第32話:結晶と灼光
「川って……この川の上流ですか?」
「んだ! 例の浄化水は持ってるだか!?」
俺は腰に着けている〈フローラの革袋〉を見る。ポンベの件で使い切ったが、再びチャックに頼んで補充は済ませてある。
「はい、持っています」
「すぐに荷馬車に乗るだ! 引き返すぞ!」
「エルミラ、そういうわけなので、ピカピカマスの件はまた後日改めて――」
俺はエルミラへ向き直り、そう言いかけると――
「興味深いわねぇ……わたくしも同行しますわ。名誉を挽回してみせなさぁい?」
エルミラの片方の口角が、にやりと持ち上がる。俺と目を合わせたまま、ゆっくり顎を反らした。
「……遊びじゃないんだ。野次馬なら勘弁してくれ」
「あらぁ? そんなつもりはないですわ。……爺!」
「はい、お嬢様」
エルミラの荷馬車から、爺と呼ばれたスーツ姿の老人が降り立ち、俺たちの前へやってきた。
「聞いてたわねぇ?」
「もちろんでございます。ただちに川沿いの者たちを避難させます」
「動きなさい」
「はっ」
爺が短く指示を飛ばすと、荷馬車から同じスーツ姿の男たちが三人飛び出し、川辺の釣り人たちや貸し竿店の者たちへ避難を呼びかけた。
「何をぼーっと突っ立っているのかしら? 〈街の地下を浄化槽にした者〉オオコウジ・ユタカ。貴方も動きなさい」
「わ、わかった」
俺たちは二台の荷馬車に分かれて乗り込み、川上醸造所へと走り始めた。
* * *
「これは……!」
川沿いを遡るにつれ、水面に黒紫の筋が混じり始めた。
醸造所の脇から大河へ注ぐ小川まで来ると、その流れは川幅いっぱいに黒紫へ染まっていた。その様は、いつかの地下水道を思い起こさせる。
「今朝から突然こんなことに……おらたちも何がなんだかわからねぇだよ」
「あ、所長!」
醸造所の従業員がブールのもとへ駆けてくる。
「汚染源を突き止めました! 小川の湧き口です!」
俺たちは従業員の案内で、大棚平とは別の作業道を通り、醸造所の裏手にそびえる崖の上へと回り込んだ。
小川は、山肌の岩間から湧き出していた。
その湧き口に、拳ほどの黒紫の結晶塊が、根を張るように食い込んでいる。
岩間からあふれた透明な水が、結晶の表面を伝うたび、墨を溶かしたように黒紫へ染まっていく。
「なんて禍々しい塊だべ……」
「明らかに、これが原因ですね……」
「〈毒鑑定Ⅱ〉」
【高濃度の瘴気反応を検出】
【結晶表面から水中への溶出が進行しています】
瘴気の塊が、川に溶けだしている。なぜこんな所に? いや、理由よりも浄化が先だ。
「それで、これをどうするつもりかしら?」
エルミラが黒紫の結晶に近づき、観察し始めた。
「エルミラ、危ないから近づくなよ」
注意するが、全く聞く耳を持たない。さっさと浄化してしまおう。
イーストが鞄から飛び出し、俺と視線を合わせ、頷いた。
「頼んだぞ。顕現せよ――マナ・セレビシエ」
白金の光と金色の麦粒が小さな身体を包み、泡が弾けた次の瞬間、淡い金髪と半透明の翼を広げた人の姿へと変わった。
「まぁ、美しいですわ」
エルミラが胸の前で両手を握り、人型となったイーストに見惚れている。
「わたしのでばんだね!」
「ああ、浄化水を結晶に掛けるから、汚染した川へ広げてくれ」
今回は邪魔も入らなそうなので、さくっと解決できそうだ。
俺は〈フローラの革袋〉から小瓶を取り出し、蓋を開ける。
「おい、エルミラ。危ないから離れてくれってば」
「貴方、本当に面倒な男ですわね。神経質な殿方は女性に好かれませんわよ」
……こいつ、本当にどうしてくれようか。
「……何があっても知りませんよ、お嬢様」
「はぁ……しつこいですわぁ。貸しなさい。わたくしが掛けますわ」
そう言うと、エルミラは俺から小瓶をふんだくった。揺れた小瓶の口から浄化水が少しこぼれる。
「あっ! 何するんだ!」
止める前に、エルミラは黒紫の結晶に浄化水を回しかけた。
