第10話:ギャロン
「親方! 裏にも衛兵がいますぜ!」
再び染め場の屋上から見張りが叫んだ。
親方と呼ばれた男は、俺たちの潜む壁の隙間から、染め場の裏口、正門へと目を移した。
黒髪をすべて後ろへ撫でつけ、無精ひげに覆われた顔には、右眉を断つ古い傷が走る。子分たちとは違い、擦り切れてはいるが上等な黒い革の上着を羽織っている。
子分は、屋上の見張りを含めて六人。スキンヘッドの長身男や全身刺青の男など、一人ひとりが強そうで、悪そうだ。
「潮時だ。積みきれなかった分はその辺にばら撒いておけ。積んだ分だけ持っていくぞ」
男は冷静に手近な男へ指示を出す。
救援荷車から外された魔獣は、すでに幌付きの荷車の前へ回されていた。子分たちが、積み替えた水樽を縄で固定している。
俺たちがここへ来るまでの数分で、半分くらいの物資が載せ替えられている。さすがに手際が良すぎる。常習犯だろう。
「指名手配中のギャロンとその一味だな! 救援物資の強奪の疑いで拘束する! 全員、武器を捨てろ!」
裏口から衛兵の声が染め場に響いた。
「アタシの商売道具、弁償しろ~~~!」
「追いかけっこは終わりだ。命が惜しければ投降しろ」
イリスが怒りに任せて壁の大穴から飛び込み、ハンクもそれに続き、周囲へ目を配りながら槍を構えた。
二人は悪党たちの視線を一斉に浴びてなお堂々としている。とんでもない度胸だ。今の俺には、とても真似できそうにない。
「これはこれは。大勢で怖い顔して……何事ですかねぇ。俺たちゃ善意の布屋だぜぇ」
どう見ても現行犯だ。時間稼ぎの茶番に乗る者はいない。
十人ほどの衛兵たちも、壁の大穴と裏口側に分かれて展開し、男たちを取り囲んでいった。
イーストは頭上を飛び、忙しなく周囲を見渡している。
俺とニナは、壁の大穴のそばに残り、中の動きをうかがう。
武器を捨てろ、と言われて武器を捨てる悪党などいない。子分たちはニヤニヤしながら、各々武器を構えた。
「ふん、荷車を出せ!」
ギャロンの声で子分たちが動いた。
棒を持った二人が衛兵へ向かい、ナイフの男がハンクとイリスへ向かって走る。
全身刺青の男は御者台に上がり、手綱を握ろうとする。
「させるか!」
ハンクが槍を斜めに振る。
突風が地面を走り、前方の子分たちの足を薙ぎ払う。
ナイフの男は転倒し、壁の大穴から突入した衛兵に取り押さえられた。
ギャロンが荷車の前に立つと、風はその身体を避けるように左右へ割れた。
その背後の幌や染布が激しくはためく。
荷車の後ろにいて無事だった子分の一人が、正門の閂に手をかけた。
「水売りさん、正門だ!」
「おらァ!」
俺の声を合図に、イリスが正門にいるスキンヘッドに極太の水柱をぶつけた。男はその勢いで壁際まで押し流された。
豪語するだけあって、かなりの威力だ。
子分を押し流されたギャロンが、こちらへ向けて鞭を横薙ぎに振るう。
轟音とともに、突風が壁際を薙いだ。
「ぐっ!」
「うわッ!」
ハンクは槍を石床へ突き立てて踏ん張ったが、イリスの身体は宙へ浮き、背後の石壁へ吹き飛ばされる。
考えるより先に、俺は大穴から中へ飛び込み、イリスと石壁の間へ身体を滑り込ませた。
どん、とイリスの背中が胸元へぶつかる。
勢いを殺しきれず、今度は俺の背中が石壁へ叩きつけられた。
「ぐぅっ……!」
