第22話:酒瓶の少女と川上醸造所
俺は、声がした横穴をかがんで覗き込んでみた。
俺の腰ほどの高さしかない入口の奥には、六畳ほどの空間が広がっており、中には石造りの天蓋付きのお姫様ベッドや家具が置いてある。
柱や棚の側面には細かな意匠が施されており、まるで貴族か王様でも住んでいるような様相だ。
ただ、ベッドに敷いてある布類を除き、備え付けの家具には木材が一切使われていない。
それどころか、どれも同じ灰色の岩でできている。運び込まれたというより、むしろ床から直接生えているような――そんな馬鹿な。
「……だれ」
ベッドからのそりと起き上がったのは、小柄で華奢な少女だった。
腰まで伸びた墨色の髪には、太い灰銀色の房が不規則に混じっている。岩肌の層を思わせる色合いで、寝癖のついた毛先があちこちへ跳ねていた。少し大きめの厚手の土色の上着をまとい、長い袖から小さな指先だけが覗いている。
丸みのある頬に、小さなへの字口。重たげな上瞼の下から、灰紫色の瞳がじっとこちらを見ていた。
警戒しているというより、起きていること自体が面倒そうな感じだ。
少女が片腕を伸ばすと、黒猫は慣れた様子でその胸元へ収まった。枕元には、少女の胴ほどもある大きな酒瓶がいくつも転がっている。
「うわ、部屋!? ごめんよ、もしかして君のおうちかい?」
「……?」
少女と黒猫は顔を見合わせ、不思議そうに首を傾げる。
「ええと……。さっき魔法で、イリス――俺の連れを助けてくれたのは、君かな?」
少女はこくりと頷いた。
「……ポンベに頼まれた」
黒猫の尻尾がふわりと揺れた。
「そ、そうか。本当に感謝してるんだ。ありがとう」
「……そう」
少女は気だるげに答えると、再びベッドに横になり、すぐに寝息を立てはじめた。
黒猫も少女の枕元で丸くなる。
「……お、お邪魔しました」
放置されてしまった。これ以上覗き続けるのも悪いので、横穴から顔を引っ込める。
「ん? おい、なんか居たンか?」
「ええと……この横穴、女の子の部屋だった」
「はァ?」
だよね。
「なンだこれ!? ベッドまで石でできてンぞ!」
「あ、イリス!」
俺が制止する間もなく、イリスが横穴に入り込んだ。俺も慌てて後を追い、狭い入口をくぐる。
「こらこら! 勝手に入っちゃダメだよ。寝てるんだから」
「つーか、酒瓶だらけじゃねェか。おい、これ全部空だぞ」
寝ていた少女の眉が、わずかに動いた。
「……全部、空?」
「うわ、びっくりした! おい、この穴はお前の家なンか?」
少女は再び起き上がり、黒猫と顔を見合わせ、不思議そうな顔をした。
「……家じゃない」
「あァ? どう見ても家だろうが。それともここも休憩所なンか?」
「おい、イリス。恩人にそんな口のきき方するんじゃない。さっき魔法で君を助けてくれたのはこの子だよ」
「そうだったンか! ほんッと助かったぜ、ありがとな!」
イリスはずかずかとベッドまで歩いていき、少女に右手を差し出す。
「イリスだ!」
「……?」
少女はイリスの手と顔を交互に見る。
「握手と名前! アタシはイリス、天才水魔法使いだ!」
「……ネネム」
「そうか、ネネム! 助けてくれてありがとなッ!」
イリスはネネムの手を勝手に掴み、ぶんぶんと乱暴に握手をした。
「俺は大麹豊だ。豊と呼んでくれ」
「……」
返事はなかった。さっさと寝たいと言わんばかりだ。
「そして、こちらはイースト。精霊だ」
イーストはポンベと呼ばれていた黒猫の周りをくるくる回っている。
ポンベはちらりとイーストを見たが、すぐに気だるそうに目を細めて鼻を鳴らした。
