第13話:依頼報酬と小さな虹
翌朝、宿のベッドで目を開けると、イーストが大きな瞳で俺の顔を覗き込んでいた。
「よお、起きたな」
すでに身支度を整えたハンクが、部屋の中に立っている。プライバシーも何もあったもんじゃない。
「おはようございます。今、何時でしょうか?」
「あぁ? 知るかよ。日が昇ってすぐだ。犬耳の姉ちゃんから呼び出しがかかっている。朝食をとったら移動するぞ」
急いで身支度を整え、銀貨の入った革袋を懐に括り付けて、朝食へ向かう。
宿の食堂では、大勢の客が談笑しながら朝食をとっていた。
見渡すと、奥の食卓にニナが座っており、その前には三人分の乳白色のスープとパンが並んでいる。スープからは、まだ湯気が立っていた。
「おじさん、おはようございます」
「おはよう、ニナ。みんな早いんだね」
「お前がのんびりしすぎなだけだ、今までどんな暮らしをしていたんだ?」
ハンクに呆れた目を向けられ、俺は黙って視線をそらした。目覚まし時計のありがたみを実感する。
手を洗ってからニナの隣の席に腰を下ろし、両手を合わせる。
「いただきます」
そう口にすると、ニナは不思議そうに首を傾げた。
「お前は本当に変なやつだな」
「そうでしょうか?」
ハンクにそう言われたのは、これで何度目だろうか。
朝食をとり終え、俺たちはギルド会館へ移動する。
受付で名前を告げ、しばらく待つと、二階からコリィさんが降りてきて、こちらへ歩み寄ってきた。
「オオコウジさん、おはようございます。昨夜はよく休めましたか?」
「はい、おかげさまで。すみません、寝坊したようで」
「いいえ。私どもの依頼で遅くまで働いていただいたのですから、感謝しかございませんわ」
コリィさんが、にこりと微笑んでくれた。朝から目の保養である。もちろん、本筋ではない。
「昨日と一昨日の皆様への報酬と、お預かりしているオオコウジさんのお荷物は、あちらの清算窓口でお渡しできるよう手配しております。お帰りの際、職員へお声がけください。それと、オオコウジさん――」
コリィさんの犬耳が再びこちらを向く。
「水管理組合のチャックさんが、詰め所まで来ていただきたいとのことです。先日の調査結果について、お聞きしたいことがあるそうです」
調査のあと、ろくに話をする間もなく解散したのだ。聞きたいことは山ほどあるだろう。
「承知しました。コリィさん、いろいろとありがとうございました」
コリィさんはもう一度にこりと微笑むと、踵を返して二階へ戻っていった。
「ハンクさん、おじさんのお給料、すごそうですね」
ニナは自分のことのように嬉しそうな顔をしている。
「これでしばらくは生活できるだろう。無駄遣いするなよ」
「はは、分かってますよ」
俺たちはギルドの清算受付へ向かった。
カウンターで職員の女性に名を告げると、彼女は奥へ引っ込み、やがて大きなトレイを手に戻ってきた。
その上には三つの革袋と、それぞれの明細が書かれた紙。それから、この世界へ来たときに着ていた、丸めて縛られた釣り用のウェーダーが載っている。
ギャロン一味の捕縛協力の報奨と、デスベアの正式査定額は、もう少し時間がかかるそうだ。
俺たちはそれぞれ報酬の銀貨を受け取り、額を確かめた。銀貨三十六枚。日雇いにしてはなかなかの金額だ。
「昨日の分だけで銀貨三十枚……。色をつけてもらったのでしょうか」
「技能依頼なら、そんなもんじゃないのか? 系統外属性は、うまく使えば結構稼げるって話だ」
ハンクはニナに聞こえないよう、声をひそめて続ける。
「……暗殺依頼とかな」
どくん、と心臓が跳ねた。
毒魔法。音もなく、神経を狂わせる針を撃ち出せるのだ。当然、そういった使い方もできるだろう。
いつか、そんな使い方を強いられたとき、俺はどうするのだろうか。
「俺は、パン作りや水質調査が性に合っていますよ」
ハンクは俺の肩を叩き、それ以上は何も言わなかった。
「すごいです、デスベアの素材と合わせると、お金持ちですね、おじさん」
「こらこら、そんなこと大きな声で言っちゃだめだよ」
「あ、そうですよね、すみません……」
しゅん、とニナが肩をすくめる。
「大丈夫、今は誰も聞いていないさ。ニナにも感謝しているよ。これで、根無し草にはならずに済みそうだ」
膨らんだ革袋を懐へ戻す。金も身分もなかった昨日を思えば、やっと地に足がついた気分だ。
「おじさんは、これからどうするんですか?」