背中は痛いが、イリスが直接石壁へ叩きつけられるのは防げた。
「ッてて……おっさん、大丈夫か!」
「大丈夫。それより、あいつを」
イリスは俺の胸元から身を起こし、ギャロンを睨んだ。
「正面は駄目だ。〈風雨避け〉に流される」
「だったら横からだ!」
イリスが染め桶の間を駆け、ギャロンの側面へ回り込む。
「衛兵さん、彼女の援護を!」
「わかった!」
二人の衛兵がイリスについていき、周囲を警戒する。
イリスの両手の前に生まれた水球から、細く絞られた水柱が鞭を持つ腕へ放たれた。ギャロンはすぐに身体の向きを変え、水柱を斜め上へそらす。
飛沫が屋根へぶつかり、辺りへ雨のように降り注いだ。
「くっそ~~、器用な真似しやがンぜ!」
「だが、こっちががら空きだ!」
「チィッ!」
ハンクが一気に間合いを詰め、ギャロンの肩口へ槍を突き出す。
ギャロンが向き直って鞭を振るうと、鋭い風切り音を立てて槍の柄へ巻きつき、穂先を大きく斜めへ逸らした。
「アタシも忘れンな!」
その側面へ、イリスがもう一度水を放つ。
ハンクの槍を押さえていたギャロンは、今度は身体を向けられない。太い水柱が脇腹を捉え、その巨体を半歩よろめかせた。
「ごふっ……!」
それでも倒れず踏ん張る。ギャロンは鞭を強く引いてハンクの槍を振りほどくと、後ろへ跳び、二人から距離を取った。
「ガキどもめ……調子に乗りやがって」
ギャロンが正門側へ退く間にも、衛兵たちは棒を持った二人を引き離し、それぞれ壁際へ追い詰めていた。
だが、子分の一人が包囲を抜け、ハンクへ棒を振り下ろす。ハンクは槍で受け止めたが、あれではギャロンを追えない。
裏口を塞いでいた衛兵の一人が、子分を取り押さえるために援護へ回る。そのわずかな隙を見て、別の子分が裏口へ走り出した。
ニナは乱戦へ飛び込まず、その進路へ回り込んだ。
地面へ手を向けると、白い炎が裏口を横切るように広がっていく。実際はそこまで熱くないのだが、逃げようとした男は、行く手を塞ぐ白炎に足を止めた。
「こ、こちらは通れません~~!」
声は震えていたが、白炎の線は揺れていなかった。
皆がそれぞれの役割を果たしている。
俺にも、まだ何かできることがあるはずだ。
抱えていた飼料袋を開くと、周囲に甘酸っぱい匂いが立った。これで荷車を引く魔獣を足止めできないか。
【発酵飼料を検出】
【〈発酵術Ⅱ〉の行使には、『水分』及び『温度』が足りません】
魔獣が鼻を鳴らした。
手綱を引かれて正門へ向かいながらも、首だけはこちらを向いている。
袋に残っているのは両手で抱えられる程度しかない。ばら撒くにも投げつけるにも心許ない量だ。一口で食べ尽くされてしまってもあまり意味がない。
先ほど押し流されたスキンヘッドが、よろめきながら正門へ戻っていた。閂を外し、片側の門扉を開き始める。
ギャロンはハンクを正面に据え、鞭でイリスを牽制しながら正門まで下がると、御者台の子分と入れ替わり、手綱を握った。
ハンクは子分の攻撃をいなしながら魔獣を狙って突風を放つが、ギャロンに防がれる。
「おい、さっさと門を開けろぉ!」
正門が半分まで開き、魔獣がゆっくりと幌車を引き始めた。
裏口に白炎を残し、ニナがこちらへ駆け戻ってくる。イリスもギャロンから距離を取り、染め桶の陰へ滑り込んだ。
