第27話:新たな発酵術と暴れん坊
夜間にもかかわらず、仕込みを担当する職人たちが集まってきた。
ブールが現状を職人たちに伝えると、彼らは奉納樽を囲み、残った酒種の状態を確かめ始めた。
「ブールさん、お伝えしたいことがあります」
「なんだべ、改まって」
「俺のスキル〈発酵術Ⅲ〉で酒種を〈培養〉して、短時間で増やすことができるかもしれません」
「なんと……! 詳しく聞かせるべ」
俺はマナ・バクテリアを〈培養〉した時のことと、ウェルズの浄化作戦をかいつまんで話した。
「なるほど。試してみる価値はあるべ」
「はい。貴重な酒種とは思いますが、ほんの一部だけ分けていただければと」
「酒種を新しい麦汁へ分ければいいだな?」
「麦汁が培地なんですね。それで大丈夫だと思います。すぐに始めましょう」
「わがった。おい、容器と冷ましの麦汁を用意するだ! 急げ!」
ブールの指示で職人たちは手際よく動いた。仕込み場から、煮沸後に適温まで冷まされた麦汁が運ばれ、小桶に注がれる。
半分ほど麦汁が入った小桶が三つ並び、奉納樽に入っていた酒種が一匙ずつ加えられる。
「本当は蓋をするだが、大方準備はこんなもんだな。どうだべ?」
「ありがとうございます、見てみます」
もともと培養の条件は特に求められていなかった。おそらくうまくいくだろう。
【〈発酵術Ⅱ:培養〉により[微小生命]を培養できます】
――よし。
「大丈夫そうです。いきますね」
ブールと職人たちが息を飲んだ。
「〈培養〉」
かざした手のひらから魔力が抜けていく。
目の前の小桶の酒種から淡い金色の光がにじみ、麦汁の中へ細い筋となって広がった。光を追うように小さな泡が生まれ、液面へ浮かび始める。
続けて二つ目、三つ目の小桶にも〈培養〉を施していく。
三つ目の小桶にも泡が浮かぶと、かすかだった甘酸っぱい香りが、次第に試験仕込み室全体へ満ちていった。
ブールは煮沸した匙で麦汁を少量すくい、小皿へ移して舌先に含んだ。
「……間違いねえ。この香りと酸味。あぁ、奇跡だべ……これが、これこそがおらの酒種だ……」
ブールの目に涙が浮かんだ。そこまで喜んでくれると、こちらも嬉しい。
ブールは小皿を置き、目元を拭った。
「泣いてる場合でねえな。ちゃんと保存して、もう二度と絶やさねえようにしねえと。酒も今のうちに仕込めるだけ仕込むだ。オオコウジ君、まずは十二樽、頼むだよ」
「じゅ、十二樽ですか……」
俺の前に職人たちが期待に満ちた目で樽を並べていく。職人たちは十二の樽へ麦汁を注ぎ、先ほど増やした酒種から保存と比較に使う分を取り分けると、残りを均等に加えていった。
補給魔石があればできない量ではないが、単純に面倒ではある。しかし、乗りかかった船だ。麦汁が注がれていく樽を見ながら、そんなことを考えていると――
【〈発酵術Ⅲ:調律〉により、複数の[微小生命]の活動を同期できます】
ん? なんだこれ。そんなのあったか? いや、〈発酵術Ⅲ:調律〉……?
