第17話 魔王様、今日はお客様ではいられません
世界が終わるまで、あと二十四時間。
そう宣告されたとき、俺が最初に考えたことは、世界の救い方ではなかった。
明日の仕入れ、どうしよう。
……いや、待て。
我ながら、もっと心配することがあるだろう。
王都の夜空には、日本語で書かれた巨大な文字が浮かんでいる。
『第七境界領域 回収処理開始』
『残り時間 23:58:42』
窓の外では、鐘が鳴り続けていた。
人々の悲鳴も聞こえる。
どうやら、あの文字自体は俺にしか読めないらしい。
だが、空に走る黒い亀裂は、誰の目にも見えていた。
「……店長」
ミロが、俺の服の裾を握った。
「空、壊れちゃうんですか?」
俺は答えられなかった。
分からない。
何も分からない。
ただ、ひとつだけ分かることがある。
俺たちの店を狙っていたベルク商会。
二百年前の境界商会。
前世の後輩、佐倉美咲。
そして、この世界を実験場と呼ぶ何者か。
全部、つながっている。
俺は注文票を握りしめた。
『注文品:店主の記憶』
『代金:店にいる全員の命』
ふざけた注文だ。
客の都合で、店員の命を勝手に値札へ載せるな。
「……ミロ」
「はい」
「店の帳簿を持ってきてくれ」
「え?」
「注文が入ったなら、まず内容を確認する」
ミロは、きょとんとした。
「……世界が終わるのに、ですか?」
「ああ」
俺は、少しだけ笑った。
「俺たちは商人だからな」
*
「それは、注文じゃないわ」
美咲が言った。
食卓に広げられた注文票を見て、彼女は青ざめていた。
「回収命令よ」
「知っているのか?」
「……少しだけ」
「なら、全部話してくれ」
美咲は、唇を噛んだ。
「全部は、知らない」
「知っている範囲でいい」
俺がそう言うと、彼女はゆっくり頷いた。
「第七境界領域は、異なる世界の法則を接続するために作られた場所。少なくとも、わたしが見た資料にはそう書かれていた」
「この世界が?」
「ええ」
「じゃあ、ここに住んでいる人たちは?」
「分からない。もともと存在していた世界を利用しているのか、それとも……」
美咲は言葉を切った。
俺は続きを待った。
「……人工的に作られた世界なのか」
沈黙が落ちた。
「馬鹿な」
ユリウスが立ち上がった。
「俺には父がいる。母がいる。生まれ育った村がある。そこで暮らした人々もいる!」
「否定しているわけじゃないの」
「ならば、何を言っている!」
「わたしにも分からないのよ!」
美咲の声が震えた。
「わたしだって、全部信じているわけじゃない!」
ユリウスは拳を握った。
そして、ゆっくり座り直した。
「……すまない」
「ううん」
美咲は首を振った。
「怒って当然だと思う」
俺は、注文票を指差した。
「それで、回収って何をするんだ?」
「境界の接続を切るの」
「切ると、どうなる?」
「分からない。でも、以前の試験記録では、接続を失った領域が消失したと書かれていた」
「……消失」
セレスティアが、静かに口を開いた。
「つまり、最悪の場合、この王国そのものが消えるということですか?」
「……そう」
リリアーナが、俺の腕を掴んだ。
「レオン様。お父様に連絡します」
「ああ。頼む」
彼女は通信石を取り出した。
だが、石は光らなかった。
「……あれ?」
何度試しても、反応しない。
リリアーナの顔から血の気が引いた。
「お父様……?」
そのとき。
店の外から、地響きが聞こえた。
どん。
どん。
どん。
遠くで、何か巨大なものが動いている。
ユリウスが立ち上がった。
「……軍の足音だ」
「軍?」
彼は窓へ向かった。
そして、息をのんだ。
「……魔王軍だ」
*
王都の南門。
