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第4話 そのポーション、返品できます

翌朝。


俺は、役所の前で深呼吸していた。


隣にはユリウス。


背後には、食料を積んだ荷車が三台。


その荷車を引いているのは、昨日、市場で取引した農家の人たちだ。


「本当に、役所までついてきてよかったんですか?」


荷車の手綱を握る農夫が、不安そうに尋ねた。


「もちろんです。皆さんは正当な取引をしただけですから」


「でも、魔王軍に食料を売ったとなれば……」


「だからこそ、取引の内容をきちんと説明しましょう。少なくとも、皆さんに隠れてもらう必要はありません」


俺はそう答えたものの、内心では冷や汗をかいていた。


役所との交渉なんて、前世でも得意ではなかった。


会社員時代に得意だったのは、資料を整えて、関係者の認識をそろえて、面倒な問題を少しずつ片づけること。


剣を振るうよりは、帳簿をつける方が性に合っている。


しかし、この世界では、帳簿をどれだけきれいに書いても、相手が話を聞いてくれるとは限らない。


「レオン」


ユリウスが声をかけた。


「何だ?」


「もし交渉が決裂したら、俺が責任を持って――」


「剣を抜くのは禁止だぞ」


「まだ何も言っていない!」


「顔に書いてある」


「俺はそこまで短絡的じゃない!」


「昨日、店の中で魔王に斬りかかろうとした人間の言葉とは思えないな」


「……あれは、魔王だったからだ」


「相手が誰でも、話し合いの最中に剣を抜いたら負けだよ」


ユリウスは不満そうに口を閉じた。


俺たちは役所の扉をくぐった。


     ◇


通された部屋には、三人の役人がいた。


中央に座っているのは、灰色の髪をした中年の男。


胸元には王国の紋章が刻まれている。


「私がこの町の行政を預かる代官、ハインツだ」


彼は書類を一枚、机の上に置いた。


「レオンという商人が、魔王軍に大量の食料を供給しようとしている。間違いないな?」


「はい。ただし、食料を売る契約を結んだのであって、軍事行動に協力する契約を結んだわけではありません」


「言葉遊びは結構だ」


ハインツは淡々と言った。


「魔族と人間は戦争状態にある。魔王軍に食料を与えれば、その兵士たちは戦いを続けることができる」


「それは事実です」


「ならば、なぜ取引をやめない?」


俺は少しだけ考えてから答えた。


「取引をやめた場合、何が起こるかも考える必要があるからです」


「ほう?」


「魔王軍の補給路は断たれているそうです。兵士たちは、すでに数日まともに食べていない。食料が届かなければ、近くの村から奪う可能性があると聞きました」


「魔王の言葉を信じるのか?」


「信じているわけではありません。だからこそ、契約を結び、代金を受け取り、食料を届けるという形にしています」


「それで何が変わる?」


「少なくとも、食料を売ることを条件に、村を襲わないよう求めることはできます」


ハインツの眉が動いた。


「魔王が約束を守る保証はない」


「はい。だから、約束を破った場合には、次の取引を停止するつもりです」


「魔王相手に取引停止が通じると?」


「通じないかもしれません」


俺は正直に答えた。


「ですが、最初から何も交渉しなければ、何も変えられません」


部屋が静かになった。


俺は続けた。


「俺は、魔王軍を勝たせたいわけではありません。王国を裏切りたいわけでもありません。ただ、食料を必要としている相手に商品を売り、代金を受け取りたい。それだけです」


「それだけ、か」


ハインツは書類を指で叩いた。


「商人というのは、ずいぶんと都合のいいものだな」


「商人だからこそ、取引の条件をはっきりさせたいんです」


「では、こちらから条件を出そう」


ハインツは俺を見た。


「魔王軍への食料供給は、王国の許可が下りるまで停止する。集めた食料は町の倉庫に保管し、許可が出るまでは搬出してはならない」


「その許可は、いつ下りますか?」


「審査には時間がかかる」


「具体的には?」


「未定だ」


俺は思わず目を閉じた。


なるほど。


これは交渉ではない。


期限のない禁止命令だ。


魔王軍の注文期限は、今日の夜に迫っている。


許可が下りるまで待っていたら、間に合わない。


「代官様。ひとつ提案があります」


「聞こう」


「食料を町の倉庫に保管することには同意します。ただし、食料を届けるかどうかの判断は、明確な期限を設けていただきたい」


「なぜだ?」