毒魔法は、この乱戦の中、万が一味方へ当たれば冗談では済まない。それに狙いを外せば、荷台の水や食料へ毒が付着する。
俺にできる一手は――
近くに転がっていた浅い木桶へ、飼料を全部あける。
「ニナ、少し手を貸して! 炎を分けてくれないか?」
「え……?」
ニナは木桶へ目を落とし、はっと顔を上げた。
「あっ! わかりました、離れてくださいっ!」
数歩下がると、木桶の周囲を紅い炎が円を描くように走った。電球のフィラメントのように眩く光る、見覚えのある炎の輪が浮かび上がる。
「水売りさん! この桶へ水を飛ばしてくれるか!? ほんの少し、湿らせる程度でいい!」
「アタシの水が必要か! 任せときな、ほらよッ!」
染め桶の陰から細い水柱が正確に弧を描き、飼料へ注がれる。
水を少しずつ受けながら、俺は手で混ぜて硬さを見る。乾いた豆と刻んだ穀物が水を吸い、果実の欠片から甘い匂いが強くなった。
ほどなく、ぐちゃぐちゃに混ざった飼料がニナの炎の輪で温まり、わずかに湯気が立つ。
「二人とも、ありがとう! もう大丈夫だ!」
意識を飼料へ集中する。
【桶の中で発酵が進行中】
【〈発酵術Ⅱ〉により発酵を促進できます】
〈促進〉だ!
そう念じた途端、身体から血の気が引くような感覚が走り、飼料の内側から細かな泡が湧いた。
桶の中身がゆっくり持ち上がり、ぷすぷすと豆と穀物の隙間を白い泡が埋めていく。甘酸っぱい匂いが濃くなったが、まだ部屋に充満するほどではない。
正門が、さらに開く。
「ヤツが逃げるぞ!」
ハンクが子分の攻撃を槍で防ぎながら叫んだ。
ハンクの風で魔獣の鼻先に匂いを送りたかったが、あれではこちらを手伝うどころではない。
どうする、投げつけるか? しかし、狙いを外したり、匂いに食いつかず素通りされたりすれば、魔獣を止める術はいよいよなくなる。
魔獣の蹄が石床を打つ。幌車の車輪が回り始めた。
イーストが桶の縁へ降りる。
膨らみ続ける飼料を一度のぞき込み、それから俺を見上げた。小さな両手を胸の前で握り、真剣な顔でうなずいている。
【イースト:手伝う気でいます】
「何かできるのか? 試してみてくれ」
イーストが頷くと勢いよく宙へ飛び出し、桶へ向けて両手を広げた。
【〈イースト・ブルーム・ぷち〉】
金色に光る粒子が、質量を持って飼料へ降り注ぎ、重なっていく。
次の瞬間、ぼこっ、と飼料が盛り上がる。
ぼこぼこぼこ、と大量の泡と一緒に豆や穀物が縁を越え、元の倍、三倍、十倍と膨らんでいく。泡だけではない。豆も穀物も、目の前で一緒に増えている。
甘酸っぱい発酵臭が一気に弾け、染め場の染料の残り香まで押し流した。
「うわっ、くっさ! おっさん、何してやがンだ!?」
「これが発酵の力だよ!」
「あぁっ!? 発酵!? 腐ってんじゃねえのか、ソレ!」
イリスがこちらの様子をうかがい、顔をしかめている。匂いだけなら、そう思うのも無理はない。
魔獣が大きく鼻を鳴らし、ついに身体ごとこちらへ向き直った。
「おい、そっちじゃねえ、クソッ! くせぇ! なんだこの臭いは!」
ギャロンが手綱を引き、鞭を振り上げた。
その手首へ、イリスの水が真横から叩きつけられる。
鞭の軌道が止まった一瞬を、白い炎が走った。
「今度は、外しません!」
ニナの赤い炎が白い炎を伝って鞭へ絡みつき、濡れた革紐が白煙を立てて焼き切れる。鞭を焼いた炎の先端は魔獣へ伸びたが、その皮膚に触れる前に消えた。例の魔法耐性だろう。