そこには、三千の魔族兵が集結していた。
黒い鎧。
赤い旗。
巨大な戦斧を持つ兵士たち。
そして、その先頭には。
魔王ヴァルガ。
かつて俺の店で、三千人分の食料を注文した男が立っていた。
「……お父様!」
リリアーナが叫んだ。
ヴァルガは、王都の城壁を見上げていた。
その顔には、いつもの余裕がなかった。
「門を開けろ!」
低い声が響く。
「我は、王国へ戦を仕掛けに来たのではない!」
城壁の上から、王国軍の将軍が叫び返した。
「魔王ヴァルガ! 三千の兵を率いて王都へ迫る者の言葉など、信じられるか!」
「ならば、アルベルトを呼べ!」
「陛下のお名前を軽々しく口にするな!」
緊張が高まる。
王国軍の弓兵たちが、一斉に弓を構えた。
魔族兵も、武器へ手を伸ばす。
その瞬間。
「待て!」
ユリウスの声が響いた。
勇者の紋章を掲げ、彼は城壁の上へ駆け上がった。
「双方、武器を下ろせ!」
「勇者殿!」
王国軍の将軍が振り返った。
「魔王軍が王都へ迫っています!」
「見れば分かる!」
ユリウスは、城壁の向こうを見た。
ヴァルガと目が合う。
二人は、かつて本気で戦ったことがある。
互いの強さを、誰よりも知っている。
「ヴァルガ!」
ユリウスが叫んだ。
「なぜ、ここに来た!」
ヴァルガは、静かに答えた。
「レオンに会うためだ」
「……何?」
「そして」
ヴァルガは、夜空を見上げた。
「二百年前に終わらせられなかったことを、終わらせるためだ」
ユリウスは眉をひそめた。
「どういう意味だ!」
ヴァルガは答えなかった。
代わりに、腰から一本の剣を抜いた。
魔王の剣。
黒い刃。
その剣を見た瞬間、王国軍がざわめいた。
「構えろ!」
「待て!」
ユリウスの制止より早く、弓兵の一人が矢を放った。
ひゅん!
矢が、ヴァルガへ飛ぶ。
だが。
ヴァルガは動かなかった。
矢は、彼の胸の手前で止まった。
そして、地面に落ちた。
「……何?」
ユリウスが目を見開いた。
ヴァルガは、静かに言った。
「我は、戦いに来たのではない」
彼は、剣を地面に突き立てた。
「この剣を、レオンに渡しに来た」
その瞬間。
黒い剣が、淡く光った。
剣身に、文字が浮かび上がる。
日本語だった。
『境界管理者認証鍵』
ヴァルガは、目を閉じた。
「……ようやく、この日が来たか」
*
俺が南門へ着いたとき、王国軍と魔王軍は、まだ睨み合っていた。
アリシアが隣を歩いている。
セレスティアと美咲も一緒だ。
リリアーナは、先に父親のもとへ向かっていた。
王都の外へ出る許可を得るまで、かなり時間がかかった。
結局、ユリウスが王国軍の将軍を説得してくれた。
ただし、魔王軍の入城は認められない。
俺たちは城門の外に設けられた臨時の会談場所で、ヴァルガと会うことになった。
「……久しぶりだな、レオン」
ヴァルガが言った。
「お久しぶりです」
「元気そうで何よりだ」
「おかげさまで。最近は少し寝不足ですけど」
ヴァルガが笑った。
「相変わらずだな」
俺は、彼の前に立った。
「それで、どうして三千人も連れてきたんですか?」
「護衛だ」
「多すぎません?」
「相手が世界の外にいる者なら、三千でも足りぬ」
俺は、息を止めた。
「……知っているんですね」
ヴァルガは頷いた。
「二百年前、我は初代境界商会の店主と出会った」
「……はい」
「あの男も、お前と同じだった」
「同じ?」
「剣も魔法も使えず、商売のことばかり考えていた」
俺は、苦笑した。
「……それは、似ていますね」
「だが、最後にあの男は、世界を救おうとした」
ヴァルガの声が低くなった。
「そして、失敗した」
俺は、言葉を失った。
「……何があったんですか」
ヴァルガは、黒い剣を見た。
