第3話 勇者様、当店ではお静かに
「先に言っておく」
町で一番大きな食料商会へ向かう道すがら、ユリウスは険しい顔で言った。
「俺は、お前の商売を認めたわけじゃない」
「そうか」
「魔王軍に食料を売る。それが何を意味するか、本当に理解しているのか?」
「腹が減った兵士が、食料を求めて村を襲うかもしれない。ヴァルガは、それを避けるために金を払って食料を買おうとしている」
「だからといって、魔族を助けることが正しいとは限らない」
「そうだな」
「……お前、反論しないのか?」
「君が言っていることにも一理あるからな」
ユリウスは、拍子抜けしたように口を閉じた。
俺だって、魔王軍に食料を売ることが絶対に正しいなんて思っていない。
食料が兵士の腹を満たせば、そいつらは戦場に戻るかもしれない。戦場に戻れば、人間の兵士が傷つく可能性もある。
一方で、食料を売らなければ、魔族の兵士が近くの村を襲うかもしれない。
どちらを選んでも、誰かにとっては望ましくない結果になる。
だからこそ、俺は考える。
どうすれば、少しでも被害を減らせるのか。
「ひとつ聞いていいか、勇者様」
「なんだ」
「魔王軍の兵士が三千人、食料不足で倒れたら、それで戦争は終わると思うか?」
「……わからない」
「俺もわからない。だから、わからないことを理由に、目の前の問題を放り出すのはやめようと思っている」
ユリウスは何も答えなかった。
やがて、町の中心にある大きな建物が見えてきた。
看板には、金色の麦穂と天秤の紋章。
この町で最大の食料商会――ベルク商会だ。
建物の前には荷車が何台も並び、商人や農家が忙しそうに出入りしている。
俺の店とは、規模が違う。
扱っている商品も、動かしている金額も、何もかもが違う。
けれど、今は感心している場合ではない。
「三千人分の食料を二日以内に集めたい。まずは相談だな」
「本気なのか?」
「店を開いた以上、注文は注文だからな」
「相手が魔王軍でもか」
「相手が魔王軍でもだ」
ユリウスは頭を抱えた。
「俺は、どうしてこんな男についてきてしまったんだ……」
「帰ってもいいぞ」
「お前を放っておいたら、何をしでかすかわからないだろ!」
それは心外だ。
俺は常識的な商売人を目指している。
たぶん。
◇
「三千人分だと?」
ベルク商会の主人、ドランは、俺の顔を見てから注文書に目を落とした。
五十代ほどの男で、腹回りは立派だが、目つきは鋭い。
商人として長年生きてきた人間特有の、相手の懐具合を値踏みする目だった。
「穀物、豆、干し肉、塩。できれば二日分の輸送も頼みたい。まずは一日分を優先して、残りは調達状況を見て相談したい」
「量はともかく、二日というのが無茶だな。町の在庫を全部集めても足りるかどうか」
「ある分だけでも買いたい」
「誰が買う?」
ドランは注文書を机に置いた。
「魔王軍だな?」
話が早い。
「そうだ」
「断る」
即答だった。
「理由を聞いても?」
「聞くまでもないだろう。魔王軍に食料を売ったと知られれば、王国から何を言われるかわからん。商会の信用も傷つく。第一、そんな大口の注文を受けたところで、輸送中に襲われたら損害はどうする?」
「輸送の危険については、こちらで負担する。可能な範囲で前払いもする」
「金の問題じゃない」
ドランはユリウスに視線を移した。
そして、目を見開いた。
「ま、まさか……勇者様?」
ユリウスは姿勢を正した。
「そうだ」
「これはこれは! 勇者様が直々に魔王軍への食料供給を阻止しに来られたのですな!」
「いや、俺は……」
「ご安心ください! そのような取引、当商会が許すはずもありません!」
ドランは急に愛想よく笑い始めた。
なるほど。
勇者がいることで、話が余計にこじれたらしい。
「誤解しないでくれ。俺は取引を阻止しに来たわけではない」
「え?」
「俺は、彼が何をするのか見届けるためについてきただけだ」
「勇者様が、魔王軍への食料供給を見届ける?」
ドランの笑顔が凍りついた。
「……まさか、勇者様は魔王と手を組まれたのですか?」
「違う!」
「ならば、なぜ!」
「話がややこしくなるから、少し黙っていてくれ!」
ユリウスの叫びが、商会の事務所に響いた。
俺は額を押さえた。
勇者様。
お願いだから、商談の邪魔だけはしないでほしい。
「ドランさん」
俺は改めて頭を下げた。
