第9話:全力疾走と窃盗団のアジト
角を曲がると、夕方の通りを暴走する荷車と、その後ろを追いかける小さな金色の光が見えた。
荷台では、重たい水樽や大きな木箱がガタガタと不安定に揺れている。
荷車は青い運搬札を掲げたまま、開いていた区画門を速度を落とさず抜けていく。門番が異変に気づいて振り返ったが、まだ強奪の知らせは届いていないようだ。
「イースト! その位置は荷物が落ちてきたら危険だ! 追うなら上空からにしてくれ!」
【イースト:受諾しました】
イーストはふわりと高度を上げ、指示した通り、荷車を上空から追う。
小さな身体だが、金色の光は遠くからでもよく見える。あれなら、離れても見失わずに済みそうだ。
「そのまま上にいてくれ! 無理はしないで!」
イーストはこちらを振り返り、片手を挙げて応えた。
地上では、青髪の水売りがボロ鞄を脇に抱えて俺たちの前を走っていた。片側に結い上げた鮮やかな髪が、大きく揺れている。
「おい水売り! どんな相手だかわからん、危険だぞ!」
ハンクが珍しく怒鳴っている。
「あいつら、アタシの商売道具を全部潰したンだぞ! 捕まえて弁償させる!」
素直に弁償してくれる相手とは思えないが。
区画門の衛兵が俺たちに叫んできた。
「お、おい、君たち! 一体何事だ!?」
「荷車強盗だ! 俺は冒険者ギルドの特殊協力者です! 詳しくは商業ギルドへ!」
「わ、わかった! 深追いはするなよ! おい、彼らに続けぇ!」
衛兵は素直に道を譲ってくれ、詰め所の衛兵たちも槍を構えたり記録板を探したり、バタバタと動き始めた。
区画門を抜けると、水売りの少女はさらに速度を上げた。
早い。いや違う、俺が遅くなっている。走っているうちにすっかり息が上がってしまった。
「お、おじさん、大丈夫ですか?」
「ああ、だ、大丈夫……ハァ、ハァ。全力疾走なんて、何年ぶり、だろうね」
いい大人が十代の少女に気を使われてしまった。
だが、ここで止まれない。吹けば飛びそうな精霊を連れ戻さなくてはならない。
前方で、奪われた荷車が人通りの少ない左の路地へ曲がった。右の車輪が露店の台にぶつかり、積まれていた木皿が宙へ舞う。
ハンクが走りながら片手を振った。
横から風が吹き抜け、木皿が露店の店主の頭に乗った。お見事。
「道を空けろ! 荷車強盗だ!」
その声に驚いた人々が、さらに道の端へ寄った。
騒ぎを聞きつけたのか店先から顔を出した恰幅のよい女性が、青髪の少女に向かって叫んだ。
「イリス! 今度は何をしたんだい!」
「今日はアタシが追う方だ!」
水売りは振り返りもせずに言い返した。
少女の名はイリスというらしい。事情を知らない人から真っ先に疑われる程度には、この辺りで名が通っているようだ。
「おい、後ろの三人! あっちへ向かうぞッ!」
荷車が丁字路を左に曲がったところで、イリスが反対側の細い路地を指した。
「そっちは逆ですよぉ!」
「先回りすンだよ! あの先は井戸の広場へ出る! こっちが近道だ!」
ハンクが一瞬だけ迷い、荷車と路地を見比べた。
「本当に抜けられるんだろうな!」
「何年ここで暮らしてると思ってンだ! アタシを信じろ!」
言うなり、イリスは細い路地へ駆け込んだ。
ハンクがその背中を追う。
ニナは路地へ入る直前、指先を高く掲げた。白い炎が屋根近くまで浮かび上がり、入口の上で大きく灯った。
「この白炎は延焼せず、しばらく残ります。後から来る人の目印に……!」
路地の奥からハンクの声が飛んだ。
「悪くない! 急げ!」
ニナと俺もあとに続く。
イリスの入った路地は、人がすれ違えるギリギリの幅しかない。
張り出した屋根を避け、軒先のカゴをまたぎ、建物の隙間を縫って走る。イリスは一度も足を緩めない。若者の持久力は本当に凄い。
ニナは走りながら、一定の間隔で石壁に沿って白炎を灯していく。
「あそこを抜けンぞ!」
イリスが、両開きの木戸の隙間へ身体を滑り込ませた。
あとに続くと、小さな広場へ出た。中央には石造りの井戸があり、木の板が十字に渡され、板に巻かれた縄には封鎖を示す札が下げられている。
広場を挟んだ左手から、蹄の音が近づいてきた。頭上の金色の光もこちらへ向かっている。
俺は大きく深呼吸して息を整えた。
「見ろ、間に合った!」
イリスが広場の左手を指差す。
直後、その先の路地から奪われた荷車が飛び出した。
ハンクが俺たちの前へ出て槍を構える。
「止まれ! 両手を挙げて降りろ!」
御者台の男は答えず、手綱をしごいて魔獣を急き立てた。
ところが、荷車を引く魔獣の足が急に鈍った。
井戸を気にしている……?
