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13/21

第13話 仲間が店を辞めると言い出した

「王国商務局の命により、この店舗を一時接収する!」


 王都の夜に、甲冑の音が響いた。


 店の前には、十二人の兵士。


 その先頭に立つ壮年の男は、金の装飾が施された外套をまとっていた。


「店主レオンだな」


「はい。ご用件を伺います」


「私は王国商務局監察官、オルフェン・グラーツ。国家交易保全令に基づき、この店舗の管理権を一時的に王国へ移管する」


 男は羊皮紙を広げた。


 赤い封蝋。


 王国商務局の紋章。


 そして、長官の署名。


 少なくとも、偽物には見えない。


「理由を教えていただけますか」


「魔王軍への物資供給、および王都における流通秩序の攪乱だ」


「魔王軍への取引は、国王陛下の許可を得ています」


「承知している。だが、その許可は無制限ではない」


 それは事実だった。


 陛下は、戦況が変われば許可を見直すと明言していた。


「流通秩序の攪乱については?」


「現在、調査中だ」


「調査中の段階で、店を接収するんですか」


「必要な予防措置だ」


 オルフェンは、一歩踏み出した。


「道を開けたまえ」


 俺は入口から動かなかった。


「店内の商品の検査には協力します。帳簿も、正式な手続きに従って提示します。ただし、管理権の移管については、根拠と範囲を確認させてください」


「命令に従わないつもりか?」


「確認したいと言っています」


 オルフェンの眉がつり上がった。


「小商人風情が、国家の命令に口を挟むな!」


 その瞬間だった。


 ぱきん。


 乾いた音がした。


 オルフェンの右足が、店の敷居を越えたところで止まっていた。


「……何?」


 彼は足を動かそうとした。


 動かない。


 俺の背後にある札が、淡く光っている。


『店内での威圧・脅迫行為は禁止』


 オルフェンは目を見開いた。


「貴様、何をした!」


「何もしていません。ですが、店内では怒鳴らないでいただけると助かります」


「ふざけるな!」


 彼の声が、ふっと消えた。


 口は動いている。


 だが、音が出ない。


 後ろの兵士たちがざわめいた。


 ……やっぱり、そうなるか。


 この店の規則は、相手が役人でも容赦しない。


 ただし。


 それで国家の命令そのものが消えるわけではない。


 店の外で正式な接収手続きを進められれば、俺たちは法的に対抗する必要がある。


 俺はオルフェンに向き直った。


「監察官殿。落ち着いてお話しいただければ、店内でも普通に会話できます」


 彼は、しばらく俺を睨んでいた。


 やがて、ゆっくりと息を吐く。


「……分かった」


 声が戻った。


「では、冷静に告げよう。明朝九時までに店舗を明け渡せ。応じない場合、王国法に従って強制執行を申請する」


 俺は、命令書の写しを求めた。


 オルフェンは不機嫌そうに応じた。


「期限までに判断したまえ」


 兵士たちが引き上げていく。


 最後に、オルフェンが振り返った。


「忠告しておく。君は、自分が何と戦っているのか分かっていない」


 俺は答えなかった。


 扉が閉まる。


 店内には、時計の針の音だけが残った。


「……レオン」


 アリシアが俺を見た。


「大丈夫だ」


 俺はそう言った。


 だが、正直に言えば。


 大丈夫な理由なんて、ひとつもなかった。


     *


「これは、まずいですわ」


 セレスティアは命令書を読み終えると、顔を曇らせた。


 店の奥の食卓。


 集まったのは、俺、アリシア、ユリウス、セレスティア、リリアーナ、そしてミロ。


「国家交易保全令は、戦時中に制定された法律です。敵対勢力への物資流出を防ぐため、特定の商取引を一時的に制限できます」


「でも、陛下の許可がありますよね」


 ミロが不安そうに尋ねた。


「ええ。ただ、陛下の許可と、商務局の監督権限は別のものです。商務局側にも、一定の権限はあります」


「つまり、命令が無効だとは言い切れない?」


「そうですわ」


 セレスティアは唇を噛んだ。


「ただし、店舗の管理権まで移すには、相応の必要性が求められます。そこは争えるはずです」


「王様に直接会えないのか?」


 ユリウスが言った。


「それが一番早いだろう」


「会えればね」


 俺は苦笑した。


「陛下は忙しい。俺たちのために、いつでも時間を空けてくれるわけじゃない」


