第14話 店の秘密
俺の店には、秘密がある。
店内での暴力は禁止。
盗みは禁止。
威圧も脅迫も禁止。
俺が店の規則として掲げたことは、世界の法則より優先される。
魔王だろうが勇者だろうが、例外はない。
だが、今夜初めて知った。
この力には、俺自身も知らない規則があった。
【店舗権能の強制移転手続きが開始されています】
【残り時間:二十三時間五十九分】
視界に浮かんだ文字が、一秒ごとに数字を減らしている。
そして、古い帳簿の最後には、こんな一文が書かれていた。
『店主が店を失うとき、店は最後の規則を求める』
……最後の規則?
何だ、それは。
「レオン?」
アリシアが、俺の肩に触れた。
「顔色が悪いです」
「……ちょっと、嫌なものを見た」
「何を?」
俺は答えようとして、口を閉じた。
視界の文字は、俺にしか見えていない。
これまでもそうだった。
だから、うまく説明できるか分からない。
だが。
ここまで来て、仲間に隠している場合じゃない。
「みんな。聞いてほしいことがある」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
「俺の店の力について、話そうと思う」
*
「……つまり」
ユリウスが、難しい顔をした。
「お前が壁に貼った規則は、店の中で本当に実現する、ということか?」
「そういうこと」
「魔王と俺が戦えなかったのも?」
「ああ」
「店の外では?」
「普通に戦える」
「……なるほど」
ユリウスは、腕を組んだ。
「それで、なぜ今まで黙っていた?」
「自分でも、よく分かっていなかったからだよ」
俺は苦笑した。
「今も全部は分かっていない」
セレスティアが、古い帳簿を覗き込む。
「ですが、王国の記録には、似た力が存在したと書かれているのですね」
「ええ」
セドリックが頷いた。
「境界商会。およそ二百年前に存在した商会だ。人間と魔族の戦争が激しかった時代に、両陣営の境界で商売をしていた」
「二百年前……」
リリアーナが、帳簿に顔を近づけた。
「お父様なら、知っているかもしれません!」
「ヴァルガは、何歳なんだ?」
「女性に年齢を尋ねるのと同じくらい、魔王に年齢を尋ねるのは失礼です!」
「いや、本人じゃないだろ」
「お父様は、昔からお父様です!」
……駄目だ。
話が進まない。
俺は通信石を取り出した。
「ヴァルガに聞いてみよう」
石が赤く光る。
数秒後、低い声が響いた。
『レオンか。何かあったのか』
「境界商会という名前に、心当たりはありますか?」
沈黙。
通信石の向こうで、何かが動く音がした。
『……どこで、その名を聞いた』
「王国の古い帳簿です」
『……そうか』
ヴァルガの声が、少しだけ低くなった。
『境界商会は、かつて我が国と人間の王国の間に存在した、中立の商会だ』
「やはり」
『初代店主は、奇妙な男だった』
「……知っているんですか?」
『直接会ったことがある』
俺は、思わず通信石を握り直した。
「……二百年前の人ですよね?」
『そうだ』
「あなた、何歳なんですか?」
『……その話は今、必要か?』
「すみません」
リリアーナが、得意げに胸を張っていた。
……魔王、長生きなんだな。
『あの男は、剣も魔法も使えなかった』
ヴァルガは続けた。
『だが、誰よりも恐ろしい商人だった』
「……恐ろしい?」
『ああ。人間の王も、魔族の将軍も、あの男の店ではただの客だった』
俺は、息をのんだ。
『ある日、我が軍の将軍が店で剣を抜いた。次の瞬間、剣が鞘から抜けなくなった』
「……俺の店と同じだ」
『そうだ』
ヴァルガは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
『レオン。お前に、ひとつ聞きたい』
「何でしょう」
『お前は、なぜ店を開いた?』
突然の質問だった。
「……なぜ、ですか」
『ああ』
俺は、少し考えた。
金を稼ぐため。
生活するため。
誰かに必要とされるため。
いろいろな理由がある。
だが、今なら分かる。
「……誰かが、安心して来られる場所を作りたかったんだと思います」
通信石の向こうで、ヴァルガが小さく笑った。
『……同じことを言った』
「え?」
『初代店主も、そう言っていた』
俺は、言葉を失った。
『あの男は、人間でも魔族でも、金持ちでも貧乏人でも、店に来た者は客だと言った』
ヴァルガの声が、遠い記憶を辿るように響く。
『そして、最後まで、その考えを曲げなかった』
「……最後?」
俺が尋ねると、ヴァルガは答えなかった。
