第11話:イリスと炊き出し
「クソっ、離しやがれっ! てめぇ、ツラァ覚えたからなあ!」
ギャロンは後ろ手に拘束され、手首には魔石のついた手枷をはめられている。
子分たちも一人残らず、衛兵に取り押さえられている。
俺は荒い呼吸をしながら、血が出ていないことを確認する。背中と横腹と右腕が痛むが、腫れたり変色してはいないので、大した怪我でもなさそうだ。ギャロンがこちらへ必死で何かを叫んでいるが、怖いので目を合わせないでおく。
「お、おじさん! 大丈夫ですかっ」
【イースト:心配しています】
駆け寄ってきたニナとイーストに、片手を上げて応える。
衛兵たちは染め場に散乱した武器類を回収しつつ、怪我人には状態に応じた色布を手首へ結んでいる。
ハンクが拘束していた子分を近くの衛兵に引き渡し、槍の穂先を下げてこちらへ歩いてくると、作業台のそばにあった椅子にどかっと腰を下ろした。
「よお、無事のようだな」
「おかげさまで。ハンクさん、大活躍でしたね」
「ふん、成り行きだ。それよりニナ、お前に怪我でもあったらフレッドに顔向けできねえ。あまり危ないことに首を突っ込むな」
「す、すみません、夢中で……」
「いや、謝らなくていい、済んだことだ。結果、勝利を引き寄せた」
ニナは困ったように笑った。
ニナが鞭を焼き切ってくれなかったら、俺はギャロンを止められなかっただろう。
イーストが俺の周りをくるくると回っている。
「イーストもありがとう。さっきの大技、凄かったね。さすが酵母だ」
質量保存の法則などまるで無視した魔法だったが、それこそが魔法たるゆえんなのだろう。
褒められると、イーストは縦にくるんと一回りした。
隣にいた水売りの少女が手を伸ばしてきた。
「イリスだ」
その手を取ろうとして、自分の手に残る飼料の臭いを思い出した。
「悪い。その前に手を洗わせてくれないかな。さっき飼料を素手で混ぜたから――」
言い終える前に、イリスは黙って俺の手を握り、ひと息に引き起こした。
そのまま繋いだ手を鼻先へ寄せ、くんくんと嗅ぐ。
「ひゃはは、確かにくっせェな、おっさん!」
そう言って笑いながら、繋いだ手の上へ水を流した。
「さっきはありがとう。大麹豊だ。ユタカと呼んでくれ」
「おっさん、さっきの臭ェのはなんなんだ? におい魔法か?」
そんなものが本当に存在するのか、ただの軽口なのか判断が付かない。
増えた発酵飼料は、俺がギャロンにしがみついている間に、きれいに食べ尽くされていた。
「発酵術というスキルだよ。どちらかというと、この子の技の方が大きいけど」
イーストが胸を張る。本日二回目のドヤ顔だ。
「コイツは精霊か? 珍しいもん見たぜ。水いるか?」
イーストは頷きながら近づこうとするが、ニナに手を引かれて止まり、首をかしげている。
そこへ、記録板を手にしたコリィさんが、追加の衛兵を連れてやってきた。染め場はにわかに慌ただしくなる。
「オオコウジさん、ニナさん、ハンクさん。そしてイリスさんも。救援物資の奪還にご協力いただき、ありがとうございます。ただ、ハンクさん以外は戦闘職として登録されていません。行動を制限する権限はありませんが、今後はせめて衛兵の到着を待ってください」
「すみません、成り行きで……」
ついさっき聞いたような台詞が出てしまった。
「この染め場は、ギャロン一味が以前から使っていたアジトのようです。盗んだ織物を染め直し、商人の印を消して売りさばいていた形跡が見つかりました」
街へ入った時、組合の腕章をつけた男が、穀物袋を積んだ荷車を細い路地へ案内していた。あれも、同じ手口だったのか。
「帳面を見る限り、普段狙っていたのは織物や工業品です。用水路が止まって加工できなくなり、今回は値の上がった救援物資へ手を出したのでしょう」
水不足で、盗賊まで業態替えか。笑えない話だ。
「それでは、皆さんがギルド前から荷車を追って以降の経緯を、一人ずつお願いします」