「農家の方々も、食料を売った代金で次の仕入れを行います。いつまで商品を預けるのかわからなければ、商売が成り立ちません」


俺は帳面を開いた。


「こちらが、仕入れ先と数量、支払い状況です。町の倉庫で検品していただいて構いません。食料の種類や量も、すべて確認できます」


ハインツは帳面を受け取り、ページをめくった。


「……細かく記録しているな」


「商売ですから」


「これだけの小口取引を、すべて記録したのか?」


「誰から何を買ったか、わからなくなったら困りますので」


彼はしばらく帳面を見ていた。


やがて、静かに言った。


「明日の正午までに、王国の担当部署へ照会する。それまでは搬出を認めない」


「明日の正午では、注文期限を過ぎてしまいます」


「それ以上は譲れん」


俺は唇を噛んだ。


ここで押し問答をしても、結果は変わらない。


「わかりました。では、照会先と担当者を教えていただけますか?」


「何?」


「こちらからも、取引の内容を説明したいのです。相手が何を懸念しているのか、正確に理解したいので」


ハインツは少し驚いたようだったが、やがて担当部署の名前と書簡の宛先を教えてくれた。


交渉は、そこで終わった。


結局、食料を運ぶ許可は得られなかった。


だが、何も得られなかったわけでもない。


禁止の理由。


照会先。


審査期限。


少なくとも、次に何をすればいいかはわかった。


役所を出ると、ユリウスが肩を落とした。


「すまない。俺が勇者だと名乗れば、少しは話が通じると思ったんだが」


「いや、助かったよ」


「どこがだ?」


「君が魔王軍への供給を全面的に支持していないことは、役人にも伝わったはずだ。俺一人が魔王の味方だと思われるよりはいい」


「……俺は魔王の味方じゃない」


「わかっている」


俺は荷車を振り返った。


「だから、これからも一緒に考えてくれ」


ユリウスは、少しだけ目を見開いた。


それから、ゆっくりとうなずいた。


     ◇


店に戻ったのは、昼過ぎだった。


食料の問題は解決していない。


魔王軍への注文期限は迫っている。


役所との交渉も、まだ終わっていない。


それでも、店を閉めっぱなしにするわけにはいかなかった。


看板を「営業中」に戻し、店内を掃除する。


棚に商品を並べ直し、帳簿を開く。


すると、扉のベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


入ってきたのは、若い女性だった。


白いローブを着て、腰には薬草を入れた小袋をいくつも下げている。


顔色は悪く、右腕を布で吊っていた。


「……ここが、レオンさんのお店ですか?」


「そうです。何かお探しですか?」


女性はカウンターに、小さな瓶を置いた。


「このポーションを、返品したいんです」


俺は瓶を手に取った。


透明な液体が入っている。


底には、白い粉のようなものが沈んでいた。


瓶のラベルには、王都の有名な薬品工房の名前が書かれている。


「これは、うちの商品ではないようですが……」


「昨日、町の薬屋で買いました。でも、使ったら腕がひどく腫れてしまって」


女性は吊った腕を見つめた。


「治療師に診てもらったら、傷口に合わない成分が入っているかもしれないと言われました。薬屋は返品を受け付けてくれなくて……」


「それで、うちに?」


「すみません。ここなら、何とかしてくれると聞いたんです」


俺は少し困った。


うちの店は、薬品工房でも治療院でもない。


他店の商品を返品されたところで、返金する義務もない。


ただ、彼女の腕は明らかに腫れている。


「まず、治療師には診てもらったんですね?」


「はい。命に関わるものではないそうです。でも、腫れが引くまでは腕を使わないようにと言われました」


「それならよかった。瓶は、ここに置いておいてください」


俺は瓶をカウンターに置き、ラベルを確認した。


「この工房の商品は、品質保証の印があるはずなんですが……」


瓶の首に貼られた封印を調べると、印章の一部が削られていた。


「これ、買ったときからこうなっていましたか?」


「いいえ。買ったときは、きれいな封印が貼られていたと思います」


「なるほど……」


俺は瓶を光にかざした。


液体そのものは透明だが、底に沈んでいる粉末が気になる。


普通のポーションなら、長時間放置しても、こんな沈殿物はできないはずだ。


「少し待っていてください」


俺は店の奥から、簡単な検査道具を持ってきた。


魔法の専門家ではない俺でも、商人として商品を扱う以上、最低限の品質確認はできるようにしている。