浄化水は結晶に反応し、今まで見たなかでもひときわ強い浄化の光が広がる。
「まぁ、これが噂に聞く『光の水』ね。間近で見られて嬉しいですわぁ」
次の瞬間、塊から光に包まれた大粒の泡がぶくぶくと立ち始めた。泡が弾けるたび、黒紫の粒子が周囲へ霧散する。
「なっ!? エルミラ! 離れるんだ!」
「あら、これは瘴気かしら? せっかく綺麗でしたのに、無粋だこと」
エルミラは胸元から扇子を取り出し、黒紫の結晶へ向けてあおぎはじめた。
「おいおい! 何平然としてるんだ! 瘴気を浴びてるぞ!」
どう見ても扇子程度じゃ押し返せていない。エルミラの身体の周りを黒紫の霧が薄く取り巻く。
「ふぅ……まったく、大の大人が取り乱して、情けないですわね」
そう言った次の瞬間、エルミラの身体がまばゆく光った。それは浄化の光よりも強く、もはや直視すらできない。
「魔法!?」
「なんだこりゃ、眩しいだよ!!」
「わ~~! ゆたかぁ~~!」
数秒後、光が収まると、エルミラの身体を包んでいた黒紫の霧は消えていた。
「え……瘴気は?」
「おほほほほ! このエルミラ・ルナ・グランウェルズに、毒だの瘴気だのが効くと思って?」
思うわ。こんなの予想できるわけないだろ。
「なんだそりゃ……いや、さすがに驚いたよ。あまり心臓に悪いことはしないでくれ」
気を取り直して湧き口を見ると――
「……あれ?」
黒紫の結晶は、まだ湧き口に残っている。先ほどまで立っていた白金の泡と浄化の光だけが、綺麗さっぱり消えていた。
結晶の表面に残った水へ、もう一度意識を向ける。
「〈毒鑑定Ⅱ〉」
【微小生命反応を検出できません】
【魔障反応:あり】
「エルミラ……お前、浄化水まで滅菌したな」
「ゆたかぁ~~、わたし、あの光きらい~~」
魔菌の精霊であるイーストも嫌がっている。『きらい~~』で済む程度の被害で良かった。やはり、精霊とは菌そのものではないのだろう。
「あらぁ? それは失敬。もう邪魔はいたしませんわ」
エルミラはそう言い、一歩退いた。最初からそうしてくれればいいのに……。
「浄化水は無限じゃないんだぞ……」
俺は再び小瓶を取り出し、黒紫の結晶に流しかけ、数歩離れた。
黒紫の結晶が光に包まれ、泡が立ち始める。今度は近くに瘴気を浴びる者はいない。
「イースト、改めて頼む」
「うん、いくよ! 〈イースト・ブルーム〉!」
イーストが結晶に手をかざすと、浄化の光は金色の光と混ざり合い、黒紫の結晶を起点として、川の中を下流へ向かって光が伸びていく。
結晶はやがてひとかけらも残らず溶けきり、光る川だけが残った。俺は空いた小瓶に浄化水を補充し、再び〈フローラの革袋〉へ仕舞った。
「うふふふふ。良いものが見られましたわぁ。爺!」
「はっ」
いつの間にか傍に立っていた爺が、空の瓶に川の光る水を汲んで蓋を閉じると、エルミラに手渡した。エルミラは浄化水の入った瓶を、自身の持つ手鞄へと仕舞った。
「それはマジックバッグか?」
「あら、羨ましいの? グランウェルズ家の家宝のひとつよ」
「い、いや。俺には〈フローラの革袋〉があるから」
と、取り繕ったのだが……正直、羨ましい。アイテムボックスやマジックバッグは異世界の華だ。
「いやぁー、ぴかぴか光って、おらおったまげただよ。ほんに凄いお人らだあ」
光が収まって透明に戻った川の水を、ブールが掬い上げ、観察している。
俺も〈毒鑑定Ⅱ〉を使い、川の浄化が完了したことを確認できた。
「被害が広がる前に解決できて良かったです。それにしても、一体何故こんな所に瘴気の結晶があったんでしょうか」
「湧き水は酒造りの要だ。毎日ここの湧き口も巡回してるだよ。昨日の見回りじゃ、影も形もなかったはずなんだが……」
判断材料がない以上、いくら考えても仕方がない。ひとまず山を下りることにしよう。