太い首を封鎖された井戸へ向け、鼻を鳴らしている。男がなおも前へ進ませようとしても、蹄で石畳を掻き、その場から動こうとしない。
その隙に、ハンクとニナが荷車の正面へ出た。俺は左へ、イリスは右へ回り、三方から進路を塞いだ。
ハンクは槍を構え、ニナは御者へ片手を向けた。二人とも、魔獣を刺激しないよう攻撃の機会をうかがっている。
「イースト! 離れていろ!」
イーストは頷き、少し後方に下がってくれた。
俺も牽制のために片手を向けた。だが、街中では毒魔法の使用が禁じられている。それに、この位置から御者だけを狙って当てられる自信もないし、荷台の食料に当たれば本末転倒だ。包囲の一角を担っているように見せてはいるが、半分はブラフだ。
「チッ」
御者の男が舌打ちをする。
男はフードを深く被って顔立ちはよく見えないが、身体は大きく、手綱を握る腕には派手な刺青が覗いている。
男が鞭を振り下ろすと、その乾いた音に驚き、魔獣が大きく身を震わせた。荷台の水樽が揺れ、留め金が一斉にカタカタと鳴る。揺れた樽の一つから水が漏れ始め、荷台の端を伝って車輪を濡らした。
「やぁっ!」
ニナが鞭を狙って白炎を撃ち込む。
白い火は男の手元をかすめたが、細い鞭までは捉えられなかった。
「今だ!」
ハンクが槍の穂先から御者へ向けて突風を放つ。
まともに受ければ、御者台から吹き飛ばせたはずだ。
だが、風は男へ届く寸前で左右に割れた。ひゅん、と乾いた音を立て、何もない空間へ流されていく。
「チッ、〈風雨避け〉か、相性最悪だぜ」
随分ピンポイントなスキルがあったものだ。
ハンクが槍を握り直す。
男が鞭を振り上げた。強行突破する気だ。
その腕へ、真横からバババ、と音を立てて細い水柱がぶつかり、男は体勢を崩す。
「へへーん、ざまあみろ! アタシの水は痛えだろ!」
イリスが伸ばした両手の前に水球が浮き、そこから水柱が真っすぐ伸びていた。
男の身体が傾き、片手が御者台を離れる。ハンクが踏み込んだが、それより早く男は頭を低くし、手綱にしがみつき、魔獣の尻へ鞭を打った。
魔獣が悲鳴のような声を上げる。
「来るぞ! ニナ、避けろ!」
ハンクの声が飛ぶ。
巨体が蹄で石畳を蹴り、走り出した。
ダメだ、これは止められない。
ハンクが正面から突風を放つが、再び男の〈風雨避け〉に阻まれる。
「ハンクさん!」
「分かってる!」
魔獣の鼻先が迫る寸前、ハンクが右へ跳んだ。
巨体と荷台が、俺たちの目の前を駆け抜ける。
すれ違いざま、男がこちらを見下ろし、口の端を吊り上げた。
イーストがその後を上空から追う。
「イースト! 深追いはするなよ!」
イーストは追いながら振り向き、片手を上げて応えた。
その時、御者台の足元から、小脇に抱えられるほどの布袋が転がり落ちた。魔獣が一度だけ首を後ろへ向けたが、男は構わず鞭を振るう。
遠ざかる荷台の後ろで、青い運搬札が揺れていた。そこには『職工区行き』と書かれている。
「おい、あれ、職工区へ行く物資かよ!」
イリスも気づいたらしい。
「あそこは水も食いもんも今夜の分だってないんだぞ! 何考えてやがンだ!」
さっきまで弁償しか口にしていなかった少女が、本気で腹を立てている。
ハンクが、御者台から落ちた袋を拾い上げた。
袋の口が緩み、中から乾いた豆と刻んだ穀物、干した果実の欠片がこぼれている。甘酸っぱい匂いもした。
先ほど魔獣が振り返ったのはこの匂いに反応したのだろう。
「魔獣の飼料か。一応、持っていこう」
「俺が持ちますよ」
俺はハンクから袋を受け取り、片腕に抱えた。こぼれないよう、もう片方の手で口を握る。
