第23話:石造りの公園と酔っ払い所長
「待ってくれ、なんでネネムが地下水の事を知っているんだい?」
ネネムはイーストを指さした。
「精霊。ウェルズで聞いた」
なるほど、未だに精霊はイースト以外見たことがないくらい希少な存在だ。噂になっていても不思議ではない。
「ネネムはウェルズにも来ていたんだね」
「……お酒くれた」
「そ、そうか。親切な人もいたもんだ」
すると、年配の従業員が俺に直接話しかけてきた。
「あんた、そんなすげぇ人だったんかね、早く言わんね。おらがここの所長、ブールだよ」
一応、名乗っている途中だったんだけどね……。
ブールが右手を差し出してきたので、俺も右手を出し、固く握手する。
遠巻きに見ていた従業員たちからわっと小さな歓声が起こる。あまり期待されても困るんだが。
「ウェルズ商業ギルドの鑑定員、大麹豊です。地下水については俺一人で解決したわけではありませんが、調査については力を尽くします」
俺はコリィさんから預かった書状を差し出した。
ブールはその場で封を切り、書状へ目を走らせた。
しばらく難しい顔をしていたが、やがて書状を懐へしまい、イリスへ向き直った。
「わざわざ遠い所すまなんだな~。こちらのお嬢さんは?」
「水魔法使いのイリスです。まぁ……助手、みたいなもんでしょうか」
「イリスだ! アタシが来たからには百人力だ!」
「そら心強い。オオコウジくんにイリスちゃん、よろしく頼むべ」
ブールはイリスともがっしりと握手し、ちらりと俺の鞄から顔だけ覗かせているイーストを見た。
「精霊っちゅう話だが。何の精霊ね?」
「ええと、魔菌精霊、だったかと思います」
「マキン? 聞いたことねえ属性だ」
「いえ、属性ではないかと。発酵や浄化など、目に見えないほど小さな生き物の働きに関わる精霊だと思っています」
「よくわからねえけど、酒種に働く『気』みてえなもんか?」
「おそらくは」
「うーん。なら悪いけんど、仕込み場や蔵には入れられねえだ。従業員にも外の『気』さ持ち込まねえよう徹底させてるだよ」
なるほど。確かに、醸造過程で間違って別の菌が入ってしまったら大変なことになるだろう。
「こればかりは仕方ないね。イースト、俺が中にいる間、どこかで待っていられるかな?」
イーストはしょんぼりと肩を落としている。心が痛むが仕方ない。
「……だいじょうぶ」
ネネムが一歩前へ出た。
「ブール。ここ、使っていい?」
ネネムは何もない門前広場の端、荷車が通る道から外れた一角を指さして言った。
「ネネムちゃんなら問題ねえ。帰る時に元に戻してくれりゃええ」
「わかった」
答えると同時に、地面から軽い振動が伝わってきた。
石造りの何もなかった広場から、ずどん、ずどんと建造物が突き出されていく。
トンネル付きの滑り台、ジャングルジム、よくわからない小さな四角い石枠、大小さまざまなベンチ、水遊びできそうな低い噴水、穴の開いた球体のオブジェ……なんだアレ?
「おぉ、すげェ、公園ができたぞ!」
【イースト:喜んでいるようです】
イーストはくるくるとネネムの周りを回転すると、ジャングルジムのてっぺんに座ったり、わざわざ地面に降りて滑り台を滑ったりして遊び始めた。
なぜかイリスも一緒になって滑り台で滑ったり、噴水に水を入れて噴き上がらせたりしている。
ポンベは小さなベンチに乗り丸まった。ネネムが専用設計したのか、ジャストサイズだ。
「ポンベ」
ネネムがポンベを呼ぶと、どこからかポンベがロープを咥えて持ってきた。……え?
