第19話:イースト
【真名解放条件を満たしました】
その瞬間、知らないはずのイーストの本当の名前――真名が、ずっと知っていたもののように胸へ刻まれた。
「力を貸してくれるか?」
イーストは力強く頷いた。
「――顕現せよ、マナ・セレビシエ!」
【マナ・セレビシエ:真名を受諾しました】
【大麹豊とマナ・セレビシエの魔力経路を接続します】
胸の奥が、かっと熱くなる。
そこから白金の光が一本の糸となって伸び、俺と巨拳の間に浮かぶイーストへつながった。
巨大な拳は、もう目の前まで迫っている。
だが、光の方が一瞬だけ早かった。
イーストの小さな身体を包み込むように、無数の泡が生まれる。
大小さまざまな泡は空中を舞い、ひとつ弾けるたび、金色の麦粒へと姿を変えた。
麦粒は芽吹き、穂を伸ばし、白金の光とともに渦を巻く。
その中心で、小さな影が一気に大きくなる。
乳白色の光が布となって身体を包み、裾や袖には金色の麦穂が刻まれていく。
淡い金色の髪が背中まで流れ、半透明の羽が、身体よりも大きく左右へ開いた。
黒紫の水煙の中へ、焼きたてのパンにも似た、ほのかに甘い香りが広がる。
最後の泡が弾けた。
白金の光の中で、蜂蜜色の瞳が開く。
そこにいたのは、もう手のひらほどの小さな精霊ではなかった。
人の姿となったイースト――マナ・セレビシエが、迫る巨拳を見上げる。
「ゆたか!」
初めて聞く声が、俺の名前を呼んだ。
イーストは両腕を掲げ、石の巨拳へ手のひらを押し当てる。
ボボボボッ!
泡が次々と弾け、巨拳の勢いを削っていく。
それでも、十四メートルの巨像が振り下ろした拳は止まらない。
「く、ぅぅ……!」
イーストは押し込まれながら、半透明の羽を激しく羽ばたかせる。
身体を横にひねり、巨拳を両手で右へ押し出す。
拳の落ちる先が、俺から少しずつ外れていく。
巨拳が俺のすぐ横を通り過ぎた。
直後、石の拳が最下層へ叩き込まれ、地面が大きく跳ね上がった。
「大丈夫かっ! イースト!」
「ゆたか! うえ!」
イーストは、ニナが垂らしてくれた縄を指さした。
「……わかった! ありがとう!」
俺は力を振り絞り、水の抵抗に逆らって縄まで辿り着く。
「引き上げます!」
ニナとイリスが力を合わせて、三層目まで俺を引き上げてくれる。
ニナの手を取り、保守路に降り立つことができた。
「助かった! 二人とも、ありがとう!」
「へへ、おっさんがいないと浄化もできないしな」
「でも、こんなんじゃ、命がいくつあっても足りません……」
ゴーレムは狙いをイーストへ定め、何度も両拳を振り下ろす。
だが、空中を縦横無尽に飛び回るイーストは、それを紙一重でかわし続ける。
ブシュウーーーーッ!
再びゴーレムの全身から、黒紫の水煙が噴き上がった。
今度は白い蒸気まで混じり、三層目にいる俺たちのところまで、むっとするような熱気が届く。
規定外の動作を続けたことで、内部が熱を持ち始めているらしい。
なんとかイーストが時間を稼いでくれているが、このままではジリ貧だ。
『最奥第一水門、決壊寸前でございます! 安全水門にも圧力がかかっております! 長くは持ちませんぞ!』
イーストが崩れた保守路の向こう、上水路の方をちらりと見る。
「ゆたか! このままじゃだめ! 全部いっしょにきれいにするの!」
「どうすればいいんだ!?」
「光る水、ふやして! たくさん!」
光る水、つまり培養水のことだ。
「わかった! イリス!」
「任せろッ! うおぉぉ!」
イリスが一歩前に出て、俺たちの背丈を優に超える巨大な水球を作りだした。
「種砂、たくさん入れますっ!」
ニナが、一掴み、二掴みと種砂を水球に入れていく。
「よしっ! 〈培養〉ッ、〈培養〉ッ、〈培養〉ッッ!」
何度も〈発酵術Ⅱ〉を撃つ。何度も何度も。
水球は、黒紫の水煙を吸収し、どんどん光を強めていく。
「まだたりないの!」
魔力経路を通して、イーストの焦燥が伝わってくる。
まだ、足りない。
「〈培養〉、〈培養〉……くっ」
視界が大きく揺れ、膝が折れかける。
「おじさん、これを!」
ニナが背負い枠から補給魔石を取り出し、差し出した。
「私が持ってきたのは、これ一つだけですが……!」
「あ、ありがとう、ニナ……」
俺は補給魔石を受け取ると、流れ込んでくる魔力と共に、なんとか平衡感覚を取り戻す。
「おいッ! イースト! まだ足りねェのか!? アタシもそう長くもたねェぞ!」
「もうすこしっ!」
もう少しだ。
「くっ、〈培養〉ッ! 〈培養〉ッ!」
水球が光を集めていく間も、ゴーレムの巨拳が振るわれるたびに、保守路の石床が崩され、水管は壊され、設備が破壊されていく。
『安全水門の維持限界まで、残りわずかでございます!』
ブツ、とノイズが消え、放送が途切れた。
ゴーレムの瞳が、ついに光の塊を捉えた。
「まずい! 来るぞ!」
巨大な右腕が大きく振りかぶられ、拳がにぎられていく。
「いやぁぁ!」
「おっさん、まだかよォーー!」
補給魔石が光を失い、残る魔力もあとわずかだろう。
ゴーレムが巨拳を振り下ろしたとき、再びイーストが俺たちとゴーレムの間に入り、泡と共に拳を受け止めた。
「くぅ、ゆたか……、あと、ちょっと……!」
「〈培養〉ォーー!」
俺は力を振り絞り、一気に魔力を注ぐと、水球はひときわ大きく明滅し始めた。
来た。
「あつまった!」
イーストが叫んだ途端。
右腕をイーストに止められたままのゴーレムが、左腕を振り上げ、俺たちの頭上――四層目の保守路へ、左の掌を叩きつけた。
ドォォン!
