第39話:黒と白の結界
「やあ、地龍。少し話をするかい?」
『……』
無視されてしまった。さっきまであんなに俺のことを執拗に狙っていたのに。
地龍は首を動かし、黒紫のドームを見渡している。
ドームの中には、石畳の街道の一部と、その周りの草原がある。地龍の右側には、先ほど倒壊した貸し竿店の瓦礫が散らばっている。
地龍がずん、と一歩踏み出した。
「く、来るか……!?」
だが、俺の方に向かってくるのではなく、ドームの端の匂いを嗅ぎ始めた。
今のうちだ。俺も脱出手段を探したい。だが……。
「この膜、どうなってるんだ?」
俺は足元の小石を拾って投げつけてみた。
すると小石は、どぷん、とゼリーのように飲み込まれ、そのまま膜に沿って床に落ちる。
かなり粘度の高い瘴気の層のようだ。
「うーん……地龍に踏みつぶされるよりはマシか……?」
いや、こんな濃度の瘴気を浴びたらどうなるかわからない。賭けに出るには危険すぎる。とはいえ……
向こうも脱出は無理そうだと踏んだのか、再び俺の方を向いた。
「なあ、ここはお互い協力し合わないか?」
『……』
地龍は俺を無視して天を仰いだ。あ、だめだ。
「ちょ、待って!! 死ぬって!」
急いで横に走り出すと、俺に向かって地魔法が走りだす。
しかし、俺は避けきれず、せり上がる地面の端に足を取られて転倒してしまった。
「がはっ! うう、くそ……なんで俺を狙うんだよ……」
地龍がこちらに歩いてきた。その一歩が石畳を砕き、地響きを轟かせる。
「……〈ポイズンマシンガン〉ッ!!」
急いで立ち上がり、膜の外周に沿って逃げながらも、地龍の頭から足下、尻尾まで〈ポイズンアロー〉を連発する。だが、撃ち出した紫の針は全て皮膚まで届かず霧散してしまう。
だめだ。どうしようもない。少しでも逃げ延びて、奇跡でも起きるのを待つしかない。誰か助けに来てくれ……!
しかし、逃げても逃げてもそんな気配は訪れない。幸い地龍は本気で追いかけっこをするつもりはないようだが――
『グゥゥゥ、フゥゥゥゥゥ……』
突然地龍が歩を止め、呼吸が荒く、深くなっていく。
「はぁ、はぁ、なんだ……? 疲れたのか?」
地龍の呼吸に合わせるように、四肢と尻尾の赤黒い魔力の光が明滅しながら、徐々に輝きを増していく。
違う。これは、マジでやばいやつだ。
だが、俺に止める術などあるわけがない。とりあえず、少しでも遮蔽物のある貸し竿店の瓦礫の方へ向かう。
腰ほどの高さの壁が残っていたので、急いでその影に隠れ、様子をうかがう。
いよいよ地龍の呼吸が激しくなり、ひときわ大きく息を吸い込み、ぴたりと止まった。
四肢の光が消え、喉元が強く光る。
『ガァァァァァ!!』
地龍の口から、土色に濁った魔力の奔流が轟音と共に吐き出された。
今まで見てきた地魔法や物理現象の類ではなく、魔力経路の光に近いような、魔素そのものがエネルギーの暴力と化して迫ってきていた。
濃密な地の魔力は眩しい光の柱となり、石砂を巻き込みながら一直線に俺へと突き進む。
道端の草が奔流に呑まれ、灰色に変わる。風に揺れていた穂先が、その形のまま動きを止める。
「石化!? まずい!!」
崩れた壁に縮こまって身を隠す。
魔力の奔流が壁へ激突し、轟音と共に壁材を削っていき、見る間に幾筋ものひびが走っていく。
ひびが壁の端まで達した瞬間、壁が砕け散った。
俺の全身に、砕かれた瓦礫と、魔力の奔流――ドラゴンブレスが容赦なく浴びせられた。
「がっ!! し、ぬ……」
ブレスが収まった。だが、身体が動かない。かろうじて目を開け、倒れている自分の手が見えた。
「……!」
手首から先の皮膚が、服から露出していた部分だけ灰色に硬化している。
腕で顔をかばっていたおかげで、頭まで石にされて即死――という最悪の結果は免れたようだ。
指はわずかに動く。だが、握ろうとしても力が入らない。
ずん。
視線を上げると、魔力の光を失った地龍が、追撃もせずにたたらを踏んでいた。
「あい、つ……俺に、近づきたく、ないのか……?」
やつが黒紫の精霊の差し金だとしたら、発酵術を警戒しているのかもしれない。
とはいえ、たとえそうだとしても、すぐに地魔法が飛んでくる。動け! 足は無事なんだ! 動け!
