第34話:二杯目と二回目
「料理長は昆布と切り身で出汁取りを。他の皆さんは塩焼きを作ってください」
領主邸に戻ったあと、俺は米を研ぎながら指示を出していた。
ウェルズには米を炊いて食べる習慣がないらしく、飯炊きだけは俺が記憶を頼りにやるしかない。
「醤油、戻しましたぁ」
料理人の一人が持ってきた百五十万円相当の戻し醤油を一匙掬い、舐めてみる。
「……っ。はい。問題、ありません」
それは、まったく同じものではなかったが――懐かしい香りに、思わず涙ぐむ。
小ぶりの銅鍋で米を炊く。
「ええと、始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても……だったか」
「何をぶつぶつ言ってらっしゃるの?」
エルミラが物珍しそうに鍋の様子を覗いてくる。
「いやなに、鍋で米を炊くなんて滅多にやらないからね」
「ずいぶん嬉しそうですわね。お米なんてそんなに美味しかったかしら」
言ってろ。炊いた白米より美味しいものがあるもんか。
鍋の中から聞こえていた水音が収まり、ぱちぱちと乾いた音に変わる。俺は火を止め、蓋には触れず、そのまましばらく蒸らした。
頃合いを見て蓋を取る。
「……完璧だ」
少しお焦げの付いた、最高の炊き具合のご飯から湯気が上がる。
俺は炊いた米をざるに開け、水で洗う。
「おい! 何やってるんだ!」
料理長が慌てて駆け寄ってくる。
「炊いたご飯をあえて洗って、表面のぬめりを落とすんです。そうすれば出汁が濁らず、米粒もさらっと仕上がる」
「何だそりゃ、初めて聞いたぞ……お前、料理人じゃないとか言ってなかったか?」
二十年近く一人暮らしをして、雑炊には一家言あるだけだ。
「最後に火にかけた出汁に入れ、卵を回しかけ、戻し醤油をほんの少し……よし、美味い」
慣れ親しんだ雑炊にかなり近い味が再現できた。
料理人たちが用意した薬膳素材から、出汁の風味を邪魔しないものだけを選び、細かく刻んで鍋へ加える。
「そして最後に――」
ピカピカマスの焼きほぐしを少しだけ乗せる。
「できたぞ。『ピカピカマスの薬膳雑炊 炙り身乗せ』だ」
周りの料理人から歓声があがる。
「――お父様にお出ししてみましょう」
廊下の奥から本館へと入り、俺とエルミラ、爺、料理長の四人で領主の私室へと入る。
私室には意匠を凝らした家具が並び、壁際には数人のメイドが控えている。その奥に置かれた大きく絢爛なベッドには、ひどくやつれた初老の男性――ウェルズの領主が横になっていた。
「お父様!」
「おぉ、エルミラ。何か良いことでもあったのかい」
領主が自身で身体を起こそうとしたのを見て、メイドが慌てて支える。
「えぇ、お父様。びっくりするわよ。これを見て!」
エルミラが、運んできたワゴンをベッドに寄せ、小鍋の蓋を開け雑炊を器によそう。
「これは、リゾットかな? エルミラ、私は米料理は……んん? この香り、まさか」
「ピカピカマスですわ! お父様に召し上がっていただきたくて!」
「そう手に入るものではないと聞いていたが……」
エルミラはベッドの脇へ腰を下ろし、雑炊をひと匙すくった。
「お父様、どうか……」
領主は諦めたように口を開いた。
一口。
長い間があった。
エルミラが二口目をすくおうとすると、痩せた手が伸び、その手から匙を受け取った。
もう一口。さらに、もう一口。
誰も言葉を挟まないまま、器が空になった。
「エルミラ」
「はい」
「……もう少し、もらえるか」
部屋にいる者たちの顔が、ぱぁっと明るくなる。
「――はい!」
エルミラは空になった器を受け取り、いそいそと二杯目をよそい始める。
これで病が治るわけではないが、それでも、食べたいという気持ちが戻った。今はそれで十分だろう。
領主は二杯目を半分ほど食べたところで匙を置き、一息ついた。
残った切り身と出汁を保存すれば、一週間ほどは同じものを出せる。その間に少しでも体力を戻してもらいたい。
エルミラは俺を紹介し、ここへ来るまでの経緯をかいつまんで説明した。
「――そうか、君が巷で噂の〈街の地下を浄化槽にした者〉か」
「恐縮です。過分な評価ですが」
「過分かどうかは、見る側が決めることだ。地下の件では、領主でありながら何もできず、歯がゆい思いをした。街を代表して礼を言おう」
領主に頭を下げられてしまった。
「ちょ、え、やめてください! 俺は雇われただけです!」
胃に穴が開きそうだ。政治は知らないが、病人の公爵に頭を下げさせるなんて、どう考えてもヤバい状況だとわかる。周囲の目線が怖すぎて視線を逸らすこともできない。
なんとかすぐに頭を上げてくれ、俺は胸を撫で下ろした。
「雇われた仕事であろうと、君が街を救った事実は変わらない。礼くらい言わせてくれ」
「……わかりました。ありがたく受け取ります」
「うむ。それでよい。エルミラ」
エルミラは領主に近づくと、扇子で口元を隠しながら耳打ちした。領主が大きく頷く。
この貴族特有の阿吽の呼吸、苦手だなぁ。
「〈街の地下を浄化槽にした者〉オオコウジ・ユタカよ」
「は、はい」
「そなたに領民籍を与えようと思うが、どうだろうか。私からの心ばかりの礼だ」
「……!」
俺がウェルズに籍を置く?
