第24話:酒母蔵と種守りの間
「暗いから、足元に気を付けるだよ」
地下酒母蔵への階段は床から天井まですべて石造りになっており、木製の柱が一定の間隔で打ち付けられているせいか、坑道のような雰囲気だった。
ブールが壁の配電盤……ではなく、配魔力盤を操作すると、壁に取り付けられた魔石に一斉に光が灯る。
いつかの地下水道よりは、狭いせいか灯りがよく反射し、思ったほど薄暗くはない。
イリスは入る前までは俺の袖を掴んで離さなかったが、明かりが灯ると少し安心したのか、ブールと俺の間を歩き始めた。
そして、俺たち三人が石段の中盤に差し掛かった時――
『……ダメ…………』
「ひっ」
イリスの肩がびくんと跳ねた。
確かに、奥の方から声が響いた。
「お、おい……いまの……」
「ああ、聞こえたね。声が」
「ああ? もう終業時刻は過ぎてんだ、誰もいるわけねぇだよ」
『……ダメ、もうダメ…………』
これが例の噂の声だろうか。絶望に染まった声だ。奥に行って確かめなければいけない。
「お、おっさん! 待てよ!」
俺は二人を追い越し、急いで石段を下りきると、そこには、黒と灰色が混じった長い毛の束が落ちていた。
「もう、だめ。お酒、一滴もない……」
「……ネネム、何やってるんだ?」
毛の束はむくりと上半身を起こした。
――ネネムがうつぶせで倒れていたようだ。
「お酒の匂い……」
「お前かよ! びっくりさせンじゃねェ!!」
「おんや、ネネムちゃん、こんなとこで寝ちまうと風邪ひくべよ。残念だけどこの先には酒種しかねぇだ」
そういえば、酒を貰いに来たんだったな。試飲の時に呼んでやればよかった。
ネネムにびしっと指を差される。
「飲んだ?」
「う。いや、調査のためだよ……別に好きで呑んだわけじゃなくて――」
「ああ!? おらんとこの酒が好きじゃないってか!?」
「ちょ、そういう意味じゃないです!」
ええい、面倒くさい奴らだ。
「ネネム、この先は手と靴を洗って衛生着を着ていないと入っちゃいけないんだ。一旦戻ろうか」
「……うん」
「ったく、人騒がせなヤツだぜ」
「どの口が言ってんだか……」
「あァ!?」
「これこれ、ここで水魔法は勘弁して欲しいだよ」
「おっと、そうだな、わりィ」
イリスが水球を浮かべるが、ブールに怒られると、しゅんと水球が消えた。あの水球ってキャンセルできるのか。初めて見たぞ……。
俺たちは来た道を戻り、ネネムを見送ろうと思ったのだが。
ネネムは洗い場でしっかり手と靴の裏を洗い、一番小さい衛生着を探して羽織り、口覆いを付けた。
「あれ? ネネムも入りたいのかい?」
「……行く」
「この先に飲めるお酒はないよ?」
「ポンベに、言われた」
「……? だそうですが、ブールさん」
「あぁ、もちろん構わねぇだ。あの猫ちゃんとちっこい嬢ちゃんは連れてけねぇが、広場にいるんだべ?」
ネネムはこくりと頷いた。
「わがった、じゃ四人で行くべ」
ネネムの目的はよくわからないが、別に止める理由もない。再び四人で石段を下りた。
石段を下りてしばらく長い廊下を進むと、縦に切れ込みの入った厚布が何枚も垂らされ、廊下の空気が直接蔵へ流れ込まないようになっている。
厚布をくぐると、古い木の扉があった。
中は通気口の付いた小部屋になっており、さらにもう一枚扉をくぐると、たくさんの樽が横向きに棚に置かれた、広い酒母蔵が現れた。棚の下には車輪が付いており、棚ごと簡単に動かせるようになっているようだ。
「おぉ~、すげェ酒の匂いだな」
「……幸せ」
ネネムは酒種の匂いを嗅いだだけで恍惚としている。
「全部で何樽くらいあるんですか?」
「大小合わせて七十二樽だな。普段使ってる酒種が六十樽、奥の十二樽が予備だよ」
予備もここにあるのか。普段使いの樽と同じ空間にあるのが引っかかる。
「開けて良い樽はありますか?」
「あぁ、業務上もちょいちょい開けて確認しとるだ。扱いに気を付けてくれればどれを調べても構わんよ」
許可が出たので、俺は手前、中ほど、奥と場所ごとに樽を開けて〈毒鑑定Ⅱ〉を使った。
【微生物反応を検出】
【毒性反応なし】
どれも鑑定結果はまったく同じだった。
「うーむ、結局ここが原因じゃなかったのか?」
頭を悩ませていた、その時だった。
【■■■:タス■テ……と訴え■■るようで■■■■】
ログ!?
