第5話:街道と毒魔法
翌朝。
村の広場には、昨夜の宴の名残があちこちに残っていた。
人の背丈ほどあった薪は灰と炭になり、空になった酒樽や木杯を、村人たちが手分けして片付けている。俺もフレッドたちと朝食を済ませたあと、その中へ加わった。
その後、村長に身分証のことを相談し、デスベアの素材をどう分けるかを協議した。四つ採れた魔石は俺が三つ、ニナが一つ。残りの牙、爪、毛皮は、俺とニナ、そして村全体で三等分ということで、特に揉めることもなく決定した。
正式な身分証は、隣の大きな街「城壁都市ウェルズ」のギルドで作る必要があるが、村長の書いてくれた紹介状があれば、面倒な手続きはある程度飛ばしてくれるらしい。素材の換金もできるそうだ。
紹介状や荷物の準備が必要なため、俺がウェルズへ向かうのは明日の早朝となった。
フレッドの家で夕食を取りながら、旅の相談をしていると――
「おじさん。明日、私も一緒にウェルズへ行こうと思います。デスベア討伐の際に称号を授かりましたので、授与儀礼を申し込もうかと」
「あぁ、そういえば俺もそんなログが出ていたな。称号って何なんですか?」
「称号か。何らかの功績を世界に認められた時に授かるものだ。村でも称号持ちはほとんどいないが、デスベアをたった二人で倒したなら納得だ」
「僕、知ってる! 村長と警備隊長さんの二人が称号持ちだよ!」
ニノが興奮気味に語るのを見ると、憧れの対象のようだ。
「お、よぉく知ってたねぇ、ニノ! えらいなぁ~~! ごほん。そう、貴重なものだ。授与儀礼を終えれば、世界から報奨が与えられる。古い伝承では、勇者が聖剣を賜ったとも聞く。何を授かるかは世界次第だがな」
「ゆーしゃの聖剣! しゃきーん! じゃしんのとうばつだぁ!」
「こら、ニノ。食事中に走り回っちゃいけません!」
オーベーヌはニノを追いかけていってしまった。
「世界」。不思議な観念だが、この世界では共通認識のようだ。
「本当なら……私が! この手でウェルズまで送り届けたいところなのだが……。あいにく村議会員の仕事が山ほど積もっていてね」
「は、はぁ……」
フレッドはギリリと奥歯をかみしめた。
「……代わりにハンクに護衛を頼もう。彼なら、信頼して任せられる」
ハンクとは、村の取引を担当する商人の一人であり、道案内もでき、腕も立つ人らしい。保証人にもなってくれるそうなので、身元不明人としては非常に心強い。
そして、異世界三日目の朝――
荷物をまとめ、フレッドの家を出ると、一人の男が待っていた。
「よお。フレッドの服を借りたのか。随分馴染んだじゃないか」
「あ、ハンクさんって、もしかして……」
声の主は、一昨日、俺の喉元へ鍬を向けてきた大男だった。どうやら、彼がハンクらしい。
短く乱れた焦げ茶色の髪に、日に焼けた角張った顔。口元には無精ひげを生やし、深緑の外套の下には使い込まれた革鎧を着込んでいる。今日は鍬ではなく、腰に鉈を差し、背には槍を負っている。
商人というより、冒険者といった出で立ちだが、彼には鍬よりも槍がよく似合っていた。
「なんだ、俺じゃ不満か?」
「いえ、とんでもない。お世話になります」
「よろしくお願いします、ハンクさん!」
俺とニナは深く頭を下げた。
「ふん、世話なんてするかよ。自分の世話は自分でしろ」
……仲良くなるまでは、時間がかかりそうだ。
ニナとハンクは、手分けして荷物を荷車に積んでいく。
荷車に載せたのは、それぞれの日用品、分配されたデスベアの素材を収めた三つの木箱、道中の食糧、それから飲み水の入った中サイズの樽だ。毛皮も分配予定があるそうだが、処理に時間がかかるため、後日村から運ぶことになっている。
その中で俺の荷物は、デスベアの素材と、干して丸めて紐で縛ったウェーダーくらいだ。このウェーダーはそれなりに奮発して買った愛用品だ。元の世界から持ち込んだ数少ない道具のひとつでもあるし、できるだけ手元に置いておきたい。
街に着くまでの水と食料以外は、基本現地調達しなければいけないため、ギルドでの素材換金が当面の第一目標である。
服一式を借りられたのはありがたかった。フレッドから借りた麻のシャツとズボンは、肩や腰回りがダボダボだ。革の靴も俺にはかなり大きい。それでも、胸まである釣り用の防水服で街へ向かうよりはずっといい。