「新スキルじゃないか!」
「うわ、どうしたべ」
思ったより大きな声が出てしまい、ブールや職人たちを驚かせてしまった。
「す、すみません。いえ、新しいスキルが使えるようになっていることを、今知りまして……」
「そりゃめでてぇな。どんな技能だべ?」
「おそらくですが、複数の樽に同時に〈培養〉や〈促進〉を使えるようになった……かも、しれないです」
「おぉ、そりゃ丁度いいべ。残りの酒種も麦汁もまだある、景気よく試すだよ」
「そうですね、悪くなる感じではなさそうです。……試します」
俺は目の前に並んだ十二樽すべてに向かって念じる。
「ええと――〈調律〉」
……。しん、と静まり返った空気が重い。
「なにも起きんべ」
「あれ? 〈調律〉、〈調律〉ぅ」
しかし、何の変化も起きないばかりか、魔力消費も一切感じない。
「うーん。『活動を同期できます』だったか……」
同時に〈培養〉をかけるスキルではないのか? 並行使用ではなく、〈同期〉……。
「まずひと樽目の酒種を、〈培養〉――」
今度は、魔力を消費する感覚があった。
金色の光が一瞬広がり、樽の中へ溶けていく。麦汁にぷつぷつと、小さな泡が浮き出した。
このまま試してもいいのだが、ダメ押しだ。
「ブールさん、発酵〈促進〉は行って問題ないですか?」
「そんなこともできるだか。奉納樽はまだ半分残っているし、オオコウジ君になら自由に試してもらって構わねえだ」
「ありがとうございます。経験上、悪いようにはならないかと思います。では――〈促進〉」
魔力が抜ける感覚と共に、樽の中で細く立ち上っていた泡が、一気に液面全体へ広がる。
見守っていた職人たちから感嘆の声があがる。
「それでは、改めて。この樽の活発になった発酵の働きを、残りの樽へ同期させます。〈調律〉――え?」
〈調律〉を念じたとたん、目の前の樽から放射状に金色の光が広がっていき――
光が全ての樽を覆いつくす前に目の前が真っ暗になり――俺は、気を失った。
* * *
ぺちぺち。
何かが俺の頬を叩く。
ぺちぺち。
「おっさーん、起きろォ~」
イリスか。今日は疲れてるんだ。寝かせてくれ……。
ぺちぺち。
薄目を開ける。なんだ、頬を叩くのはイーストか。
「おっさーん……あ、おい、そんなんしたらお前……あ~」
イースト(?)の影が遠ざかっていき――
べちん!
「痛ぁっ!!」
頬に鋭い痛みが走り、俺は飛び起きた。
ごとん、と腹の上に載っていたらしい補給魔石が床に転がった。
「な、なにが……あ、さっきの」
見回せば、そこは仕込み棟の休憩室らしい。俺は床に敷かれた布の上へ寝かされていた。
そこには片眉を上げるイリスと、奉納樽を守っていた少女がいた。どうも頬を助走付きで叩かれたらしい。
「なんでそんなことするの……」
【■■■:得意げです】
なんでだよ。
「おっさんが起きねェのも悪いな。名前、付けて欲しいんだってさ」
小さな少女はこくこくと頷く。
「なんで俺に? 酒神さまじゃないのか?」
少女がふわふわとこちらに飛んできたかと思ったら、俺の頬へぺちんと回し蹴りを放った。
「痛い! なんで蹴るんだよ!」
「アイツらの一族が勝手に勘違いしてただけで、別に酒の神さまじゃないらしいぜ」
イリスは休憩室の向かい側にいたブールを顎で指す。
再び、小さな少女が腕を組んで頷いた。
「こらイリス、はしたないから人を顎で指すのはやめなさい。そんなに事情に詳しいなら、イリスが名前を付けてやればいいじゃないか」
少女がまた俺の顔の前に飛んできたので、俺はむんずと捕まえる。じたばたと暴れられてしまったので、解放してやるとイリスの方へ戻っていき、頭の上に座った。
「『イースト』って名前が羨ましいらしい。アタシの『白ちゃん』はお気に召さねェみてェでな……」
まぁ、好みは人それぞれだが、白ちゃんでは犬猫のようではあるな。
「そんなわけで、コイツにも呼び名を付けてやってくれ」
少女はイリスの頭上に飛び立ち、くるんと回り、俺に全身を見せた。
「ええと……イーストは酵母系魔菌だっていうから、元の……俺の地元での呼び名を与えたんだ。君は何の精霊なのかな」
「何言ってるか全然わからねェな……いてぇ!」
