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18/21

第18話 大切な人が、店を去る日

 大切な人を、一人だけ犠牲にしろ。


 世界を救うための条件としては、ずいぶんと悪趣味だ。


「……お断りします」


 俺は、エリオットを見据えて言った。


 銀髪の監査官は、少しだけ首をかしげた。


「まだ、誰を選ぶかお伝えしていませんよ」


「誰でも同じです」


「しかし、選ばなければ世界は終了します」


「それでも、お断りします」


 エリオットは、困ったように笑った。


「あなたは商人でしょう? 一人を差し出せば、残り全員を救える。非常に有利な交換条件だと思いますが」


「有利?」


 俺は、カウンターを指で叩いた。


「商品の仕入れ値と、人間の命を一緒にしないでください」


「……感情的ですね」


「ええ。俺にも感情くらいあります」


 俺は、壁に貼られた規則を見た。


『当店では、お客様の同意なく、命や記憶を商品として扱うことを禁止します』


 つい先ほど、自分で追加した規則だ。


 この店の中なら、監査官の力さえ制限できる。


 だが、店の外は守れない。


 そして、目の前の男は、それを知っている。


「……ひとつ、確認させてください」


「何でしょう」


「あなたが言う犠牲者とは、具体的に何を失うんですか?」


 エリオットは、少し意外そうな顔をした。


「命に決まっていると思われましたか?」


「違うんですか?」


「正確には、境界への所属権です」


 ……所属権?


「その人間は、この世界から切り離される。管理者との接続も失い、元の生活には戻れなくなります」


「……それは、死ぬのと何が違うんですか」


「肉体の死亡を伴うとは限りません」


 俺は、奥歯を噛みしめた。


 なるほど。


 殺すとは言わない。


 だが、帰る場所も、会いたい人も、積み重ねた人生も奪う。


 そんなものを、犠牲と呼んでいるのか。


「では、選択してください」


 エリオットが指を鳴らした。


 俺の視界に、文字が浮かぶ。


【最終試験】


【犠牲者選択期限:残り十一時間五十九分】


【選択対象:管理者が大切に思う人物】


【期限超過時:第七境界領域を閉鎖】


 ……十一時間?