「おおおおお!」
俺は全身の痛みに耐えながら、足と肘の力だけでなんとか立ち上がった。
地龍の四肢には徐々に赤黒い光が戻ってきている。
俺に取れる選択肢は――さすがに、ない。
ただ逃げ回るしかない。そう諦めかけた瞬間。
強烈な刺激臭が鼻をついた。
「あれは……」
さっきのブレスで瓦礫が吹き飛ばされたせいか、その奥から大きな木桶が転がり出ていた。
木桶の蓋は外れ、中身の黒い塊が地面いっぱいにぶちまけられている。
モルトコオロギのブラッドバスワタ漬け。
店主謹製の、特エサだ。
俺は握力を失った手でそれを持てるだけ掬い取った。
「釣具屋なら、あれが、必ずあるはず……ど、どこだ……」
近くを見渡すと、それはすぐに見つかった。
川に釣り餌を撒くための、柄の長い柄杓だ。
柄杓の先にエサを詰め込み、震える足で地龍に駆け寄った。
ずん。
俺が何かを持って駆け寄ってくるのを警戒したのか、地龍は一歩後ろへ下がる。その脚には赤黒い光がかなり戻ってきている。
だが、俺の方が先だ。――射程圏内だ!
「これでも、喰らえ……!」
柄を握れないので無理やり両手で挟み込み、肩ごと振り抜いて、地龍の鼻先へその黒いエサを投げつけた。
びしゃ。
『……』
「命中だ。……さすが、俺」
いたちの最後っ屁をくらえ。
「……〈促進〉ッ!!」
地龍の鼻先についた発酵エサが一段と黒さを増し、ぶくぶくと泡立ちはじめた。
『グアアアアァァァァ!!』
地龍は首を振ってエサを散らし、地面に鼻をこすりつける。そんなことであの臭いが消えるものか。
前脚で顔を拭うが、爪の隙間にまで発酵エサが塗り広げられ、逆に被害が広がっていく。
こちらにまで臭いが届き、思わずむせてしまった。
「げほっ、うう。どうだ……臭いだろ……!」
だが――それだけだ。
俺は最後の力を使い果たし、その場にへたり込んだ。
『……グルルルルゥ』
さすがに怒っている。もう、できることはやった。あとは地魔法が飛んでくるだけだ――
「っさん……おっさーん!!」
「な!? イリス!?」
声のした方を振り向くと、黒紫の膜に小さな穴が開いていた。
「は……?」
「まだ生きていますわね! 地龍相手に生き延びるなんて、見直しましたわぁ!」
「エル、ミラ……」
エルミラが手をかざして、黒紫のドームに光を当てている。彼女が魔法の光で穴を開けてくれたようだ。
小さな穴から、乳白色の結界を張ったラクトとイーストが飛び込んできた。イーストが持っているのは――
「オオコウジ様! 新しい浄化水ですぞ! ヒーヒヒヒ!」
「チャックさん……! みんな……!」
『ガァァァァ!』
騒ぎを見て慌てた様子の地龍が天を仰いだ。
【ラクト:結界に入れ!と伝えています】
「うおおおおお!」
俺は残った全力を込めて立ち上がり、ラクトへ数歩近づいた。ラクトが俺の頭にしがみつき、結界で自身と俺を包み込む。
「ラクト!! 地魔法、耐えられるのか!?」
【ラクト:無理だ、と伝えています】
「無理なのかよ!」
【ラクト:力を貸せ、と伝えています】
ラクトに頭を蹴られた。力って――そうか!
俺は自身の手を見る。発酵エサのせいでびしょびしょに汚れている。
地龍から地魔法が放たれる。せり上がる地面がこちらへ一直線に向かってくる。焦って魔力が溜まり切っていなかったせいか、ひと回り小さくはあるが、それでも直撃すれば致命傷だ。
俺はラクトの全身を手で包み込み、手に付いた発酵エサを擦りつける。そして、ラクトに対して魔力を込めた。
「ラクト!! こいつを栄養にしろ! 〈培養〉だッ!!」
ラクトが大きく頷き、両腕を広げた。
【〈ラクト・フォートレス・ぷち〉】
次の瞬間、俺とイースト、ラクトの三人を乳白色の眩い光が包み込み、分厚い結界が展開された。
普段とは比較にならないほど濃い乳白色で、外の様子すら見えないほど分厚い。
一拍置いてボコ、ボコ、と地魔法が当たる音が聞こえてきた。当たった箇所が所々赤く染まりながらも、結界は最後まで耐えきった。
「……止まった、か!?」
ラクトが結界を解除した。
外には、結界を避けるようにせり上がった地面と、再び魔力の光を失い、今度こそ息を荒げる地龍の姿があった。
先ほど開いていたドームの穴は塞がれている。
イーストが俺に小瓶を差し出してきた。
「ありがとう、ラクト、イースト。……ここからは、俺たちのターンだ」
イーストはこくりと頷く。
「いくぞイースト! 顕現せよ――マナ・セレビシエ!」
金色の光を纏い、イーストが真名の姿へと変わる。
「ゆたかぁ! 生きててよかったぁ!」
「あぁ。こんな陰気くさいドーム、さっさと抜け出してしまおう」
ずぅん!
