第26話:巣母ケイブラットと最後の酒種
巣母はきょろきょろと首を振って辺りを見回している。デカくて不衛生でなければ可愛い生物なのだが。
「おい、コイツ、アタシらじゃなくて外への穴ばっか見てるぞ」
「逃げ道を探してるのかもしれない。先に退路を押さえよう」
こんなのを野放しにしたら、この規模の洞穴などまたすぐに作られてしまうだろう。やつに恨みはないが、逃げられるわけにはいかない。
俺は巣母に身体の正面を向けたまま、壁沿いに右側の大穴の前へ回り込む。巣母も俺の動きを目で追い、大穴と俺を交互に見比べている。どうやら、俺が退く瞬間を待っているらしい。
イリスが入口を、俺が出口を押さえる。とはいえ、この大穴を身体ひとつで塞げるはずもない。隙を見せれば簡単に抜かれる。
俺が手をかざすと、何かを察知した巣母は目にもとまらぬ速さでこちらへ駆けだした。
「逃がさねェよ!」
イリスの放水が巣母の横腹を捉え、奥の壁へと押し込んだ。
しかし、巣母は奥の壁へ叩きつけられる寸前に四肢を突っ張り、水流に押される勢いのまま壁を横へ駆けた。
「〈ポイズンアロー〉!」
紫の針が届くより早く壁を蹴り、今度は俺めがけて跳んでくる。
「おっさん、伏せろ!」
イリスが巣母とは反対側の壁沿いを駆け、俺の斜め後ろから叫ぶ。
横へ避ければ、背後の大穴を抜けられてしまう。俺はその場から動かず、身を屈めた。
直後、俺の頭上すれすれを水流が走り、飛びかかってきた巣母を正面から押し返した。
「はぁぁ!」
すかさず〈毒魔法Ⅰ〉を撃ちこむが、即座に体勢を立て直した巣母は、紫の針が半分も届かないうちに壁伝いに移動して奥へと避けた。
巣母は着地した勢いのまま壁際を駆けまわり、何度も大穴へ向かう素振りを見せては、急に向きを変える。
イリスも何度も水流を撃ちこむが、警戒を強めた巣母には当たる気配すらない。
「あぁ、くっそォ、当たらねェ~~!」
「さすがネズミだ、素早いね……」
「ヂィィィィ!」
巣母が洞穴中に響き渡るほどの大きな声で威嚇してくる。
「イリス。このまま追い回しても埒が明かない。やつをあそこへ追い込もう」
俺はネネムが塞がなかった、最後の小さな横穴を指差した。
「追い込むって、どうすンだ?」
「俺はこのまま大穴を塞ぐ。イリスはこっちへ来て、俺の左に並んでくれ。やつの両脇へ攻撃をばら撒きながら狭めていって、向かいの小穴へ追い立てるんだ」
「了解だ!」
イリスが俺の左隣へ駆け寄り、二人並んで巣母と向き合う。その背後には、狙いどおり小さな横穴がある。
「いくぞイリス! 〈ポイズンマシンガン〉ッ!」
「おらおらァ、こっちも通行止めだァ!」
俺たちは巣母の両脇へ魔法をばら撒き、扇を閉じるように、少しずつ射線を内側へ寄せていった。
逃げ場を狭められた巣母は、攻撃から遠ざかるように後退し、小穴の前まで追い込まれていく。
やがて、逃げ場を失った巣母は身を翻し、小穴へ頭から飛び込んだ。
しかし、その小穴は巣母が通るには小さく、頭と前脚を突っ込んだところで胴がつかえた。
直後、ゴリゴリゴリと岩を喰う音が響き、穴の縁から石くずが噴き出した。つかえていた胴が、少しずつ奥へ沈んでいく。
「させるか、はぁぁぁ!」
俺はそのまま〈ポイズンマシンガン〉を逃げ込もうともがく巣母の尻に撃ちこみ続けた。巣母がけたたましく鳴き叫ぶ。
【対象への毒性付与に成功】
【対象への毒性付与に成功】
【対象への毒性付与に成功】
【対象への毒性付与に成功】
【対象への毒性付与に……】
十発を越えても、巣母はまだ後ろ脚をじたばたさせている。通常のケイブラットとは比べものにならないほどしぶとい。
それでも、穴にはまった身体では逃げようがない。やがて動きは痙攣へと変わり、ついに動かなくなった。
岩を削る音も、耳障りなほど響いていた巣母の鳴き声も途絶え、辺りが静寂に包まれる。
洞穴には、俺とイリスの荒い息遣いだけが残っていた。
「……終わった、かな」
「みてェだな」
【対象の生命活動停止を確認】
【魔素吸収を実行します】
【レベルが上昇しました】
【〈毒魔法Ⅰ〉が〈毒魔法Ⅱ〉へ成長しました】
これだけ連発した甲斐あってか、ついに〈毒魔法〉も成長した。だが、名前だけでは何が変わったのか分からない。
試してみたい気持ちはあるが、毒魔法だしなぁ……もし何かの間違いで自分に毒がかかったら最悪だ。
ウェルズに戻ったら、ギルドで詳しく確認してみよう。
「よっしゃぁ! おっさんおっさん! レベルが上がったぜェ!」
「おめでとう。お疲れ様、イリス」
「へへ。これでケイブラットの巣は壊滅だな!」
「巣の外にも残党がいる可能性は捨てきれないけど……さすがに巣母ほどの個体はもういないだろうね」