コリィさんは俺、ニナ、ハンク、そしてイリスの話を順に聞き取っていく。
最後にイリスの番になると――
「――そんな感じで、アタシの土地勘と的確な助言のおかげで、迷うことなくこのアジトまで辿り着き、アタシの水魔法が炸裂! 憎きギャロンの野郎を追い詰めたッてぇワケだ!」
イリスは片手を掲げ、手のひらの上で水を噴水のように踊らせながら、自身の活躍を大いに盛っている。
コリィさんの筆は途中からほとんど動いていなかったが、イリスは気にせず話を続けた。
「こんなにギルドに貢献したンだ、当然罰金も取り消しだよなァ!?」
コリィさんは記録板の紙を数枚めくり、いつもの笑顔で答えた。
「今回の協力は、救援物資奪還への功績として記録いたします。ただし、それと無許可営業は別件です」
「別件……?」
「本日分を加え、未納の罰金は十五件分。延滞金を含めて八十銀貨です。納付期限は十日後となります」
「うげぇ、そりゃないだろ~~~……」
イリスははたと何かに気づいたように顔を上げ、ギャロンの方へ歩いていく。
「ギャロン、てめェ! アタシの水筒ちゃんたちを割ったの、忘れてねェだろうな!?」
「あぁ!? 知るかそんなもん!」
おいおい……すごい度胸だ。
少し離れたところでは、数人の衛兵が、ふわふわ浮かぶイーストを珍しそうに眺めていた。
* * *
――日が落ちた頃。
職員たちは幌車へ移されていた水樽と食料を、全て元の救援荷車へ積み戻した。封印札や容器の傷を確認し、最後に縄を締め直した。
額に包帯を巻いた女性御者も現場にやってきた。牛型の魔獣へ引き具を戻すと、魔獣は安心したように低く鳴いた。
コリィさんに呼び出された俺たちは、幌車をどかして出入りできるようになった染め場の正門に集まった。
「皆さん。この後にお時間があれば、職員と一緒に救援物資の運搬。それと職工区での炊き出しのお手伝いをお願いできませんか。急いで準備をしたいので、人手が足りません。もちろんその分の日当はお支払いいたします」
「おっ、金になるならやってやンぜ」
「炊き出しですか。私は大丈夫ですが――」
ニナはこちらを見る。
「お手伝いできることがあれば、喜んで」
「待て。まだ宿を取ってない。悪いがこちらの都合が優先だ」
確かにハンクの言う通り、夜中に飛び込みで宿の確保ができるとも限らない。勝手のわからないこの街で、宿なしの一晩を明かすはさすがに難儀だろう。
「でしたら、ギルド職員用の宿舎に空き部屋がありますので、今晩はそちらをお使いください。宿賃はいりませんし、食堂で夕食もご用意できますよ」
「……だそうだ、それでいいか?」
ハンクは俺たちに確認してきたので、俺とニナは頷いて応えた。三人分の一宿一飯が無料なんて願ってもない。
「ずりぃぞ、アタシの飯は?」
「宿舎用の食堂ですので。イリスさんは職工区にお住まいでしょう?」
「そうだけどよ~~」
気の毒だが、自宅があるなら仕方がない。
「そういえば、オオコウジさんにはお渡ししたい忘れ物がございます。受付で預かっておりますので、戻ったら受け取っておいてくださいね」
……あ、そういえば丸めた釣り用のウェーダーをギルドに置きっぱなしだった。
「すみません、ありがとうございます」
コリィさんにはお世話になりっぱなしである。
届ける救援物資は日暮れ前に届くはずだったものだ。早く届けないと腹を空かせる人もいるだろう。
「それではご案内します」
俺たちが染め場の正門を出て、外で待機していた荷車の方へ歩きだすと、追いかけてきたイーストがニナの肩に乗った。
随分なついたものだ。俺の称号報酬だったはずだが……? でも、仲良きことは良いことだ。
少し歩いた時、井戸広場の方向から染め場まで伸びている用水路が見えた。
用水路は止められ、底まで乾いていたはずだが、ハッキリと濡れた跡がある。雨が降ったわけでもない。
疑問に思って見ていると、コリィさんも違和感に気づく。
「この用水路は止まっているはずですが……。どうして濡れているのでしょう」
