第30話:職工区の回復術師
「イースト、先に醸造所へ戻って、応急手当の準備をブールさんに頼んでくれるか?」
「わかった!」
イーストは上空へ飛び立ち、道を無視して一直線に醸造所へと戻っていった。
俺はイリスを抱いて崖際の山道を全力で走る。
ネネムが先回りして足場の悪い場所を整地してくれているので、人ひとり抱えていても足を取られる心配は少ない。
「イリス、頑張れよ……!」
「う、ぐゥ……ハァ、ハァ……」
意識を失っているのに、痛みに顔が歪む。
ラクトも傷口を覆う光の膜を懸命に維持しているが、表情を見るに限界が近い。
これだけ大きな醸造所なら、怪我人を手当てする設備くらいはあるはずだ。だが、深い傷を本格的に治療するなら、ウェルズまで下りないと難しいだろう。
「ネネム、醸造所で応急手当を受けたら、すぐにウェルズまで戻ろうと思う。ネネムも一緒に来るか?」
「……」
「おい、大丈夫か?」
「……私の、せい」
「あまり気に病むな」
「……」
今は何を言っても慰めにはならないだろう。イリスが元気になってくれるのが一番だ。
「見えたぞ、醸造所だ」
醸造所の裏門前には、ブールたちによって担架が用意されていた。
「オオコウジ君、ネネムちゃん! 話は聞いただ! すぐにイリスちゃんをここへ! 救護室で手当てするだよ!」
俺とブール、それに待機していた従業員二人の四人がかりでイリスを担架へ移し、救護室のある事務所棟へ運び込んだ。
俺たちは邪魔にならないよう、棟の外で待つことになった。
「ネネム、ポンベは……?」
「……脚先だけ。ほかは、怪我してない」
脚先の怪我とは、魔爪が砕かれた時の傷だろう。いま意識を失っているのは怪我ではなく、魔力の使い過ぎか、魔障を浄化された反動あたりか。
「そうか、良かった」
「……」
ネネムは棟の入り口を見たまま何も言わず、ポンベを胸元へ抱き寄せた。
どのくらい時間が経っただろうか。陽はあまり動いていない気がする。
イーストとの魔力経路はいつのまにか閉じていた。いつもの姿で肩掛け鞄の中に納まり、顔だけ出している。
棟から白衣を着た醸造所付きの回復術師が、ラクトを伴って出てきた。
「あの、イリスは……」
「傷口の洗浄と止血までは済ませた。だが、傷が深すぎて私の治癒術では治しきれない。紹介状を書いたから、これを持って急いでウェルズ職工区の診療所へ行きなさい」
「ありがとうございます」
俺とネネムは深くお辞儀をした。
そこへ、慌ただしく従業員に指示を出していたブールもやってきた。
「おらもウェルズまで行くだよ。ギルドへの報告もあるし、なによりイリスちゃんが心配だべ」
「わかりました」
「行きは旧道で来たと、昨日イリスちゃんに聞いただ。ウェルズへの帰りはうちの荷馬車を使うといい。なんでも道が崩落していたらしいだが……」
「……なおす」
「ああ、頼んだべ、ネネムちゃん」
ネネムは硬く口を結び、頷いた。
正門では、待っている間にブールが手配した幌付きの荷馬車と、御者ができる従業員が待機していた。
荷台に敷かれた寝具にイリスを寝かせ、俺とイースト、ブール、ラクト、それにポンベを抱いたネネムが荷台に座った。
イリスは醸造所に運び込んだ時よりはマシな息遣いにはなったが、未だに熱は下がらず予断を許さない状況だ。
イリスの傷口は、引き続きラクトが光の膜で保護している。ただし、醸造所で少し休めたおかげか、いくらかラクトの表情は柔らかい。
「揺らさないように急ぐだよ」
「はい!」
幸い、御者を務める従業員は運転が上手だった。俺たちが通った道とは別の、広く傾斜の緩い整備された道を、荷馬車はほとんど揺れずに進んだ。
五合目ほどまで下りたところで川沿いの道と繋がったのだが、話の通り大きく道が崩れて通れなくなっていた。
ネネムが荷台から降り、手をかざすと、あっという間に補修された。
「ほお、さすがだべ……」
「……いそぐ」
「ここからは曲がり道もないだ。陽が落ちる前にウェルズに着けるだよ」
ブールの言葉通り、そこからは二時間かからない程度でウェルズの城壁が見えてきた。
北門には相変わらず荷車や旅人の列ができていたが、俺たちはそれを横目に直接詰め所まで荷馬車を進めた。
「川上醸造所のブールだ! 身分証と紹介状があるだよ! 怪我人がいるから、診療所まで急ぎたいべ!」