少なくとも、巣母を含め、巣に残っていたケイブラットはすべて片付けた。酒母蔵へ通じる道も塞がれている。残党は、あとでブールと相談して改めて調べればいい。
「うし、そンじゃあアイツんとこに戻るか」
「ああ、ブールさんにも報告をしないとね」
俺たちはポンベとネネムが出て行った大穴を抜けた。そこは、醸造所の敷地を挟んでウェルズからの峠道とは反対側にある、崖壁の麓だった。
辺りを見回したが、ポンベとネネムの姿は既になかった。
気にはなるが、土地勘も追跡の心得もない俺たちが夜の山へ入れば、捜索対象を増やすだけだ。まずはブールに状況を伝え、山を知る者へ協力を頼むべきだ。
* * *
醸造所の裏手から正面へ戻ると、そこで待っていたのは労いと褒美のエール――ではなく、洗い場での全身洗浄による除染作業、つまり風呂だ。
イリスは文句を垂れていたが、問答無用である。あれだけ汚れた洞穴を歩き回った格好で醸造所をうろつくなんて論外だ。
身綺麗になったところで、先ほどの女性従業員に地上の仕込み棟へ案内された。俺とイリスは再び衛生着一式を身に着け、手と靴を消毒して、棟内の試験仕込み室へ入る。
俺たちが洞穴で駆除作業を行っている間に、ブールは結界に守られていた奉納樽と小さな少女をこちらへ移していたらしい。
扉を開けると、ブールと数人の従業員が、光の膜に包まれた奉納樽を囲んでいた。
ブールはこちらに気づくと、目を見開いて駆け寄ってきた。
「帰っただか、ケイブラットはどうなったべ!?」
「洞穴内のケイブラットは駆除できました」
「おぉ……やってくれただか! その話、この子にも聞かせてやってくれ。おらが何を言っても、膜を解こうとしねえだよ」
俺は奉納樽の前にかがみ、小さな少女と目線を合わせた。
「巣にいたケイブラットは、巣母も含めてすべて片付けた。種守りの間の大穴も塞いだままだ。もう大丈夫だよ。大切な酒種を守ってくれて、ありがとう」
少女はしばらく俺を見つめ、それからブールとイリスへ順番に目を向けた。
「ほら、いい加減休め」
イリスが光の膜をデコピンすると、きつく吊り上がっていた眉が、ようやく緩んだ。
奉納樽に触れていた小さな手が離れる。幾重にも重なっていた乳白色の膜は、役目を終えたように一枚ずつほどけ、光の粒となって消えていった。
【■■■:アリ■トウ、と伝え■■■ようです■■】
最後の一枚が消えると同時に、少女の身体が傾いた。
イリスが両手でそっと受け止める。小さな胸がかすかに上下している。気を失っているだけのようだ。
「バカなヤツだぜ……こんなになるまで踏ん張って、守り抜きやがった」
そんなことを言うイリスの目も、少しだけ潤んでいた。
ブールが小さな少女へ深々と頭を下げる。
「ありがとなぁ。おめさんがいなかったら、奉納樽まで失ってただよ」
少女はすでに意識を失っているが、それでもブールはしばらく頭を上げようとしなかった。
その後、イリスは少女を清潔な布を敷いた小籠へそっと寝かせ、ブールは従業員たちに奉納樽の保全を指示した。
「ブールさん。ネネムとポンベのことですが……」
俺は洞穴であった出来事をかいつまんで説明した。
「なんだって!? ポンベがネネムちゃんを……?」
「大穴の外までは追ったのですが、二人とも見当たりませんでした。俺たちだけで夜の山へ入るのは危険だと判断して、先に戻ってきました」
「わがった。山のことはおらたちに任せるだ」
ブールは近くにいた従業員を呼び止める。
「山道に詳しい者を集めて捜索隊を組むだ。灯りの魔石と呼び笛を持たせて、必ず二人一組で行動するように。ポンベを見つけても、無理に近づくでねえぞ」
「は、はい!」
従業員が慌ただしく試験仕込み室を出ていった。
「すまねえが、おめさんにはこっちの鑑定を頼みてえだよ」
ブールは奉納樽へ目を向けた。
「膜が消えた以上、中の酒種が本当に生きてるか確かめて、すぐにでも増やす準備をしねえといかん」
ネネムたちのことは、山を知る者たちに託すしかない。今の俺は、自分にできる仕事をするべきだ。
「わかりました。彼女が守り抜いた最後の酒種、絶対に救いましょう」
ブールは仕込みの職人たちに招集をかけた。彼らを待つ間に、俺たちは奉納樽の蓋を開けた。
蓋の隙間から、かすかに甘酸っぱい香りが立ち上った。先ほど調べた酒種よりも、ずっと弱い匂いだ。
俺は息を整え、樽の中へ〈毒鑑定Ⅱ〉を使う。
【微生物反応を検出】
【毒性反応なし】
まだ生きている。だが、このままではいつ途絶えてもおかしくないほど反応は弱い。
このわずかな望みを、〈発酵術〉で増やすことはできないだろうか。
【〈発酵術Ⅱ:培養〉により[微小生命]を培養できます】
それなら――




