第3話:ニナと怪しい者
「おーい! 返事をしろー!」
「見ろ、地魔法の壁があるぞ!」
「ニナ! 無事か!」
ニナははっと顔を上げた。
「わ、私は無事です! 大丈夫ですー!」
岩壁の両端から、十人ほどの男衆が回り込んできた。
鍬を持った男に手斧を持った男。肩に弓をかけた男や、ニナのように手元に小さな火球を浮かべた男もいた。
「ニナぁ~! 怪我はないかい! 噛まれてないな? 腕は!? 足は!? 顔をよく見せてくれ!」
火球を浮かべていた男は、すぐにニナに駆け寄り、全身を過剰に確認したり、ぎゅうぎゅうと抱きしめたりと忙しない。
「おい、これデスベアじゃないか! 死んでいるのか?」
数人が倒れたデスベアに近づこうとしていたので、思わず大きな声を出した。
「いけない! まだ息があります! とどめを!」
「なんだと! おい、お前ら!」
鍬を持った男の掛け声で、屈強な男たち五人がデスベアの前に立つ。
「仕留めるぞ。二人は前脚、残りは頭を押さえろ。俺が喉を断つ」
「おぉっ!」
男たちは迷わず散開した。
長柄の農具で前脚と頭を地面へ押さえ込み、合図と同時に、鍬の刃が首元へ振り下ろされる。
鍬が打ち込まれるたび、デスベアの巨体が大きく跳ねた。
四度目で、ようやく動かなくなった。
【魔素吸収を実行します】
【レベルが上昇しました】
【スキル:〈発酵術Ⅰ〉が〈発酵術Ⅱ〉に成長しました】
【新規称号を獲得しました】
【称号のアクティブ化には授与儀礼が必要です】
レベルアップしたらしい。
ステータスが見られないのに通知してくる意味があるのだろうか?
もし定石通りなら、冒険者ギルドや教会で、水晶に手を置いたりするとステータス鑑定が――
がしゃり。
俺の喉元に、デスベアの血の跡が残る鍬が突き付けられた。
「貴様はなんだ」
俺は両手をゆっくり上げた。敵意がないことを示す動きは、たぶん世界が変わっても通じるだろう。
――ついさっき異世界から転移してきた者です。
――魔法の効かない魔獣を魔法で倒した者です。
うーん、厳しい。自分でも半信半疑な話を誰が信じてくれよう。
それに、この世界での異世界人の扱いを俺は知らない。慎重に言葉を選ぶべきだ。
だが「怪しい者ではありません」なんて言ったところで信じてくれるわけがない。
なのでこう言うほかにない。
「……怪しい者です」
「自分で言うな!」
だよね。
「……少なくとも、敵意はありません」
ニナの炎、デスベアの牙に続き、本日三回目の命の危機である。
男はじっと俺の顔を見たあと、倒れたデスベアと黒い岩壁、そして再び俺を順番に見た。
「貴様の使役獣か?」
「……いいえ、彼女と協力して、討伐を」
男は鍬に力を入れ直す。
「あぁ? 寝言は寝て言え」
しまった、回答を間違えたか?
「だ、ダメです! その人、助けてくれたんです!」
ニナが、火球を浮かべていた男のそばから、慌てて声を上げた。
「本当か、ニナ」
「はい。この人がいなかったら、私……」
「……そうか。分かった」
鍬の男は俺に向き直ると、目を細め、低い声で言った。
「誓え。妙な真似はするな」
俺は何度も頷いた。
ようやく、俺の喉元から鍬が離れた。
「……すまなかった」
「いえ、誤解が解けて、なによりです……」
俺も両手を下ろすことができ、少しだけ空気が和らいだ。
「話はあとだ。……お前ら、血抜きだ!」
鍬の男がデスベアの方へ向き直ったとき、デスベアの死体を見ていた手斧の男が叫んだ。
「うわっ、こいつ変な色の泡噴いてやがる! 毒だ、近づくな!」
男たちがざわつき始めた。
「貴様、毒使いか?」
鍬の男から二度目の質問――いや、尋問を受ける。
「ええと……確かに毒魔法は何度か撃ちました。ですが、その泡はパン種です」
「……何を言ってるんだ、お前は」
鍬の男は眉をひそめた。
火球を浮かべていた男が、ニナと一緒にこちらへ歩いてきた。
茶色い髪に、ニナと同じ垂れがちな目をした細身の男だ。デスベアを取り囲む屈強な男たちと比べると、畑仕事より帳面仕事の方が似合いそうに見えた。
「ニナの父、フレッドだ。うちの大事な娘を助けてくれたようで、感謝している」
穏やかな笑みを浮かべているが、こちらを見据える目だけは獲物を値踏みするように鋭かった。
先ほどのニナに対する態度とはだいぶ印象が違う。
「いえ、むしろ俺の方が助けられました」
「旅の者のようだが、どういう事情でこの村へ来たのか。村へ入る前に、詳しく話を聞かせてもらえるかな」
物腰はあくまで柔らかい。だが、有無を言わせぬ圧がその一言一言に宿っている。
そして次の瞬間、その表情がふっと緩んだ。
「ニナ~。ニナにも話を聞きたい。一緒に説明してくれるかな?」
「は、はい」
……俺への視線と今の声色、同じ人間とは思えない。
娘にだけ、とことん甘い父親らしい。
そうして俺とニナは、石窯広場で出会ってからの出来事を、順を追って話していった。
沢での一件は、これで無かったことになったはずだ。たぶん。
「ふうむ。普段は山を離れないデスベアと、正体不明の旅人の君が、偶然同じ場所に居合わせたと――そして……ニナと一緒に応戦を?」
「お父さん、そんな言い方やめて。この人がいなければ、私、デスベアに食べられてたよ」