 最初は二十四時間あったはずだ。


 旧管理者の認証鍵を使い、監査官を店に招き、新しい規則を設定した。


 その結果、試験が最終段階へ進んだ。


 俺が店を守ろうとした行動まで、相手の計画に組み込まれていたのか。


「……少し、時間をください」


「構いません」


 エリオットは微笑んだ。


「期限までは、まだ十分にありますから」


 俺は、その笑顔が心底嫌いになった。


     *


「……まず、全員で状況を整理しよう」


 俺は帳簿を開いた。


 店の奥の食卓には、いつもの仲間が集まっている。


 アリシア。


 ユリウス。


 セレスティア。


 リリアーナ。


 ミロ。


 美咲。


 そして、魔王ヴァルガ。


 エリオットには客席で待ってもらっている。


 本人は、俺たちが何を相談しようと結果は変わらないと考えているらしい。


 腹立たしいほど余裕があった。


「まず、分かっていることが三つあります」


 セレスティアが紙を広げた。


「第一に、監査官は店内では規則に従わざるを得ない」


「第二に、世界の回収処理は店外で進んでいる」


「第三に、犠牲者の選択権はレオン様にある」


 俺は頷いた。


「そうです」


「ならば、問題は第三ですわ」


 セレスティアは、真剣な顔で続けた。


「監査官は、レオン様に選択を強要しています。しかし、選択しなければ世界を閉鎖すると言っているだけで、レオン様が必ず選ばなければならないとは証明していません」


「……契約の強制力が不明、ということですか」


「ええ」


 彼女は、俺の前に注文票を置いた。


『注文品:店主の記憶』


『数量:一』


『納品期限:明日の日没』


『代金:店にいる全員の命』


「この注文票も、妙です」


「どこが?」


「納品期限は明日の日没。ところが、回収処理の最初の期限は二十四時間後でした」


 俺は、顔を上げた。


 ……そうだ。


 注文票と、管理機構の表示が一致していない。


「つまり、同じ契約ではない可能性がある?」


「少なくとも、そう主張する余地はあります」


 セレスティアは、少しだけ笑った。


「相手がどれほど強大でも、提示した条件の不一致まで無視してよい理由にはなりませんわ」


 さすがだ。


 この状況で、契約書の不備を見つけるとは。


「ただし」


 彼女の表情が曇った。


「それだけで世界の回収を止められる保証はありません」


「……分かっています」


 俺は、帳簿に線を引いた。


 今、必要なのは時間だ。


 監査官を倒す力はない。


 世界の外へ行く方法もない。


 ならば、まず相手の要求を詳しく調べる。


 交渉の余地を探す。


 そして、仲間を守る。


 それしかない。


「店長」


 ミロが、おずおずと手を挙げた。


「僕も、調べたいことがあります」


「何だ?」


「……母さんの薬です」


 俺は、息を止めた。


 そうだった。


 ミロの母親は、病気で寝込んでいる。


 薬の供給は、ベルク商会に妨害されていた。


 代わりの仕入れ先を探していたが、まだ十分な量を確保できていない。


「……ごめん、ミロ」


「謝らないでください」


 ミロは、首を振った。


「でも、母さんの薬は、もう明日の分しかありません」


 小さな声だった。


「世界が終わるのも怖いです。でも……」


 彼は、ぎゅっと拳を握った。


「母さんが、明日も苦しいままだったら、嫌です」


 俺は、何も言えなかった。


 世界の終わり。


 管理者の試験。


 過去六回の失敗。


 そんな大きな話ばかり考えていた。


 だが。


 ミロにとっては、母親の薬がなくなることも、同じくらい重大な問題なのだ。


 俺は、帳簿を閉じた。


「……分かった」


「店長?」


「薬を手配しよう」


 ユリウスが、顔を上げた。


「今からか?」


「ああ」


「王都は混乱しているぞ」


「だからこそ、今だ」


 俺は、セレスティアを見た。


「法務院への連絡は頼めますか?」


「もちろんです」


「ユリウス。王国軍の医療物資倉庫を確認してほしい。ただし、正式な払い出し許可を取ってくれ」


「分かった」


「リリアーナ。魔族側の薬草商に、代替品がないか確認してくれるか?」


「はい!」


 ヴァルガが、低く笑った。


「我の軍医も使え。三千の兵を連れてきた甲斐がある」


「ありがとうございます」


 俺は、ミロを見た。


「ミロ。お母さんの処方記録を持ってきてくれ。似た薬だからといって、勝手に飲ませるわけにはいかない」


「……はい!」


 ミロは、勢いよく頷いた。


 その目に、少しだけ光が戻った。


 世界を救えるかは、分からない。


 でも。


 今、助けられる人を放っておく理由にはならない。


     *


 薬の手配は、予想以上に難航した。


 王都の薬草市場は、朝から閉鎖されていた。


 空の亀裂を見た商人たちが、商品を倉庫へ引き上げたらしい。


 王国軍の医療倉庫には、必要な薬草があった。


 だが、軍用備蓄だ。


 勝手には売れない。


「……許可が必要だ」