衛兵たちが飛び出してきて、すぐに緊急入街の手続きを済ませてくれ、俺たちは腕に白い細紐を巻いた。衛兵に先導してもらい、職工区の診療所までスムーズにたどり着くことができた。
診療所へ着くと、連れてきてくれた衛兵は北門へと戻っていった。
診療所の中から職員の女性が飛び出してきた。俺たちの白い細紐を見るなり、慌てて診療所の奥へと引き返した。
「リスリス先生! 急患です!」
一呼吸おいて、奥の部屋の扉が開く。
「聞こえてるです! 声がでかいです! 怪我人です!? 病人です!?」
奥から出てきたのは俺の胸ほどの背丈しかない、リスのような獣人の女性だった。
茶色の髪の間から小さな丸い耳が覗き、顔の半分を覆うほど大きな丸眼鏡の下では、二本の前歯が唇からわずかにはみ出している。白衣の背から伸びる丸まった大きな尾には濃淡のある焦げ茶色の縦縞が走り、彼女が駆けてくるたび忙しなく左右へ揺れていた。
だが、荷台に横たわるイリスを見た瞬間、その尾がぴたりと止まった。
リスリスと呼ばれた獣人は丸眼鏡を押し上げると、名乗りもせずに荷台へ飛び乗った。ラクトの光の膜をしげしげと観察した。
「ふぅん。――この膜、今すぐ取るです」
ラクトが慌てて光の膜を粒子へと変えた。
イリスの瞼を開き、首筋へ指を当て、白衣の胸元から聴診器を引き出すと、ためらいなくイリスの服をはだけた。
俺は慌てて目を逸らす。
「ちょっ、せめて中へ運んでから診た方が……!」
「いつ、何にやられた傷です? 意識を失ってからどのくらいです? 答えられる人だけついてくるです。ほかの人は道を空けるです! 君たち、この子を処置室へ運ぶです!」
リスリスは俺の言葉には答えず、診療所の職員たちへ指示を飛ばしながら中へ駆け戻った。
俺も紹介状を持って、診療所に入った。
「先生、怪我についてですが、醸造所の回復術師の先生から紹介状を……あっ」
俺が手に持った紹介状をリスリスがひったくり、封を前歯でかじって開ける。
「――容態はひと通り書いてあるです。ん? なんです君は。邪魔なのであっち行ってるです。しっしっ」
「は、はい……」
俺は診療所から追い出され、とぼとぼと荷馬車に戻った。
少しすると、職員の女性がこちらへやってきた。
「しばらく処置が続くと思われます。お連れ様はどうぞ中の待合室でお待ちください。猫ちゃんは……あら、お怪我をされてますね。こちらの籠に寝かせてあげてください。あとでリスリス先生に診てもらいましょう」
職員はそう言うと、受付の棚から布の敷かれた籠を持ってきた。
ネネムはポンベを籠へ寝かせると、ぎゅっと両手で自身の服の裾を握った。
「そんだら、おらは荷馬車を預けてギルドへ報告に行ってくるだよ。オオコウジ君とイリスちゃんの事も伝えておくだ」
「わかりました。よろしくお願いします」
ブールと御者の従業員は、荷馬車で中央区へ向かっていった。
「さぁ、ネネム。中で待とう」
「……ここにいる」
「大丈夫。あれだけ迷いなく動ける先生だ。信じて任せよう」
「……わかった」
俺とイースト、ラクト、それにポンベの籠を抱えたネネムは診療所の中へ入り、待合室の椅子でイリスの処置を待った。
小一時間待ったところで職員に呼ばれ、処置室の前まで案内された。すると、口覆いを着け、血の付いた衛生着のままのリスリスが待っており、俺は一瞬たじろいだ。
「先生。イリスの容態は……」
「命に別状はありませんです。傷は深かったですが、幸い内臓までは届いてないです。傷を清潔にして、リスリスの治癒術で塞いだので問題ないです。そうそう、あの白い膜が傷口を押さえていたと紹介状に書いてあったですよ。そのおかげで一命を取り留めたですね」
「あぁ……良かった。本当に……」
ネネムも安堵したようで、足の力が抜け、籠を抱いたままその場に座り込んだ。
ラクトもようやく安心したのか、強張っていた表情を緩めた。
「それにしても、なんですあの汚れ方は! 服には砂! 動物の毛! しかも患者さん、酒臭いです! うん? 君たちもなんだか臭うですね」
「す、すみません、醸造所にいたもので……」
「とにかく! 安静にしていれば十日以内には元気になるです。安静にしなければ傷が開くです。しばらく入院するです。わかりましたです?」
「は、はい。わかりましたです」
「わかったらさっさと出ていくです。リスリスは着替えるです。次はその猫を診るですよ」