しばらくして、低い声が返ってきた。
『レオン。あの帳簿には、何が書かれている?』
「店主の権利は、契約によって移転し得る、と」
『……そうか』
ヴァルガが、深く息を吐いた。
『ならば、気をつけろ』
「何に?」
『初代店主は、店を奪われた』
俺の背筋が冷たくなった。
『そして、その後、境界商会は消えた』
*
通信が切れたあと、俺たちは帳簿を読み進めた。
古い文字は、セレスティアとセドリックが解読してくれた。
最初の数ページには、普通の商売の記録が並んでいた。
小麦、塩、鉄材、薬草。
仕入れ価格。
販売価格。
取引先。
どこにでもある商人の帳簿だ。
だが、途中から内容が変わった。
『第十四年、春』
『人間の兵士と魔族の兵士が、同じ食卓についた』
『互いに剣を抜こうとしたため、店内での武器使用を禁じた』
『第十四年、夏』
『病人を追い返そうとする客がいたため、店内での差別を禁じた』
『第十五年、冬』
『王国の使者が、店を軍の管理下に置くよう要求した』
『拒否した』
俺は、ページをめくった。
『第十六年、春』
『魔族の将軍が、店の規則を軍事利用したいと申し出た』
『拒否した』
『第十六年、秋』
『王国と魔族の双方から、店の管理権を要求された』
『拒否した』
そして。
『第十七年、冬』
『店を奪われた』
そこから先の文字は、乱れていた。
まるで、震える手で書かれたように。
『契約は、言葉だけではない』
『名前を貸すな』
『鍵を渡すな』
『店主としての判断を、他人に委ねるな』
俺は、息をのんだ。
セレスティアが、次の一文を読み上げた。
「……『店主の権利は、契約によって移転する。ただし、移転には店主の意思が必要である』」
俺は顔を上げた。
「……意思?」
セドリックが頷いた。
「つまり、単に王国が接収命令を出しただけでは、権能そのものは移らない可能性がある」
「でも、俺の視界には、強制移転手続きが始まったと……」
「手続きと、移転の成立は別だ」
セドリックは、帳簿を指差した。
「相手は、お前に何かを承認させようとしているのかもしれない」
俺は、思い出した。
ベルク商会の契約書。
特殊な営業上の権能。
店舗管理権の移管。
そして、明朝の接収命令。
……なるほど。
ただ店を奪うだけではない。
俺自身に、何らかの形で同意させるつもりなのか。
「……でも、俺は署名しませんよ」
俺が言うと、セドリックは首を横に振った。
「署名だけが同意とは限らない」
「……え?」
「古い契約制度では、鍵の引き渡し、店主印の譲渡、営業権の委任などが、意思表示として扱われる場合がある」
俺は、背筋が冷たくなった。
鍵。
店主印。
営業権。
そのどれかを渡せば、終わりなのかもしれない。
セレスティアが、真剣な顔で言った。
「レオン様。明日、どのような書類を出されても、絶対にその場で署名しないでください」
「分かりました」
「鍵も、店主印も、渡してはいけません」
「はい」
「そして、何より……」
彼女は、俺の手を握った。
「ご自分の店を、諦めないでください」
俺は、頷いた。
「もちろんです」
その瞬間。
アリシアが、静かに俺の反対側へ立った。
「私も、あなたの店を守ります」
リリアーナが、勢いよく手を挙げた。
「わたくしも!」
ユリウスが、腕を組んだ。
「俺もだ」
ミロが、小さく頷いた。
「僕も、頑張ります」
俺は、みんなを見回した。
……本当に。
いい仲間に恵まれた。
だからこそ。
絶対に、この店を失うわけにはいかない。
*
その夜。
俺は、ひとりで帳簿の続きを読んでいた。
みんなには休んでもらった。
明日は、長い一日になる。
だが、どうしても気になることがあった。
初代店主の名前。
レオン。
俺と同じ名前。
そして、この世界の人間ではなかったという記録。
偶然なのか。
それとも、何か意味があるのか。
俺は、最後のページを開いた。
そこには、短い文章が書かれていた。
『もし、次の店主がこの帳簿を読むことがあるなら』
『ひとつだけ、伝えたい』
俺は、息を止めた。
『この力は、世界を支配するためのものではない』
『誰かを守るためのものだ』
……ああ。
そうだ。
俺は、静かに頷いた。
俺が欲しかったのは、世界を変える力じゃない。
ただ、誰かが安心して帰ってこられる場所だった。
だが、その次の一文を見た瞬間。
俺の心臓が、強く跳ねた。
『そして、この力には、もうひとつの使い方がある』
俺は、ページをめくった。
そこには、古い文字で、こう書かれていた。
『店主は、店の境界を広げることができる』
……境界を?