「いや、俺もニナが炎で援護してくれなければ、あそこで終わっていた。命の恩人だ」
「い、命の恩人だなんて、大げさですぅ……」
ニナは目を伏せ、胸の前で人差し指をつつき合わせている。照れているようだ。
「俺一人では無理だった。二人で力を合わせたから、どうにか生き残れたんだ」
「おじさん……」
「ごほん! 分かった分かった、信じるよ。それで、デスベアの吐いていた泡については?」
「あれは毒ではなく、デスベアの腹の中にあったパン種です。俺には毒魔法の他に、パン種の発酵を促進するスキルがあるようなんです」
フレッドは訝しげに首を傾げている。
俺だって、なんだそのスキルは、と思うが、事実なのだから仕方がない。
「私の火球も、おじさんの紫の針も、魔法耐性に弾かれてましたね」
「なので、デスベアではなくパン種を狙ってそのスキルを使って――」
俺とニナは、互いに足りない部分を補いながら、発酵術が効いた経緯まで説明した。
ひと通り聞き終えたフレッドが、確認するように口を開く。
「――つまり、君は毒属性ではあるが、毒で倒したわけではない、と」
ようやく話が通じたらしい。
「俺の毒魔法は一度も当たっていません。ただ、絶対に安全とも言い切れないので、食べるのなら〈毒鑑定〉をさせてください」
「いや、それには及ばない。この村には検毒石がある。君の言葉を信じないわけじゃないが、狩った獲物は確認する決まりなんだ」
「そうですか。わかりました」
検毒石? 元の世界では聞いたことがない言葉だ。
俺たちの背後では、村からさらに人が集まり、デスベアの解体作業を進めている。
俺も仕事の研修で猪の解体を見たことはあったが、巨大な魔獣ともなると、現場の規模がまるで違う。
長い棒で四肢を押さえる者、刃物を用意する者、地面に作業用の布を広げる者。それぞれが自分の役割を心得ている。
男たちはデスベアの口元を別の布で覆い、泡の付いた場所が分かるよう印を付けた。内臓に触れる道具と、肉を切り分ける道具は最初から別にされている。
若い男が手元の刃物で腹を開こうとすると、年配の男がすぐにその腕をつかんだ。
「こら、そっちの刃物で腹を開くな。肉を切り分ける道具だ」
「わ、わりぃ」
「腹ん中はこっちで先に抜く。胃袋を破るなよ」
指示は短く、動きに迷いがない。衛生管理もしっかりしている。
切り離された胃袋は、ほかの部位から離れた場所へ運ばれ、敷かれた布の上で切り開かれた。
甘酸っぱい匂いとともに、赤紫色に泡立ったパン種がどろりと溢れ出す。
「……本当にパン種じゃねえか」
鍬の男が、低い声で言った。
「あーあ、ドロドロ。あれじゃあ、パン生地にできませんね」
隣からはそんなつぶやきが聞こえてきた。
俺とニナは邪魔にならない位置まで下がり、道具の分け方や肉の置き場所を見ていた。
やがて、村から追加の荷車と大きな橙色の石が運ばれてきた。
「検毒石が来たぞ。場所を空けろ」
石を持ってきたのは、腰の曲がった老女だった。切り分けた肉の一部を小皿へ載せ、石の上へ置く。老女が手をかざすと、橙色の表面に薄い光が走った。
「検毒石が反応するような毒はないねぇ。腹の中身が付いたところは捨てな。肉はよぉく火を通すんだよ」
あれが検毒石か。元の世界なら外部へ検査に出し、結果を何日も待つところだ。
毒と一口に言っても、種類や量、口にする生き物によって作用は変わる。どこまで判定できるか、あとで詳しく聞いてみたい。
食用にできると分かると、村人たちの動きはさらに速くなった。肉は荷車へ、毛皮と爪と牙は別の布へ。手足を包んでいた光の源らしい塊は、いまだ赤黒く明滅しながら、木箱へ収められていく。
俺はその光を見てデスベアの魔法を思い出し、改めて巨大な黒い岩壁を見る。
こんなものを作り出す魔獣を相手に、我ながらよく生き残れたものだ。
「この獲物は、お前とニナが仕留めたようなものだ」
鍬の男がこちらに来て、そう言った。
「村の決まりでは、とどめや解体を手伝った者にも多少の取り分がある。だが、まずは持ち主の意向を聞かせてもらおう」
ありがたいが、俺には肉を保存する手段も、毛皮を運ぶ荷車も、そもそも帰る場所すらない。
「肉は、俺が持っていても腐らせるだけです。村のみんなで食べて、残ったら保存してください。最低限の食糧と、どこかで換金できそうなものを、無理のない範囲で分けてもらえれば」
「欲のないヤツだな。ほとんどを寄越す、という意味か?」
「保存と運搬をお願いする代わりです。それと、できれば大きな街までの道と、この世界の……いえ、そうですね、この辺りでの身元の証明を作る方法を教えてほしい」
鍬の男はすぐには答えず、フレッドを見た。
「まぁ、当人がそう言うのなら構わない」
フレッドがうなずく。
「肉は村で引き取ろう。今夜は村の広場で振る舞うので、君も食べていくといい。素材の取り分は、解体が終わってから皆で決める。街のギルドなら、魔石も毛皮も正式に鑑定できるはずだ」
フレッドはニナに向き直り、表情を崩した。
「ニナの取り分も、ちゃあんと用意するからねぇ~」
「う、うん、私はそれで大丈夫」
「助かります」
こうして俺は、怪しい者のまま、ひとまず村へ入れてもらえることになった。