「ならば、俺が王城へ――」


「勇者が夜中に王城へ押しかけたら、それこそ大事件になる」


 ユリウスは口を閉じた。


 そのとき、セレスティアが立ち上がった。


「わたくしが父に連絡します」


「セレスティア」


「ご心配なく。命令を取り消せと頼むのではありません。正式な審査手続きと、不服申立ての方法を確認してもらうだけです」


 俺は頷いた。


「お願いします」


 彼女は微笑んだ。


「初めて、素直に頼ってくださいましたわね」


「……そうでしたっけ」


「ええ。嬉しいです」


 その横で、アリシアが小さく咳払いした。


「店長。私は、明朝の警備を担当します」


「ありがとう。でも、兵士とは戦わないでくれよ」


「分かっています」


 彼女は真剣な顔で頷いた。


「あなたの店を、あなたの望まない方法で守るつもりはありません」


 その言葉が、胸に染みた。


 アリシアは強い。


 きっと、外にいる兵士たちを倒すこともできる。


 それでも、俺のために剣を抜かないと決めてくれている。


 それが、どれほど難しいことか。


 俺は知っている。


「……ありがとう」


 そう言うと、彼女は少しだけ頬を赤くした。


 リリアーナが、すかさず俺の腕に抱きつく。


「わたくしもお守りします!」


「ありがとう。でも、竜で王都を焼くのは絶対なしだぞ」


「まだ何も言っていません!」


「顔に書いてある」


「むう!」


 いつもなら、ここで笑いが起きる。


 だが、今夜は違った。


 誰もが、明日のことを考えていた。


 そして。


「……店長」


 小さな声がした。


 ミロだった。


 彼は、膝の上で拳を握りしめていた。


「僕、話があります」


「どうした?」


 ミロは顔を上げた。


 その瞳は、今にも泣き出しそうだった。


「……僕、店を辞めます」


 時間が止まった。


「……え?」


「もう、ここでは働けません」


 俺は、言葉を失った。


     *


「どうして?」


 俺が尋ねると、ミロは唇を噛んだ。


「……僕がいると、みんなに迷惑がかかるから」


「そんなことない」


「あります!」


 ミロが、初めて俺に大きな声を出した。


 その声に、全員が驚いた。


「今日、知らない人が家に来たんです」


 俺の背筋が冷たくなった。


「……誰が?」


「人間の男の人。立派な服を着ていて、ベルク商会の印がついた馬車に乗っていました」


 セレスティアの表情が変わった。


「何を言われたの?」


 アリシアが、優しく尋ねた。


 ミロは、震える声で答えた。


「……僕が店を辞めなかったら、お母さんが困ることになるって」


 沈黙。


 俺の中で、何かが冷たくなった。


「具体的には?」


「今、僕たちが住んでいる家の土地は、ベルク商会と取引のある人が持っているそうです。次の月から、家賃を三倍にするって」


「……」


「それから、お母さんの薬も、今後は売れなくなるかもしれないって」


 ミロの声が、震えた。


「僕が店を辞めれば、今までどおりにしてくれるって……」


 俺は、ゆっくりと息を吸った。


 怒鳴りたい。


 今すぐベルク商会へ乗り込んで、マルセルの胸倉を掴みたい。


 だが、それでは何も解決しない。


 ミロの母親が、余計に危険な目に遭うかもしれない。


「……ミロ」


「はい」


「お母さんは、今どこにいる?」


「家です」


「薬は?」


「あと、三日分……」


 俺は立ち上がった。


「アリシア。俺と一緒に来てくれ」


「はい」


「セレスティア。家賃の件を調べてほしい。契約書があれば確認したい」


「承知しました」


「ユリウス。ミロの家の近くで、不審な人がいないか見てきてくれ。ただし、誰かを捕まえたり、脅したりしないこと」


「分かった」


 俺はミロの前にしゃがんだ。


「ミロ」


「……はい」


「辞めるかどうかは、君が決めていい」


 彼の目が大きく開いた。


「……え?」


「君には、辞める権利がある。誰にも、それを奪うことはできない」


 俺は、ゆっくりと続けた。


「でも、怖いから辞めるしかない、という状況なら、俺はそれを放っておきたくない」


「……店長」


「まず、お母さんに会いに行こう」


 ミロの目から、涙がこぼれた。


「……はい」


     *


 王都の外れ。


 古い家々が並ぶ地区に、ミロと母親の家はあった。


 小さな平屋。


 屋根の一部には、修理した跡がある。