俺は、思わず声に出した。
「……どういうことだ?」
店の規則は、店の中でしか効かない。
それが、この力の最大の制約だった。
だが。
境界を広げられるなら?
店の外にいる人も、守れるのか?
俺は、さらに読み進めた。
『ただし、境界を広げるには、条件がある』
『店主が、その場所を自らの店として引き受けること』
『そして、その場所にいる者たちが、店主の規則を受け入れること』
俺は、しばらく考えた。
……つまり。
店を増やせば、規則の効く場所も増える?
いや、そんな単純な話ではないだろう。
店主として責任を負う。
規則を受け入れてもらう。
それが条件なら、勝手に他人の土地を店にすることはできない。
だが、可能性はある。
王都支店。
辺境の本店。
そして、将来、別の場所にも店を作れたら。
俺は、思わず笑った。
「……面白い」
その瞬間。
視界に文字が浮かんだ。
【未解放機能の一部を確認】
【機能名:境界拡張】
【解放条件:未達成】
【条件の詳細は、現在の権限では閲覧できません】
……やっぱり、そう簡単にはいかないか。
俺は苦笑した。
だが、希望は見えた。
店を奪われる危機の中で、初めて見つけた、新しい可能性。
それは、俺がこの世界でやりたいことと、どこか重なっていた。
もっと多くの人が、安心して来られる場所を作る。
それが、いつかできるかもしれない。
俺は、帳簿を閉じようとした。
だが。
最後のページの裏側に、何かが挟まっていることに気づいた。
薄い紙。
古びた封蝋。
そして、見覚えのある紋章。
ベルク商会の紋章だった。
「……何で?」
俺は、封蝋を確かめた。
現在のベルク商会の紋章とは、少し違う。
だが、明らかに同じ意匠だ。
紙を開く。
そこには、短い文章が書かれていた。
『境界商会の営業権は、正式な契約により、ベルク家へ移転する』
俺は、息を止めた。
……何だって?
さらに、下には署名があった。
『境界商会 初代店主レオン』
そして。
『ベルク家当主 エルンスト・ベルク』
俺は、しばらく動けなかった。
初代店主は、店を奪われた。
そう記録されていた。
だが、この書類を見る限り、正式な契約が結ばれている。
ならば。
ベルク商会は、二百年前からこの力を知っていたのか?
そして、今。
俺の店を狙っているのは、その力を取り戻すため?
俺は、ゆっくりと紙を裏返した。
そこには、さらに小さな文字が書かれていた。
『ただし、契約は未完了』
『最終承認が得られなかったため、権利移転は成立せず』
……未完了?
俺は、目を見開いた。
つまり。
初代店主は、最後まで店を渡さなかった?
では、なぜ店は消えた?
そして、なぜ今、ベルク商会が同じことをしようとしている?