もちろん、これだけで薬の安全性を完全に判断できるわけではない。


それでも、異常を見つける手がかりにはなる。


検査道具に液体を一滴垂らすと、薄い紫色に変わった。


俺は眉をひそめた。


「これは……」


「何かわかったんですか?」


「断定はできません。ただ、通常の回復ポーションとは違う反応が出ています」


俺は瓶を女性に返さず、布の上に置いた。


「買った薬屋の名前を教えてください。俺が直接確認してみます」


「でも、また断られたら……」


「そのときは、別の方法を考えます」


俺は帳面を開いた。


「ただし、うちで返金できるかどうかは、まだ約束できません。まずは事実を確認しましょう」


女性は不安そうにしながらも、店の名前と場所を教えてくれた。


その直後だった。


店の奥から、奇妙な音がした。


――ピコン。


頭の中に、聞き慣れない声が響く。


《商品確認:異常を検知しました》


《商品名:初級回復ポーション》


《状態:品質保証印に不整合あり》


《購入者保護規則を設定しますか?》


俺は固まった。


まただ。


注文書に文字が浮かんだときと同じ現象。


この店には、俺が知らない機能があるらしい。


《規則案》


《一、当店で販売した商品の不具合は、店主が確認します》


《二、確認が完了するまで、返品を拒否してはなりません》


《三、返品の可否と返金額は、事実確認後に決定します》


なるほど。


返品を無条件で受け付ける規則ではない。


確認することを拒否できなくする規則だ。


「……そういうことか」


俺は壁に貼られた規則を見た。


これまで設定していたのは、盗みの禁止と暴力の禁止。


店内での行動を制限するものばかりだった。


だが、今度は違う。


客が不利益を受けたとき、店主が確認を行う義務を定める。


商売の基本に近い。


「店主さん?」


女性が不思議そうに俺を見た。


「すみません。少し考え事をしていました」


俺は新しい紙を取り出し、壁に貼った。


『当店では、商品に問題がある場合、確認を拒否しません』


書き終えた瞬間、紙の端が淡く光った。


《購入者保護規則:有効》


俺は思わず息をのんだ。


規則が発動した。


ただし、これでポーションの成分が変わったわけではない。


返品が自動的に認められたわけでもない。


この規則ができるのは、店内で確認を拒否できなくすることだけ。


問題を解決するのは、結局、俺自身だ。


「よし」


俺は上着を羽織った。


「その薬屋に行きましょう」


「一緒に来てくれるんですか?」


「もちろん。商品の問題を確認するのは、商人の仕事ですから」





薬屋は、市場の裏手にあった。


店の前には、回復ポーションを買い求める客が並んでいる。


看板には、王都の工房と提携していることを示す紋章。


俺は女性と一緒に店へ入った。


「いらっしゃい。何をお求めで?」


カウンターの奥にいた店主は、愛想よく笑った。


俺は瓶を置いた。


「昨日、こちらで購入したポーションに問題があったそうです。品質を確認していただけませんか?」


店主は瓶を見るなり、表情を変えた。


「返品は受け付けていない」


「まだ返品をお願いしているわけではありません。まず、品質を確認してほしいんです」


「同じことだ。薬品は一度売ったら終わりだ」


「それでは、商品の不具合があっても確認しないということですか?」


「客の使い方が悪かっただけかもしれないだろう」


店主は女性を見た。


「そもそも、あんたは薬を正しく使ったのか?」


女性は言葉に詰まった。


俺は瓶をカウンターの上に戻した。


「では、こちらで確認していただけないということでよろしいですか?」


「そう言っている!」


その瞬間。


店の入口に貼られた看板が、かすかに揺れた。


もちろん、俺の店の規則が、この薬屋にまで及ぶはずはない。


ここは、俺の店の外だ。


店主は瓶を押し返した。


「用が済んだなら帰ってくれ。営業の邪魔だ」


俺は瓶を受け取った。


「わかりました」


女性が肩を落とす。


だが、俺は帰る前に、店主へもう一度尋ねた。


「この商品は、どこの工房から仕入れたものですか?」


「王都の工房だ。正規品に決まっている」


「それを証明する納品書はありますか?」


「なぜ、あんたに見せなければならない?」


「商品の品質を確認したいからです」


「しつこいぞ!」


店主は声を荒らげた。


そのとき、店の奥から若い店員が出てきた。


「店長、あの……」


「何だ!」


「そのポーションですが、昨日の納品分は、まだ検品が終わっていません」