「二百年前にも、空が裂けた」
「……」
「世界の外から、奇妙な声が響いた」
俺は、息をのんだ。
「……回収手続き?」
ヴァルガの目が見開かれた。
「知っているのか」
「昨夜、聞きました」
ヴァルガは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……ならば、時間がない」
彼は、剣を俺へ差し出した。
「これを受け取れ」
俺は、剣を見た。
「……俺、剣は使えませんよ」
「知っている」
「戦えませんし」
「知っている」
「重いものも、あまり持てません」
「……それも知っている」
ヴァルガは、少し呆れた顔をした。
「これは、武器として渡すのではない」
「……え?」
「鍵だ」
俺は、息をのんだ。
「境界を管理するための鍵」
ヴァルガは、俺を見つめた。
「初代店主が、最後に我へ託したものだ」
俺は、ゆっくりと剣に手を伸ばした。
指が、柄に触れる。
その瞬間。
視界に、文字が浮かんだ。
【境界管理者認証鍵を検知】
【旧管理者権限の一部を確認】
【認証を開始しますか?】
俺は、息を止めた。
……認証?
まさか。
これを使えば、店の規則を元に戻せるのか?
俺は、剣を握った。
【認証開始】
【旧管理者記録を照合】
【照合結果:一致】
……一致?
俺は、目を見開いた。
【認証対象:仁科玲央】
【初代管理者識別番号:R-017】
心臓が、止まりそうになった。
……何だって?
初代管理者。
R-017。
それは、美咲が持ってきた書類に書かれていた、俺の識別番号だった。
つまり。
二百年前の初代店主は。
俺と、同じ人間だった?
俺は、ヴァルガを見た。
「……ヴァルガさん」
「何だ」
「初代店主は、本当に二百年前の人なんですか?」
「そうだ」
「……俺と、同じ顔でしたか?」
ヴァルガは、静かに頷いた。
「同じだった」
俺は、息をのんだ。
「……じゃあ」
ヴァルガは、俺の目を見つめた。
「レオン」
その声は、ひどく重かった。
「お前は、二百年前にも、ここにいた」
俺は、何も言えなかった。
ヴァルガは続けた。
「そして、我は、お前が死ぬところを見た」
*
風が止まった。
いや、止まったように感じただけかもしれない。
俺は、ヴァルガを見つめていた。
「……俺が?」
「ああ」
「……二百年前に?」
「そうだ」
「……死んだ?」
ヴァルガは頷いた。
「我の目の前でな」
俺は、言葉を失った。
意味が分からない。
俺は、前世で会社員だった。
そして、この世界へ転生した。
そのはずだ。
なのに、二百年前にもここにいた?
俺は、何度も死んでいるのか?
それとも。
誰かが、俺の記憶を消しているのか?
美咲が、ゆっくりと近づいてきた。
「……やっぱり」
俺は、彼女を見た。
「……美咲?」
彼女は、悲しそうに笑った。
「あなた、何度もここに来ているのよ」
俺は、息を止めた。
「……何度も?」
「ええ」
美咲は、鞄から小さな装置を取り出した。
銀色の箱。
中央に、青い光が灯っている。
「これ、あなたの記憶を記録したものなの」
「……俺の?」
「そう」
美咲は、震える手で装置を操作した。
空中に、淡い光が浮かび上がる。
そこには、映像が映し出されていた。
古い店。
木製のカウンター。
そして、ひとりの男。
俺だった。
『……また、失敗した』
映像の中の俺が、呟いた。
『今度こそ、守れると思ったのに』
俺は、息をのんだ。
映像の俺は、血まみれだった。
店の床には、倒れた人々。
壊れた棚。
燃える商品。
そして。
映像の俺は、誰かの手を握っていた。
長い銀色の髪。
白い肌。
剣を握った女性。
俺は、凍りついた。
……アリシア?