「商会に迷惑をかけるつもりはない。売ってもらえる分だけでいい。取引記録も残す。誰が何を買い、どこへ運ぶのか、隠すつもりはない」
「それでも断る」
「そうか。わかった」
俺は注文書をしまった。
「話を聞いてくれてありがとう」
「……それだけか?」
ドランが拍子抜けした顔をする。
「もっと粘ると思ったが」
「売りたくない相手に無理に売ってもらうわけにはいかないからな」
「ならば、帰ってもらおう」
「その前にひとつだけ。今、倉庫に余っている商品はあるか?」
「何?」
「規格外の豆でも、割れた穀物でも、包装が傷んだ塩でもいい。通常の取引先には出しにくい商品があれば、買い取らせてほしい」
ドランは眉をひそめた。
「そんなものを集めても、三千人分にはならんぞ」
「わかっている。だから、ある分だけだ」
「……好きにしろ」
彼は面倒そうに手を振った。
倉庫番が持ってきた帳簿を確認すると、確かに余剰品があった。
袋が破れて売り物にならなくなった豆。
粒が不揃いな穀物。
商会の基準から外れた塩。
それらを集めても、三千人分には遠く及ばない。
それでも、ゼロではなかった。
「この豆と穀物を買いたい。値段はそちらの提示でいい」
「本当に買うのか?」
「もちろん」
「……妙な男だな」
ドランは呆れたように言った。
俺は必要な量を書き留め、代金を支払った。
最初の仕入れは、ほんのわずか。
それでも、これで一歩進んだ。
商会を出たところで、ユリウスが口を開いた。
「お前は、あれでいいのか?」
「何が?」
「断られたんだぞ。町で一番大きな商会に。普通なら、もっと強く交渉するだろう」
「交渉しても、相手が売りたくないなら仕方がない」
「だが、三千人分の食料が必要なんだろう?」
「そうだな」
「ならば、どうする?」
俺は通りの向こうを見た。
小さな青果店。
農家の荷車。
市場の隅で、売れ残った野菜を片づけている老人。
「一軒で全部そろえる必要はない」
「……何?」
「一軒で無理なら、十軒。十軒で無理なら、百軒だ」
俺は歩き出した。
「勇者様。次は市場だ」
「ちょっと待て! 本当に一軒ずつ回るつもりか?」
「他に方法があるなら、ぜひ教えてくれ」
ユリウスは口を閉じた。
そして、渋々ながら俺の後を追ってきた。
◇
市場は、昼を過ぎても活気にあふれていた。
果物を売る声。
肉を切る音。
荷車を引く馬のいななき。
その中で俺は、ひたすら店主たちに声をかけた。
「豆は余っていませんか?」
「干し肉を少しでも分けてもらえませんか?」
「傷物の野菜でも構いません。食べられるものなら買い取ります」
最初は、誰も相手にしてくれなかった。
大口注文の話をすると、怪しまれる。
魔王軍のためだと説明すれば、顔をしかめられる。
「魔族に食料を売るなんて、とんでもない!」
「王国に知られたら、うちまで疑われるぞ!」
「悪いが、関わりたくないね」
予想していた反応だった。
それでも、話を聞いてくれる人はいた。
小さな豆屋の店主は、倉庫の奥に残っていた豆を二袋出してくれた。
肉屋の主人は、形の悪い干し肉を少量だけ売ってくれた。
農家の青年は、収穫したばかりの芋なら明日の朝に届けられると言った。
一人一人の量は少ない。
だが、少しずつ積み重なっていく。
俺は帳面に、商品名、数量、金額、引き渡し時刻を書き込んだ。
前世で身につけた、地味な仕事のやり方。
派手な魔法も、伝説の剣もない。
だからこそ、段取りを間違えない。
何が、いつ、どこから届くのか。
誰に、いくら払うのか。
どこまで集まって、何が不足しているのか。
それを把握することが、今の俺にできる最善だった。
「お前、本当に商人なんだな」
隣で帳面をのぞき込んでいたユリウスが、ぽつりと言った。
「店を持っているからな」
「いや、そういう意味じゃない」
彼は少し考え込んでから続けた。
「俺は、強い人間が問題を解決するものだと思っていた」
「勇者らしい考え方だな」
「剣を振るえば、魔物は倒せる。悪人を捕まえれば、被害は止まる。魔王を倒せば、戦争は終わる。ずっと、そう教えられてきた」
「実際、剣が必要な場面もあるだろう」
「だが、お前は剣を持っていない」
「持っていても、俺じゃ使いこなせない」
「それなのに、どうして逃げない?」
俺は手を止めた。
逃げる。
その選択肢は、何度も頭をよぎっていた。
魔王軍の注文など断ればいい。
店の規則がどこまで通じるかもわからない。
勇者と魔王が顔を合わせれば、面倒なことになるに決まっている。