「ありがとうございます!」
職員がポンベの入った籠を受け取ると、俺たちは再び待合室へと追いやられてしまった。
「ラクト、よく頑張ってくれたね。君のお陰でイリスを助けることができた」
【ラクト:得意げです】
「君はこれからどうするんだい? 醸造所に戻るのかな?」
ラクトは首を横に振り、イリスのいる処置室を指差した。
「そうか、治るまでは付き合うんだね。ありがとう。俺からも礼を言わせてくれ」
ラクトは大きく頷いた。
「ネネムは……」
「……」
「まだ考えていないか。それどころじゃなかったもんな」
ネネムは黙ってこくりと頷く。
「まずはポンベを待とう。それからゆっくり考えればいい――」
そう言ったところで、外からバタバタとこちらへ駆けてくる足音が聞こえた。
「オオコウジさん、イリスさんは――!」
コリィさんだ。後ろにはブールもいる。
「コリィさん。イリスの施術はさっき終わりました。命に別状はないそうです」
「そうですか……。リスリス先生は腕の良い回復術師です。彼女が大丈夫と言ってくださったのなら、安心してよいかと」
「オオコウジ君。まだ大棚平の顛末を詳しく聞いてねえべ。よければ説明してくれるか?」
「はい――」
俺はコリィさんとブールに、醸造所に着いてからのこと、大棚平のことを順を追って説明した。
「……そうだか。ポンベが酒種の精霊だったなんて、おら知らなかったよ」
ラクトがブールの頭まで飛んでいき、小さな手ではたいた。
「あ、こら! 乱暴はだめだよ!」
「あいてて……。おめさんが酒神さまじゃないっていう話は、本当だったんだな」
ラクトは腕を組み、何度も頷いた。
「おめさんは、どうして奉納樽を守ってくれてただか?」
ラクトは腕を組んだまま、視線を虚空へ移す。どうやら、答える気はないようだ。
「まぁ、何だろうと、おめさんのおかげで醸造所の酒は守られただ。あんがとよ」
ブールは小指を差し出したが、ラクトに蹴りをかまされ、苦笑いを浮かべる。
ブールには妙にあたりが強いな。ケイブラットの侵入はブールのせいではないだろうに。
少し待ったところで待合室の扉が開き、ポンベの入った籠を持ったリスリスがやってきた。
ポンベの脚先には包帯が巻かれている。
「猫は大した傷じゃなかったです。傷は消毒して塞いでおいたです。爪はそのうち勝手に伸びるですよ」
「……ポンベ」
ネネムが呼びかけるが、未だにポンベの目は開かない。
「意識がないのはただの魔力枯渇です。ま、そのうち目を覚ますです」
リスリスの軽い物言いに、ネネムは安堵の表情を浮かべる。
「リスリスは診察に戻るです。君たちもさっさと帰るですよ~」
リスリスはそう言うと、せかせかと待合室を出ていった。
一息ついたところで、コリィさんがネネムへと向き直った。
「ネネムさん。揚水ゴーレムの件に、今回の醸造所の件。度重なるご助力、本当に助かります」
「ん? 揚水ゴーレムの件とは?」
あの時、ネネムはいなかったはずだが。
「あら、一緒にいたのでご存知なのかと。オオコウジさんたちが壊したゴーレムの修復をしてくださったのは、ネネムさんなんですよ」
俺たちが壊したと改めて言われると、胃がきゅっとなる。
「あぁ、そういえば酒樽がなんとかって」
「……三樽」
「ええ。ギルドとしては、お酒三樽程度では十分な謝礼になっていないと気にしていたところです。今回の件も併せて、報奨を用意することもできるのですが……」
「……じゃあ、お酒」
「うーん……」
珍しくコリィさんが困っているぞ。コリィさんの天敵はイリスではなく、ネネムだったのか。
「はは、コリィさん、可能なら用意してやってください。醸造所では結局一滴も飲んでないんですよ、この子」
「わかりました。報奨は別として、今度は五樽ほど手配しましょう」
籠で目を閉じているポンベの耳がピクピクと動いていた。
しばらくして――
「そんじゃあ、おらは醸造所に戻るだよ」
「お世話になりました、ブールさん。まだ塞げていない洞穴の件は、後日ネネムを連れて改めてうかがいます」
「いやいや、助かったのはこっちだべ。酒ができたらすぐに送るから、楽しみにしてるだよ。イリスちゃんにも、好きなだけ酒を飲んでいいからまた遊びに来てくれ、と伝えて欲しいだ」
「あいつ、遠慮なんて知らないから本当に好きなだけ飲みますよ?」
