「そのパンを返せ」
「何だ、あんたは?」
「返せと言った」
男は鼻で笑った。
「魔族のガキにパンを恵んでやったんだ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはねえ!」
「恵んだのなら、なぜ奪い返した?」
「こいつが魔族だからだ!」
男は少年を指さした。
「魔族なんて、いつ人間を襲うかわからねえ。子供のうちに、身の程を教えておくべきだろう!」
少年は地面に座り込み、泣いていた。
俺は、その姿を見て、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
男は少年の種族だけを見ている。
何をしたのか。
どんな人間なのか。
そんなことは関係ない。
魔族だから、奪っていい。
魔族だから、傷つけていい。
そう考えている。
「おじさん」
俺は、男に声をかけた。
「そのパンは、誰のものですか?」
「はあ?」
「買ったものですか。それとも、誰かから奪ったものですか?」
男は一瞬、言葉に詰まった。
「こいつが落としたんだ!」
「落としたなら、持ち主に返すべきでしょう」
「うるせえ! お前も魔族の味方か!」
「俺は、パンの持ち主の味方です」
男は顔を真っ赤にした。
「ふざけるな!」
彼が俺の胸ぐらをつかもうとした瞬間、ユリウスが間に入った。
「やめろ。勇者ユリウスの名において――」
「ユリウス」
俺は彼を止めた。
「まず、パンを返してもらおう」
「……わかった」
ユリウスは一歩下がった。
アリシアは男を見つめている。
男は周囲の視線に気づき、舌打ちした。
「ちっ……こんな町、こっちから願い下げだ!」
パンを地面に投げ捨て、男は去っていった。
少年は、震える手でパンを拾った。
泥がついている。
「……ごめんなさい」
少年が、なぜか俺たちに謝った。
「どうして謝るんだ?」
「僕が魔族だから……みんなに迷惑をかけてしまって」
その言葉に、俺は返事ができなかった。
こんな小さな子供が、自分の生まれた種族を理由に謝っている。
それは、あまりにもおかしい。
「君は、何も悪いことをしていないだろう?」
少年は、顔を上げた。
「でも……」
「パンを買ったなら、君のものだ。魔族だからといって、奪われていい理由にはならない」
俺は、少年の服についた泥を払った。
「お腹は空いているか?」
少年は、迷ったあと、小さくうなずいた。
「なら、うちへおいで。温かいスープがある」
「……僕、魔族だよ?」
「知っている」
「入ってもいいの?」
俺は笑った。
「うちは、客を種族で選ばないからな」
◇
店に戻ると、俺は少年にスープとパンを出した。
少年は最初、遠慮がちにスプーンを握っていた。
しかし、一口食べると、次の一口は少し早くなった。
三口目には、もう夢中で食べていた。
「ゆっくり食べていいぞ。おかわりもあるからな」
「……本当に?」
「本当だ」
少年の目に、涙が浮かんだ。
「ありがとう……」
俺は、何も言わずに水を差し出した。
食事が終わるころ、俺は少年に名前を尋ねた。
「ミロです」
「ミロか。家族は?」
少年は、スプーンを置いた。
「お母さんと、町の外に住んでいます。お母さんは病気で、今はあまり働けません。僕が町で仕事をして、食べ物を買っています」
「そうだったのか」
「でも、魔族だから、仕事をくれる人は少ないです」
少年は、うつむいた。
「今日は、荷物運びの仕事をもらえたんです。お金をもらってパンを買ったのに……」
言葉が途切れた。
俺は、店の奥を見た。
今、必要なのは食料だ。
荷車を運ぶ人手も必要だ。
そして、ミロには仕事が必要だ。
「ミロ」
「はい」
「明日、うちの店を手伝ってくれないか?」
少年は、驚いて目を見開いた。
「僕が?」
「荷物運びや、商品の整理をお願いしたい。もちろん、仕事をした分の給料は払う。食事も出す」
「でも……僕、魔族だよ?」
「さっきも言っただろう。うちは、客を種族で選ばない」
俺は、少し考えてから付け加えた。
「働く人も、種族だけで選ぶつもりはない。ただし、仕事の約束は守ってもらう。それは誰でも同じだ」
ミロは、しばらく黙っていた。
やがて、何度も頭を下げた。
「やります! 僕、頑張ります!」
「ありがとう。助かるよ」
その言葉を聞いた瞬間、ミロの表情が変わった。
嬉しそうに、けれど信じられないものを見るように、俺を見つめている。
「……僕が、助かるの?」
「ああ。うちは人手が足りないからな」
「僕でも?」
「もちろん」
ミロは、とうとう泣き出した。
ユリウスは、何も言わずにその様子を見ていた。
アリシアが、そっと少年の背中をさすった。
「よかったな」
その一言に、ミロは大きくうなずいた。
◇
ミロが帰ったあと、ユリウスが口を開いた。
「レオン。さっきの男を、騎士団に報告するべきだったんじゃないか?」
