第12話:地下水路と石の巨像
炊き出しから一夜明け、昼過ぎに目を覚ました俺は、宿舎食堂で遅めの昼食をいただいた。
その後、ニナ、ハンク、イーストと俺の四人で西の商業区へ行き、区画門を出てすぐにある宿を予約しておいた。
夕方、宿舎に戻った俺たちは、イリスと合流し、コリィさんに連れられてギルド会館の応接室に通された。
「水管理組合の者から、イリスさんとオオコウジさんにお話が。チャックさん」
コリィさんが横を向いて手招きすると、小柄な男がトコトコと歩いてきた。
背丈は俺の半分ほど。黒髪をきっちりと撫でつけたオールバック。薄い眉にぎょろりとした目、細長い鼻、尖った口元。風変わりな顔立ちとは対照的に、着込んだ制服には皺ひとつない。どことなく異様な雰囲気が漂っている。
「ご紹介にあずかりました。わたくし、水管理組合で地下水路施設の統括責任者を務めております。チャックと申します。ヒヒ……。以後、お見知りおきくださいませ」
チャックと名乗った男は、妙に耳に残る甲高い声で、イリスへ慇懃に頭を下げた。
「お、おう……」
若干引き気味のイリスを見上げ、チャックは細い唇の両端だけをゆっくり持ち上げた。笑顔なのだろうが、ぎょろりとした目は少しも細くならない。
「ヒヒヒ……。現在、地下水路施設では水質に異常が出ております。それに加え、上水道への揚水施設の補助水槽の水位が、規定を下回っておりまして……」
井戸の水位は上がっているのに、施設の奥では水が減っている。どうにも妙な話だ。
「……」
何を頼まれるのか察したらしく、イリスの顔が露骨に曇った。
「本来、整備の時以外に減る水ではございません。原因を調べるためにも、一度規定水位まで戻したいのですが、現在は通常の施設用水も安全性を確認できておりません。そこで、イリス様の水魔法のお力をお借りしたく……」
そう言うと、チャックは制服の内側から、淡く青く光る魔石を取り出した。
「必要な魔力は、こちらの補給魔石からお使いくださいませ。ヒヒヒ……」
補給魔石。名前の通りなら枯渇する魔力を補充できるものだろう。今のところ困ったことはないが、魔力が尽きるとどうなるのだろうか。自分で実験する気はおきない。
「わ、わかったよ……ほ、報酬は弾むんだよなッ!?」
「もちろんでございます」
チャックはイリスに深く頭を下げた。
「オオコウジさんには、濾過槽を含む地下上水道各所の水質鑑定と、その結果の記録をお願いいたします。可能であれば、原因の特定まで」
コリィさんは、確認項目が並んだ記録板と、万年筆に似た金属製の筆記具を渡してきた。
「それと、ニナさんとハンクさんには申し訳ありませんが、同行されても報酬はお出しできません。先に宿舎で休まれるか、任意で同行されるか、お選びください」
「は、はい……。どうしましょう、ハンクさん」
「まぁ、入口までは一緒に行ってやる。施設の調査まで付き合う必要はないだろう」
「わかりました、おじさん、調査依頼頑張ってくださいね!」
* * *
俺たちは、地下施設への入口があるという、中央区西端の水管理組合の詰め所まで移動することになった。
陽が落ちてきたウェルズの街を並んで歩く。
炊き出しをした職工区と違い、日暮れの中央区の街はとても静かだ。
イーストはニナの頭に座り、船を漕いでいる。
「ハンクさん。魔力が枯渇するとどうなるんですか?」
「枯渇する前に、普通は眩暈と吐き気でぶっ倒れる方が先だな」
「そうですか……。それでも使い続けたら?」
「死ぬだろうな」
「なるほど……」
魔力量というものに実感がないせいか、死ぬと言われてもいまひとつピンと来ない。
「魔力の枯渇についてですが――」
コリィさんが会話に入ってくる。
「魔力が減っている時は、瘴気にもお気をつけください」
「瘴気?」
「魔素を濁らせ、人や作物、魔獣へ悪影響を与えるものです。瘴気によって起きる心身や魔法の異常を、まとめて〈魔障〉と呼びます」
「魔力が減っていることと、何か関係が?」
「魔力が大きく減った者は、周囲の魔素を取り込みやすくなります。その際、瘴気の影響も受けやすくなると報告されています」
なるほど。補給魔石は、燃料の減った車に給油するガソリン缶のようなものか。
「毒魔法も、瘴気の一種なんですか?」
「いいえ。毒魔法は術者の意思で形作られる系統外魔法ですので、瘴気とは別物と考えられています。ただ、研究例が少ないため、分かっていないことも多いのですが」