いや。
違う。
服装が古い。
顔立ちも、少し違う。
だが。
あまりにも、似ていた。
『……レオン』
映像の女性が、かすれた声で言った。
『次は……ちゃんと、守ってね』
そして、彼女の手が落ちた。
映像の俺が、絶叫した。
『――――っ!』
音が、途切れた。
俺は、動けなかった。
隣にいたアリシアも、映像を見つめていた。
その顔は、真っ青だった。
「……今の」
彼女が、小さく呟いた。
「……誰、ですか」
美咲は、答えなかった。
代わりに、ヴァルガが口を開いた。
「……初代店主の、最も大切な人だ」
アリシアの肩が、震えた。
俺は、彼女の手を握った。
「……アリシア」
彼女は、俺を見た。
その瞳には、恐怖が浮かんでいた。
「……レオン」
「大丈夫だ」
俺は、そう言った。
だが、自分でも分かっていた。
何が大丈夫なのか、何も分かっていない。
それでも。
今、彼女の手を離したくなかった。
*
そのとき。
空が、割れた。
ばきん!
巨大な音が響いた。
王都の上空に、黒い亀裂が走る。
そこから、白い光が漏れ出した。
人々が悲鳴を上げる。
兵士たちが、空を見上げる。
そして。
声が響いた。
『第七境界領域、管理者認証を確認』
『回収手続きを、第二段階へ移行します』
俺の視界に、赤い文字が浮かんだ。
【警告】
【境界管理者認証により、旧記録が復元されました】
【過去の失敗回数:六回】
……六回?
俺は、息をのんだ。
【現在の試行:第七回】
【過去六回、すべて失敗】
心臓が、強く跳ねた。
……待て。
俺は、六回も。
この世界で、失敗している?
そのとき。
さらに、文字が続いた。
【過去の失敗原因を表示しますか?】
俺は、震える手を握りしめた。
……見たい。
見たくない。
だが。
知らなければ、また同じことを繰り返す。
俺は、心の中で答えた。
表示しろ。
文字が、変わった。
【第一回:管理者による強制支配】
【第二回:境界拡張の暴走】
【第三回:管理権の譲渡】
【第四回:管理者の自己犠牲】
【第五回:世界間接続の破綻】
【第六回:管理者による帰還選択】
俺は、息を止めた。
……帰還選択?
第六回。
俺は、自分で帰ることを選んだ?
その結果、世界が失われた?
美咲が、俺を見た。
その顔には、深い悲しみが浮かんでいた。
「……レオン」
「……何だ」
「第六回のこと、思い出した?」
俺は、首を横に振った。
美咲は、涙を流した。
「……そう」
そして。
「じゃあ、今度こそ、ちゃんと話さないとね」
彼女は、俺の手を握った。
「第六回で、あなたを帰らせたのは――」
美咲の声が、震えた。
「わたしなの」
俺は、言葉を失った。
その瞬間。
空から、巨大な光の柱が降り注いだ。
王都の中央広場。
光が地面を貫く。
建物が震えた。
そして。
白い光の中から、ひとりの男が現れた。
黒い服。
銀色の髪。
整った顔立ち。
そして、冷たい瞳。
男は、ゆっくりと周囲を見回した。
「……なるほど」
その声は、王都全体に響いた。
「第七回は、ずいぶん進んだようですね」
俺は、息をのんだ。
男の視線が、まっすぐ俺を捉えた。
「お久しぶりです、仁科玲央さん」
俺は、何も言えなかった。
男は、微笑んだ。
「私は、第七境界領域の監査官です」
そして。
「あなたの実験を、終了させに来ました」