保守路は砕かれ、石床が大きな瓦礫となって降り注ぐ。
「逃げろォーー!」
ニナとイリスが左右に走る。
俺は走ろうとした瞬間、再び視界が暗くなり、足から力が抜ける。
真上から瓦礫が降ってくるが、もう、身体が動かない。
「ゆたかぁーー!」
衝撃に備え、思わず目を瞑る。
直後、頭上に衝撃は来ず、代わりに腹のあたりが絞められ、身体が強く後ろに引っ張られる。
「ぐうっ」
俺の身体は石床に叩きつけられ、何度か転がった。
目を開くと――。
「間に合ったようだな」
「ハンクさん……!」
ハンクがゴーレムへ向き直り、槍を構えた。
俺の居たところには、落ちてきた瓦礫の山が積まれていた。
「水道掃除に護衛は要らんと思ったんだが」
「そのつもりだったんですけどね」
急いで駆けつけてくれたのだろう。ハンクは既に息が上がっている。
「お、おじさん、無事で良かったですぅ~~!」
「おい、動けンのか!?」
「いや……」
補給魔石で一度は魔力を補ったというのに、立とうとしても眩暈に阻まれる。
その時、壁際から、がこん、と小さな音がした。
保守路の壁にあった点検窓が開き、チャックの顔がぬっと現れる。
「オオコウジ様! 新しい魔石でございます!」
「チャックさん!?」
放り投げられた魔石を、慌てて両手で受け止める。
「それでは、ご健闘を。ヒヒヒ……」
チャックの顔が引っ込み、点検窓が閉じた。
魔石から、じわじわと魔力が戻ってくる。
「イリス! 魔力は足りてるか!?」
「げ、限界だよォ~~!」
ゴーレムが再び拳を上げようとするが、ハンクの槍の穂先から放たれた突風が巨腕を横から叩き、振り上げる動きをわずかに鈍らせている。
俺はイリスの元へ駆けつけると、補給魔石を背中にあてがった。
補給魔石が光り、イリスへ魔力が補給されていく。
「あ、それ、悪くねェな」
マッサージが恋しくなるだろう?
「イースト!」
イーストは受け止めていたゴーレムの巨拳を逸らし、水球の前に飛んできた。
「きれい」
水球は眩く輝き、地下の空間を照らしている。
「頼むよ、イースト!」
「いくよっ!」
イーストは大きく飛び立ち、両手を前へ掲げた。
「〈イースト・ブルーム〉!!」
イーストが掲げた両手の先に、金色の光球が浮かび上がった。
「おらよ、持ってけェ!」
イリスが両腕を振り上げる。
巨大な水球がほどけ、一本の輝く水柱となってイーストの元へ昇っていく。
金色の光と水柱の光が重なり、吹き抜けの中央で大きく膨れ上がった。
イーストが掲げていた両腕を、勢いよく左右へ開く。
ぱぁん、と光が弾けた。
金色に輝く無数の泡が、花開くように吹き抜けいっぱいへと広がっていく。
泡はゴーレムの全身を包み、保守路を満たし、上水路の奥へと流れ込んだ。
ぱちん、ぱちん、と泡が弾けるたび、黒紫の水煙が色を失っていく。
水管の内側も、石床に溜まった汚染水も、俺たちの服に着いた黒紫の飛沫も。
触れた端から淡い光へ変わり、すべてが浄化されていった。
ゴーレムから噴き出されていた水煙は光を帯び、やがて透明になっていく。
ドォォォン……!
