第21話:死んだ酒種と峠道
【微生物反応を検出】
【毒性反応なし】
「ふぅむ……」
俺は自分専用の鑑定台の前で、首を捻っていた。
肩の上でイーストが、俺の真似をして同じポーズを取っている。
かけていた銀縁の丸眼鏡から、淡い光が消えていく。
この眼鏡に度は入っていないが、魔力が通ると少しだけ発光するおもちゃ――もとい、由緒ある魔道具である。多分。
この眼鏡を光らせるだけで、仕事をしている感が五割増しに見えるので、市場で衝動買いして以来好んでつけている。
俺が〈毒鑑定Ⅱ〉で見ていたのは、小さな密封されたガラス瓶。
ラベルには『川上醸造所:酒種サンプル』と書いてあり、中には白くぐじゅぐじゅした粒の混じる液体が入っている。
なんでも、死んだ酒種を調査して欲しいとのことなのだが……
「別に、死んでないよな? イースト」
イーストは俺の肩から離れると、くるんと縦に一回転した。最近わかったのだが、肯定の返事らしい。そのままガラス瓶の近くに飛んで行き、中の様子をしげしげと観察している。
〈毒鑑定Ⅱ〉で分かるのは毒、魔障と微生物反応があるかどうかくらいだ。これ以上頭を悩ませてもわからないものはわからないので、検査札に鑑定結果をそのまま書き込んだ。
「おっと、そろそろか」
そう言って眼鏡を外したところで、ギルド会館二階の廊下をバタバタと駆ける音が聞こえてきた。
ばん、と勢いよく木製の扉が開き、束ねられた鮮やかな青髪がふわりと持ち主の肩に落ちた。
「よォ、おっさん! やってるか?」
ご機嫌そうなイリスがずかずかとやってきて、いつも座る椅子にどかりと腰を下ろす。
「腹減った!」
「ここは居酒屋じゃないよ」
「へへ。昼飯食いにいこうぜ!」
ここのところ毎日この時間にやって来ては、一緒にお昼を食べに行くのが習慣となっている。もちろん全て俺の奢りだ。懐かれているというよりは、餌付けさせられている。
「しかし、あれだけ報奨を貰ったっていうのに、一体何に使ったの?」
「あれっぽっち、美味いモン食ってたら一瞬で無くなるって!」
「胸を張って言う台詞ではないね……」
大体、銀貨二百枚は「あれっぽっち」ではない。
そんな事を話していると、記録板を抱えたコリィさんがやってきた。
「オオコウジさん。先ほどの酒種ですが……あら、イリスさん。今日もたかりに来ているのですか?」
「人聞き悪ィこと言うなよコリィ! 一緒にメシ食いにいってるだけだろ!」
「いや、イリス。コリィさんの言う通りだ。ちゃんと地に足を着けた生活をしないと、この先――」
「う、うるさ~~~い!」
イリスはそう言い捨て、扉の外へ逃げていってしまった。まぁ、まだ昼飯を食べてないからすぐに戻ってくるだろう。
「はぁ……」
俺とコリィさんのため息が重なり、顔を見合わせて笑う。
「それで、酒種の件ですが。〈毒鑑定〉の結果はいかがでしたか?」
「えぇ、微生物――ええと、酒種は生きていましたよ」
「そうですか……。実はあの酒種、醸造所から原因究明の請願書付きで鑑定依頼が来たものなんです。醸造時に泡は出るそうですが、いつもの味が出なくて困っている、と」
鑑定上は微生物反応はあるようだし、イーストも変な反応は見せていない。味がおかしいなら別の原因があるのだろう。井戸水事件の時は魔障が原因だったが、この酒種には魔障の反応はない。
「ウェルズで流通するお酒の多くはこの醸造所で作られています。今後お酒が安定して作れないままだと、皆さん困ってしまいます」
この世界では、酒は大事な娯楽のひとつだ。急に量を制限されると多少なり混乱するだろう。
「そこで、オオコウジさん。もしよろしければ、川上醸造所まで出向して、原因調査をお願いできませんか?」
コリィさんは困った顔をして、尻尾は下がり、耳がぱたりと倒れた。そんな顔をされては、とても断れない。
「俺にできることなら、やってみます」
「まぁ、ありがとうございます! オオコウジさんなら、安心して任せられます」
信頼が眩しい。しかし、酒造りのことなんて一切知らないが。
「でも、俺は酒造りに関しては素人ですよ。大丈夫でしょうか」