 ユリウスが戻ってきた。


「将軍の署名だけでは足りない。王宮の医務官にも確認しなければならないそうだ」


「分かった。手続きを進めよう」


「時間がないぞ」


「だから、書類を急ぐんだ」


 俺は、申請書を書いた。


 患者名。


 症状。


 必要量。


 代金。


 支払方法。


 軍用備蓄からの一時払い出しと、後日の同等品補充。


 不足が生じた場合の補償条件まで記載する。


 セレスティアが、横から書類を覗き込んだ。


「……本当に、こういうときは手が早いですわね」


「商人ですから」


「世界の終わりを前にして、薬草の払い出し申請書を書く人は、あなたくらいでしょう」


「褒めています?」


「もちろんです」


 彼女は、微笑んだ。


「そういうところが、好きなのです」


 俺の手が止まった。


「……え?」


「書類ですわ、書類」


 セレスティアは、頬を赤くして目を逸らした。


 ……絶対に、書類の話じゃなかっただろ。


 だが、今は追及している場合ではない。


 ほどなくして、王宮の医務官から条件付きの許可が下りた。


 処方記録を確認したうえで、軍医が調剤する。


 使用量は最小限。


 補充品は後日納入。


 俺は、その条件で契約を結んだ。


 さらに、魔族側の軍医が不足していた薬草を持っていた。


 正式な取引記録を作り、王国側の医務官にも品質を確認してもらう。


 こうして、ミロの母親に必要な薬を、数日分だけ確保できた。


「……店長!」


 ミロが、俺に抱きついてきた。


「ありがとうございます!」


 俺は、彼の頭を撫でた。


「まだ、届けていないだろ」


「……はい!」


「それに、治療は医者の仕事だ。俺たちは薬を届けるだけ」


「でも……!」


 ミロは、泣きながら笑った。


「店長が、約束を守ってくれたから……!」


 胸が、少し痛んだ。


 俺は、この子に何度も約束をしてきた。


 ここで働いていい。


 困ったら相談していい。


 母親のことも、一緒に考える。


 そして。


 この店を、なくさない。


 最後の約束だけは、まだ守れていない。


     *


 昼を過ぎたころ。


 俺は、店の裏口でアリシアを見つけた。


 彼女は、ひとりで空を見上げていた。


 王都の上空には、相変わらず黒い亀裂が広がっている。


「……アリシア」


 声をかけると、彼女は振り返った。


「レオン」


「何してるんだ?」


「少し、考え事を」


「……そうか」


 俺は、隣に立った。


 しばらく、二人で空を見上げた。


 遠くでは、鐘が鳴っている。


 王国軍が住民の避難を進めているのだろう。


「……レオン」


 アリシアが、静かに言った。


「あなたは、誰も選ばないつもりなのですね」


「ああ」


「世界が終わるとしても?」


 俺は、少し考えた。


「……正直、怖いよ」


 彼女は、俺を見た。


「俺だって、死にたくない。店も失いたくない。みんなを守りたい」


 俺は、拳を握った。


「でも、誰か一人を差し出して、残りを救ったことにするのは……違うと思う」


 アリシアは、黙って聞いていた。


「それに」


「……それに?」


「俺が誰かを選んだら、その人はもう、この店に帰ってこられないんだろ?」


「……はい」


「そんなの、嫌だ」


 俺は、彼女を見た。


「アリシアにも、帰ってきてほしいから」


 彼女の瞳が、大きく揺れた。


「……私に?」


「ああ」


 俺は、少し照れくさくなった。


「君がいないと、店が静かになりすぎる」


「……」


「それに、皿洗いも上手いし」


「……それだけですか?」


「いや」


 俺は、首を振った。


「君がいると、安心する」


 アリシアは、俯いた。


 長い髪が、頬を隠す。


 しばらくして、彼女は小さく笑った。


「……ずるい人ですね」


「え?」


「そんなことを言われたら」


 彼女は、俺を見た。


「……離れたくなくなってしまいます」


 俺は、息をのんだ。


 その目には、涙が浮かんでいた。


「……アリシア?」


 彼女は、すぐに笑顔を作った。


「何でもありません」


 だが。


 その笑顔が、ひどく寂しく見えた。


     *


 夕方。


 王城から、使者がやってきた。


「レオン殿。国王陛下がお呼びです」


 俺は、眉をひそめた。


「今からですか?」


「はい。至急とのことです」


 セレスティアが、顔を上げた。


「何かあったのですか?」


 使者は、言いにくそうに口を開いた。


「……王城地下の封印契約庫で、異常が確認されました」


 俺は、息を止めた。


「封印契約庫?」


「はい。二百年前から保管されている契約書が、突然、発光を始めたそうです」


 ……二百年前。


 その言葉に、嫌な予感がした。


「何の契約書ですか?」


 使者は、セレスティアを見た。


 そして、静かに答えた。


「王国剣聖誓約です」


 その瞬間。


 アリシアの顔から、血の気が引いた。


「……まさか」