イリスを見ても、首を横に振るだけだ。
「念のため、専門の者に見てもらいましょう」
コリィさんは近くにいたギルド職員に、水管理組合へ知らせを送るよう指示を出す。後は彼らの仕事だ。
女性御者が手綱を取り、牛型の魔獣が救援荷車を引く。俺たちは夕暮れのなか職工区へ向かった。
区画門では、連絡を受けていた衛兵が救援荷車を確かめ、すぐに職工区側へ通してくれた。
やがて職工区へ着くと、いかにも作業着といった胴衣を着た職人たちが集まってきて、ちょっとした騒ぎになる。
空になった水筒を持っていた職人や住民たちにはイリスが直接水を注ぎ、一人ひとりと仲良さそうに談笑している。この辺でも知られた顔のようだ。
ギルド職員たちはコリィさんの指示の下、職工区の詰め所に置いてあったテーブルを外に出し、炊き出しの準備を始めている。
「助かったぁ、今日は夕飯抜きかと思ったよ」
「スープどころか、飲み水さえ底をつきそうだったもんなぁ。良かった良かった」
住民たちが各々感謝の気持ちを職員へ伝えている。
想像以上に喜んでくれている様子を見て、壁に叩きつけられた背中や、ギャロンと取っ組み合った横腹の痛みも、少し報われた気がした。
手伝いに入る前に、洗い石を借りて手を洗っていたら、イリスが怪訝そうな顔をしてくる。
「おっさん、さっき洗ってやったばかりじゃねェか」
「食品に触れる前は、清潔にしないとだめさ」
「はァ~~、神経質なヤツだぜ……」
呆れられてしまった。
職工区の共同炊事場では、具のほとんど残っていない大鍋が火にかけられていた。届いた芋と干し肉が加えられ、辺りに良い匂いが漂い始める。
ニナはスープの火加減を見たり、希望者のパンをトーストしたりと炊き出しの手伝いに忙しい。
「なんとか夜までに届けられて良かったですね」
「あの小さいのが追いかけなければ、今頃どこかに売られていたかもな」
ハンクは腕を組んで建物の壁へ背を預けながら、口元をわずかに緩め、イーストを見ていた。
辺りはすっかり暗くなり、ニナがテーブルごとのランプへ火を灯し終えた頃も、イーストはパンを配って回っていた。住民に喜ばれたり、かわいがられたことが嬉しかったようだ。
炊き出しも待っていた住民へ行き渡り、片付けも半ばというところ――
「コリィさん、水管理組合の方が報告に来ています」
「お通ししてください」
記録板を抱えた、制服らしき作業着の中年男性がコリィさんの元にやってきた。ちょうど近くにいたため、聞き耳を立ててしまう。
「封鎖中の井戸数か所で、水位が上がり始めています。染め場の用水路にも、先ほどから水が流れ込んでいるようです。北の商業地区では、井戸の縁まで水が達したとの報告もあります」
ようやくギルド宿舎に行けそうな空気になったというのに、今度は水害でも起きるのだろうか。
そう思った矢先に、ビリビリと足元が振動した。元の世界でもよく経験した、地震だ。大鍋に少しだけ残ったスープへ波紋が広がり、樽の留め縄から垂れた紐の先が小さく揺れる。
「きゃあっ、地震よ!」
「建物から離れろ! 広場へ出るんだ!」
住民たちは軽いパニックになっている。牛型の魔獣も食事を止め、地面を気にしている様子だ。
「お、お、お、おじさんっ! 地面が揺れてますぅっ!」
「これくらいなら大丈夫、落ち着くんだ。ここにいれば建物の倒壊にも巻き込まれない」
感覚だけで言うと、震度三か四程度だ。
ハンクも建物から急いで離れ、ニナの元に駆け寄った。
「ニナ、消せるだけの火を消せ。放置しておくと危険だ」
「は、は、はいぃ~~~」
ニナは涙目になりながら、ランプの火をその場から動かずに消していく。
やがて揺れがおさまり、周囲のざわつきも落ち着いてくる。
「おっさん、随分落ち着いてンじゃねェか」
【イースト:怖がっています】
気づけば、イリスとイーストも俺たちのそばへ集まっていた。
「この程度の地震は、俺が元いた地域では珍しくなかったからね」
