第37話:ワルターとウーサン
「それで、どこへ向かっているんだ?」
俺が尋ねると、エルミラは答える代わりに、馬車の車窓から見える建物を扇子で示した。
貴族街に入り、領主邸を越えたあたりから察してはいたが、念のため確認――いや、現実から目を逸らしたかっただけだ。
トレイデン商館。
百年余の歴史を持つ貿易商、トレイデン商会の本拠地だ。
ワルターとの一件で場を荒らしてしまったばかりだ。まず歓迎はされないだろう。
「……仕事が溜まってるし、そろそろ帰ろうかな」
「まぁ、面白い事を言いますのね」
そう言うエルミラはまったく面白そうな顔をしていない。
「な、なぁ、おっさん。あ、いや、ユタカサン? もっと良い服に着替えなくて大丈夫かな? つっても、持ってねェけどよ……」
イリスは貴族街に入ってからずっとソワソワしている様子だ。
「食事に行くわけじゃないんだから、大丈夫だよ」
「え、そうなンか? エルミラん家にお呼ばれして、美味いもん食わしてくれるのかと思ってたぜ」
修羅場しか待っていないというのに、相変わらず幸せなやつだ。
ワルターと顔を合わせると碌な目にあわないので、爺の後ろに隠れていよう。爺、背高いし。
爺と目が合うと、いつの間にか持っていた書類と朱肉を渡してきた。
「オオコウジどの。こちら、よろしければ拇印を」
書類には、この者に領民籍を与え、どうのこうのと書いてある。
「グランウェルズ家の印? これってまさか……」
「はい。公爵閣下直筆の公文書でございますな」
そんなものを馬車の中で手続きさすな。
「ええと、まだコリィさんにも報告できていないのですが……」
「ほっほっほ。コリィどのはオオコウジどののご母堂でしたかな?」
……まったくもってその通りだ。三十九歳にもなって何を言っているんだ俺は。
「わかりました。――これでいいでしょうか」
俺は内容を一通り読み、領主印の下に拇印を押した。たったこれだけで、俺はウェルズの領民となったのだ。
「おっさん、なんだソレ?」
「あぁ、領民籍をもらったんだ。これからは俺もウェルズの民だ」
「マジかよ! 家でも建てるンか!? アタシ、風呂付きがいいなァ~。水はアタシが出すから、熱魔石付きで、待ってるだけでお湯が沸いてさ……」
勝手な妄想を繰り広げているイリスはともかく、持ち家か。確かにずっと宿舎暮らしも窮屈なので、ひとつの選択肢ではある。
「この街で家を買おうとすると、どのくらい費用が要るんでしょうか」
「そうですな。もちろん条件にもよりますが、東の住宅街なら白金貨数枚。商業区の店舗兼住宅なら白金貨五枚といったところでしょうか」
白金貨とは金貨百枚分。およそ一千万円くらいだ。さすが国内有数の都会だけあって、家となるとそれなりにするようだ。
「おとなしく転職しておくべきだったかな」
「あら貴方、あんな小物に仕えるような器だったのかしら。とんだ見込み違いでしたわぁ」
「冗談だよ、勘弁してくれ」
奴の調子では、正当に給与が支払われるかすら怪しそうだ。
「貴方も一人前の殿方なら、龍でも倒してきなさいな。豪邸のひとつくらいすぐに建ちますわよ」
「家の前に墓石が立つって……」
「ぶふぅ! おーほほほほほほ! その通りですわねぇ!」
……エルミラとは、一生笑いのツボが合わないだろう。
「そろそろ到着いたします。トレイデン卿の配下にこちらの動きを悟られぬよう、少々回り道をいたしましょう」
「えぇ、商館に忍び込むつもりですか……?」
「何をおっしゃいますの? 正面から行くに決まっているでしょう。うふふふふ……」
エルミラは扇子で口元を隠しながら、心底楽しそうに笑っている。
本当に大丈夫だろうか……。俺とイリスだけまた捕まったりしないよな?