自分の属性について、また一つ分からないことが増えた。
「ここ数日、作物の変調や魔獣の活発化について、瘴気の影響を疑う報告も出ています。皆様も、どうかお気をつけください」
「俺の知り合いに聞いた話だが、なんでも、瘴気にやられた男が、何もない壁に向かって『お前は誰だ。お前は俺か』と、死ぬまで問い続けてたそうだ」
ハンクが聞きたくもない話を付け加えると、イリスが袖を掴んできた。俺も少し背筋が寒い。
その後、水管理詰め所に着くまで口を開く者はいなかった。
水管理詰め所の中には、事務机や書類棚が整然と並んでいた。木と石で造られた、いかにも役所らしい仕事場だ。
ただ、事務所の奥の扉の向こうは全て石造りになっており、地下へ降りる幅広の石段が、ぽっかりと口を開けていた。
壁には一定間隔で照明が灯っている。それでも光は階段の途中までしか届かず、その先は完全に闇だ。
「お、おい……。まさか、この下に行くンか……?」
「ヒヒヒ……その通り、こちらが地下水路施設への入り口でございます」
俺も暗いというだけで怖がるような歳ではないが、デジタルの匂いも一切ない世界の異様な地下への入り口だ。なにか、得も言われぬモノを感じてしまう。
だが、ここはれっきとした水道設備だ。毎日たくさんの職員が往来しているだろう。怖がることはない、うん。大丈夫なはずだ。
「お、おっさん、先、行っていいぜ。ほら……」
「いや、イリスこそ。チャックさんに案内してもらうと良い。俺はついていくから」
「おやおや、それでは地図をお渡ししますので、わたくしは先に設備の方へ行っておりましょう」
「待て待て待て! 依頼人を置いてくなよ!」
わちゃわちゃとしていると、見かねたニナが口を開いた。
「お二人とも、何をためらっているんですか? 暗いのが嫌なら、よければ私が炎で照らしましょうか?」
ニナが胸の前で手を広げると、白い火がぼうっと灯る。
昼間でもはっきり目につく白炎だ。こんなに心強いものはない。
「それはありがたい、できればお願いしたいね」
別に、暗いのにびびってるわけじゃないからね。
「はい、任せてください」
いつも通りの優しい笑顔のニナが、今はすごく頼もしい。
「ニナ、お前、暗いのとか平気なンか……? その、お化け……とか、出るかもだろ」
「はい? イリスはお化けが怖いのですか? あんなの作り話ですよぉ~」
「ちがっ!! ……ちがう、ぜ……。」
ニナにとっては、そういった類の話は怖がる対象ではないようだ。そういえば、さっきハンクさんに魔障の話を聞いた時も全く動じていなかったな。
【イースト:地下を嫌がっています】
「おや? イースト、君は来ないのかい?」
イーストはぶんぶんと首を横に振って同行を拒否する。精霊も暗闇が苦手なのだろうか。
「なら、俺がコイツを見ていよう。現役の水道施設なら護衛は要らんだろう。さっさと用事を済ませてこい」
「わかりました、お願いします。イースト、ハンクさんの言う事を聞いて、いい子にしてるんだよ」
イーストは困ったような顔をして、こくりと頷いた。
コリィさんは地上の井戸を確認するため、詰め所の職員と話している。
そして俺たちは、チャックに道を教わりながら白炎を掲げるニナを先頭に、チャック、俺、イリスの順で石段を下り始めた。
自分たちの足音しか響かないなか、暗く長い階段が続く。
とっ、とっ、と一段下りるたび、空気が重くなっていく気がする。
やがて石段が終わると、大きな木の扉があった。縁が銅で覆われているが、ほとんどが赤緑色に変色し、木の部分も所々が黒くカビている。扉の中央にはこの世界の言葉で『関係者以外立ち入り禁止』と書かれていた。
ニナがギィ、と扉を開くと、水の流れる音が聞こえてきた。
扉の先には石造りの地下トンネルが広がっており、床は金属製の格子になっていた。その下を、奥からこちら側へ向かって水が流れている。
「ヒッヒヒヒ、こちらは地下上水路でございます。お客人、どうぞご鑑定くださいませ」
俺は入口付近の水の流れを〈毒鑑定Ⅰ〉で視るように意識する。
【毒性:低】
【衛生状態:良】
【飲用適性:不適】
【少量の魔素反応を検出しました】
あまり幸先が良いとは言えない鑑定結果を、記録板に記入していく。
トンネルの先では、緊急時に水路を塞ぐ安全水門が上がり、その手前の格子状の点検門だけが閉まっている。
近くの壁にはメモ書きがたくさん貼ってあり、掲示板のように使われている。今日の日付も入っているようだ。それを見たら、急にここが、普段からメンテナンスを怠っていないちゃんとした設備だということを実感した。