再び追い始めたイリスに、俺たちも続く。
「青い運搬札がついたままでしたね。城門の検閲で止められるんじゃないでしょうか?」
さっきコリィさんが各門へ通達を出していた。最初の区画門こそ知らせが届く前に抜けられたが、ここで多少は時間が稼げたはずだ。これ以上区画門や街の外へ通じる城門を強行突破するのは無理だろう。
「止められる。だから門へ行く前に、どっかで札を替えるか荷を積み替える気じゃねェか? 外壁沿いには、荷捌きできそうなでけェ建物がいくつもあるからな」
イリスが走りながら答える。
少し進んだところで、先頭のイリスが、屋根付き市場の前で足を止めた。
「あちゃ~、ここまでかァ」
広場を出た荷車は、屋根付き市場の中へ飛び込んだらしい。
イーストの光が、屋根の手前で止まる。すぐに建物の上へ回ったが、きょろきょろと首を振って探している。
俺たちが市場の前にたどり着いた頃には、蹄の音も人混みのざわめきへ紛れていた。
空から降りてきたイーストが、市場を指差した。
【イースト:悔しがっています】
「十分だよ。ここまで見失わずにいてくれて助かった」
小さな身体が、もう一度ふわりと浮かぶ。まだ探すつもりのようだ。
背後から、複数の足音が近づいてきた。
ニナが残した白い炎をたどり、衛兵たちが追いついたようだ。俺は手を振って合図した。
「あなたが特殊協力者の方ですね。荷車は?」
「この市場ン中だ。出口がたくさんある」
イリスが答える。
衛兵たちが手分けしようとしたところで、そのうちの一人が石畳へ膝をついた。
「待て、こっちだ。車輪の跡が残っている」
衛兵が指した先には、濡れた車輪が引いた泥の筋が残っている。その跡は人の足に踏まれながらも、一番右の道へ続いていた。
「外壁の方角だな」
ハンクが言うと、イリスが顔を上げた。
「この先で、荷車を二台も隠せる屋根付きの場所は、布屋の染め場くらいだ。水路が止まってるから、今は使われてねェはず」
「案内できるか?」
「任せろ!」
イリスが先頭へ出た。
「あそこの布屋のやつら、前々からガラがわりィと思ってたんだよな……強盗なら納得だぜ」
布屋が強盗? いや、強盗が布屋をやっているのだろうか。
外壁へ近づくにつれ、店の明かりと人通りは少なくなっていった。
染め場は、石造りの壁に囲まれていた。色の抜けた染布が塀の内側から垂れ下がり、裏手には荷を運び込むための大きな木戸がある。
泥の筋は、大きな木戸の内側へ続いていた。
中から、樽を転がす音がする。
ハンクが人差し指を口元へ当てた。
衛兵たちは左右へ分かれ、壁沿いに散る。イリスは息を整えながら右手を構え、ニナも髪留めへ触れた。
俺は飼料袋を抱えたまま、壊れた壁の隙間から中をのぞいた。
屋根付きの作業場に、青い札のついた奪われた荷車が止まっている。
その隣には、何の印もない幌付きの荷車が横づけされていた。数人の男が水樽を降ろし、そちらへ積み替えている。
その中央に、御者台にいた男が立っている。
厚い革の胴衣。日に焼けた太い腕には、派手な刺青が走っている。
男は青い運搬札を荷台から切り取り、火鉢へ放り込む。
その時、染め場の中から梯子を伝い、見張りの男が屋上に上がってきた。男はすぐにこちらに気付き、大きな声で叫んだ。
「あぁ! 親方、追手だ!」
親方と呼ばれた男は、燃え始めた札を一度だけ見下ろした。
「騒ぐな。水樽を割るなよ。一樽で銀貨がいくつ飛ぶと思ってる」
それから、俺たちが潜む壁の隙間へ顔を向け、足元の鞭を拾い上げた。