それでも。
「俺の店に来て、腹が減っていると言った客がいた」
「……それだけか?」
「それだけだよ」
俺は帳面を閉じた。
「腹が減っている客に、食べ物を出す。俺はそういう店を作りたいんだ」
ユリウスは、何か言いかけてやめた。
その表情は、初めて会ったときよりも少しだけ柔らかくなっていた。
◇
日が傾くころ、集まった食料を倉庫代わりに借りた空き小屋へ運び込んだ。
豆、穀物、塩、干し肉。
それに、翌朝届く予定の芋と野菜。
全部を合わせても、三千人分には足りない。
まだまだ不足していた。
「どうするつもりだ?」
ユリウスが尋ねた。
「夜のうちに、もう少し当たってみる。明日は町の外の農家にも相談する」
「間に合うのか?」
「間に合わせる」
口にした瞬間、自分でも無謀な言葉だと思った。
しかし、今ここで弱音を吐いても食料は増えない。
帳面を見直していると、空き小屋の入口に一人の少女が立っていた。
年は十六、七ほど。
日に焼けた顔に、泥のついた服。
背中には、小さな籠を背負っている。
「……あの」
「どうした?」
少女は俺とユリウスを交互に見た。
勇者の姿に気づいた途端、明らかに怯えた。
「わ、私は何も悪いことをしていません!」
「えっ? ああ、うん。大丈夫だ。俺は君を捕まえたりしない」
ユリウスが慌てて剣から手を離した。
その動きが、逆に少女を怯えさせている。
「勇者様、少し下がっていてくれ」
「俺が怖がらせているみたいじゃないか!」
「実際、怖がっているだろう」
「……わかった」
ユリウスは不服そうに数歩下がった。
俺は少女に向き直る。
「それで、何か用かな?」
「食料を集めているって聞きました」
「ああ。買い取りたいんだが、何か持ってきてくれたのか?」
少女は籠を下ろした。
中には、乾燥させたキノコと、いくつかの根菜が入っていた。
「うちの村で採れたものです。量は少ないけれど、食べられます」
「ありがとう。買い取らせてもらうよ」
「でも……魔族に売るんですよね?」
少女の表情が曇った。
「父は、魔族に村を焼かれました。だから、私は魔族が嫌いです」
ユリウスが顔を上げた。
少女は籠の縁を握りしめた。
「それでも、村には食べ物が余っています。冬までに食べきれない分もある。捨てるくらいなら、お金にしたいんです」
「……そうか」
「魔族の味方をするつもりはありません。ただ、私たちの食べ物を売るだけです」
その言葉に、俺は思わず笑みを浮かべた。
「それで十分だよ」
少女は不思議そうに俺を見た。
「君が魔族を好きになる必要はない。俺だって、誰かに好きになれと命令するつもりはないから」
「でも、魔族を助けることになります」
「そうなるかもしれない。だから、君が納得できる量だけ売ってくれればいい。無理に全部買い取ることはしない」
俺は籠の中身を確認し、適正な金額を提示した。
少女はしばらく考えてから、うなずいた。
「……これでお願いします」
取引は成立した。
少女が帰ったあと、ユリウスがぽつりと言った。
「彼女は、魔族を許したわけじゃないんだな」
「そうだな」
「それでも売った」
「自分で決めたんだろう」
俺は帳面に、少女の村から届く予定の食料を書き加えた。
「誰かを許すことと、誰かのために何かをすることは、必ずしも同じじゃないんだと思う」
ユリウスは黙っていた。
やがて、彼は腰の袋を取り出した。
「これを使ってくれ」
中には、銀貨が詰まっていた。
「勇者として受け取った報酬だ。食料の代金に足りなければ使っていい」
「いいのか?」
「魔王軍に肩入れするためじゃない」
ユリウスは、真剣な顔で言った。
「村を襲わせないためだ。お前のやり方が正しいかどうかは、まだわからない。だが、何もしないよりはましだと思う」
俺は銀貨の袋を受け取らず、彼の手をそっと押し返した。
「気持ちはありがたい。でも、これは商売だ。ヴァルガから代金を受け取る。足りないなら、足りないと伝える」
「なぜだ? 俺が払えば済む話だろう」
「それじゃ、次も君が払わなきゃならない」
俺は少女の籠を見た。
「それに、これは彼女たちの商売でもある。きちんと代金を払って、次も売ってもらえる関係を作りたいんだ」
ユリウスは袋をしまった。
「……本当に、妙な男だな」
「今日、二回目だぞ」
「何度でも言うさ」
そのときだった。
空き小屋の外から、荒々しい足音が聞こえてきた。