店主の顔色が変わった。


「黙れ!」


「でも、納品書の番号が合わなくて……」


「黙れと言っている!」


店内の客が、一斉にこちらを見た。


俺は、静かに息を吐いた。


ようやく、糸口が見えてきた。


「店主さん。俺はあなたを責めたいわけではありません」


「なら帰れ!」


「この女性の腕は、腫れています。原因が本当にポーションにあるのか、それとも別の理由なのか。確認しないままでは、誰にとってもよくないはずです」


店主は答えなかった。


俺は続けた。


「納品書を確認させてください。それで問題がなければ、俺もこれ以上は何も言いません」


長い沈黙のあと、店主は舌打ちした。


「……奥へ来い」


     ◇


納品書は、帳簿の間に挟まれていた。


店主は渋々、それを机の上に置いた。


俺は商品番号と納品数を確認した。


確かに、番号が一致していない。


さらに、納品書には品質保証印の記載があるのに、瓶の封印番号は別の番号だった。


「この商品は、正規の納品分ではない可能性があります」


俺がそう言うと、店主は顔をしかめた。


「そんなはずはない。仕入れ先が間違えたんだろう」


「なら、仕入れ先に確認しましょう」


「今は忙しい!」


「では、確認が取れるまで、同じロットの商品を販売しない方がいいと思います」


「何を勝手なことを!」


店主は机を叩いた。


「商売の邪魔をするな!」


俺は、もう一度納品書を見た。


不自然な点は、まだある。


仕入れ価格が、通常の相場よりもかなり安い。


品質保証印が不明。


納品番号も不一致。


これは単なる不良品ではなく、偽物が混ざっている可能性がある。


だが、証拠がそろっていない段階で断定することはできない。


「わかりました。では、仕入れ先に連絡するまで、俺たちはここで待ちます」


「何だと?」


「あなたが確認すると言ったので」


「そんなことは言っていない!」


「では、確認しないということですか?」


店主は口を開きかけて、閉じた。


俺は、彼が自分の立場を理解し始めたことに気づいた。


ここで無理に押し切れば、かえって疑いが深まる。


だから、俺は静かに待った。


数分後、店主は仕入れ先へ連絡を入れた。


返ってきた回答は、予想外のものだった。


そのロットの商品は、王都の工房から正規に出荷された記録がない。


つまり、誰かが偽物を作り、正規品に見せかけて流通させた可能性が高い。


店主は青ざめた。


「……そんな馬鹿な」


「仕入れ先に、納品した相手の情報を確認してもらえますか?」


俺が尋ねると、店主はうなずいた。


先ほどまでの態度とは、まるで違っていた。


女性は、震える手で腕を押さえていた。


「私の腕は……」


「今の時点では、原因を断定できません」


俺は彼女に向き直った。


「ただ、商品に問題がある可能性は高い。治療師の診察を受けたことは正しい判断でした。念のため、瓶もそのまま保管しておきましょう」


「はい……」


店主は、深く頭を下げた。


「申し訳なかった。こちらの確認不足だった」


そして、女性に返金を申し出た。


俺はその様子を見届けてから、店を出た。


返金ができたからといって、すべてが解決したわけではない。


偽物を作った者は、まだ見つかっていない。


同じ商品が、ほかの店にも流れているかもしれない。


それでも、一つの問題は解決に向かった。


女性は帰り際、何度も頭を下げた。


「ありがとうございました。あなたが一緒に来てくれなかったら、私は何もできませんでした」


「俺は、少し確認を手伝っただけです」


「それでも、助かりました」


その言葉を聞いたとき、胸の奥が少しだけ温かくなった。


俺が欲しかったもの。


店を開いた理由。


それは、金を稼ぐことだけではない。


誰かが困ったとき、ここに来れば話を聞いてもらえる。


そう思ってもらえる場所を作ることだ。


「また何かあれば、相談してください」


俺はそう言って、彼女を見送った。


     ◇


店に戻ると、ユリウスがカウンターで待っていた。


「遅かったな。どうだった?」


「偽物の可能性が高いポーションが見つかった。薬屋も仕入れ先に確認することになったよ」


「お前、いつの間にそんなことを……」


「納品書を見ただけだ」


「剣も魔法も使わずに、問題を解決したのか?」


「完全には解決していない。偽物を作った人間は、まだ見つかっていないからな」


俺はカウンターの上を片づけた。


「でも、問題があるかもしれないとわかっただけでも、前進だ」


ユリウスは、しばらく黙っていた。


