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第38話:地龍

「はぁ、はぁ……あれが……」


 ウェルズ北の川沿いの道を塞ぐように、見覚えのない巨大な岩山がそびえ立っていた。


 もちろん、ただの岩山ではない。それは四足で立ち、黄土色の皮膚を岩のような外殻――硬化した鱗で守っている。


 背には折りたたまれた翼、頭には前方へ湾曲した二本の太い角。


 四肢と尾の外殻の亀裂からは、赤黒い魔力の光が漏れ出ていて、腹からは黒紫の光が不気味に脈打っている。


 だが、その顔は雄々しく気高い。瘴気を帯びているのに、これまで見てきた魔障に侵された者たちとは違い、理性を失っている様子はない。


 それは地龍。御伽話に謳われる、まさに荒神の化身――ドラゴンである。


 地龍のまわりを既に冒険者や衛兵が取り囲んでいたが、攻撃を仕掛ける者はいない。


 少し離れたところには既に交戦したらしい負傷者が運ばれ、集まった治療師たちが診ている。


「おっさん。さすがに今回は水ぶっ掛けるだけじゃ駄目っぽいぜ」


「そうだね……コリィさんに頼まれた通り、避難誘導を終えたら俺たちも逃げよう」


 地龍の目が、こちらに向いた気がした。


 前脚が持ち上がり、一歩だけこちらへ踏み出した。爪の下で石畳が砕け、まだかなり距離があるというのに振動が伝わってくる。


 俺たちは目立たないように道の端へ移動した。


 ――すると、地龍の視線もゆっくりとこちらを追う。


「……まさか、俺を見ているわけじゃないよな?」


「どっかで地龍の恨みでも買ったんじゃねェの~?」


「なんだよそれ、人をトラブルメーカーみたいに言って」


「違うンか?」


「……誰かよりはマシだと思うんだけどなぁ」


「あぁ!? それアタシのことじゃねェだろうな!?」


 さすがにこの状況で水は飛んでこなかった。


 あまり意味はないが、なるべく音を立てないように貸し竿店の近くに行き、様子をうかがう。店主は店の外に出ているようだ。


「店主! お店の中に人はいませんか? 危険なので避難してください!」


「ヌシの兄ちゃんか……。避難ったってよう、店を放っちゃおけねえよ」


「命には代えられないでしょう」


「そりゃ、そうだけどよ……」


 ずん……。


 また一歩。地龍がこちらへ歩を進める。


「……少し、離れます」


「お、おい、おっさん――」


 嫌な予感がする。いや、ほぼ確信だ。俺は周りに人のいない開けた場所へ走った。


「イースト、できれば離れて……」


 鞄の中から顔だけ出しているイーストに話しかけた瞬間――


 地龍が天を仰いだ。


 次の瞬間、空気が爆ぜた。


 地龍の足元から、真っすぐに地面がせり上がり、一直線に俺の方へと伸びてきた。地魔法だ。


「きたぞ!! イースト、逃げろ!」


 イーストは勢いよく鞄から飛び出ると、上空へと舞い上がった。


 同時に俺は横へと走り、軌道を外れる。


 一拍おいて、俺の立っていた場所に石が突き出した。


「はぁ、はぁ……いきなりだな……初対面のはずなんだけど」


 地龍は飛び出したイーストも気にせず、真っすぐ俺だけを見ている。いきなり突っ込んでこないあたり、まさか挨拶でもしているつもりだろうか?