俺たちは爺に先導され馬車を下りると、人気の少ない路地へ入り立ち止まった。
「あの、ここは?」
「美味しい料理は、食べるタイミングが重要ですのよ」
爺がうんうんと頷いている。全く答えになっていない。
謎の待機時間を過ごしたあと、爺がちらりと大通りへ視線を動かした。
「お嬢様」
「行きますわよ」
今度はエルミラが先頭となり、大通りからトレイデン商館へ堂々と進んでいく。
商会の従者や門番がエルミラに気付くと、みな一様に腰を直角に曲げる。
先日俺の接客を担当した店員が慌てた様子で飛んできた。
「こ、こ、これはエルミラ様!? 本日は一体どの様な……あ、あの!」
エルミラは彼を無視して扉を開け、堂々とした態度で商館へと入っていく。
店員に恨みがましい目で見られるが、断じて俺がけしかけたわけではない。
中に入っても、店員たちは驚いて固まるか礼をするかだけで、エルミラを止められる者など一人もいない。
そのまま二階までずかずかと進んでいき、大きな木の扉の前で俺たちに向き直ると、口元に人差し指を当てた。
その指の向こうで、口角がみるみる吊り上がっていく。
「……だから言ってるだろうが! あんな化け物、俺が知るわけねぇだろぉ!」
「想定外の対処も含めての契約であろう! 声を落とせ!」
「俺に危険は及ばねぇって話だったろうが! だいたい、領主のガキが出てくるなんて聞いちゃいねぇ! 下手すりゃ斬首だぞ! これっぽっちじゃ納得いかねぇよ、旦那ぁ!」
「いいから、声を落とせと言っている!」
……なるほど。料理の食べ頃とは、こういう意味か。
扉の中の怒鳴りあいは丸聞こえだった。
エルミラがにんまりと笑った。
そして一歩下がると、ドレスの裾を揺らしながら片脚を大きく引いた。
ばあん!
令嬢の靴底が叩き込まれ、大きな木の扉が勢いよく開いた。
「ひぃっ!!」
「何事だ!!」
中には目を丸くしたウーサンとワルターが雁首を揃えていた。
「随分楽しい話をしているのねぇ。ごきげんよう、トレイデン卿」
「な、あ、う……エル、ミラ……」
ウーサンの手には、革袋。紐の開いた口からは、金貨が一枚覗いている。
ワルターの額には一瞬で脂汗が湧き出し、取り繕った笑顔は引きつっている。
「馬鹿者! 早く仕舞えっ!」
ワルターが小声でウーサンに指示するが、その無駄によく通る声が部屋中に響き渡っている。
「これはこれはエルミラ様。ご機嫌うるわひゅっ……麗しく」
冷静なフリをするワルターの目には涙が滲んでいる。
正直実感が湧かないが、おそらくひとつの人生の終わりを目の当たりにしているのだろう。
「そうねぇ。ぶんぶん小うるさかった蝿が死にかけている様は、そこそこ愉快かしらねぇ?」
「……っ! はて。なんのことでしょうな」
部屋の外には、不安そうに覗き込む店員や、爺と揃いのスーツの男たちが次々と並んでいく。
「お、おい、旦那ぁ~! 斬首は嫌だぁ! なんとかしてくれよぉ!」
震える声で泣きつくウーサンを、ワルターが一瞬するどく睨みつけたが、すぐに柔和な笑顔に戻った。
「さて、ウーサンくん。調査依頼は終わっているはずだ。その依頼料を持って、すぐに帰りたまえ」
「はぁ? 調査ぁ? 何言ってんだ、旦……いてぇ!」
ワルターはウーサンの髪を掴んで顔を至近距離で合わせた。
「君に頼んだ調査依頼は終わったはずだ。帰りたまえ」
「ひぃ、わ、わかったよぉ!」
ウーサンは逃げるように部屋を飛び出していったが、エルミラはそれを止めようともしなかった。
「おい、エルミラ。いいのか?」
エルミラは何も答えず、にやにやと笑うばかりだ。あ、扇子を取り出した。
「……失礼。あの騒がしい者がいては、エルミラ様のお耳を汚しますゆえ」