垂れ下がった両腕が石床を打ち、地響きが走る。
巨大な石の関節から、細かな石片がぱらぱらと落ちていく。
「はぁ、はぁ……やったか……」
俺はイリスから補給魔石を離すと、再び自身の回復へと充てる。
浄化を終えた水から、淡い光が消えていく。
だが、マナ・バクテリアまで消えたわけではない。役目を終え、透明になった水の中を静かに漂っている。
「地下水路も、イーストちゃんのおかげで一気に浄化されましたね!」
「全員、無事のようだな」
ニナとハンクが駆け寄ってくる。
イーストを見上げると、蜂蜜色の瞳は、未だゴーレムを見据えていた。
「胸のところ、光が!」
ニナが叫んだ瞬間。
どくん、と、ゴーレムの胸部が黒紫の光で脈動する。
ゴーレムの瞳が再び光を取り戻し、腕がごりごりと音を立て動き始めた。
「げェ、まだ動くンかよ、あいつ!!」
ブシュゥゥーーー!
ゴーレムは真っ白な水蒸気を全身から噴き上げる。
胸部の脈動が早くなり、周囲の石材が赤熱していく。
「何か手はあるのか?」
槍を構え直したハンクに問われるが、正直お手上げだ。
「ゆたか、あそこ、くるしそう」
イーストがゴーレムの胸の前まで下降し、黒紫に脈動する部分を指さした。
「とは言ってもね……」
光が脈動しているのは分かるのだが、石に覆われていては浄化の水や泡も届かないだろう。
「まだ手は残ってるぜ。アタシの水だァ!」
イリスが片手を掲げる。
最下層から何本もの水流が立ち上がり、螺旋を描きながらイリスの前に集まっていく。
「浄化水だ! ぶっ掛けて、頭冷やしてやんぜェ!」
「イリス、掛けるだけじゃダメだ! 石に覆われたままじゃ、あの黒い光まで水が届かない!」
「わ、私が! 道を拓きます!」
ニナが俺たちの前へ出た。
「ハンクさん! 白炎に沿って、風をお願いします!」
「分かった!」
ニナが左手をゴーレムへ向ける。
「白炎よ、道を示せ!」
細く絞られた白炎が、噴き荒れる水蒸気を切り開き、ゴーレムの胸元まで一直線に伸びた。
白い炎は揺らぐことなく、空中に一本の道を作っている。
ニナは右手に紅炎を灯した。
「今です!」
「はぁっ!」
ハンクが槍を振るい、白炎に沿って風を放つ。
「紅炎よ、風を呑み込み燃え上がれっ! 〈豪炎〉ッ!」
紅炎が白い道へ飛び込み、その周りを渦巻きながら駆け抜けた。
ハンクの風を呑み込むたび、炎は太く、大きく膨れ上がっていく。
白い芯を抱いた巨大な紅炎が、ゴーレムの胸部へ叩きつけられた。
ゴオオオオオッ!
胸部を覆う石材が炎に包まれ、赤い輝きを増していく。
ニナさん、マジか。それ、格好良すぎないか?
ゴーレムはニナに狙いを定め、右腕を上げようとするが、肘から下がだらんとしたままで、うまく振り上げられないようだ。
「いりす! おみず、わたしにちょうだい!」
「よっしゃ、持ってけッ!」
イリスの水流の渦は進路を変え、イーストの方へ向かう。
イーストが掲げた片腕へ水流が渦を巻いて集まり、ゴーレムの巨拳にも匹敵する巨大な水の拳を形作った。
「イリス! 最後だ! ゴーレムに水をぶっ掛けてやれぇ!」
「待ってたぜ! おらァ!」
イリスが再び水球を作ると、赤熱したゴーレムの胸部へ一直線に超高圧の水柱が伸びる。
ジュウゥゥーーーー!
ゴーレムの胸部は勢いよく白煙を上げ、やがて――
ゴォン!
胸部の石材が悲鳴を上げ、斜めに亀裂が走った。
「ッしゃあ!」
「イースト!」
「ゆたか!」
魔力経路を通して、イーストの呼びかけが伝わってくる。
――いっしょに。
イーストは空中で身体をひねり、巨大な水の拳をまとった右腕を、限界まで後ろへ引いた。
半透明の羽が大きく開く。
俺は両手をイーストへかざし、ありったけの魔力を込め、叫んだ。
「全部持ってけ! イースト、〈促進〉ッ!」
イーストの身体が輝き、巨大な水の拳の後ろで、ぼぼぼぼ、と泡が発生し、推進力を増していく。
「正気に……!」
「「もどれぇーーーー!!」」
イーストが右腕を振り抜き、ひび割れた胸部へ巨大な水の拳を叩き込んだ。
ドゴォォォォン!
派手な音を立て、ゴーレムの胸部を覆っていた石材が、ばらばらに砕けて弾け飛んだ。
制御核と思われる巨大な魔石が露わになり、水の拳に包まれる。
透明だった水が白金に輝き、魔石が発していた黒紫の光が端から消えていった。
どくん、どくん、と続いていた脈動が、少しずつ遅くなる。
最後に一度だけ、黒紫の光が明滅し――消えた。
握ろうとしていた石の指が、一本ずつ開いていった。
腕から力が抜け、開かれた掌が最下層の床へ重く落ちる。
ずん……。
今度こそ、ゴーレムは完全に動きを止めた。
俺は露わになった巨大な魔石へ〈毒鑑定Ⅱ〉を使った。
【魔障反応:なし】
地下での戦いが、終わった。