 扉を開けると、薬草の匂いがした。


「……ミロ?」


 奥の寝台から、か細い声が聞こえた。


「お母さん!」


 ミロが駆け寄る。


 寝台には、痩せた魔族の女性が横たわっていた。


 顔色は悪い。


 だが、息子を見ると、優しく微笑んだ。


「おかえり……」


「お母さん、店長を連れてきたよ」


 女性は、俺を見た。


「……あなたが、レオンさん?」


「はい。初めまして」


 俺は、寝台の脇に膝をついた。


「ミロには、いつも助けてもらっています」


「……そう、ですか」


 彼女は、弱々しく笑った。


「この子……迷惑を、かけていませんか?」


「とんでもない」


 俺は、即答した。


「ミロがいなかったら、うちの店は回りません」


 ミロが、驚いたように俺を見た。


「商品の整理も、在庫の確認も、誰より丁寧にやってくれています。最近は、俺が気づかない品切れまで教えてくれるんです」


 女性の目に、涙が浮かんだ。


「……ありがとうございます」


「こちらこそ」


 俺は、頭を下げた。


「ミロを、育ててくださって」


 その瞬間。


 女性は、声を押し殺して泣き始めた。


 ミロも、母親に抱きついた。


 アリシアが、そっと二人に毛布をかける。


 俺は、胸が締めつけられる思いだった。


 ただ、働きたいだけなのに。


 ただ、母親を助けたいだけなのに。


 どうして、こんな思いをしなければならないんだ。


 俺は、静かに決めた。


 この親子を、守ろう。


 ただし、気持ちだけでは駄目だ。


 具体的な方法が必要だ。


 住む場所。


 薬。


 収入。


 その三つを、確保しなければならない。


「……ミロ」


「はい」


「ひとつ、提案がある」


 俺は、二人を見た。


「店の二階に、空いている部屋があるんだ」


 王都支店の建物には、もともと住居として使われていた部屋がいくつかある。


 今は、ほとんど物置だ。


「掃除と修理は必要だけど、住めるようにできると思う」


 ミロが目を見開いた。


「……本当に?」


「もちろん、お母さんがよければ、だけど」


 女性は、戸惑った顔をした。


「でも……家賃を払えるかどうか……」


「家賃は、無理のない金額で相談しましょう。仕事と住まいは別の契約にします。店を辞めたくなっても、すぐに追い出すようなことはしません」


 俺は続けた。


「それから、薬については、医師に確認しましょう。今の薬が必要なら、正規の仕入れ先を探します」


 女性は、何度も頷いた。


「……そんなことまで」


「できる範囲で、です」


 俺は、苦笑した。


「うちも、そんなに余裕があるわけじゃありませんから」


 そのとき。


 アリシアが、俺の隣に座った。


「レオン」


「ん?」


「部屋の掃除なら、私が手伝います」


「ありがとう」


「それから、食事も。お母様が食べやすいものを作れるよう、教えていただきます」


 ミロが、涙を拭った。


「……アリシアさん」


 彼女は微笑んだ。


「ミロ。あなたは、私たちの大切な仲間です」


 ミロは、何度も頷いた。


 そして。


「……僕」


 小さな声で言った。


「……やっぱり、店を辞めたくないです」


 俺は、笑った。


「うん」


「もっと、働きたいです」


「うん」


「店長の役に立ちたいです!」


 俺は、ミロの頭をそっと撫でた。


「もう、十分役に立ってるよ」


 その瞬間。


 ミロは、声を上げて泣いた。


     *


 店に戻ったのは、夜明け前だった。


 ユリウスは、ミロの家の近くで不審な男を見かけたという。


 だが、追いかけなかった。


 代わりに、馬車の紋章と向かった方向を記録してきた。


「よく我慢したな」


 俺が言うと、ユリウスは苦笑した。


「……正直、殴りたかった」


「俺もだ」


「お前も?」


「ああ」


 俺は、静かに頷いた。


「でも、殴ったら負けだ」


 ユリウスは、少し驚いたように俺を見た。


「……そうだな」


 セレスティアは、家賃の契約書を確認していた。


「レオン様。ミロさんの家について、分かったことがあります」


「何でしょう」


「家主が一方的に家賃を三倍にすることは、契約上、簡単ではありません」


「本当ですか?」


「ええ。少なくとも、今月中に退去させることはできません」


 俺は、ほっと息を吐いた。


「よかった」