 一応、返事でもしてみるか。


 俺は手を地龍にかざし、魔力を込める。


 地龍を囲む者たちがどよめいている。そんな目で見ないでくれ、頼りにしているのは俺の方だぞ、街のみなさん。


「〈ポイズンアロー〉!」


 俺の手の前に紫の針が生まれ、真っすぐに地龍へ飛んでいく。かなりの距離があるのに勢いは衰えない。


 ――だが。


 身じろぎひとつしない地龍の身体に触れる前に、霧散してしまった。


 当然だ、デスベアに効かない魔法が、ドラゴンなんかに効くはずがない。


 ギャラリーからは落胆の声が聞こえる。無理に決まってるだろ。


「……怒ってないよな?」


 地龍はのそりとこちらに歩み寄ってきた。その一歩一歩が地響きを轟かせ、スケールの違いを思い知らされる。


「いや、無理無理」


 俺は川に沿って逃げ出した。だが――


 ずどん、と音を響かせ、俺の進行方向の地面がせり上がり、巨大な岩壁となった。


「うっ……」


 妙に礼儀の正しい龍だが、逃がしてくれるつもりもないらしい。


「話し合いって感じでもないよなぁ。やるしかないのか……」


 この世界に来て、何度も死線をくぐってきた。


 正直、俺ひとりの力では、ホーンラビットにすら勝てるかあやしい。


 だが。


 皆の力を合わせれば、どんな困難だって――


「おっさーーん! 早く逃げろォ!! 死んじゃうって~~!」


【イースト:慌てています】


 さすがに龍は無理か。やっぱり逃げよう。


 俺は地龍を無視して、今度は反対側へ走り出す。


 地龍が頭を下げ、二本の角をこちらへ向けた。


 どうやら、挨拶は終わったらしい。


 俺の逃げる先には貸し竿店がある。店主には悪いが、ひとまずあの建物の影に隠れよう。


「店主!! 街の方へ逃げてくれ!」


「で、でも……」


「イリス! 店主を頼む!」


「ちっ。ほら、こっちだ!」


 イリスは店主の腕を掴むと、無理やり街の方へと引っ張っていった。


 俺が貸し竿店の影に隠れた途端、建物の向こうから地響きが一気に迫った。


 建物全体が大きく軋む。


 次の瞬間、激しい衝撃音と共に、目の前の壁が内側から弾け飛んだ。


「うわぁっ!」


 俺の頭上を建物の木材が飛び交い、店の半分が轟音と共に崩れ落ちる。


「ああああっ!! 俺っちの店がぁ!!」


 舞い上がる土煙の中、崩れた店から地龍の首がゆっくりと上がり、その視線が再び俺を捉えた。


「やばいやばいやばいっ」


 俺は急いでその場を離れる。だが、地龍は身体を捻らせ、その巨大な尾で店の残骸を叩いた。瓦礫がこちらに飛んでくる。


「がはっ!」


 砕けた板と石片が背中を打ち、俺は前のめりに倒れた。


 振り返ると、俺の身体ほどもある瓦礫の塊が眼前まで迫っていた――


 その瞬間、分厚い石壁が地面からせり上がり、迫る瓦礫を激しい音とともに受け止めた。


 こんな派手な助け方をできるのは一人しか知らない。


「うぐ……助かった……! ネネム!!」


 川上から走ってきたブールの荷馬車の荷台に、ネネムが手をかざして立っていた。


「……馬鹿?」


「うぅ、好きで喧嘩してるわけじゃないんだよ……」


「オオコウジくん! すぐ荷馬車に乗るだよ!」


「す、すみません、ブールさん! 助かりまし――」


 俺が荷台に乗った瞬間、地龍が再び天を仰いだ。


「まずい! 地魔法がくる! ブールさん、逃げて!」


 ネネムは地龍に向けて手をかざし、射線上に再び分厚い石壁を生み出した。だが、地龍の地魔法はネネムの壁を砕き、荷馬車へ一直線に伸びてくる。


 俺は荷台のネネムを抱えると、荷台を飛び降りて全力で走った。一緒にいた御者とブール、そしてポンベも慌てて散開した。


 地龍の地魔法がついに荷馬車へ届き、荷台をばらばらに砕きながら上空まで突き上げた。衝撃で馬を繋ぐ木枠と馬具が千切れ、驚いた馬は、そのまま遠くまで走り去ってしまった。


「ブールさん! 無事ですか!?」


「あ、あぁ、なんとか……」


 よかった、ブールも御者の人も怪我はなさそうだ。


 反対側では、店主を避難させていたイリスも、俺たちのもとへと戻ってきた。


 安心もしていられない。地龍が轟音と共にこちらに歩み始めた。


 ネネムが手をかざし、地龍と同じように、地面をせり上げる地魔法を放った。だが、地龍のものと比べるとせり上がり方がひと回り小さい。


 地龍は地魔法が届く寸前に再び天を仰ぎ、今度はあちらが盾のような石壁を作り出す。ネネムの地魔法は石壁を砕くことができず、地面同士がぶつかる轟音と共に止まってしまった。