闇夜の潜入調査というより、夜勤をしている気分になってきた。ははは、なんてことはないじゃないか。
チャックに点検門を開けてもらい、しばらく歩くと、左手に扉が見えた。先導していたニナは立ち止まり、振り返ることもなく無言で周囲を照らしている。
こちらからニナの表情はうかがえないが、トンネルの奥を見ているのだろうか。
チャックが扉を開け、中に入るよう促してくる。
「こちらは貯水槽でございます。現在は水質異常が確認されたため、排水し、槽内を洗浄中でございます。どうぞご鑑定くださいませ」
言われた通り、貯水槽へ伸びる水路を鑑定し、先ほどと同様の手順で記録板の項目を埋めていく。記録が終わり、さらにトンネルの奥へと進む。
次の扉のプレートには『中央制御所』と書いてあった。
「こちらには水路は伸びておらず、計器や施設の制御盤しかございません。次の濾過槽へ向かいましょう」
扉の周りには配電盤のような機器類がたくさんあるが、電源があるとも思えないので魔法関連の設備なのだろう。
「お、おい、ニナ、もっとこっちに来て明かりをくれよ、な?」
イリスはいつの間にか俺の袖を掴み、背後の暗闇を気にしている。
「大丈夫ですよ、ふふ……。」
振り返らず進んでいくニナを、俺たちは慌てて追った。
ニナの手元の白炎は、静かに揺れている。
先へ進むと、右手に、巨大な両開きの金属の扉と、二本の水路が見えた。上水路の水は一度この部屋の中を通るようだ。
中には、石造りの巨大な濾過槽が三つ、横一列に並んでいる。
右端の槽。その一角へ意識を向けた時だけ、鑑定に使う魔力を強く引かれるような感覚があった。
「ん……?」
【毒性:低】
【衛生状態:良】
【飲用適性:良】
【魔素反応:なし】
ここだけ謎の魔素反応とやらがない。とはいえ、何も思い当たることはないので、とにかく今は記録板の備考欄に鑑定結果の変化を書き記す。
「ヒヒヒ……オオコウジ様。どうかされましたか?」
うお、チャックさんに名指しで話しかけられると、びっくりするな。
「ここだけ綺麗なお水の判定が出ますね」
「それはそれは、水質鑑定をお願いして正解でございましたな、ヒヒヒヒ……。明日一番で濾過槽の調査の手配をいたしましょう」
俺としては、原因に心当たりがないか聞きたかったのだが。ともかく、役に立てたのなら良かった。
扉を出ると、ニナは一言も発さずそのまま奥へと歩いて行く。まるで道を知っているような進み方だ。
「ニナ? あまり一人で先に行くなよ?」
聞こえなかったのだろうか、返事はない。
「お、おい、おっさん、あいつ、大丈夫か? だいぶ疲れてンじゃねぇか? ちょっとおかしいぞ……」
ニナはぴたり、と止まり、顔だけでこちらへ振りむく。
「はぁ……。私、おかしいでしょうか?」
「え!? い、いや……、別に……」
無理もない。昨日の疲れが、まだ残っているのだろう。早く終わらせたい気持ちは、俺も、同じである。そう、俺も、ニナと、同じだ。
「イリス様、次の扉が件の補助水槽室となっております、ヒヒ……」
ニナは扉の前でぴたりと立ち止まって、チャックに先導される前に自身でぎぃ、と扉を開け、一人で入っていく。俺も、ついていく。
「こちらは揚水施設のための呼び水槽でございます。規定水位まで清浄な水を入れていただければ、わたくしめが検査をいたします……イリス様、こちらをお持ちください」
イリスはチャックから補給魔石を受け取った。
「わたくしは中央制御所へ戻り、注水中の圧力と流量を確認いたします。規定の目盛りまで入りましたら、放水を止めてくださいませ」
チャックは扉の前に立ち、俺たちを振り返る。
「なお、最奥の保守柵より先は立入禁止です。決して近づかれませんよう……ヒヒ……」
「ちょ、おい! 置いていくンかよ!」
チャックは扉を開け、来た道を引き返していった。やがて足音が遠ざかり、水音だけが残った。
俺が槽の底に残っていた水の水質を記録すると、イリスはしぶしぶ手を掲げ、放水を始める。
「なんだよう……みんな冷たいぜ……」
イリスは情けない声を出しながらも、水槽へ注ぐ水の太さを一定に保っている。
水面が目盛りへ届く直前、遠くから低い震動が伝わってくる。続いて、たった今注水した呼び水槽から太い管の中を大量の水が走った。最後に、どこかで重い弁の閉じる音がごうんと響く。
一連の震動には覚えがある。炊き出しの最中に感じたものと同じだ。