 俺は、彼女を見た。


「知っているのか?」


 アリシアは、黙っていた。


「アリシア?」


 彼女は、ゆっくり頷いた。


「……はい」


 そして。


「私が、剣聖になったときに交わした契約です」


 俺は、眉をひそめた。


「でも、君はもう剣聖じゃないだろ?」


「……そうです」


「なら、関係ないんじゃ……」


「いいえ」


 アリシアは、首を振った。


「剣聖の称号を失っても、契約そのものは解除されていません」


 俺は、息をのんだ。


「……どういうことだ?」


 彼女は、静かに答えた。


「剣聖は、王国と世界の存続のため、必要なときには自らを差し出す」


 その声が、震えた。


「そういう誓約を、交わしているのです」


 俺は、言葉を失った。


 ……そんな契約が。


 まだ、残っていたのか。


     *


 王城へ向かう馬車の中。


 アリシアは、ほとんど話さなかった。


 俺は、何度も声をかけようとした。


 だが、何を言えばいいのか分からなかった。


 剣聖誓約。


 世界の存続。


 そして、犠牲者の選択。


 嫌な予感が、胸の奥で膨らんでいく。


 王城に着くと、国王アルベルトが待っていた。


 いつもの威厳ある姿とは違い、ひどく疲れた顔をしている。


「……レオン」


「陛下」


「来てくれて、感謝する」


 国王は、アリシアを見た。


「……アリシア」


「陛下」


 彼女は、静かに頭を下げた。


 国王は、しばらく黙っていた。


 そして。


「……すまない」


 その一言に、俺は息をのんだ。


「陛下?」


「剣聖誓約の本当の意味を、私は知らなかった」


 国王は、拳を握った。


「王国を守るための誓約だと、教えられてきた」


 俺は、眉をひそめた。


「……違うんですか?」


 国王は、静かに頷いた。


「二百年前、初代境界商会の店主が失踪した直後、この誓約は作られた」


 俺は、息を止めた。


「……初代店主が?」


「そうだ」


 国王は、古い羊皮紙を差し出した。


 そこには、見覚えのある紋章が描かれていた。


 境界商会の紋章。


 そして。


 日本語だった。


『境界維持補助契約』


『対象者:剣聖適格者』


『契約目的:管理者不在時の境界維持』


 俺は、目を見開いた。


 ……何だ、これ。


 剣聖誓約は。


 ただの王国の契約じゃない。


 境界管理のための契約だったのか?


 国王は、静かに続けた。


「契約の詳細は、封印契約庫に保管されている」


「……見せてください」


 俺は、即答した。


「全部、確認したい」


 国王は、頷いた。


「案内しよう」


     *


 王城地下。


 封印契約庫は、分厚い石の扉の向こうにあった。


 扉には、古い文字が刻まれている。


 俺には、それが読めた。


『境界維持契約保管区域』


 ……やっぱり。


 この世界の文字じゃない。


 美咲が持ってきた資料と、同じ言語だ。


 扉が開いた。


 中には、無数の棚が並んでいた。


 古い契約書。


 封印された箱。


 そして、中央には巨大な石台がある。


 その上に、一枚の羊皮紙が浮かんでいた。


 淡い白い光を放っている。


 アリシアが、息をのんだ。


「……これが」


 国王が頷いた。


「剣聖誓約の原本だ」


 俺は、ゆっくり近づいた。


 羊皮紙には、細かな文字が書かれていた。


 日本語。


 そして、この世界の古代語。


 俺は、内容を読み始めた。


『契約者は、境界維持のため、必要に応じて管理者の代替負荷を引き受ける』


『代替負荷の履行に際し、契約者は現行境界から切り離される場合がある』


『契約の解除には、管理者の承認を必要とする』


 俺は、息を止めた。


 ……管理者の承認?


 つまり。


 俺が承認すれば、解除できる?


「……待てよ」


 俺は、羊皮紙を見つめた。


 その瞬間。


 視界に、文字が浮かんだ。


【旧契約を検知】


【契約名:境界維持補助契約】


【契約者:アリシア】


【契約状態:有効】


【解除権限:管理者】


 俺は、息をのんだ。


 ……できる。


 解除できるんだ。


「……アリシア!」


 俺は、振り返った。


「大丈夫だ!」


 彼女は、驚いたように俺を見た。


「……レオン?」


「契約を解除できる!」


 俺は、笑った。


「君を犠牲にしなくて済む!」


 アリシアの目に、涙が浮かんだ。


「……本当、ですか?」


「ああ!」


 俺は、羊皮紙へ手を伸ばした。


 そして、心の中で命じた。


 契約を解除する。


 その瞬間。


 白い光が、部屋を満たした。


【契約解除申請を受理】


【解除条件を確認中】


 俺は、息を止めた。


 ……よし。


 これで。


 これで、アリシアを守れる。


 だが。


 次の文字を見た瞬間。


 俺の血の気が引いた。


【解除条件:代替契約者の登録】


【代替契約者が存在しない場合、境界維持機能は停止します】


 ……何だって?