「……あれは、無理」


 やばい。ネネムでもどうにもならない。もはや地龍を打ち倒す火力などない。蹂躙されるしかないのか――


 地響きと共に石壁が地面に戻り、地龍は再び歩みを進める。


 不意に、ポンベがネネムの隣へ躍り出て、ネネムを見上げた。


「……うん。私たちも、できる」


 ネネムとポンベの間に、光の線が走った。


 あの光には、見覚えがある。まさか――


 ネネムの口から、聞いたことのない名が紡がれた。


「――顕現せよ、マナ・シゾポンベ」


【マナ・シゾポンベ:真名を受諾しました】


【ネネムとマナ・シゾポンベの魔力経路を接続します】


 二人を結ぶ光が一気に太くなり、ポンベの小さな体を包み込んだ。


 その足元に落ちた猫の影が大きく膨らみ、四つ脚の輪郭が、二本の脚で立つ人の姿へと起き上がっていく。


 光の中から太い脚が現れ、地面を踏みしめた。


 紺色の鋼板が一枚ずつ重なり、大柄な体の胸、腰、手足を覆って鎧を象っていく。その縁と継ぎ目には金色の装飾が走り、立派な甲冑となる。


 首元と肩には黒い毛並みが残り、背中には長い黒髪が流れる。頭には二つの大きな猫耳。腰から伸びた太い尾が、光を払うように大きくしなった。


 最後に両手を包んでいた光が鮮やかな赤へ染まる。


 指先から、燃え立つ刃のような魔爪が伸びた。


 光が弾け飛ぶ。


 ネネムをかばうように立っていたのは、黒猫の面影を残す、筋骨隆々の甲冑武人だった。


 半ば眠たげな琥珀色の目だけは、いつものポンベと変わらない。


「無論だ、ネネム」


 そう答えたポンベとネネムは、顔を見合わせて大きく頷いた。


 地龍はその様子を見て一瞬目を見開いたが、すぐに頭を下げ、重心を低くして角をこちらに向けてくる。


「豊。いつぞやの借りを返させてもらおう」


 そう言うとポンベは俺とネネムをそれぞれ片手で抱き上げ、後方へ大きく跳躍した。


「おわっ!! ……あ、ありがとう、ございます?」


「そんなにかしこまるな。いつもの感じでよい」


 ポンベは低い声でそう言うと、俺たちを地面に立たせた。意外と喋るじゃないか。


 ポンベが元いた場所には、同じ甲冑武人の姿をした分身体が残っていた。


 次の瞬間、地龍が地面を蹴った。石畳を粉々に砕きながら、巨大な二本の角が分身体へ迫る。


 分身体は両手を地につき、獣のように四肢を使って駆け出した。


 角の脇をすり抜け、すれ違いざまに前脚へ魔爪を振るう。


 岩のような鱗が砕け散り、その下から血が噴き出した。地龍の前脚が沈み、突進していた巨体が地面を削りながら滑った。


「通った!」


 俺たちの前に立つポンベの輪郭が揺らぎ、新たに二体の分身体が生まれる。


「征け」


 二体は左右へ分かれ、起き上がりかけた地龍へ飛びかかった。


 地龍が新たな一体へ前脚を振るう。その隙に、もう一体が後脚を切り裂いた。軸脚となった前脚には、最初の一体が魔爪を突き立てる。


 砕けた鱗が次々と地面へ落ちていく。


 地龍が天を仰いだ。


「気を付けろ、地魔法が来るぞ!」


 足元から無数の岩槍が突き出した。三体の分身体がまとめて貫かれ、黒い霧となって消える。


 だが、俺の目の前にいるポンベは動じず、その輪郭が再び揺らぎ、新たな三体が地龍へ駆けていく。


「おいおい、一方的じゃないか……!」


 魔獣化したときはさんざん苦しめられたが、味方になるとここまで頼もしいのか。


 冒険者や衛兵たちから歓声が上がる。


 分身体たちが、鱗の剥がれた脚へ再び襲いかかる。


 地龍は尾を振り回して追い払おうとしたが、踏み替えた脚を魔爪で切り裂かれ、力を失って大きくよろめいた。分身体たちはさらに追撃を重ね、傷口を抉っていく。


 そしてついに、地龍が膝をついた。重い腹が地面に落ち、こちらの足元まで大きく揺れる。


「いけるぞ! そのまま押し切れ!!」


【極めて強い瘴気反応を検出】


「え――」


 地龍の背後に、二つの赤い目が灯った。


 黒紫の霧が人の形を象り、不揃いな二本の角が伸びていく。


「あいつ……!」


「戻れ!」


 ポンベが鋭く命じると、三体の分身体が即座に黒い影となって消えた。


「まずい。あいつは瘴気を操る精霊だ! 全員、近づくな!」


 黒紫の精霊がその姿を完全に現す。


 同時に、遠巻きに見ていた冒険者や衛兵たちも散り散りに逃げだした。


「……なんのつもりだ!」


 話しかけても返事はない。答えの代わりに、精霊の姿が消えた。


「くそ、浄化水が……」


 未だに〈フローラの革袋〉を留置場に取りに行けてないので、このままやつと交戦するのはまずい。


「イリス! チャックさんに浄化水を貰ってきてくれ!!」


「わ、わかった! 死ぬなよ、おっさん!」


 そう言ってイリスは中央区へと駆けだした。


 ラクトはその場に残り、表情を強張らせて黒紫の精霊を探している。


「ポンベ、今お前とネネムが魔障化するとまずい。やつの出方がわからない以上、避難した方がいいかもしれない」


「ああ、そうさせてもらおう」


 ポンベはそう言うと、ネネムの身体を片手で抱きかかえ、大きく後方へ跳躍していった。


 俺もその場を離れようとした、その瞬間――


 黒紫の精霊は、俺と地龍の真ん中に再び姿を現し、天へ手を掲げた。


「なにを――」


 上空に生まれた黒紫の霧が、一点へ集まって結晶となった。


 そして、結晶から黒紫の膜が全方位へ広がり、そのまま地面へ下りてきた。


「……豊!」


「まずい!」


 ポンベがこちらに駆け寄ってきた。


 上空へ逃れていたイーストも、俺に向かって急降下してくる。


 だが、どちらも間に合わなかった。


 次の瞬間、膜が地面へ達した。


 膜は巨大なドームとなり、黒紫の精霊は空気に溶けるように姿を消した。


 黒紫のドームの中に残されたのは、俺と地龍だけだ。


『グルルルルゥ……』


 地龍の低い唸りが地面を震わせ、背中の傷がずきずきと痛む。


「これは、まいったね……」


 今度ばかりは、俺、死ぬかも。


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