「そうかもしれない」
「なら、なぜ何もしなかった?」
「何もしなかったわけじゃない。パンを返してもらったし、ミロが食事をできるようにした」
「だが、あの男はまた同じことをするかもしれない」
「その可能性はあるな」
俺は、カウンターを拭いた。
「だから、次に同じことが起きたときは、もう少し違う対応を考える必要がある」
「……お前は、いつもそうだな」
「どういう意味だ?」
「誰かを罰することより、次に何ができるかを考える」
俺は、少しだけ考えた。
「罰が必要な場合もあると思う。でも、罰を与えただけで、困っている人が助かるとは限らないからな」
ユリウスは、壁の規則を見上げた。
「店内での暴力は禁止。盗みは禁止。そして、種族による差別をしない……か」
俺は、最後の規則をまだ書いていなかったことに気づいた。
ミロの言葉が、頭に残っている。
魔族だから、仕事がない。
魔族だから、パンを奪われる。
魔族だから、謝らなければならない。
そんなことが、当たり前になっている世界。
俺の店の中まで、同じである必要はない。
俺は新しい紙を取り出した。
そして、壁に貼った。
『当店では、種族による差別をお断りします』
書き終えた瞬間、文字が淡く光った。
《店舗規則:更新》
《種族による不当な扱いを禁止します》
《適用範囲:店舗内》
俺は、息を吐いた。
やはり、規則は店の中でしか通用しない。
町全体を変える力はない。
けれど、ここにいる間だけでも、誰かが自分の生まれを理由に傷つけられない場所にできる。
それなら、十分に意味がある。
「……レオン」
ユリウスが、静かに言った。
「お前の店は、本当に変な場所だ」
「今日、何回目だ?」
「数えていない」
彼は、苦笑した。
「だが、少しだけわかった気がする」
「何が?」
「お前が、どうして魔王軍に食料を売ろうとしているのか」
ユリウスは、窓の外を見た。
「お前は、魔族を好きだから助けているわけじゃないんだな」
「そうだな」
「ただ、腹を空かせている相手がいるから、食料を売ろうとしている」
「それも理由のひとつだ」
俺は、壁の規則を見た。
「相手を好きになれなくても、必要な取引はできる。相手を許せなくても、目の前の問題を解決することはできる。俺は、そういうやり方があってもいいと思っている」
ユリウスは、しばらく考えていた。
そして、静かにうなずいた。
「……俺も、もう少し考えてみる」
◇
その日の夕方。
店の外に、数人の男たちが集まっていた。
昨日、食料の仕入れを断ったベルク商会の関係者もいる。
彼らは、店の窓を見ながら、ひそひそと話していた。
「聞いたか? あの店、魔族のガキまで雇ったらしいぞ」
「魔王軍に食料を売るだけじゃない。魔族を店に入れているんだ」
「王国の調査官が動いているというのに、ずいぶん大胆なことをする」
その中の一人が、紙切れを取り出した。
そこには、店の名前と、レオンの似顔絵が描かれていた。
「……こんな店を放っておくわけにはいかないな」
男は、紙を折りたたんだ。
「王都に知らせよう。あの店は、王国の秩序を乱しているとな」
彼らは、暗くなった通りへ消えていった。
そのことを、俺はまだ知らなかった。
店の中では、アリシアが最後の皿を洗い、ユリウスが帳簿を整理していた。
俺は、明日の仕入れ計画を確認していた。
魔王軍への食料は、まだ不足している。
搬出許可も、出ていない。
そして、王国商務局の判断も、まだわからない。
それでも、今日一日で、店に新しい仲間が増えた。
アリシア。
そして、明日から働きに来るミロ。
この店は、少しずつ変わり始めている。
「レオンさん」
アリシアが、洗い終わった皿を棚に置いた。
「明日も、来ていいか?」
「もちろんです」
俺は、迷わず答えた。
「仕事がありますから」
彼女は、小さく笑った。
「……そうか。なら、明日も来よう」
その声を聞いて、俺は思った。
この店を、もっと大きくしたい。
もっと多くの人が、ここへ来られるようにしたい。
誰かが傷ついたとき。
誰かが居場所を失ったとき。
誰かが、自分は必要とされていないと思ったとき。
ここへ来れば、温かい食事があり、仕事があり、話を聞いてくれる人がいる。
そんな場所にしたい。
俺は、店の扉を見つめた。
明日も、開店する。
それだけは、何があっても変えない。
たとえ、王国が敵に回ろうとも。
たとえ、魔王が注文を急かそうとも。
たとえ、勇者が毎日騒ぎを起こそうとも。
……いや、最後のひとつは、できれば改善してほしい。
「ユリウス」
「何だ?」
「明日は店番を頼む。俺は役所に行くから」
「なぜ俺が店番なんだ!」
「勇者様なら、店の安全を守れるだろう?」
「そういう問題じゃない!」
アリシアが、楽しそうに笑った。
店内に、久しぶりに穏やかな笑い声が響いた。
だが、その平穏が長く続くとは、俺もまだ思っていなかった。