「ただし、契約の更新時期が近いのは事実です。長期的には、別の住居を確保した方が安心でしょう」


「分かりました」


 俺は、帳簿に書き込んだ。


 ミロ親子の住居。


 薬の確保。


 工房の材料。


 救護院の食料。


 そして、店の接収命令。


 問題は、増えるばかりだった。


 だが。


 不思議と、絶望はしていなかった。


 俺には、仲間がいる。


 そして、その仲間たちは、俺が思っていた以上に頼もしい。


「レオン様」


 セレスティアが、俺を呼んだ。


「父から、返事が届きました」


「……どうでした?」


 彼女は、一枚の封書を差し出した。


「明朝の接収について、正式な審査を求める手続きが可能だそうです」


「本当ですか!」


「はい。ただし、審査が始まるまで、接収命令が自動的に止まるわけではありません」


「……なるほど」


 俺は封書を受け取った。


 つまり、明朝九時までに、別の手段も考えなければならない。


 そのとき。


 店の扉が、静かに開いた。


「……失礼する」


 入ってきたのは、見覚えのある男だった。


 王国の特別調査官、セドリック。


 辺境の町で、魔王軍への食料供給を調べていた人物だ。


「セドリックさん?」


「久しぶりだな、レオン」


 彼は、いつもの無表情で店内を見回した。


「……随分と、賑やかな店になったものだ」


「おかげさまで」


「そうか」


 セドリックは、懐から古い帳簿を取り出した。


 革の表紙。


 色褪せた金具。


 そして、中央には見覚えのない紋章。


「これを、見てほしい」


「……何ですか?」


「王国の旧記録庫で見つけたものだ」


 俺は、帳簿を受け取った。


 表紙を開く。


 そこには、古い文字で、こう書かれていた。


『境界商会 初代店主記録』


 俺は、首をかしげた。


「境界商会……?」


 セドリックは、静かに頷いた。


「かつて、この世界には、王国にも魔王軍にも属さない商会が存在した」


「……それが?」


「境界商会だ」


 彼は、俺を見た。


「そして、その商会には、奇妙な力があったという」


 俺の背筋が冷たくなった。


「……どんな力ですか」


 セドリックは、ゆっくりと答えた。


「店の中だけ、世界の法則を書き換える力だ」


 沈黙。


 俺は、手元の帳簿を見下ろした。


 ページの端に、小さな文字が並んでいる。


 その中の一文が、目に入った。


『店主の権利は、契約によって移転し得る』


 俺は、息を止めた。


 ベルク商会の契約書。


 特殊な営業上の権能。


 店舗管理権の移管。


 すべてが、一本の線でつながり始めた。


「……セドリックさん」


「何だ」


「この帳簿、誰が書いたものなんですか?」


 彼は、少しだけ沈黙した。


 そして、答えた。


「初代境界商会の店主だ」


「名前は?」


 セドリックは、俺を見つめた。


「……レオン」


 俺は、固まった。


「……え?」


「初代店主の名前も、レオンだった」


 店内の空気が、凍りついた。


 セドリックは、さらに続けた。


「そして、記録によれば、その男は――」


 彼は、一度言葉を切った。


「この世界の人間ではなかった」


 俺は、何も言えなかった。


 まさか。


 俺以外にも。


 この世界へ来た人間が、いたのか?


 そして、なぜ。


 同じ名前なんだ?


 俺の視界に、突然、文字が浮かび上がった。


【警告】


【旧契約記録を検知】


【境界商会・初代店主記録】


【継承条件の一部が確認されました】


 さらに、文字が続く。


【注意】


【現在の店舗権能は、完全な状態ではありません】


【未解放機能:二件】


 俺は、息をのんだ。


 未解放機能?


 そんなものが、あったのか。


 そして。


 最後の一文を見た瞬間。


 俺の心臓が、強く跳ねた。


【警告】


【店舗権能の強制移転手続きが開始されています】


【残り時間:二十四時間】


 ……何だって?


 俺は、ゆっくりと顔を上げた。


 セドリックが、真剣な表情で俺を見ていた。


「レオン」


「……はい」


「明日の朝までに、ひとつだけ覚えておけ」


 彼は、低い声で言った。


「お前の店を狙っているのは、ベルク商会だけではない」


 そして。


「王国の中にも、その力を欲しがっている者がいる」

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