「おい! ここに魔王軍へ食料を売る商人がいるってのは本当か!」
数人の男たちが、入口をふさいでいた。
先頭に立つ男は、町の警備兵らしい腕章をつけている。
その隣には、見覚えのある顔があった。
ベルク商会の主人、ドランだ。
「ドランさん?」
俺が声をかけると、彼は苦々しい顔をした。
「レオンと言ったな。お前の取引について、町の役人に報告させてもらった」
「そうですか」
「王国の許可もなく、魔王軍に大量の食料を供給するなど、見過ごせることではない」
警備兵が一歩前に出た。
「商人レオン。町の秩序を乱す疑いがある。食料を運ぶのを中止し、事情を聞かせてもらう」
ユリウスが前に出かけた。
しかし、俺は片手でそれを制した。
ここは店の中ではない。
あの規則は、外では何の力も持たない。
剣を抜けば、話がもっと悪くなる。
俺は帳面を抱え直し、警備兵に向き合った。
「わかりました。事情なら、すべて説明します」
「素直でよろしい」
ドランが勝ち誇ったように言った。
「ただし」
俺は続けた。
「ひとつ確認させてください。食料の売買そのものが禁止されているのですか? それとも、魔王軍への販売だけが禁止されているのですか?」
警備兵は答えに詰まった。
ドランの顔から、笑みが消えた。
「そんなことは、役所で聞けばいい!」
「もちろん、そうします。でも、商売を止めるというなら、根拠を確認したいんです」
俺は帳面を開いた。
「こちらには、売買の記録も、仕入れ先も、支払った金額もすべて記載してあります。隠していることはありません」
「屁理屈を!」
「屁理屈かどうかは、役所で判断してもらいましょう」
俺は静かに頭を下げた。
「ご案内ください」
警備兵は顔を見合わせた。
その隙に、ドランが低い声で言った。
「お前は、自分が何をしているのかわかっていない。魔王軍に食料を売れば、王国を敵に回すことになるぞ」
「そうかもしれません」
「ならば、今すぐやめろ」
「それは、正式な命令ですか?」
ドランは答えなかった。
俺は彼の目を見た。
「俺は、小さな店を開いたばかりです。権力も、武力も、あなたのような大きな商会も持っていない。だから、せめて自分がした取引には責任を持ちたい」
一度、息を吸う。
「売ると決めた食料は、売ります」
空き小屋に、沈黙が落ちた。
そのとき、遠くから鐘の音が聞こえた。
町の役所が、夕刻を告げる鐘だ。
警備兵は舌打ちし、俺たちに告げた。
「明朝、役所へ来い。それまで食料の搬出は禁止する。勝手に運べば、今度こそ拘束する」
彼らはそう言い残し、去っていった。
ドランも、最後にこちらを睨んでから立ち去った。
残された俺は、帳面を閉じた。
食料は集まりつつある。
だが、運べなくなった。
そして、明日の朝までに、三千人分を用意しなければならない。
ユリウスが、低い声で尋ねた。
「どうする?」
俺は空き小屋の中を見渡した。
まだ足りない食料。
支払いを待つ農家たち。
止められた輸送。
そして、二日という期限。
「まずは、明日の朝、役所へ行く」
「それで解決すると思うか?」
「わからない」
俺は正直に答えた。
「でも、やれることは全部やる」
そのとき、懐に入れていた注文書が、かすかに熱を帯びた。
取り出してみると、紙の上に見慣れない文字が浮かんでいた。
――注文履行状況:遅延のおそれ。
――契約期限まで、残り一日と十八時間。
そして、その下に。
――注意。店主の権限は、店舗の外では適用されません。
俺は紙を握りしめた。
そんなことは、最初からわかっている。
この世界のルールを変えられるのは、俺の店の中だけだ。
ならば、店の外では、俺自身の力で道を切り開くしかない。
「よし」
俺は顔を上げた。
「明日は、役所と商談だ」
ユリウスはため息をついた。
「……本当に、勇者の俺まで巻き込むつもりなんだな」
「嫌なら、今からでも帰っていいぞ」
「帰るわけないだろ!」
その声は、昨日より少しだけ頼もしく聞こえた。
こうして俺は、魔王軍三千人分の食料を集めるために、町の権力者と交渉することになった。
店を開けば、客が来る。
客が来れば、注文が入る。
そして注文を受けた以上、俺は商人として、その約束を果たしたい。
たとえ相手が魔王であっても。
たとえ、勇者が隣にいても。
たとえ、町全体を敵に回すことになっても。
……いや。
できれば、敵には回したくない。
俺は心の中で、そう付け加えた。