借りっぱなしでは落ち着かないので、洗った元の世界のシャツとズボンは、フレッドへ預けてきた。見慣れない布地を珍しがっていたので、好きに着てもらって構わないと伝えてある。
ニナは、パン作りの時とは違う作業着の上に薄い外套を羽織り、肩から小さな鞄を提げていた。赤い髪の編み込みは昨日よりきっちり結われている。
「姉ちゃん!」
ニノが家の戸口から駆けてきて、ニナの腰へ抱きついた。続いてフレッドとオーベーヌも見送りに出てきてくれた。
「行ってくるね。用事が済んだら、すぐ帰るから」
「ほんと?」
「うん。お土産も買ってくる」
「じゃあ、甘いやつ」
「お姉ちゃんに任せて」
ニナは弟の頭を撫で、名残惜しそうにもう一度抱きしめる。
「フレッドさん、オーベーヌさん。二日間、大変お世話になりました。このご恩は必ずお返しします」
「旅の無事を祈る。ニナ、気を付けて行ってきなさい。寝る前は歯を磨くんだよ。一日一回は手紙を出しなさい。滞在が三日を越える時は必ず連絡を――」
「ふふ、それ三回目だよ、お父さん。お母さん、行ってきます!」
「ええ。ウェルズ観光、楽しんでいらっしゃい」
「ハンクゥ~。ニナのこと、くれぐれも……」
フレッドがハンクに笑顔を向けるが、その圧は隠しきれていない。
「けっ、わかってるって。護衛の責は果たす」
最後に一礼をして、俺たち三人は、村の南の出口から伸びる街道に向かっていく。
二輪の小さな荷車を、ハンクが前を引き、俺が後ろから押す。ニナは荷車の横について歩いている。
旅の目的地は城壁都市ウェルズ。
モルトン村とはそんなに離れていないため、物資の取引や人の交流も多く、ニナも幼い頃に何度か訪れているらしい。
しばらく歩くとだんだんと民家が減っていき、広い麦畑の間を通る道は森沿いの街道へと合流する。
「ハンクさん。街には、いつごろ着く予定ですか?」
「何もなければ夕方前だ」
「何かあると?」
「夕方を過ぎる」
「……なるほどね」
答えになっているんだか、いないんだか。
「ふふっ、ハンクさんはぶっきらぼうで口が悪いですが、悪い人じゃないんですよ」
とニナが笑っている。
確かに、気の利いた言葉を選ばないだけで、別に悪意は感じない。
ともあれ、日が暮れる前には着ける距離らしい。野宿は避けられそうで、ひとまず安心だ。
森沿いの街道は荷車が二台すれ違えるほど広く、轍の深い場所には小石が敷かれている。村人だけでなく、行商人や旅人が日常的に使っている道なのだろう。
森側の土には、やけに多くの足跡が残っていた。
小さな蹄。獣の肉球。鳥のような三本指。どれも森から街道へ出て、畑のある方角へ向かっている。
ハンクは荷車を止め、しゃがみ込んだ。
「チッ、また増えてるな」
「作物を荒らされるのですか?」
「ああ、ここ最近は特に頻繁にな。動物も魔獣も区別なく、森の奥から押し寄せてきやがる」
ハンクは足跡の一つへ指を添え、深さを確かめた。
「デスベアが窯まで来たのも、同じ理由かもしれん。議員たちが連日、調査はしているが、まぁ解明の見込みは薄いだろうな」
デスベアだけでなく、森全体で何かが起きているらしい。
「まあ今はいい、先へ行くぞ。またデスベアみたいなのに出くわしたらたまらん」
確かに。先日は辛勝できたが、毎度都合よくパン種は胃の中にない。再戦があれば勝ち目は薄いだろう。
気を取り直して歩き出して間もなく、茂みが大きく揺れた。
即座にハンクは槍を構え、ニナの指先に火が灯る。
「うおっと!」
茂みから鋭い角のようなものを突き出した獣の影が、ハンクに向かって一直線に飛び込んできた。ハンクは素早く身体をひねり回避する。
飛び出してきたのは、犬ほどの大きさがある兎だった。額から前へ伸びた一本角は、先端が刃物のように尖っており、根元は淡く発光している。
「ホーンラビットです!」
兎は俺へ向き直ると、額の角を突き出し、すぐに地面を蹴った。
俺はいつでも避けられるよう、重心を低くして身構える。
「ニナ、草が乾いているぞ!」
「は、はい!」
たぶん、むやみに火を使うなという指示だろう。
ハンクはそう叫びながら槍を持つ片手を突き出し、横に振る。すると、横殴りの風が街道を走り、跳びかかった兎の体を横へ押した。ホーンラビットは地面を三度転がったが、すぐに起き上がる。
風魔法だろうか。