「あらぁ、どちらでも構いませんのよ」
エルミラは扇子で口元を隠した。
対するワルターはハンカチで汗を拭って襟を正した。
「さて……。何やら誤解があるようですな」
先ほどまでの狼狽が嘘のように、ワルターの声が落ち着きを取り戻した。
「私はあの男に、今回の魔障汚染について調査を依頼しただけです。先ほどの金銭も、その正当な報酬に過ぎません」
「あらあら、ふぅん?」
エルミラの目が細められていく。
「水道設備の管理者と、素性の知れぬ毒属性の男が、不審な瓶を受け渡していたのだ。領民の安全を預かる立場として、調べさせるのは当然でしょう」
「あらぁ? 取引は彼が目撃したのではなかったのかしらぁ?」
「……ごほん! そう、でしたな。彼……が報告してきて、私……が、再調査を依頼したのです。とにかく! 私は! 領民のためを思ってこその! ……調査依頼をしたのです」
「司法の場に立たせたことも?」
「それは彼自身が見聞きしたことを申し述べただけです。私が証言内容を指示した事実などございませんな」
「まだ何も言ってないですわよ?」
「……こんな仰々しく商館まで押しかけ――いえ、お見えになったので、行き違いがあるものとばかり」
「先ほど、『危険の及ばない契約』『領主のガキが来るのは想定外』――そう聞こえましたけれど?」
「ごほん! さて……瘴気にでもやられていたのではないでしょうかな。ふむ、怖いですな」
苦しい言い分ではあるが、嘘だと断じるのは難しい。さすがにこれ以上追求するのは無理なんじゃないか?
「それで終わりかしらぁ?」
「……はて、何のことでしょう」
エルミラが眉を八の字に曲げ、扇子を胸元に仕舞った。
「案外つまらないのねぇ。ワルター・トレイデン卿。……爺」
「はっ。こちらに」
爺はいつの間にか薄い書類の束を胸に抱えており、皆の注目のなか、執務室の机に静かに並べた。
書類にはトレイデン家と司法館の印が押されていた。
『告発状』
そう記された書類を、爺が一枚ずつめくっていく。
「な、何故それを……い、いや、別にやましいことはありませんぞ」
「ふむ……。『オオコウジ・ユタカ及び水道設備管理者チャックが、魔障汚染に関与している疑いあり』」
「『証人としてウーサンを推薦する』『都市の安全のため、速やかな身柄拘束を求める』」
「『両名が受け渡していた不審な小瓶の中身は魔障を発生させるものと思料する』」
確かに、特におかしいところはない。ウーサンを推薦しただけでは、何の証拠にもなっていない。
「今のは、司法官に提出された正式な告発状ですな。そして、もう一冊――」
爺は抱え残していた一冊の台帳を、机に並べられた告発状の上に置いた。
『監視報告書』
ワルターの動きが止まる。
今度はエルミラが台帳をめくった。
「この報告書は――告発状が提出される前の日付ですわねぇ」
「じじい! それをどこから手に入れた! 執務室に仕舞ってあったはずだ!!」
「ほっほ、随分慕われていたようですな。トレイデン卿」
「くぅぅぅ!」
「うふふ、では、卿のもので間違いないのねぇ」
「はっ……! い、いや違う! 私は!」
「『浄化水の入った小瓶を受け渡し』――あらぁ? 同じ瓶が、こちらでは浄化水で、こちらでは汚染の種なのねぇ?」
「そ、それは……! あくまであの者の主観の話だ! わ、私には関係が――」
その時、廊下から大きな声が響き渡った。
「ぶはぁ! ふざけんな旦那ぁ! 『浄化水を魔障の種だって言え』って、あんたが指示したんじゃないかぁ! 俺ぁ言われた通りにしただけだぁ!」
ワルターの顔がみるみる色を失っていく。
「や、奴は去ったはずでは……」