「あれ? ポンベが二匹……?」
ベンチでは、確かにポンベが丸くなって眠たそうな顔をしている。
ロープを持ったポンベが俺のもとへ歩いてくると、俺へロープを差し出すように首を伸ばしてきた。
「あ、ありがとう……?」
ロープを受け取ると、ふわっとポンベが黒い粒子となって消えた。この世界に来てから何度か見た、魔法が消える現象に似ていた。
「い、今のは、ポンベの能力なのかい?」
「……ポンベも、精霊」
なんと、彼――彼で合っているだろうか? ポンベも精霊なのか。
「そうだったんだ。普通の猫にしか見えないね」
オリジナルのポンベは、ベンチの上で尻尾を一度だけ機嫌よく揺らした。
「あぁ、そのロープは廃棄予定のモンだから、使って構わねえだ」
「はぁ。で、ネネム、このロープは一体……?」
「……」
ネネムは何も言わず、小さな四角い石枠を指さした。
小さな石枠の足元には、両端に穴の開いた薄い石板が置かれていた。あぁ、そういうことね。
俺は腰に下げていたナイフでロープを二本に切り分け、石板の穴へ通し、こぶで固定する。それぞれを石枠の上辺に結び付けると、小さなブランコが完成した。
「イースト用のブランコか。良かったな、イースト。ここなら退屈しなさそうだ」
イーストは満面の笑顔でくるんと縦に回った。
「ありがとう、ネネム。おかげで……あれ?」
振り返ると、ネネムがいない。辺りを探すと、ネネムは謎の球体オブジェの中で、持っていた酒瓶を枕に横になっていた。ジャストサイズで非常に快適そうだ。
「おい、もしかして、そのまま寝るつもりか……?」
「……すぅ」
もう寝ていた。
「ははは、ネネムちゃんは自由人だべ、いつもこんな感じだ。ポンベちゃんも中に入れんもんで、気ぃ使ってるんだべ」
そうだろうか? 単に眠くて寝ただけにしか見えないが……。
「……まぁ、いいか。ええと、ブールさん。調査の件ですが」
「あぁ、そうだったな。よし、案内するけえ、ついてきな」
「おーい、イリス! いくぞ~」
「あと一回! あと一回だけ滑ってから~~!」
お前が夢中になってどうする。
なんとかイリスを滑り台から引き剥がし、ブールに連れられて敷地の中へ入った。
最初に通されたのは、鉄門のすぐそばに建つ事務所棟の大きな会議室だった。
ブールが従業員に指示すると、仕込み条件を書いた札の貼られた小樽が十樽ほどと、試飲用の小さなコップが大量に運び込まれ、机に並べられていく。
「調査を始める前に、まずは問題の酒を飲み比べてもらいてえ。酒を知らんことには、何がおかしいかも分からんべ」
「あまり酒に造詣が深いわけでもないのですが……違いが分かるでしょうか」
「なぁに、大丈夫だ。飲めば誰でも分かるほど、味が変わっちまってるだよ」
「うひょ~、これ全部お酒かよ! やっぱり飲ませてもらえるンじゃねェか!」
イリスだけが、調査へ来てから一番の笑顔を見せていた。
「こっちが正常品のエール。ここからが失敗品のエールだ」
ブールは正常品の樽に注ぎ口を取り付け、コップに注ぐ。シュワシュワと泡が立ち、エールの豊潤な香りが部屋に広がった。
「それでは、まず〈毒鑑定Ⅱ〉で――」
「待て待て、まずアタシが味見を――」
俺たちが言い終わる前に、ブールは注いだエールをごくごくと飲み干してしまった。
「あ……」
「ちょッ……!」
「ブハァ! うん、やっぱ美味ぇだな! おらんとこの酒は最高だべ! したらよ、こっちが最初の失敗品なんだわ」
続いてブールは失敗品のエールを同じコップに注ぐとそのままの勢いで飲み干した。
「うん、悪くねぇ。けんど、甘味が薄くて、いつもの香りがねえ。これが最初に味のおかしくなった仕込みだよ。次! こっちは仕込み桶を全部洗い直したやつだ。酸っぱさは減ったが、やっぱり香りが戻らねえ。これは仕込み水を替えたやつ、こっちは発酵時間を短くしたやつ。そんでこいつが、予備の酒種から作り直したやつで――」
「あの、ブールさん……?」
「お、おい……アタシにも飲ませろよ……」
ブールは端から順に全ての樽からエールを注ぎ、感想を述べながら、最後の樽の分まで一杯ずつ飲みきった。
「ええと、ブールさん、そろそろ俺たちにも……」
「ああん? なあに言ってんだ! 最初の味なんてすっかり忘れちまっただ! もっかい呑まんとなぁんもわがらんね!」
「おい、コイツ自分が呑みてェだけなんじゃねェのか」
「けんどなぁ……こんなの、おらの酒じゃねえんだよ。何十年も守ってきた味が、どこにもねえ……やっぱり酒種が死んじまっただよ……ちくしょうめ……」
すると、資料を持ってきた従業員が青ざめて叫んだ。
「あぁ! 所長が呑んでる~~!」
その声に呼ばれてばたばたと大勢の従業員が集まってきて、皆落胆の声をあげる。
「私が目を離したせいで――!」
「誰だ所長の前に酒樽を持ってきた奴は!」
「こりゃだめだ、外まで運ぶぞ! 俺は腕を持つ、お前は足を頼む!」
「何だべお前ら、離すだよぉ~~」
「えっさ、ほいさ」
ブールは従業員に運ばれていってしまった。
「異変とは別の原因で場が荒れちゃったね……」
「な、なぁ、これ飲んでいいかな?」