ガタイが良く、フィジカルに任せるタイプの男だと思っていたので、少し意外だ。
「低級の魔獣だ、俺だけで押さえられる。おい、ユタカ! 街へ入る前に、お前の毒魔法がどれほどのもんか見せろ。使えるか!」
この世界へ来て、初めて名前で呼ばれた。少し嬉しいが、喜ぶのは後だ。
「やってみます!」
デスベアに弾かれた〈毒魔法Ⅰ〉だが、今度は効くだろうか。
射線上に人はいない。ホーンラビットの背後にも、当てて困るものはない。
俺は姿勢を低くしてハンクを警戒しているホーンラビットに掌を向け、強く念じる。
「〈毒魔法〉ッ!」
全身にぞわっと血の抜けるような寒気が走ると同時に、掌の前の空中に暗い紫色の雫が集まり、細い針へ形を変えた。
紫の針は、掲げた掌と連動するように一定の距離を保ったまま、俺の動きについてくる。現実離れした光景に、魔法という未知の力を実感する。
射出を意識すると、力を加えていないのに、ひゅっと音を立てながらダーツの矢のように飛んでいった。
しかし、紫の針はホーンラビットには当たらず、すぐ近くの地面に刺さると、まるで最初から気体だったかのように霧散した。
【対象未命中】
【毒性付与:なし】
地面に刺さった跡は残っていないし、〈毒鑑定Ⅰ〉にも反応はない。どうやら、石や土などに外れた場合、毒性は付与されないらしい。
失敗したのは当たらなかったことではない。「ポイズンアロー!」と叫ばなかったことだ。
「すみません、外しました!」
「構わん、続けろ!」
ハンクは槍の穂先をホーンラビットに向け、風を浴びせ続けた。
ホーンラビットは斜めに跳んで逃れようとするが、ハンクが穂先を追わせる。再び風に捉えられ、姿勢を崩した。
ニナは俺の魔法の軌道に入らないよう、走って位置を調整している。
「撃て! ユタカ!」
今度は右手をピストルのように構え、〈毒魔法Ⅰ〉を意識する。
銃口を模した二本の指先の前に、紫の針が生まれる。
「ポイズンアロー!」
言いながら射出を意識する。針は風に耐えていたホーンラビットへ一直線に向かっていった。
しかし、ホーンラビットは俺の魔法に気づいていたようだ。ぐっと踏ん張り、身体に当たる直前、頭を振り、角をバットのように針へ叩きつけた。針は一発目と同じように霧散してしまった。
「弾かれた!?」
「脚を狙え! それと、いちいち叫ばなくていい! 真面目にやれ!」
怒られてしまった。
ホーンラビットは頭を振った反動で重心を崩し、そのまま風に押されて身体ごと後ろへ転がっていく。
俺は再び二本の指を伸ばし、今度は右手首を左手で支える。片目を瞑り、立ち上がったホーンラビットの脚に正確に狙いを定め、〈毒魔法Ⅰ〉を撃つ。
三度目の正直。今度は見事に後ろ脚へ刺さった。
【対象への毒性付与に成功】
【作用:運動機能低下・継続ダメージ】
ログが出たあと、ホーンラビットの脚が崩れた。
転倒したホーンラビットが暴れ、角が地面を抉る。ハンクはすぐに距離を詰め、槍で仕留めた。短い鳴き声が上がり、それきり静かになる。
「ふぅ……。ハンクさん、助かりました」
「お二人とも、お疲れ様です! 何もできなくてすみません……」
「ふん、構わん。軽く血を抜くぞ」
ニナは荷車から厚手の油布――この世界の防水シートを取り出し、布越しに両脚を掴み、頭を下にして吊り下げ、獲物の血を流す。
俺はそばへ行き、〈毒鑑定Ⅰ〉を使った。
【毒性物質を検出】
【血液および筋肉内へ拡散中】
【毒性:中】
【食用判定:不適】
食用判定ね。なんとも汎用力のあるログだ。
「毒が回ってしまったようです。この兎は、本来食べられるんですか?」
「普通ならな。程よい弾力で美味い」
ハンクが槍の穂先を拭いながら答えた。
美味いと聞くと、もう一匹くらい出てきてくれないかなと思ってしまう。
「だが、毒を入れた獲物を肉屋へ持ち込むのは犯罪だ。角と毛皮は使えるだろうが、肉はギルドで処分してもらう」
「それは勿体ない話です。毒魔法は、戦闘では役に立つけど、狩りだと使い勝手が悪いですね」
「当たり前だ。食いもんに毒を撃ちこむ奴があるか」
「ごもっとも」
ニナはホーンラビットを油布で包み、ほかの荷物から離して荷車の後ろへ固定した。街の冒険者ギルドなら、毒の残り方も含めて確認してくれるらしい。
ちなみに、街中で毒魔法を使うのは禁止されているそうだ。使う予定なんてないが。