「ハハハ、構わねえだ。酒種が守られたのはおめさんらのおかげだべ! オオコウジ君、ネネムちゃん。おめさんらも、うちの醸造所の英雄だあ」
あまり持ち上げられると背中がむず痒くなる。
「……飲み放題」
「ネネムちゃんはおらがくたばるまで一生飲み放題だあ」
ネネムがカッと目を開いた。ケイブラットよりネネムの方が厄介なんじゃないかと思うが、大丈夫だろうか。
「……今回は奇跡が重なってなんとか酒種を守れただ。これからは酒神さま……じゃなくてラクトちゃんに頼らなくてもいいように、おらたちの力だけで酒種を守り抜いていくだよ」
ラクトは力強く頷き、ブールの腕を小さな手で叩いた。
ブールは最後に、イリスとポンベの治療費を醸造所持ちにすると告げ、御者の従業員と荷馬車で帰っていった。
その日は、俺が普段寝泊まりしているギルド宿舎にネネムの部屋も用意してもらい、夜を待たずに眠りについた。
* * *
一夜明け、俺は朝食を誘いにネネムの部屋を訪ねた。
「ネネム、起きてるか?」
扉が開くと、眠そうなネネムと、その傍らには包帯を巻いたままのポンベが立っていた。
「おおポンベ、元気になったんだな」
【ポンベ:迷惑をかけた、と伝えたいようです】
「お前、喋れたのか……いや、喋ってはないか。とにかく、俺はいいからイリスが目を覚ましたら一言謝っておくといいかもな」
ポンベはすっかり尻尾を垂らし、首を下げて目を伏せた。
皆で朝食をとったあと、ギルドで改めて報告し、今後の段取りを組んだ。
洞穴の後処理や〈発酵術〉を使った手伝いで、しばらくは醸造所とウェルズを行き来することになった。街道が直り、馬車で日帰りできるようになったのが救いだ。
三日後、俺とイースト、ネネム、ポンベは再び醸造所へ赴き、職員たちと共に地下の洞穴へ向かった。ポンベに改めて最後の横穴を確認してもらったが、今度は洞穴内にケイブラットは一匹もいなかった。ネネムが洞穴全体を地魔法で隙間なく埋め戻し、ケイブラットの一件は解決となった。
その日の帰り、イリスの様子を見に行くと――
「よっ、おっさん。相変わらず疲れたツラしてンじゃねェか」
「イリス! 目を覚ましたんだな!」
イリスは肩から背中に包帯を巻かれていたが、ベッドの上で身体を起こしており、顔色もだいぶ戻っている。
近くのテーブルには食べ終えた食器が置かれている。
「なんだかその包帯の中、光ってないか?」
「あぁ、包帯の下にコイツが膜を張ってンだよ。放っときゃ治るって言ってンだけど、リスリスのやつがですですうるさくてよォ」
イリスの枕元ではラクトが腹を出して寝ていた。
「寝ながら魔法を使ってるのか……? 器用だね」
「まったく、皆おせっかいで困るぜ」
そういうイリスだが、嫌そうな顔はしていない。
ネネムとポンベが俺の前へ進み出た。
「よお、ネネム。ポンベはずいぶん縮んだな」
「……っ」
ネネムは自身の服の裾をぎゅっと握った。
ポンベはベッドに上がると、イリスの足元に身体を寄せ、耳と尻尾を伏せたまま動かなくなった。
「お、なんだそりゃ? 別に気にしてねェよ。こーんなでけェゴーレムにぶん殴られそうになった時のほうが、よっぽど怖かったぜェ。猫に引っかかれたくらい、大したことねェよ」
確かに、あれが当たったら即死だっただろう。
「……ごめんなさい」
「あァ? なんでネネムが謝ンだよ」
「……私のせい」
「別にお前が引っかいたわけじゃねェだろ」
「……でも、私が」
「ったく、しつけェな!」
イリスは左手を掲げ、ネネムの頭上から水を浴びせた。
「……冷たい」
びしょびしょに濡れたネネムは、顔を拭おうともしない。
「へへ。この間、水ぶっかけ損なったからな。かけ直しだ!」
「あぁ~~~! 君たち何やってるです!」
水音を聞きつけて、リスリスが駆けつけてきた。
「げっ」
俺とイリスの声が重なる。
「病室をびしょびしょにするとか、馬鹿なのですか!? って、水魔法を使ったの患者じゃないですか! 傷を開く気ですか!? ああ! 病室に猫がいるです!? さっさと水と毛を掃除するです! 患者は寝るです! 余計な人は出ていくです!」
「すみません、今出ていきます……!」
「しっしっ」
また追い出されてしまった。しかし、今回はイリスが悪い。
「ネネム、身体を拭いておきなよ。風邪を引いちゃうぞ」
「……うん」
ここ数日、沈んだままだったネネムの表情が、ようやく緩んだ。