コリィさんの耳は戻り、尻尾はリズムよく振られていた。
「大きな醸造所です。お酒造りに関しては専門家が大勢いるので問題ありません。オオコウジさんには〈毒鑑定〉と、地下異変を収めたその慧眼を駆使して、広く調査していただければと」
慧眼、ね……。褒められるのは嫌な気はしないが、少し大げさだ。
「わかりました。現地の職人に教わりながら、原因を探ってみましょう」
川上醸造所は、ウェルズの北側を流れる川に沿って、上流へ遡った先の山間にある。数日泊まる可能性があるので、準備をしておけとのことだ。
今から出ると山道で日が暮れてしまうため、出発は翌朝に決まった。
コリィさんはちらりと扉に視線を向け、少し大きな声で続ける。
「ちなみに、依頼料が出るのはオオコウジさんだけですよ~」
扉の陰から、イリスがそろりと顔を出した。
「ちぇっ。ついてくくらいは構わねェんだろ?」
「はい、構いませんよ」
「へへへ。おっさんといると退屈しねェし、なぜか儲かるンだよな」
「おいおい、遊びに行くわけじゃないんだよ?」
「醸造所だろ? お酒が飲み放題だったらどうしよう。うへへ……」
そんなわけないだろ……。
* * *
俺はウェルズの大きな北門の前で、日用品とギルドの書状を入れた鞄を背負い直した。鞄の横には〈フローラの革袋〉を縛り付けてあり、その中にはマナ・バクテリア水の入ったガラス容器を収納している。
この便利な革袋は、微生物や菌叢の入った容器を収納するとその時の状態を保ってくれるそうだ。
この世界には〈アイテムストレージ〉や〈マジックバッグ〉といった数多くの収納方法があり、中身の状態を保つものや、時間そのものを止めるものなど、容量も効果もさまざまらしい。
肩掛けの鞄からはイーストが首から上だけ覗かせている。
「それじゃあ、出発しようか」
【イースト:心躍らせているようです】
「山登りかぁ、めんどくせェな~」
イリスはいつも通り、使い古された肩掛け鞄一つしか持っていない。
「イリス、そんな軽装で大丈夫なのかい?」
「へーきへーき、一日程度の距離だろ? 水さえありゃなんとかなるッて」
「なるほどね」
……意外と核心をついてはいるのだが、それを実行できるのは自分で水を出せるイリスだけだ。
俺たち三人は北門の詰め所で記録板に出街情報を記し、ピカピカマス祭りの会場となった川へ向かう。
「イリスは川上に行ったことはあるのかい?」
「いや、アタシはウェルズから出たことはほとんどねェな~。特に行く用事もないしな」
「こんなに良い景観なんだ、観光旅行くらいは行くだろう」
「景色見たって腹は膨れねェだろ」
「酒があれば山には登るんだね」
「お酒と飯は立派な用事だろ!」
わかりやすい行動原理だ。
「しかし、それじゃあ道案内は期待できそうにないね」
「川上ッてんだから、川沿いに上ってきゃ着くだろ」
「そんなもんかなぁ」
そんな話をしていると、向こうから幌付きの荷馬車がやってきた。引いているのは魔獣ではなく普通の馬だ。
荷台には酒樽を固定する木枠と縄だけが置かれ、肝心の酒樽は一本も積まれていなかった。
御者台の男には少しだけ見覚えがあった。
「よう、見た顔だな。モルトンの連中と一緒にいた世間知らずの旦那だったな」
あまり嬉しい覚えられ方ではないが、お陰で顔を覚えていてくれたのだ、文句は言うまい。
「こんにちは。その節は、水の異変について教えていただき、助かりました」
ウェルズに初めて入街する前に、色々情報を教えてくれた商人だった。
「なぁに、お互い様よ。山を登って醸造所に行くのか? あそこはここんところ酒造りが上手くいってないらしい。味がおかしくなっちまうそうだ」
「あのあと、縁あってギルド職員になりまして。その異変の調査を依頼されました」
「そうか、それなら多く語るこたぁねぇな。手伝ってやってくれ。あそこが酒の出荷を止めるなんて、俺が商売を始めてから一度もなかったことだ」
「えぇ、力を尽くします」
「それとな、最近の地鳴りで荷車用の道が崩れたから通れねえ。徒歩なら旧道を使えるから、教えてやろう。地図を貸してみな」