疑問が、次々と浮かんでくる。
そのとき。
店の奥から、足音がした。
「……レオン」
アリシアだった。
寝間着の上に薄い上着を羽織っている。
「まだ、起きていたんですか」
「ちょっと、調べものを」
彼女は、俺の隣に座った。
「……無理をしないでください」
「ありがとう」
しばらく、沈黙が続いた。
そして、アリシアが小さな声で言った。
「……レオン」
「ん?」
「もし、明日……店がなくなってしまったら」
俺は、彼女を見た。
「……どうする?」
アリシアは、少しだけ俯いた。
「私は、あなたについていきます」
俺は、息を止めた。
「……どこへでも?」
「はい」
彼女は、まっすぐ俺を見た。
「あなたが、また店を開くなら、そこへ。別の仕事をするなら、それも手伝います」
俺は、何も言えなかった。
アリシアは、少しだけ微笑んだ。
「私は、あなたの店が好きです」
そして。
「……でも」
彼女の声が、わずかに震えた。
「店がなくなっても、あなたのそばにいたいんです」
俺は、ゆっくりと手を伸ばした。
彼女の手に、触れる。
「……ありがとう」
アリシアは、そっと俺の肩に頭を預けた。
俺たちは、しばらくそのままでいた。
外では、夜風が窓を揺らしている。
明日、何が起きるか分からない。
店を失うかもしれない。
仲間を守れないかもしれない。
それでも。
今、この瞬間だけは。
この温もりを、忘れたくないと思った。
*
翌朝。
王都の鐘が、九時を告げた。
店の前には、再び兵士たちが並んでいた。
その先頭には、監察官オルフェン。
そして、その隣に、ベルク商会王都支店長マルセルが立っていた。
「レオン殿」
オルフェンが、声を張り上げた。
「期限だ。店舗の管理権を引き渡してもらう」
俺は、店の扉を開けた。
「おはようございます」
マルセルが、微笑んだ。
「よく眠れましたか?」
「おかげさまで、寝不足です」
「それは、お気の毒に」
俺は、二人を見た。
「ひとつ、確認してもいいですか?」
「何だ」
「この接収命令、俺が同意しなかった場合はどうなるんです?」
オルフェンが眉をひそめた。
「法に従って執行する」
「では、俺が鍵を渡さなくても、店の管理権は移るんですか?」
マルセルの笑顔が、ほんの少しだけ揺れた。
「……何をおっしゃりたいのです?」
俺は、古い帳簿を持ち上げた。
「二百年前の境界商会について、調べました」
マルセルの表情が、変わった。
「……それを、どこで?」
「王国の記録庫に、残っていたそうです」
俺は、静かに続けた。
「初代店主は、最後まで営業権の移転を承認しなかった」
マルセルは、何も言わない。
「だから、ベルク家への権利移転は成立していない」
俺は、彼を見つめた。
「……違いますか?」
沈黙。
そして。
マルセルは、ゆっくりと笑った。
「……素晴らしい」
その声には、今までとは違う響きがあった。
「そこまで辿り着かれるとは、思いませんでした」
俺は、息をのんだ。
マルセルは、懐から一枚の書類を取り出した。
「ですが、レオン様」
「……何でしょう」
「あなたは、ひとつ勘違いしておられる」
彼は、書類を広げた。
そこには、王国の紋章と、ベルク家の紋章が並んでいた。
「初代店主が、契約を拒否したことは事実です」
マルセルは、微笑んだ。
「しかし、契約が未完了だったからこそ、権利は宙に浮いたままなのです」
俺は、眉をひそめた。
「……どういう意味ですか?」
マルセルは、静かに答えた。
「二百年前の契約には、もうひとつの条項がある」
彼は、書類の一節を指差した。
『初代店主の権利が失効した場合、優先承継権はベルク家に帰属する』
俺は、息を止めた。
……何だ、それは。
「つまり」
マルセルは、ゆっくりと笑った。
「あなたが店主としての資格を失えば、その力はベルク家へ移る可能性がある」
俺の視界に、文字が浮かび上がった。
【警告】
【優先承継権の主張を検知】
【店舗権能の保持状態:不安定】
【残り時間:三時間】
……三時間?
昨夜は、二十四時間あったはずだ。
なぜ、こんなに早く?
俺は、目を見開いた。
マルセルは、そんな俺を見て、満足そうに微笑んだ。
「さて、レオン様」
彼は、手を差し出した。
「そろそろ、店をお返しいただきましょうか」