「そうだね、まずは今日の仕事を終わらせて、しばらくはこの街で宿暮らしかな」
「私たちも、もう数日は泊まっていく予定です。イーストちゃんとももっと遊びたいし。またしばらく一緒ですね!」
ニナのそばで、イーストも嬉しそうに両手を上げている。
「そうだね。ハンクさん、もう少しだけお世話になります」
「世話するつもりはねえ。やるべきことは自分でやれ」
「はは、そのとおりです。まずは水管理組合の詰め所に行ってきますね。連絡は、ギルドの窓口に伝言を残しましょう」
「おじさん、お仕事頑張ってください!」
俺は三人と話しながら、丸めたウェーダーを背中へ括り付けた。
* * *
「なンだ、そりゃぁ?」
イリスが訝しげな目を向けてくる。
ウェーダーを着込んだ俺は今、魔障水がたっぷりと溜まった濾過槽へ入ろうとしていた――。
あのあと、ニナとイーストは商業区へ買い物に行くと言い、ハンクを引きずるように連れていった。
俺が水管理組合の詰め所に向かうと、すでにイリスが到着していた。そこから俺たちは、大勢の職員や研究員に取り囲まれ、昨日の出来事について質問攻めに遭った。
調査の結果、水質異常は地下に滞留した瘴気によるものと見られ、特に地下深くの取水路を中心に、施設内の水の多くが『魔障水』と呼ばれる状態になっていたそうだ。
昨夜、俺とニナがおかしくなったのも、その影響だろうとのことだった。
確かに、俺は〈毒鑑定Ⅰ〉を。ニナは白炎を使い続けて、魔力が減っていた。本来、周囲の魔素を取り込んで回復するはずが、瘴気まで一緒に取り込んでしまい、強く影響が出てしまったようだ。補給魔石で魔力を補っていたイリスは、俺たちほど影響を受けずに済んだようだ。
もうひとつ、話を整理するうち特に注目を集めたのが、濾過槽の一部にだけ清浄な水が残っていたという〈毒鑑定〉の結果だった。
異変を解決する突破口が、そこに残っているかもしれない。
そこで調査のため、濾過床の種砂を、その周囲の水ごと採取することになったのだ。
地下施設は朝から排気され、空気中の瘴気は安全域まで下がっている。問題は、濾過槽に残った魔障水へ直接触れることだった。
どうしたものかと皆が頭を悩ませていたところ、俺が背中に括り付けていたウェーダーに白羽の矢が立った。
「おい、本当に大丈夫なンか? また昨日みたいにおかしくなったら、もう知らねェぞ」
「うーん、まあ、そのときはそのときさ」
これは結構な値段がした、ウェットスーツにも使われる素材のウェーダーだ。
男心をくすぐる格好良いロゴに、たくさんの収納。ベルトやバックルの素材一つ一つにまでこだわりが見える。見ているだけで惚れ惚れする。異世界でまで活躍するなんて、思い切ってネット通販サイトで購入ボタンを押した時には思ってもいなかった。本当に買って良かったと思えた瞬間である。釣りのために用意したアイテムが釣り以外にも活かせるなんて、まさに釣り人冥利に尽きるといえよう。
現代技術の粋を集め、防水に特化した服の力を、信じないわけにはいかない。
「……嬉しそうだな。そんなに気に入ってンのか? その服」
「まあね」
長い柄の付いた、大きな金属製の匙を抱え、濾過槽の外側に掛けられた清掃用のはしごを上る。縁をまたぎ、今度は内側のはしごを伝って、ゆっくりと胸の下まで魔障水へ身体を沈めていった。
思わず喉が鳴る。
昨夜、瘴気にあてられたばかりだ。一歩間違えれば、再び呑まれてしまうかもしれない。
しかし、ウェーダーはきっちりと浸水を防いでくれていた。
息を詰めて見守っていた研究員たちから、感嘆の声が上がる。
すごいだろう? 俺の高級ウェーダー。
〈毒鑑定Ⅰ〉で濾過槽内の水を調べると、確かに一部だけ、昨日と同じように――
【毒性:低】
【衛生状態:良】
【飲用適性:良】
【魔素反応:なし】
と、魔障らしき反応のない箇所があった。
俺は研究員に指示されたとおり、まず濾過槽の取水側から種砂をすくい、付近の魔障水と一緒に大きな容器へ入れた。
続いて、清浄な水が残っている箇所からも種砂を採取し、そちらも周囲の水ごと別の容器へ収める。
再びはしごを伝って濾過槽から出ると、ウェーダーを脱ぐ前に、イリスへ頼んで外側を丁寧に洗い流してもらった。
ここまで一連の流れを経て、俺には一つ、思い当たることがあった。
「すみません、この種砂ですが、俺にも少し分けていただくことは可能でしょうか。試してみたいことがあるんです」