「オオコウジ君、今回もほんに助かっただ。あとでちゃんとギルドに報告しておくだよ」
「はい。またイリスとネネムを連れて遊びに来ますね」
「ん? ネネムちゃんならあそこで昼寝してるだよ」
ブールの指差した先を見ると、以前公園があった門前広場に石造りの球体ベッドだけが建てられ、中にネネムとポンベが眠っているのが見えた。周囲には大量の酒瓶が転がっている。
俺はそれ以上触れずに、今度はエルミラの荷馬車に乗せてもらい、山を下りた。
途中、置きっぱなしだった釣り道具を回収するため、釣り場に寄らせてもらった。
「ピカピカマスは残念だったね。もし別の川にいるという情報があれば、なるべく協力するから教えてくれ」
「まぁ。煮え切らない物言いですこと。任せてくれ、くらいお言いなさいな」
……善意で言ってやってるのになぁ。
片付けを終えた頃には避難も解除され、周囲に人が戻ってきていた。
俺は貸し竿店に竿を返しにいった。
「店主さーん、ありがとうございました」
「おお、ヌシの兄ちゃん! 聞いたぜ、またピカピカマスを釣ろうとしてたんだって!?」
ヌシを釣ったわけでもなければ、兄ちゃんって年齢でもない。ましてや俺はヌシではない。ここまで的外れな呼ばれ方がかつてあっただろうか。
「えぇ、まぁ。でも今日は上流の方で川が魔障に侵されたせいで、釣果はブラッドバス一匹でしたよ」
「そうそう、今日は大変だったよなぁ! 俺っちも避難させられたんだぜぇ! ……もしかしてよ、川を浄化したのってヌシの兄ちゃんか?」
「まぁ、今回はそうですね」
「そうかそうかぁ! ありがとうなぁ! 釣り人の代表として礼を言うぜ、ヌシの兄ちゃん!」
「はは、俺もいち釣り人として、素直に受け取っておきます」
「……でよ、なんでまたピカピカマスを釣ろうとしてたんだ?」
「ええと……」
俺は店主にエルミラに頼まれたことをかいつまんで説明した。
「なるほどなぁ、うんうん。そうかぁ、そういうことなら……よし! 少し待ってな!」
店主は一人で喋り、何かに納得すると、店の奥へと入っていった。
「……?」
しばらく待つと、巨大な保冷箱を持ってきた。開けると、中には大きな氷が入っていた。
「これは……! ピカピカマスの切り身ですか!?」
七色に光る脂がのった切り身が、透き通った氷の中に閉じ込められている。
「へへ……実はよ、あの時こっそり少しだけ取り分けて、俺っちの熱魔法で保存しておいたのよ」
なんと、そんなセコいことをしていたのか、この店主は。
「いつか食べようと思ってたんだが、勿体なくて食べられず、今日まで残ってたんだ。川の救い主の兄ちゃんに、ぜひ持ってってもらいてぇ」
「それはとても助かります。いいんですか?」
「なぁに、実はまだひと切れ――おっと、なんでもねぇ。虎の子だ。景気よく持ってってくれ、ヌシの兄ちゃん!」
「……では、遠慮なく。ありがとうございます」
いまは店主のセコさに感謝だ。俺は店を出て、エルミラに報告した。
「……あぁ、ピカピカマスだわ! お父様――!」
エルミラは保冷箱の中を見つめ、胸元の赤いブローチへ指を添えた。
荷馬車から降りてきた爺と料理長が、氷漬けのピカピカマスの切り身を荷馬車の保冷箱に移した。
「さぁ、行きますわよ。ピカピカマスを釣りし者、オオコウジ・ユタカ!」
エルミラは荷台の中に戻り、貴族街の方角を指差し、ポーズを決める。だが、実際の称号ではないので、あまり格好はついていない。
「『行きますわよ』って。ピカピカマスが手に入ったんだから、俺はお役御免じゃないのか?」
エルミラは片方の口角を持ち上げ、口元に指を寄せる。
「あらあら、うふふふ。何を言ってるのかしら。お父様が二口目を召し上がるまでが、貴方の仕事ですわよ」
「えぇ、聞いてないよ……」
「爺、出しなさい!」
「はっ」
エルミラと俺を乗せた荷馬車は、貴族街へ走り始めた。