 俺は、羊皮紙を見つめた。


 つまり。


 アリシアの契約を解除するには。


 代わりに、誰かが契約を引き受けなければならない。


 俺は、拳を握った。


 ……ふざけるな。


 また、誰かを犠牲にしろっていうのか。


 そのとき。


 アリシアが、俺の隣に立った。


「……レオン」


「……アリシア」


 彼女は、静かに微笑んだ。


「もう、いいんです」


「……何が?」


「私は、十分に幸せでした」


 俺は、首を振った。


「やめろ」


「あなたに会えて」


「やめてくれ」


「剣聖じゃなくてもいいと言ってもらえて」


「アリシア!」


 俺は、彼女の肩を掴んだ。


「俺は、君を失いたくない!」


 その瞬間。


 アリシアの目から、涙がこぼれた。


「……私も」


 彼女は、震える声で言った。


「私も、あなたのそばにいたいです」


 俺は、息をのんだ。


「だったら……!」


「でも」


 彼女は、俺の手をそっと外した。


「あなたが守ろうとしている世界には、私以外にも、たくさんの人がいる」


 俺は、何も言えなかった。


「ミロも、ユリウスも、セレスティア様も、リリアーナ様も」


 アリシアは、微笑んだ。


「みんな、あなたの店が好きなんです」


 そして。


「だから、私は……」


 彼女は、羊皮紙へ手を伸ばした。


「……自分で、選びます」


 その瞬間。


 白い光が、彼女の体を包んだ。


【契約者による自発的履行を検知】


【境界維持補助契約:発動】


 俺は、目を見開いた。


「……待て!」


 アリシアは、俺を見た。


 その瞳には、涙が浮かんでいた。


「……レオン」


「やめろ!」


「……ごめんなさい」


 彼女は、泣きながら笑った。


「でも、最後にひとつだけ」


 俺は、必死に手を伸ばした。


「……何だ!」


 アリシアは、静かに言った。


「あなたの店で働けて、幸せでした」


 その瞬間。


 彼女の体が、白い光に包まれた。


 俺は、叫んだ。


「――アリシア!」


 光が、弾けた。


 そして。


 彼女の姿が、消えた。


     *


 静寂。


 俺は、呆然と立ち尽くしていた。


 アリシアが、いない。


 さっきまで、隣にいたのに。


 俺の手には、彼女の温もりだけが残っている。


 国王が、何かを言っていた。


 セレスティアが、俺の名前を呼んでいた。


 だが。


 何も聞こえなかった。


 俺は、ゆっくりと床に膝をついた。


「……嘘だろ」


 声が、震えた。


「……こんなの」


 俺は、拳を握った。


「……認められるかよ」


 そのとき。


 視界に、文字が浮かんだ。


【境界維持補助契約:履行完了】


【代替負荷の受領を確認】


【対象者:アリシア】


【現行境界からの切断:完了】


 俺は、目を閉じた。


 ……アリシア。


 俺は、君に言った。


 帰ってきてほしい、と。


 君がいると、安心する、と。


 なのに。


 君は、いなくなってしまった。


 そのとき。


 もう一つ、文字が浮かんだ。


【境界管理者権限:更新】


【新規機能を解放】


【境界間転送履歴の閲覧が可能になりました】


 俺は、ゆっくり顔を上げた。


 ……転送履歴?


 まさか。


 俺は、震える手を伸ばした。


 表示しろ。


 視界に、一覧が現れた。


【転送記録】


【対象者:アリシア】


【転送元:第七境界領域】


【転送先:第零境界領域】


【状態:生存】


 俺は、息を止めた。


 ……生存?


 アリシアは。


 まだ、生きている?


 その瞬間。


 さらに、文字が浮かんだ。


【第零境界領域】


【管理者権限:最高位】


【接続条件:不明】


【警告:当該領域への接続は、管理機構により禁止されています】


 俺は、ゆっくり立ち上がった。


 ……関係ない。


 禁止されていようが。


 管理機構が何と言おうが。


 アリシアが、生きているなら。


 俺は、必ず迎えに行く。


 そのとき。


 封印契約庫の奥から、声が聞こえた。


「……やっと、ここまで来たか」


 俺は、振り返った。


 暗闇の中から、ひとりの男が現れた。


 黒い髪。


 黒い瞳。


 そして。


 俺と、まったく同じ顔。


 男は、静かに微笑んだ。


「久しぶりだな、レオン」


 俺は、息をのんだ。


「……お前は」


 男は、ゆっくりと近づいてきた。


「二百年前の、境界商会の店主だ」


 俺は、言葉を失った。


 男は、俺を見つめた。


 そして。


「アリシアを取り戻したいか?」


 俺は、即答した。


「……当たり前だ」


 男は、静かに頷いた。


「なら、覚悟しろ」


 その声は、ひどく冷たかった。


「彼女を救うには――」


 男は、俺の胸を指差した。


「今度こそ、お前が店を捨てなければならない」

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