研究員に頼むと、快く分けてくれた。
魔障水を扱える場所として、この建物の屋上設備を使わせてもらえることになった。俺とイリスは一度外に出て、建物の外壁に取り付けられた階段を上る。
屋上へ出ると、視界が一気に開けた。
頭上には雲の少ない青空が広がり、眼下にはウェルズの屋根と煙突が並んでいる。城壁の向こうには街道と畑まで見渡せる。
同じ建物の地下と屋上で、ここまで違うものか。ただ階段を上っただけなのに、昨夜歩いた地下水路が、別世界のように感じられた。
吹き抜ける風が、イリスの青い髪を揺らしていく。
昨夜、暗がりに沈んでいたその青が、陽の下で鮮やかに映えている。
「で、どうすンだ? おっさん」
屋上には石造りの小さな小屋があり、中には研究用の器具や備品が整然と並べられていた。
小屋から浅い石鉢を二つ運び出し、イリスの水で洗ってもらう。
一方へは取水側の種砂、もう一方へは周囲が清浄水になっていた種砂を同量移し、それぞれに同じ容器から魔障水を同量注ぐ。
しばらく待って〈毒鑑定Ⅰ〉で確かめたが、どちらも結果は変わらない。
【少量の魔素反応を検出しました】
つまり、魔障水だ。
イリスはいつの間にか屋上の端まで歩き、退屈そうにウェルズの街並みを眺めている。
何かこう、取っかかりが欲しい。
種砂に何かしらの働きがあるなら、それを〈発酵術〉で促進できないだろうか。
【発酵反応が無いため、促進ができません】
でしょうね。他に〈発酵術〉でできることは……?
【〈発酵術Ⅱ〉により、[鑑定不能]を培養することが可能です】
「え? できるの?」
【可能です】
「なンか言ったかーッ? おっさーん!」
「いや、独り言だよ!」
すっかり遠くにいたイリスに聞こえるよう、大きな声で返す。
で、[鑑定不能]って何かな?
【[鑑定不能]は、毒鑑定のレベルが足りないため、鑑定不能です】
なるほど。分からないことは分かった。
培養できるなら微生物を疑うところだが、魔菌だの魔素だの、精霊までいる世界では断定は危険だ。
「ほぉぉ――」
魔力の込め方が未だによく分かっていないので、二つの種砂へ同じように意識を向け、変な声とともに気合いを込めて念じる。培養、培養、培養。
一瞬、ひゅん、と全身の血が凍りついたような寒気が走った。同時に、清浄水の下にあった方の種砂から淡い光がにじみ、石鉢の水へ広がっていく。
「おぉ!? これは……!」
これは……何なんだ? 俺の魔力と引き換えに、何かが起きたことだけは確かだ。水そのものに変化は見えない。〈毒鑑定Ⅰ〉で確かめてみる。
【毒性:低】
【衛生状態:良】
【飲用適性:良】
【魔素反応:なし】
先ほどまで検出されていた魔素反応が消えている。
取水側の石鉢も確かめたが、そちらの鑑定結果は変わっていない。
イリスが屋上の端から駆け戻ってきた。
「おわっ、なンじゃこりゃ!? おっさん、こっち、光ってるぞ!?」
「たぶん、成功だ」
「なにが?」
「正体はわからないけど、この種砂に含まれている何かを培養すれば、魔障水を正常化できる……みたいだ」
「ふぅ~~ん」
イリスは光の残る石鉢と、俺の顔を交互に見た。
「それって、街の水を元に戻せるってことか?」
「まだ分からない。この一鉢だけだし、安全かどうかも、どこまで増やせるかも確かめないと」
膨大な地下水路の水を、俺の魔力程度でどうこうできるとも思えない。
「でも、何も分かンなかった昨日よりゃ、ずっとマシだろ」
「……うん、そのとおりだ」
イリスが八重歯を見せて笑った。
「やンじゃねえか! おっさん!」
ばん! と、背中を叩かれる。
しかし、よくわからないものを培養しました、と言って研究員たちは納得してくれるだろうか。
「まあ、見せるしかないか。まずは、この結果を研究員たちに確認してもらおう」
「難しい話は、おっさんに任せるぜ」
「付き合ってくれてありがとう、イリス。お礼に、夕飯を奢るよ」
「ほんとか!? 肉か!?」
「なんでもいい、打ち上げも兼ねてだ。パーっと美味しいものを食べよう」
イリスは上機嫌に笑い、手のひらから細い水を空へ噴き上げた。
陽の光を受けた飛沫が七色にほどけ、二人の前に小さな虹が架かる。
「おっ、見ろよ! 幸先いいぜ!」
まだ何も解決していないのに、ずいぶん気の早い話だ。
でも今は、その虹を吉兆だと思っておくことにしよう。