「よっし! それじゃ気を取り直して、醸造所に――」
ネネムの灰紫色の瞳が、先ほどよりほんの少しだけ開いた。
「……醸造所、行くの?」
「イリス、改めて言っておくけど、遊びに行くわけじゃないんだよ。地下水路の時と同じ、調査依頼だ」
「細けェことはいいだろ。酒を造ってる場所に行くなら酒がいっぱいあるはずだ! あるなら、飲めるはずだ!」
「なんだその理屈は……」
ネネムが再び、のそりと身体を起こし、今度はベッドから立ち上がった。
「醸造所、なおすの?」
「あぁ、今出荷停止しているらしいね。俺はウェルズのギルドの職員で、これから異変の原因を調査しに行くところなんだ。直せるかどうかは、まだわからないけど」
「お酒、くれなくなった」
「ネネムは、醸造所の人と知り合いなのかい?」
「……行く」
質問には答えず、ネネムは枕元に転がっていた酒瓶の中から、一番大きなものを一本抱えた。
「え、君も?」
「行く」
まさか、俺たちについてくるつもりだろうか。
俺が身をかがめて通った入口を、ネネムは頭を下げることなく抜けていく。
ポンベも、その後ろを長い尻尾を揺らしながらついていった。
横穴の外から、平坦な声が届いた。
「……豊、イリス、イースト。遅い」
返事はなかったが、ちゃんと名前は覚えてくれたらしい。
「ああ、ごめん、待ってくれ」
「おいおい、いきなり乗り気じゃねェの」
【イースト:慌てているようです】
気づけば、俺たちがネネムについていく形になっていた。
再び腰をかがめて入口をくぐり、休憩所へ戻ると、ネネムが立ち止まって待ってくれていた。
峠道の続きを見上げてみる。
「この休憩所で四合目ってところか」
「げ、まだ半分以上あるンかよォ」
「……大丈夫」
ネネムがきょろきょろと辺りを見渡した。休憩所の端にある、何もない崖際へ右手を向けた。ポンベが急いでこちらに走ってくる。
次の瞬間、どどどど、と鈍い音を響かせ、休憩所の端から太い石柱が垂直に伸び始めた。
石柱は峠道の終点と同じくらいの高さまで伸びて止まった。
続いてその根元の岩が盛り上がり、俺たち全員が余裕を持って入れる、前面の開いた石箱へと形を変えた。
「うおおおお! すげェ! オイ、これ、お前の地魔法か!?」
「これは圧巻だね……」
石柱を元に戻さなければ、そのうち地図が書き換えられるだろう。
「乗る」
そう言うとネネムとポンベは石の箱に乗った。
……まさか、あの遥か上まで垂直に昇るのか? これ。
元の世界の絶叫アトラクションが頭をよぎり、ぞっとする。
「おい、どうしたおっさん。これで連れてってくれるんじゃねェか? 楽できるなら助かるじゃねェか」
「イリス、さっき落ちかけたのによく平気で乗れるね……」
「はァ? どういう意味だ?」
「乗るぞ、イリス……」
イーストを鞄に収め、俺たちも石の箱に入る。
すると、それぞれの目の前に細い石柱が石床から突き出された。
「掴まる」
やばそうだ。
俺は細い石柱を両手で抱きしめると、思い切り全身に力を入れて踏ん張った。
「お、お手柔らかに……」
イリスは不思議そうに石柱を握った。
すると、ずしん、と足元が揺れ、次の瞬間、俺たちを載せた石の箱が、巨大な石柱に沿って猛烈な勢いで上昇を始めた。石箱の背面が石柱と擦れ、ゴリゴリと音を立てている。正面が開いているせいで、まるで身一つで飛び上がっているような錯覚を覚える。
「のわァ~~~~!! は、はや、速い~~~~! 高い~~~~! 止めろォ~~~~!」
「……別に、このくらいは普通」
「……っ!! ……!! あ、安全柵くらい……作って……くれっ……」