コリィさんに渡された地図と筆記具を渡すと、男はすらすらと崩落箇所を迂回できるルートを記してくれた。
「いやぁ、ありがとうございます。助かります」
「足元には気をつけな、崖から落ちると地龍に喰われるって話だ。はーははは!」
確かに、整備されていない旧山道を進むのはかなり恐ろしい。しかも隣には土砂崩れを引き起こしかねないトラブルメーカー付きだ。慎重に進みたいところだ。
改めて礼を言い、御者と別れた。
イリスに余計なことを言わないように気を付けなければ。
「知り合いか?」
「あぁ、ウェルズに入る前に、闇水売りに気を付けろって忠告をしてくれた親切な……あっ」
ばしゃあん。
久々に、頭から水がかかった。
「アタシは闇水売りじゃねェ!」
「……そうは言ってないよ」
似たようなものだが、とは言わなかった。
しばらくは川沿いを上流へと進み、途中で地図の通りに小さな橋を渡り、対岸を歩く。
さらに三十分ほど川沿いを進むと、右手に崖を登る峠道が見えた。地図によると、これが旧道のようだ。かなり高いところまで伸びていて、斜面の角度のせいでその先までは見えない。
「うげ、これ登ンのか……」
「これは、さすがにしんどそうだね。ある程度登れば休憩所があるらしいから、まずはそこまで頑張ろう」
イリスはそれ以上は文句も言わずについてくる。
酒が飲み放題じゃないと分かったら、どれほど嘆くだろうか。
やがて、俺たちは中腹の開けた休憩所にたどり着き、石造りの長椅子へ腰を下ろした。
「はぁ、ふぅ……いや、しかし、凄い眺めだね」
眼下には、ウェルズやモルトンの森を一望できる圧巻の景色が広がっている。
イリスは風に吹かれる髪を押さえて、崖の際から下を覗き込んでいる。
そこにイーストも鞄から出ていき、ひとしきり景色を見渡したあと、崖の外へとそ~っと飛んでいく。君は飛べるから高さは関係ないだろうに。
「ひゃァ~~、ここから落ちたら終わりだな」
「危ないから、あまり身を乗り出さないようにね」
「はいはーい」
毎度毎度、危なっかしいヤツだ。
不意に、とん、と俺の肩に何かが乗っかった。
「ん?」
イーストは崖の外でぱたぱたと手足を動かしている。
肩へ目を向けると――
「……猫だ」
鼻先で黒猫と目が合った。
艶のある毛並みは、耳の先から長い尻尾まで黒一色。すらりと細い胴と長い脚、顔に対して大きな三角耳に、丸い琥珀色の瞳。
可愛らしい猫だが、半ば伏せた瞼のせいか、どことなく気だるそうに見える。
「君、ここに住んでるのか?」
「……」
「にゃんにゃん、にゃーん?」
「……」
黒猫はふすと鼻を鳴らすと、トッと地面に降り、景色を眺めるイリスの方へ歩いていった。
ふと、黒猫がこちらを振り返った――いや、違う。微妙に視線が合わない。何を見ているんだ?
そう思った矢先、ごう、とひときわ強い風が吹き荒れた。
「のわっ!?」
「ちょ、イリス!?」
イリスは強風でバランスを崩し、足を滑らせ、身体が崖の外へ傾いた。
「おっさ――」
俺は長椅子から立ち上がり全力で走るが、ダメだ、間に合わない。
イーストが慌ててイリスの腕を掴むが、彼女の力ではどうにもならない。
イリスの半身が崖の外へ投げ出された、その時――
ズドォォン!
崖の斜面から、岩が横向きにせり出した。
「うくっ、いてェっ」
イリスはせり出した岩の上へ転がり、落下を免れた。
「イリス、手を!」
「あ、ああっ!」
俺は伸ばされたイリスの手を掴み、休憩所の中央まで連れていった。
「し、死んだかと……思ッたぜ……」
イーストも緊張の糸が切れたのか、浮かびながらも全身の力が抜けている。
「無事で良かった……しかし、一体何事だ?」
改めて崖際を見ると、ずずず、とせり出した岩が崖へ引き込まれていった。
「こ、これは……魔法、か?」
へたり込む俺たちのもとへ再び黒猫がやってきて、イリスの足に身体を擦りつけた。
「まさか、君が?」
黒猫は何も答えず踵を返し、休憩所の奥――岩山をくり抜いた横穴へと走っていった。
そして、走り去った向こうから、ひどく眠たげな少女の声が届いた。
「……ポンベ。次は、自分で助けて」