「ふぅ。重要参考人を、はいそうですかで帰すわけないでしょう?」
廊下では、爺と同じスーツの男がウーサンの身体を組み伏せていた。口を塞がれていたらしく、口元がすっかり赤くなっている。
「違う! 違うのですエルミラ様! わ、私は領民の安全のためにこそ……!」
「水道設備の管理者と、浄化の手段を持つ者を同時に拘束して、次に魔障汚染が起きたらどう対処するつもりでしたの?」
「それは……その……」
「お答えになれませんの?」
「い、いやその……あああ! どこの馬の骨とも知れない毒属性の男が! 街の生命線を握っているなど! 許されるはずがない!! オオコウジ・ユタカぁ! 領主の娘に取り入っても、私は騙されんぞぉ!」
一ミリたりとも取り入った記憶はないけどね。
「ふむ。トレイデン卿。彼はれっきとしたウェルズ領民ですぞ」
「は……?」
爺は、さきほど俺が拇印を押した領主直筆の公文書を、ワルターに読ませてみせた。
「こ、公爵閣下の……そんな、なぜ……」
ワルターの身体がよろけ、ソファにへたり込む。
エルミラは、胸元の赤いブローチをそっと撫でた。
「お父様が頭を下げた相手に、ずいぶんな真似をしてくださったわねぇ?」
「ひっ! エルミラ様! お許しを! そ、そうだ、オオコウジ君には、あ、アズマの交易品を全て贈ろうじゃないか! それに、トレイデン商会の東方交易権益の一部を君に譲ろう!」
おお、不労所得じゃないか。魅力的ではあるが、そんなものを受け取ったらろくでもないことになるのは明白だ。
だいたい、ウーサンに渡す小銭すらケチっていた男に、既得権益を明け渡すことなどできるはずがない。
「ご安心なさいな、トレイデン卿」
エルミラはにっこりと笑った。
「彼の庇護はグランウェルズ家で充分ですの。それより、これから貴方の身柄は、領主家が責任を持って保護いたしますわぁ」
「な……」
「住居も食事もこちらで用意いたしますので、ご心配なく」
「……まさか」
「ええ。地下牢ですが」
「こ、この私があああっ!! 小娘ぇぇっ!!」
ついにワルターがエルミラに向かって飛びかかった。
だが、エルミラはマジックバッグからサーベルを取り出し、その切っ先をワルターの眼前に突き付けた。
「終わりですわね、ワルター・トレイデン。トレイデン家の後継は、領主府が責任を持って選んでおきますわ」
「あ、あぁ……」
がくりと、ワルターの身体から力が抜け、床にへたり込んだ。
最後に、恨みがましく俺を睨みつけてきた。
「オオコウジ・ユタカ……貴様さえ……貴様さえ現れなければ……」
怖かったので、視線を合わせないようにして、さっと爺の後ろに隠れた。
爺の後ろでは、先客のイリスも涙目でプルプルと震えていた。
* * *
ワルターとウーサンは、そのまま領主府の兵に拘束された。
ウーサンが虚偽の証言を認め、告発の根拠も崩れたことで、俺とチャックにかけられていた嫌疑も正式に晴れた。
「はァ~、まるで演劇でも見てる気分だったぜェ……」
貴族街を出た俺たちは、ギルドへ報告するために中央区へ戻ってきていた。
丸二日もギルドを無断欠席してしまったので、コリィさんにさぞ心配されていることだろう。……してくれてるよな?
「さすがに疲れたね……。今日はもう何も起きないと助かるなぁ」
「おいおい、おっさん。ンな事言うとよ……」
ずぅん!
まるで隕石でも落ちたかのような地響きが、街の北から轟いた。足元が大きく揺れ、道行く人々から悲鳴があがる。
「ほらなァ~~!」
「……俺のせいか、これ?」
「逃げろぉ!! ち、地龍だぁ! 街の外に地龍が現れたぞぉ!! ウェルズは終わりだぁ!」