それきり、静かになった。
「おっさん、ここでいいか?」
「ああ」
放水が止まる。
水面は、規定の目盛りで静止していた。
イリスは補給魔石に手をかざし、魔力を補充しはじめた。
少しすると――。
「……おい。減ってねぇか?」
水面が、ゆっくりと目盛りから離れていく。
管や槽から床へ漏れている様子もない。
俺は時刻と減った水量を、記録板へ書き込んだ。
『ヒヒヒ……注水の終了を確認いたしました。皆様、中央制御所までお戻りくださいませ』
「ひょあっ!?」
イリスが素っ頓狂な声を上げる。
天井近くの伝声口から、チャックの声が響いた。館内放送のようなものらしい。
「びっくりした……。やっと帰れるぜ。おい、ニナ。こんなところ、さっさと出ようぜ」
返事はなかった。
ニナは部屋を出ると、中央制御所とは逆――トンネル奥の揚水室の方へ歩き始めた。
「……? ニナ、そっちは逆方向だぜ?」
足は止まらない。
白炎と赤い髪だけが、暗い通路の奥へ遠ざかっていく。
俺も、ついていく。
「お、おい……? おっさんまで、どこ行くんだよぉ」
イリスは補給魔石を胸に抱き、俺たちの後を追ってきた。
通路の最奥には、鉄格子でできた保守柵が閉まっていた。
その向こうは、巨大な円形の吹き抜けになっている。壁に沿って幾層もの保守路が巡り、中央の吸水槽には、人の姿をした石造りの巨像が立っている。
十メートル以上はあるだろう。
胸には円形の制御核が埋まり、足元から肩へ青緑色の水管が伸びている。人間をかたどった顔は、正面の壁を向いたまま動かない。
立ち止まり、白炎を消したニナが鉄格子を両手で握った。
がしゃん。
「ニナ……?」
がしゃん。がしゃん。
返事はない。
ニナは同じ動作を繰り返している。
「もうやめろ。戻るぞ」
がしゃん。
鉄格子の向こうから、ごり、と石の擦れる音がした。
原因を確かめなければならない。
そのためには、この柵が邪魔だ。
開けなければ。
ニナを止めるために、開けなければ。
瘴気だ。瘴気のせいだ。正気でいるために、確かめなければならない。
俺の手が、鉄格子の錠へ伸びる。
「おっさん!!」
頭から冷たい水を浴びせられた。
呼吸を思い出し、視界が戻る。
俺の右手は、錠へ触れる寸前だった。
「ど、どうしちまったンだよぉ……。おっさんも、ニナも、さっきからおかしいぞ……」
イリスは泣きそうな顔で、補給魔石を抱えている。
がしゃん。
「ニナ」
音が止まった。
身体は鉄格子へ向けたまま、ニナの顔だけが、ゆっくりとこちらへ向く。
「はい? なんでしょう、おじさん」
「柵から手を離すんだ」
「どうしてですか?」
穏やかな声だった。その瞳からは、何の感情も読み取れない。
「イーストが待っている。三人で戻ろう」
ニナはしばらく俺を見つめ、それから自分の手元へ目を落とした。
「あれ……? 私、どうしてこんなところに……。お二人とも、どうかされましたか?」
ニナは鉄格子から両手を離した。
「戻ろう。ここに長居しない方がいい」
「おう……。今度こそ帰るぞ。絶対に帰るからな」
三人で来た道を引き返した。
通路にも、呼び水槽にも、先ほどまでと変わったところはない。
中央制御所では、チャックが計器の並んだ操作盤を見上げていた。
「お帰りなさいませ。注水後の水位低下は、こちらでも確認いたしました。ただ、圧力と流量には大きな異常が出ておりません。明朝、弁と配管を点検いたします……ヒヒヒ」
どうやら、今日ここでやるべきことは全て終わったようだ。
「おや、皆様、奥で何かございましたか?」
俺とニナは答えられなかった。
イリスが補給魔石を抱いたまま、小さく呟く。
「……なんか、怖かったな」
「そうですか? 何もいませんでしたよ」
「お前が一番怖かったンだよ……」
ニナは不思議そうに首をかしげた。
石段を上り、地上へ戻る。
入口で待っていたイーストがニナの肩へ飛びついた。ニナはいつもの笑顔で迎え、その小さな身体を両手で包む。
「どうした、何かあったのか?」
「……いえ、少し疲れただけです」
ハンクが気にかけてくれたが、今は何も喋る気が起きなかった。
「皆さまご無事で何よりでございます。ご協力、ありがとうございました。ヒヒヒヒ……」
チャックが地下へ続く扉を閉めた。
* * *
誰もいなくなった揚水室で、ごり、と石が擦れた。
正面へ固定されていたゴーレムの顔が、ゆっくりと保守柵の方へ回る。
そこにはもう、誰もいなかった。