その後は魔獣に出会うこともなく、順調に街道を進んだ。
その間、ギルド、通貨、市政など最低限の常識をハンクとニナから教わることができた。
日が高くなったころ、向こうから幌を張った荷馬車がやってきた。幌とは、荷台の上に設けた木枠を覆う、厚い布の屋根だ。御者台の男はハンクを見つけると手を上げた。
「よう、見た顔だな。モルトンの村からか。街へ行くなら、飲み水は持ってるか?」
「あぁ、樽に一つある」
「なら大事に使えよ。ウェルズではここんところ井戸の封鎖が続いてるんだ」
「ああ? 何が起きたんだ?」
「妙な味がするらしい。昨日は苦くて、今朝は妙に甘いんだと。水管理組合が調べるまで封鎖だとさ」
街の井戸は、異常が出ればきちんと閉鎖し、管理する組合もあるらしい。
「異物でも混入したのでしょうか?」
俺が尋ねると、御者は首を横へ振った。
「さあなぁ。見た目は変わらんらしいが。原因が分かるまでは飲用禁止。気味が悪くて近郊の水は酒屋も薬師も使いたがらん。今は郊外から運んだ水と、街の水魔法使いが作る水に客が集まってる」
「魔法で作った水は飲めるのですか?」
「ああ、だが売れるのは許可証を持った連中だけだ。毎朝、水管理組合で検査を受けて売ってるよ。腕のいい奴の水は、値段が高いが味が安定してる。たまに無許可で水を売る闇業者もいるから気を付けろ、何が入っているかわかりゃしねえ」
礼を言い御者と別れ、さらに二時間ほど歩くと、森の切れ間から灰色の城壁が見えた。城壁といっても城そのものがあるわけではなく、街を獣から守り、市街地と外を区切るためのものだ。
「わぁ、見えましたね! あれがウェルズの街の入り口です!」
ニナが駆け足で荷車の前に出る。
城門の前には何台もの荷車が並び、西のモルトン村方面と南北の三方向に分かれる街道には人と馬が絶えず行き交っていた。壁の向こうにはひときわ大きな三階建ての建物や尖った鐘楼が見える。煙突から上がる煙の数だけでも、村とは比べものにならない。
「ひゃぁ~、人、多いですねぇ……。来るたびに増えている気がします」
元の世界の大都市と比べるとかわいいものだが、ひと目見ただけでもこの街が栄えているのはよくわかる。
「ニナ、あまり前に出すぎてはぐれないようにね」
「お前もだ。二人とも荷車から離れるな」
そうハンクに言われた俺とニナは、顔を見合わせ、そろって笑った。
最後尾へ並び、小一時間待った。やがて順番が来ると、ハンクは門番へモルトン村の議会の焼き印が入った木札を見せた。
身分証を持たない俺についても、村で保護した旅人をギルドへ連れていくところだと説明してくれる。門番は俺の名前と服装、荷物を帳面へ書き留め、黄色い細紐を手首へ巻いた。
毒を受けたホーンラビットについては、油布を開けず、包みの結び目へ赤い封印札が追加された。ギルドへ着くまで解体や売買、札を剥がすことも禁止らしい。
「仮入街証だ。日暮れまでに、ギルド会館か街庁舎で身元を登録すること。できなければ、保証人と一緒にここへ戻れ」
ハンクから聞いた話では、冒険者ギルドの他に、商業、魔術師、工匠、薬師ギルドがあるそうだ。
それら五つのギルドが、街の中央付近の大きな建物にまとまって入っているのが「ギルド会館」らしい。
「分かりました、丁寧にありがとうございます」
隣で暇そうにしていたハンクと目が合う。
「ちゃんと聞いてたか、身元不明人」
「よく理解しました。まずはギルド会館ですね、身元保証人」
ハンクが嫌そうな顔をして、ニナが小さく笑ったところで、俺たちは城門をくぐった。
そのすぐ先で、組合の腕章をつけた男が、穀物袋を積んだ荷車へ声をかけていた。
「南の道は荷車で詰まってる。裏へ回った方が早いぞ」
御者は礼を言い、男の指した細い路地へ入っていく。
村と違い、人の多い街では、道を覚えるだけでも大変そうだ。
街の中には、石造りの建物。道の両側に並ぶ露店。荷車の車輪が軋む音。客を呼ぶ声。
街の中央へ続く川のような水路には生活用水が流れ、その上には何本も橋がかかっている。
水路の脇では青い許可札を掲げた水売りたちが、栓付きの陶器水筒や小さな木樽を並べていた。
その中から、ひときわ大きな少女の声が響く。
「だから! アタシの水は! 美味いって言ってンだろ!」
大きな声に、ニナの肩がびくりと跳ねた。