なんだ、今のは。読み切れない。こんな表示は初めてだ。
【■■■:モウ、ゲンカイ■と■■ている■■です■■】
文字が欠けていても、意味だけは嫌というほど伝わってくる。
「誰かいるのか!?」
俺の声が、酒母蔵に響き渡る。
「お、お、おっさん~~~~」
涙目のイリスが駆け寄ってきて、俺の衛生着の袖をぎゅっと掴んだ。
「なんだぁこりゃ!? こんなんはじめてだべ!」
「……」
何かを感じ取ったのか、ネネムは、酒母蔵の最奥にある引き戸の方へ歩いていった。
「ネネム? そっちに何かあるのか?」
ネネムは引き戸を指さして言った。
「この奥に、いる」
「ネネムちゃん、そっちは『種守りの間』だ。今は扉が壊れてて誰も入れねぇはずだべ」
ネネムはそのまま手を斜め上に向けて指を開くと、ごごご、と音を立てて引き戸のレールの上の岩が窪み、支えを失った扉が手前に倒れた。
「おっと! 無茶するなぁ……」
「おいバカ、何が出てくるかわかンねェぞ……」
「ネネムちゃん、あまり蔵の中で魔法は……おんや?」
種守りの間は、四畳半ほどの狭い空間に祭壇と樽が一つ置いてあるだけの空間だった。俺たち四人が入っただけで、かなり狭く感じた。
しかし、異様な点が二つある。
ひとつは、大きな横穴が開き、自然にできたような洞穴と繋がっていること。穴の周囲には崩れ落ちた瓦礫が散らばっている。
そして、もう一つは――
【■■■:■■■■■驚いて■■ようで■■■】
樽の上に、イーストと同じくらいのサイズの小さな少女が、座り込んで樽に手をかざしていた。
短く跳ねた髪は乳白色。墨色でフードの付いた薄いローブの上には、髪と同じ乳白色の短い外套を羽織っている。ローブと外套の縁には赤紫色の刺繍が走っているが、ところどころが裂け、衣装も頬も土埃で汚れていた。
深い赤紫色の釣り目の瞳は疲労で潤み、今にも閉じてしまいそうだ。それでも眉だけはきつく吊り上がり、俺たちを睨みつけている。
少女と樽を包むように、乳白色に透ける光の膜が半球状に広がっていた。
膜は一枚ではない。薄い膜が幾重にも重なり合い、樽を外界から隔てるように展開されていた。
だが、そのほとんどは破れ、残った膜にも無数の亀裂が走っていた。
赤紫色の光が傷口を縫うように明滅するたび、少女は目を細めて辛そうな表情を見せる。
「あれは、奉納用の酒樽だべ……おめさはもしかして、酒神さまだか……?」
酒樽を害している雰囲気ではなく、あれはどう見ても守っている様子だ。
「何かから酒樽を守っているのでしょうか? 一体――」
その時、洞穴から黒い小動物が飛び出てきた。あれは――
「げ、ネズミじゃねェか! いや、魔獣だぞありゃ」
イリスの言う通り、口の周りが赤黒く光るネズミのような魔獣だ。サイズはネズミの数倍はあるが。
それだけではない。ネズミの身体はところどころ黒紫色に侵され、目が血走っている。あれはゴーレムと同じ、魔障化の色だ。
「あぁぁ、な、なんてこった……! ケイブラットだべ……! あんなもんに入られてたんじゃ、酒母蔵はもうおしめェだよ~~!」
「なるほど。ケイブラット……奴らが異変の原因ってことか」
せっかく入口の外気を遮断していても、奥から雑菌を撒き散らされていたのでは意味がない。
「くそ、どうする? 水は――出さねェ方がいいよな?」
「……まいったね」
当然、ここでは毒魔法も論外だ。
「……問題ない」
ネネムが種守りの間を走り回るケイブラットに手を向けた。
石床が足裏を震わせる。ケイブラットの周囲から石のドームがせり上がり、逃げ場を奪うように頭上で閉じた。閉じ込められた魔獣が暴れる音だけが聞こえてくる。
「……つぶす?」
「いんや、ネネムちゃん、これ以上雑菌を撒き散らしたくないだよ。できれば封印したまま外に出せるか?」
「わかった」
ケイブラットを封じたドームが石床ごと少し持ち上がり、底面の縁に沿って亀裂が走る。ドームは平らな底を保ったまま、石床から完全に切り離された。その下で盛り上がっていた石床が元に戻ると、半球状の石塊が重く床を打った。
直後、内側から、ごり、ごり、と石を削るような音が響く。
「おい、こいつ……石を齧ってンじゃねェか?」
「ケイブラットは『石喰い』とも呼ばれてるだ。このまま放っときゃ、いずれ出てくるべ」
「……やっぱり、つぶす?」
「中身が外へ出ねえよう、石ごと潰せるか?」
ネネムが手を握ると、石塊は内側へ押し潰され、ひと回り小さくなった。暴れる音は止み、亀裂も血も外へ漏れていない。中身がどうなったかは、あまり想像したくない。
「これを外に捨てればいいってわけですね」
「あぁ、助かるべ。だが……」
俺たち四人は、壁に開いた穴の向こうの洞穴を見た。
「これは、ケイブラットの巣でしょうね……」
「あぁ、このままにはしておけねぇべ」
「でもどうすんだ? しらみ潰しにするにも、こっち側に取り逃したら大変だぜ」
ネネムが無茶をしたせいで、扉がなくなって蔵へ入り放題となってしまった。
「……とりあえず、塞ぐ」
ネネムは扉のあった部分に手をかざし、魔法を使う。
「あ、待てネネム、塞ぐって――」
ごおん! と音を立て、酒母蔵へ戻る入口は岩で完全に塞がれてしまった。
「あーー! どうすんだよ、これじゃアタシらも通れねェじゃねえか!」
「……お酒の敵、全滅させる」
「全滅ったって……あ」
一連のやり取りを、樽の上の少女が口を開けて見ていた。
【■■■:助け■■ほし■と伝え■■■うです■■】
「チッ、わかったよ。お前、ずっと一人でこの樽を守ってたのか?」
小さな少女はこくりと頷いた。
「おい、放っておけるか? コイツ」
「無理だね。助けよう」
ネネムは無言で頷く。
「酒神さま、あと少しだけ待ってて欲しいべ」
小さな少女の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「オラァ、いくぞお前ら!」
何か心に触れるものがあったのか、イリスに一層気合いが入った。
俺たちは、壁の大穴から洞穴へと足を踏み入れた。