「ぐあぁ、あっちぃ! チクショウ! 邪魔をするなぁ!」
ギャロンは手綱を放し、ニナへ向けて片手を突き出した。風魔法を放とうとしたのだろうが、ニナはすでに柱の陰へ隠れている。
手綱を引く者がいなくなり、魔獣はもう御者を気にしない。幌車ごと、膨れ上がった飼料へ向かって進路を変える。
急な方向転換に引かれ、荷台が大きく横へ振られた。後輪が正門脇の石壁へぶつかり、正門を塞ぐ形で止まる。
荷台は傾いていない。積まれた水樽も、物資も無事そうだ。
「正門が塞がれたぞ! 一気に押さえろ!」
衛兵の大きな声が染め場の外まで響く。
ニナが裏口の白炎を消すと、外にいた衛兵たちも裏口から一斉に踏み込む。
ハンクと衛兵たちは、逃げ場を失った子分を次々と地面へ伏せさせ、後ろ手に縛っていく。
その制圧へ皆の目が向いた隙に、ギャロンは御者台から飛び降りた。
染め桶の陰から、イリスが水を放つ。
ギャロンがそちらへ向き直ると、水柱は身体の前で二つに割れ、石床を濡らした。
「てめえか」
だが、ギャロンが睨んだのは、水を放ったイリスではない。飼料のそばにいる俺だった。
「妙な餌で、俺の魔獣を止めやがったのは」
「あなたの魔獣じゃないでしょう」
逆なでしないよう笑顔で答えたつもりだったが、ギャロンの表情が一段険しくなった。
「雑魚が群れやがって……てめえ一人じゃ、何もできねえくせによ」
広場の一件の話だろう。ブラフは見抜かれている。
「ええ、よく分かっています」
「ハッ! てめえだけは!」
ギャロンが拳を固めて走ってくる。やばい、怖すぎる。
「おじさん!」
ニナの声が聞こえた。
正面から来る拳を、ぎりぎりで左へ避ける。耳元を風が抜け、拳から出た突風が背後の染め桶を吹っ飛ばした。
二発目を避ける余裕はない。
伸びた右腕の下へ潜り込み、首と腕をまとめて横から抱えた。
「ぐっ……!」
想像していたより、ずっと太い。
首を絞めるつもりはない。片腕ごと抱え込み、ギャロンを背中側に倒すように、横から全体重をかける。このまま倒れてくれればマウントを取れるが、現実はそう上手く運ばない。
「くそ、離しやがれ!」
ギャロンが身体を振るたび、俺の足が石床から浮いた。
脇腹へ肘が入り、息が止まりそうになる。
あと数秒でいい。
必死にしがみついていると、衛兵がギャロンの足へ組みついた。別の二人が両腕を取り、俺ごと地面へ引き倒す。
「確保ぉーーー!」
太い縄がギャロンの手首へ回された。
そこでようやく腕の力を抜いた。
「ぶはぁ、はぁッ、はぁッ、はッ……」
心臓が胸の内側を激しく叩いている。
立ち上がろうとしても、膝がうまく動かない。両腕はガタガタと震え、脇腹はじんじんと痛んでいる。
指にはまだ、ギャロンの革胴衣へ爪を食い込ませた感触が残っていた。
「それでも、あなたの負けだ……」
俺はギャロンに聞こえないようにつぶやいた。
幌車は無事に止まり、水樽も食料も残っている。牛型の魔獣は戦いなど知らぬ顔で、膨らんだ飼料へ鼻先を埋めていた。
……敵の首魁を倒した。満身創痍だ。
なんとか上体を起こしたところで、背中をバンッと叩かれた。
「だーっはっはっは! やるじゃねえか、おっさん!」
見上げると、イリスが八重歯をのぞかせ、俺を見下ろして豪快に笑っていた。