残された樽の列を見て、イリスが言う。気持ちはわかるが……。
「うーん、勝手に飲むのはやめておこう」
すると、従業員の一人がフォローにやってきた。
「すみません……。うちの所長、酒は弱いくせに、ひと舐めすると止まらなくなっちゃうんです」
十杯も呑めていれば、酒に弱いとは言えない気はするが。
「以降は私が引き継がせていただきます。まずこちら、去年のものですが、正常なエールをお試しください」
「おっ、待ってましたァ!」
イリスとは、ウェルズの酒場ですでに何度か一緒に飲んでいる。
最初はその若さが気になって確認したのだが、この国では十五歳から飲酒が認められており、本人も十五は過ぎているそうだ。
元の世界の感覚では少し落ち着かないが、こちらの決まりに口を挟むことでもない。
「俺も、いただきます」
うん、美味いじゃないか。
確かにウェルズの飲食店で飲むエールと同じ味だが、醸造所で飲むと雰囲気補正がかかり、より美味しく感じる。
俺は失敗品のエールもそれぞれを少量ずつ口に含み、正常なものと飲み比べた。
確かに比べると、すべて味が物足りなかったり、えぐみがあったりと欠点が目立つ。しかし――
「うーん、味が違うのはわかりましたが、〈毒鑑定Ⅱ〉では特に違いは出ませんね」
「そうですか……。他に気づいたことはありませんか?」
「プハァッ!! いやぁー! 全部美味かっ――もがもが!」
全部美味かったぜ、では話がややこしくなるので、俺は急いでイリスの口を塞いだ。
「ええと、どれも欠点は違いますが……共通して、正常品にあった甘い香りが弱いですね。それに、わずかですが同じ酸味が残っている気がします」
その時、どたどたと音を立ててブールが会議室に戻ってきた。
「そう、その通り! お前さん、舌は確かなようだな! 独特の酸味があるだよ!」
「ブ、ブールさん。もう大丈夫なんですか?」
「ハッ、あれっぽっちで酔うわけねぇだよ! それより、桶を洗っても仕込み水を替えても、あの酸味だけは変わらず出てしまうだ」
「ぶはっ! おい、何すんだおっさん! ……水が原因じゃねェんだな」
大人しくなったイリスを解放したが、話は聞いていたようだ。口を塞いだことに怒って、文字通り水を差されなくてよかった。
「対策によって多少の味の変化。そして、特定の異常だけが再現されているわけか……」
ならば、少し手掛かりが見えてきた。すべての仕込みに共通して使われたものに原因があるのかもしれない。
「原料は同じものですか? 酒種は、途中から予備へ替えたんですよね」
「んだ。麦は念のため別んとこから買ってきたものでも試したよ。酒種も、普段使っていたものではなく、保存してあった予備から作り直しただよ」
「それでも、同じ香りと酸味が残った……」
「あぁ。どっちの酒種も、地下の酒母蔵で保管していたもんだ」
「地下の酒母蔵?」
「代々受け継いできた酒種を保管して、次の仕込みに使う分を育てる場所だな」
あぁ、パンの継ぎ種みたいなものか。
「酒母蔵は調べましたか?」
「当然だべ。樽をすべて出して、床も壁も確認しただ。割れも、カビも、獣が入った跡もねえ。ただ……」
「何か?」
「蔵の奥に『種守りの間』があんだけどよ、こないだの地鳴りのあとから扉が開かねえだよ」
地鳴り。確か、道中で会った行商人がそんな事を言っていたな。川沿いの道が崩落したとかなんとか。
「『種守りの間』ですか。その中にも酒種があるのですか?」
「まぁ、あるっちゃあるが、あれは毎年一度、酒神さまに奉納するために育ててる酒種だ。仕込みに使うもんじゃねえだよ」
正月の神事のようなものか。元の世界でも毎年会社でやっていたな。
「あくまでも噂なのですが……」
さっき途中まで説明してくれていた女性の従業員が、話に割って入る。
「夜、酒母蔵の前を通ると、誰もいないはずなのに物音がするとか、苦しい、もうダメ、という声が聞こえてくるとか……」
「にゃーーー! またこのパターンかよッ!!」
イリスは叫びながら両手で耳を塞いでしまった。
「……怪しいですね」
「おいおい、おらもそんなの初耳だべ」
「す、すみません、あくまでただの噂ですので……」
女性従業員は縮こまってしまった。
「その物音や声が聞こえ始めたのも、地鳴りのあとですか?」
「は、はい。ちょうど扉が開かなくなった頃からだと……」
イリスには悪いが、偶然ともただの幻聴とも思えない。
「ブールさん。今から、その酒母蔵を見せてもらえませんか?」
「もう暗くなるとこだが、構わねえ。噂を確かめるにゃ、かえって都合がいいべ」
隣で、イリスの顔が露骨に引きつった。
「……おい、またアレか?」
「今回は水路じゃないから」
「地下は地下だろ! おっさんと一緒にいると、なんで毎回こうなるンだよぉ~」
「待っててもいいんだよ?」
「……あんな話聞かされたあとで、一人にすンなよなぁ」
難儀なやつである。
ブールに案内され、地下酒母蔵の入口へ着いた。
手と靴底を洗い、口覆いを付けて衛生着を羽織る。俺たちが準備を終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。