「はあ? 火山にでも住んでたンか?」
イリスは眉をひそめた。当たらずとも遠からずだ。
「皆さん、大丈夫でしたか?」
住民の無事を確かめ終えたコリィさんが、こちらへ歩いてきた。
「問題ありません。片付けを再開しますね」
「いえ、片付けは職員にお任せください。今の地震については、別途確認を回します。それとは別件で、お願いがあります」
こう改まれると、嫌な予感しかしない。炊き出しを少し分けてもらいお腹は落ち着いているが、俺には、異世界に来て初めての食堂の定食と寝床が待っているんだ。
「地下の取水路に異変が起きています。〈毒鑑定〉をお持ちのオオコウジさんに、調査の同行をお願いできないでしょうか」
そう言われた矢先、足元のさらに深いところから、ごうん、と重い音が響いた。
地震も地下水路も、別件じゃないな、こりゃ……。
「そう言われては、断りづらいですね」
〈発酵術〉だけではなく〈毒鑑定〉に活躍の場が与えられるのなら、できるだけ役立てたい。
「引き受けてくださいますか?」
「はい、謹んで。いつ行けばいいでしょう」
「今夜は地震の影響を確認し、明日の日中に施設側で準備を進めます。オオコウジさんにお願いする調査は、通常業務を終えた夕方からです」
明日の予定もないこの身だ。仕事を貰えるのなら願ってもない。
「――それと、イリスさん」
予期せぬタイミングで名前を呼ばれ、びくっとイリスの肩が跳ねる。怒られる雰囲気ではなさそうだが、日頃の関係が透けて見えた。
「お、おう、なンだよ、コリィ」
「イリスさんにも、水管理組合から明日お願いしたい仕事があるそうです」
「ア、アタシにもかよ。何をさせる気だ?」
「詳しい内容は、担当者から直接ご説明いたします」
「怪しい仕事じゃねェだろうな……」
「水管理組合からの正式な依頼です。専門技能への臨時手当も出ますよ」
「やる!」
返事が早い。
「それでは明日の夕方、お迎えに上がります。オオコウジさんも、今夜は宿舎でゆっくりお休みください」
ようやく、本当に一日が終わるらしい。
* * *
「こちらがギルド職員用の宿舎です。もっとも、実際には外部から招いた専門職の方が、一時滞在に使うことの方が多いのですが」
職工区でイリスと別れ、俺たちはコリィさんの案内で、ギルド宿舎へとやってきた。
宿舎の洗い場では、水魔法使いのお兄さんが大きな桶二杯分の水を用意し、職員がかまどで温めてくれた。さすがに水不足のさなか湯船は使えないらしいが、桶二杯もあれば十分だ。
香料入りの洗い石を擦りつけた布で、顔や腕を拭っていく。布を湯ですすぎながら全身を拭えば、染め場の埃も、飼料の匂いも、ようやく肌から落ちていった。
食堂の職員はすでに仕事を終えており、中はがらんとしていたが、俺たちの分の食事は取り置いてくれていた。
「私も取り置いてもらうことが多いんですよ」
そう言い残し、コリィさんはまだ仕事があると食堂を出ていった。
「ふふ、炊き出しと同じパンですね。温めましょうか?」
すっかり調子を取り戻したニナは、いつものパン職人の顔を見せている。
麦入りのスープ、割いた羊肉と芋のガレット、それにニナが焼いてくれたトースト。
流し台の一角には氷を敷いた保冷箱があり、その上に三人分のサラダの器が置かれていた。
氷についてハンクに聞くと、熱属性の魔法使いが容器の水から熱を奪って凍らせ、こうして食材の保冷に使うことがあるらしい。さすが、魔術師ギルドも入っている施設だ。
イーストにもパンを分けてやりながら、初めての異世界定食を堪能する。
「なんだかんだ、やっていけそうかな」
宿舎のベッドに仰向けに倒れ込んだ俺は、横で眠っているイーストに話しかけるでもなく、ひとりつぶやいた。
それなりに生きてきた人生の中でも、指折りに大変な一日だった。
足元のずっと深いところから響いた、あの重い音。
その正体を考えようとしたものの、目を閉じた途端、俺の意識は深い眠りへと沈んでいった。