少女がイリスの頭を蹴った。
「こらこら、そんな事しちゃいけないよ。どうしてすぐ暴力を振るうんだい」
俺が一旦捕まえようと手を伸ばすと、少女の周囲を乳白色に光る球体の膜が覆った。
「おぉ、凄いな、それは結界的なモノかい?」
膜をつついてみると、固いゴム風船のように指を押し返された。膜はつついた部分だけが少し赤く染まったが、すぐに乳白色に戻る。
俺が手を引っ込めると、少女は膜を解いた。膜は光の粒子となり、大気中に霧散する。
【■■■:乳酸菌系発酵魔菌精霊だと伝えています】
少女は空中で腕を組んで目を瞑り、悩むような仕草をとっている。
「ほう、乳酸菌! なるほど、乳酸菌が自分たちを守る膜を作るように、結界を張れるということかな。ラクトバチルスの仲間なのかい?」
少女が片目を開け首を傾げた。本人も分からないようだが、『ラクトバチルス』という名前自体は少し気になっているようだ。
「それじゃ長ェな。『ラクト』でどうだ?」
少女が両目を見開いた。
【ラクト:呼び名を受諾しました】
ラクトはイリスの胸の前に降り、イリスに向き直ると片手を掲げた。
「お? なんだ?」
「ハイタッチじゃないか?」
「へへ、なるほどな。名前ついて良かったな!」
イリスはラクトが掲げた小さな手のひらにデコピンし、その勢いでラクトは後ろへ一回転した。
体勢を直したラクトはイリスの手を蹴り返している。
こいつ、さっきまで憔悴していたくせに、今度はずいぶん体力が余っているようじゃないか。
「話は落ち着いたようだべ」
ブールがこちらへ歩いてきた。
「ええ、途中で気を失ってしまって、すみませんでした。酒樽はどうなりましたか?」
「あぁ、見た感じでしか言えねぇだが、十二樽のうち八樽は若酒になったようだな。残り四樽も、あの光は届かなかったようだが、酒種自体は生きてる。時間をかければ、ちゃんと酒になるべ」
「若酒、ですか?」
「んだ。若酒を数日寝かせれば、味が馴染んで売り物のエールになるだよ」
「そうですか。では、その八樽に関しては成功と考えて良さそうですか?」
「まんだわからんがな。おらの勘だけで言うと、あの若酒なら問題なく完成するだよ」
よかった、役に立てたようだ。
他にも、酒母蔵は当面使えないため、仕込み棟を代わりに使うことになったという。奉納樽に残った酒種は従来の方法でも増やし、俺が〈培養〉したものと比較するらしい。そして――
「ネネムは、まだ見つかりませんか」
「あぁ、残念だが。だが、手がかりらしきものは見つかったべ」
「というと?」
「おめさんらが出てきたケイブラットの洞穴、その先の山腹には『大棚平』と呼ばれる広い平場があってな。そこへ向かう道筋に、ケイブラットの死骸が点々と転がっているらしい」
「そういやポンベのやつ、やたらとケイブラット狩りに執着してたよなァ」
俺たちの呼びかけに反応しなくなってからも、ポンベはケイブラットを狩り続けていた。イリスの言う通り、何か執着がありそうな感じだ。
「……ケイブラットや巣母は魔障を纏っていた。洞穴自体には異常がなさそうだった。もしかすると、ポンベが執着していたのはケイブラットそのものというよりも、やつらが纏う魔障の方なんじゃないか? あくまで仮説だけどね」
「はァ~、どこに行っても魔障、魔障で嫌になるぜ」
まったくだ。
「ただ、もしそうなら……」
俺は、腰にくくりつけた〈フローラの革袋〉を見た。
その時、外から従業員の叫び声が響いた。
「所長! しょちょーう! 来てくださーい! ネネムちゃんが!!」
俺たちはそれを聞き、声のした醸造所の裏門へ急いだ。
外に出ると、既に日が昇りはじめていた。そこにいたのは――
「ネネム! イースト!」
イーストは公園で寝ていたはずだが、ネネムと一緒にポンベを探していたのだろうか。
「無事で良かった。ポンベは見つかったのかい?」
「豊、イリス……」
「お、おい、大丈夫か、お前? ボロボロじゃねェか」
「お願い、ポンベを……助けて」
ネネムの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。