十秒もかからないうちに、再びずしん! という衝撃と共に石箱が急停止した。勢いのまま俺とイリスは天井近くまで投げ出され、そのまま身体ごと床に叩きつけられた。
ネネムは片手で細い柱に掴まり、ポンベもその肩へしがみついたまま微動だにしていない。
静止した石箱の中から、ネネムが離れた峠道の終点へ手を向けると、箱の縁からまっすぐ横向きに石柱が伸びていった。
峠道と接続すると、横向きの石柱は見事な石の道となった。
「はい、到着」
「到着してねェ! こ、こ、こんなん渡れるかッ!」
「……怖い?」
「こえェよ!」
「……仕方ない」
再びネネムが手をかざすと、石の道は振動を伴いながら上下に伸びたり形を変えたりして、あっという間に立派な安全柵付きの石橋となった。側面には、凝った意匠が彫りこまれている。
「これなら渡れる?」
「いきなり崩れたりしねェよな……?」
「大丈夫」
そう言うと、ネネムとポンベは石橋を渡っていった。
「お、おい、置いてくなよ!」
「さっきの昇降機よりはマシだね……」
俺とイリスもおそるおそるネネムに続く。
しかし、渡ってみると揺れはまったく感じられず、見た目以上に頑丈だと分かった。
渡りきるころには高所にも慣れ、すっかり景色を楽しんでいたくらいだ。
ネネムは来た道の方へ手をかざすと、ごごご、と音を立てて石橋が石箱へ引き戻されていく。続いて石箱と巨大な石柱も、休憩所の地面に収まっていった。ちゃんと後片付けができる子のようだ。
「こんな大規模な魔法を使って、魔力とかは大丈夫なのかい?」
「……だめ」
そうか、だめかぁ。
「おっ! おい、おっさんおっさん! お酒の匂いがしてきたぜェ~~!」
イリスの言う通り、道の向こうからふわりと甘い匂いが漂ってきた。
俺たちが渡った先は、峠道の終点だ。その先は川沿いの街道と合流して整備された石造りの道となり、高地には大きな工場のような建物を中心とした、広大な敷地が広がっていた。
崖に沿って建つ工場にはいくつもの煙突が伸びている。木柱で支えられた屋根の下には、大きな金属製のタンクと大小さまざまな木樽が並び、崖上を流れる小川からは、工場へ水を引く水路が延びる。
低地の川岸には桟橋のような木床が設けられており、樽を載せた小舟や石造りの排水路など、ちょっとした港にも見える。
その横には、敷地の入り口である大きな鉄門と何も置かれていない広い石造りの広場があった。
醸造所内では大勢の従業員が行き交っており、それだけで慌ただしい空気が伝わってくる。
ただ、煙を上げている煙突は数本しかなかった。
俺たちが入口の鉄門に向かって歩いていると、広場にいた年配の従業員の一人が声をかけてきてくれた。
「おんや、醸造所に何か用かね? 今は出荷停止中だべ」
「こんにちは。ウェルズの商業ギルドから出向してきました、鑑定員の大麹豊と申します。書状がありますので、よければ責任者の方を――」
名乗り終わる前に、従業員はネネムに向き直った。
「お、ネネムちゃんでねぇか。すまなんだな、まんだ酒が上手く造れんだよ~。飲ましてあげてぇのは山々なんだけんども……」
「大丈夫。すぐなおる」
「えっ? 原因がわかったんがね?」
ネネムはふるふると首を横に振り、俺を指さした。
「豊がなおす」
「え、ネネム……?」
「ほぉ、このお人は……?」
「豊」
たしかに俺は豊だが。
「おいおい、ネネム。俺は依頼を受けて調査に来ただけだよ。直すなんて断言は……」
「ウェルズの地下水、豊がなおした」
広場にいた従業員たちの視線が、一斉に俺へ集まった。