正直、いつかふらっとモルトンに戻ったり、話に聞くアズマに移り住んだりするものかと思っていた。
「なに、籍を置いたからって君を縛り付けるものではない。市民税の免除はできないが、代わりに暮らしの不便も少なくなるであろう」
この世界で出会った人たちの顔が頭をよぎる。
「……よろしくお願いします。俺、けっこうこの街が気に入ってるので」
「うむ」
領主は満足そうに頷いた。
「手続きは後日、滞在先まで使いの者をよこそう。ところでオオコウジ君。君は――」
どんどんどん!
領主私室の扉が激しく叩かれた。
「なんですか、騒々しい」
爺が扉を開けると、領主邸の私兵が息を切らせて立っていた。
「失礼いたします! 火急の要件につき、ご挨拶を省略し――」
「要件を言いなさい」
「はっ! ウェルズ地下水道の水が瘴気に再汚染されていると報告を受けました!」
「地下水道だって!? あそこにはマナ・バクテリアの入った濾過槽があるはずだ!」
「じ、自分は詳しいことはまったく……申し訳ありません!」
「すみません、公爵閣下。すぐに向かいます!」
「すまぬな、頼んだぞ。オオコウジ君」
俺は領主邸の馬車を借り、すぐに中央区の水管理組合詰め所へ向かった。
詰め所では慌てた様子の職員たちがせわしなく動き回っている。
その中に見知った顔を見つけ、声をかけた。
「チャックさん!」
「オオコウジ様! よくぞ来てくださいました! ヒーヒヒヒ!」
笑ってはいるが、困り果てている雰囲気が透けて見える。
「どういうことですか? 濾過槽のマナ・バクテリアは?」
「ヒヒ……その濾過槽に大きな瘴気の塊らしき結晶が、突如出現したのです。濾過槽のマナ・バクテリアだけでは浄化が追いつかず……」
醸造所の川でも見た黒紫の結晶か。確かに、あれほどの瘴気の発生源だと、俺とイーストがいないと厳しいだろう。
「すぐに浄化します。濾過槽ですね」
俺たちは地下へと下りていった。
地下水道の水路は黒紫に染まっていた。濾過槽より先が、ゴーレムに強く汚染された時よりも濃い魔障水で満たされている。
しかし、濾過槽へ行く前までは澄んだ水が流れている。ゴーレムの再汚染ではなさそうだ。
扉をくぐり濾過槽を調べると、その取水口に、たしかに醸造所そばの川の湧き口で見たものと同じ、黒紫の結晶が根付いていた。
「〈培養〉!」
「〈イースト・ブルーム〉!」
真名解放したイーストが、金色の光を地下一帯に広げていく。
〈イースト・ブルーム〉により、結晶は溶けてなくなり、再び地下水道は平穏に包まれた。
「ゆたか、これ、ぜったいおかしいよ!」
「あぁ、偶然ではないだろう」
川の上流に街の水道。明らかに、被害の大きいところが狙って汚染されている。
故意にこの瘴気の結晶を生み出している何かがいる。
「チャックさん、怪しい人物などは見ませんでしたか?」
「安全門から先は必ず人の往来に記録をつけております。内部に犯人がいるとは考えたくないですが……ヒヒ」
「チャックさん。今朝、ここから離れた川上でも同じ事件が起きています。安易に決めつけるのはやめておきましょう」
「なんと、本日だけで二箇所も……! ヒヒヒ、きな臭いですな」
念のため、俺は浄化残しが無いか、魔力を集中しながら濾過槽室内を確認する。
よし、濾過槽内に瘴気の気配は残っていなさそうだ。
そう安心した瞬間。
一瞬視界に入った部屋の最奥から、強く魔力を引かれる感覚を覚えた。
【極めて強い瘴気反応を検出】
なんだ!?
弾かれたように振り返る。
【瘴気反応:なし】
「あれ……?」
俺は反応のあった部屋の最奥まで行き、くまなく周囲を探ったが、そこには石壁しかない。
「ヒヒヒ、オオコウジ様。どうされましたかな?」
「い、いえ。強い瘴気の反応があった気がしたのですが……今は消失したようです。おかしいな」
「それはそれは、ヒヒ。奇妙な事でございますな」
しばらく注意深く観察しても、結局再び反応することはなかった。
その後、安全門の入退場記録から職員の動きを調べてみたが、特に怪しそうな人物は見つからなかった。川上と地下水道で実行犯が別なら、絞るのは難しいが。
「ヒヒヒ、オオコウジ様。ともあれ、迅速な対応に感謝いたします。しばらく濾過槽には警備を配置いたしましょう」
「はい。またゴーレムが動き出さなくて良かったですよ」
「ヒーヒヒヒ! まったくでございますな」
そんなことを言いながら地上へ戻ると、詰め所内は突如ものものしい雰囲気に包まれていた。慌ただしかった詰め所の職員たちが皆一様に静止し、息を飲んでいる様子だ。
「なんだ……?」
職員たちの視線を追うと、詰め所の事務所で、盾と槍を携えた衛兵たちが何かを探している。
「ヒヒ……これは一体……」
「あ、所長! それが――」
衛兵たちはこちらに気付くと、俺とチャックに槍を突きつけ、取り囲んできた。
「ヒ……」
「お、おい……! なんのつもりだ!」
衛兵の中でもひときわ屈強な、隊長格の男が前に出て声を張り上げた。
「オオコウジ・ユタカ! 並びにチャック! 魔障汚染の実行犯の疑いにより、拘束する!」