やがて、ぽつりと言った。


「俺は、正義というのは、悪い人間を倒すことだと思っていた」


「そうか」


「だが、悪い人間を倒しても、傷ついた人間の腕が治るわけじゃない。偽物が市場から消えるわけでもない」


彼は、自分の手を見つめた。


「……俺は、何を守ればいいんだろうな」


俺は答えを急がなかった。


勇者として生きてきた彼には、彼なりの正義がある。


それを、俺が簡単に否定することはできない。


「ユリウス」


「何だ?」


「今、目の前で困っている人がいたら、どうする?」


「助ける」


「なら、それでいいんじゃないか」


「……そんな単純な話か?」


「単純じゃないから、迷うんだろう。でも、迷ったときに目の前の人を見失わなければ、少なくとも間違いに気づくことはできる」


ユリウスは、長い時間をかけてうなずいた。


「お前の店は、変な場所だな」


「よく言われる」


「魔王が客として来て、勇者が店番をして、商人が偽物の薬を追いかける」


「最後のは、普通の商売だと思うけどな」


「普通の商売人は、魔王軍三千人分の食料を集めたりしない」


「……それは、そうかもしれない」


俺たちは、少しだけ笑った。


そのとき、店の扉が勢いよく開いた。


「レオン殿は、こちらにおられるか!」


入ってきたのは、町の役所で見た警備兵だった。


息を切らし、手には一通の封書を持っている。


「代官様からの通達だ。至急、役所へ来ていただきたい」


「食料の件ですか?」


「それもある。だが、別の問題が起きた」


警備兵は、封書を差し出した。


「王国の商務局から、調査官が到着した。魔王軍への食料供給について、直接事情を聞きたいそうだ」


俺は封書を受け取った。


そして、その裏に押された印章を見て、息をのんだ。


王国の紋章。


その下に記された名前。


――王都商務局、特別調査官。


「……どうやら、思っていたより大事になったらしいな」


ユリウスが、静かに言った。


俺は封書を開いた。


そこには、短い一文が書かれていた。


『本件について、王国は重大な関心を有する。明朝、指定の時刻までに出頭されたし』


俺は、窓の外を見た。


日が沈みかけている。


魔王軍への食料は、まだ十分に集まっていない。


搬出許可も出ていない。


そして、明日は王国の調査官との面談だ。


「……まずいな」


思わず本音が漏れた。


「どうするんだ?」


ユリウスが尋ねる。


俺は帳簿を開き、仕入れ先と数量を再確認した。


「今夜のうちに、できるだけ食料を集める」


「明日の面談は?」


「行く」


「両方できるのか?」


「できるかどうかじゃない。やるしかないんだ」


俺は新しいページに、必要な食料の一覧を書き込んだ。


穀物。


豆。


干し肉。


塩。


水。


輸送用の荷車。


そして、まだ足りないもの。


「ユリウス。頼みがある」


「何だ?」


「町の外の農家を回って、明日の朝までに出荷できる食料がないか確認してほしい。代金は必ず払うと伝えてくれ」


「わかった」


「ただし、無理強いはしないでくれ。売りたくない人には、売ってもらわなくていい」


「……ああ」


ユリウスは扉に向かった。


出ていく直前、彼は振り返った。


「レオン」


「何だ?」


「俺は、まだ魔王を許したわけじゃない」


「わかっている」


「だが、お前の店を守るために、俺にもできることがあるなら手伝う」


俺は笑った。


「ありがとう。助かるよ」


ユリウスが出ていくと、店内は静かになった。


俺は壁に貼った新しい規則を見上げた。


『当店では、商品に問題がある場合、確認を拒否しません』


小さな一文だ。


それだけで世界が変わるわけではない。


けれど、誰かが困ったときに、何もせず追い返すことはしない。


それが、俺の店のやり方だ。


「さて……」


俺は帳簿を閉じた。


「明日は、王国の役人と商談か」


商人になったつもりだったが、どうやら俺は、普通の商人よりも面倒な客を引き寄せる才能があるらしい。


魔王。


勇者。


役人。


そして、偽物のポーション。


「……頼むから、明日はもう少し平和に営業させてくれ」


誰もいない店内で、俺はそうつぶやいた。


もちろん、返事はなかった。


代わりに、扉のベルが小さく鳴った。


誰かが、店の前を通り過ぎたのだろう。


俺は顔を上げた。


明日も、この店を開ける。


それだけは、決めていた。

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