地龍が頭を下げ、角を俺たちに向けてきた。いよいよ直接攻撃が来る。
「イースト、頼む! ――〈培養〉!」
「うんっ! 〈イースト・ブルーム〉!!」
俺は浄化水を〈培養〉しながら空中にぶちまけ、イーストがそれを空中に広げた。
金色の光がドームの中全体に広がっていき、地龍も巻き込みながら瘴気の膜を光らせていく。
『ガァァァァ!!』
地面がうなるほどの咆哮が上がり、地龍の突進が止まった。腹から漏れ出る瘴気が淡く光っている。
瘴気の膜は光を放ちながらマナ・バクテリアに浄化され、虫食いのような穴が次々と開いて、外の様子が見えてきた。
「おっさぁーん!!」
「豊! 無事であったか!」
「……生きてた。びっくり」
「イリス、ポンベ、ネネム……」
瘴気のドームは綺麗さっぱり消え去り、外の三人が駆け寄ってきた。
「貴方、その手……」
エルミラが俺の石化した皮膚を見て、表情を曇らせた。
「……あとで話すよ」
『……グルルルルル』
地龍の腹の光が消えた。だが、再び腹から黒紫の霧が漏れ出ている。おそらく、浄化の上限量を上回ったのだろう。
「あとは、私に任せるとよい」
ポンベが一歩前へ出た。
その輪郭がぶれ、分身体が三体躍り出た。
「……ポンベ、だめ」
「どうした、ネネム」
ネネムの声を受けて、ポンベが分身体を霧散させた。
「ああ!! あンにゃろ~~! あんな所にいやがった!」
地龍の頭上に、黒紫の精霊が姿を現していた。
「へへん! 浄化水ならいくらでもあるぜ! 今度こそとっ捕まえてやるからなァ、覚悟しろ!!」
そうイリスが叫ぶと、黒紫の精霊はイリスとチャックが抱えていた浄化水の小瓶を見比べた。
数秒にらみ合いが続いたが――
黒紫の精霊は最後に俺たちをぐるりと見渡すと、姿を消した。
「あら、また逃げましたわねぇ」
そうなると、残りは地龍だけだ。
地龍は再び頭を下げ、二本の角をこちらに向けようとした。
だが、重心を下げた途端、前脚がもつれ巨体が傾いた。
前脚を踏み直し、どうにか倒れずにこらえたが、剥がれた鱗の下から血が噴き出し、石畳を赤く濡らした。
「来るか……やつも深手を負っている。勝機はあるか……?」
魔法を放てる者は手をかざし、ポンベは分身体を再び出す。各々が地龍に向けて臨戦態勢に入った。
『……』
地龍はゆっくりと頭を上げた。
――ずん。
一歩、後ろへ退いた。
「あ、おい! あいつも逃げンぞ!」
「豊、追うか?」
「いや……待ってくれ、やつを追い詰めるのは危険だと思う」
俺は石化した手を皆に見せた。
「え……お、おっさん……それ……」
「深追いするよりも、逃げるのなら逃げてもらった方がマシかもしれない」
「そうか。ネネム、お前はどう思う?」
「……危険」
「わかった。豊とネネムがそう言うなら、止めておこう」
ポンベはそう言うと、分身体を霧散させ、黒猫の姿へと戻った。
イーストもそれに続いて、普段の姿へと戻る。
地龍はその様子を見届けると、踵を返して北へ歩いていった。
少しだけ戻った魔力を使い、地魔法で川に足場を作り、その姿を小さくしていく。
「……生き延びた、か」
俺は力を失い、その場に倒れかかったところをイリスに抱えられた。
「おっさぁん、さすがに今度ばかりは死んだかと思ったぜェ……」
「は、は……勝手に……ころ、すなよ」
あ、だめだ。目の前が真っ暗になっていく。
意識を失う直前、発酵エサにまみれてカピカピになったラクトが俺の目の前まで飛んできた。
【ラクト:臭い、と伝えています】
額をごつんと蹴られ、俺の意識は途絶えた。
――眠りのなか、皆が俺のことを呼ぶ声が聞こえていたような気がする。




