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第18話:揚水ゴーレム

 ごうん。


 地の底から鈍い音が響き、地面を揺らす。


 壁や天井を動脈のように走る太い水管から絶えず聞こえていた水流の音が、少しずつ遠ざかっていく。


 やがて足元付近の水流も止まり、聞こえてくるのはわずかな水音だけとなった。


 一呼吸置き、ホッシュ率いる保守班が規定どおりの手順で停止を確認する。


「主動力、停止してます!」


「送水圧ゼロでーす!」


「押忍、揚水ゴーレム、停止を確認したっス!」


 ひとつ上の層では、作業員たちが水門を閉じる作業をしている。


 やがて――


『最奥第一水門、閉鎖を確認いたしました。特別清掃員の皆さま、浄化を開始してくださいませ。ヒヒ……』


「よっしゃ、出番だなッ」


 イリスがひときわ大きな水球を生み出し、手元に準備しておいた種砂と魔障水を雑に突っ込む。


「おっさん!」


「〈培養〉ッ」


 もう何度も繰り返した手順だ。俺とイリスの呼吸が合ってきている。


 ニナと保守班員たちは、最下層の点検槽からひとつ上の上水路まで革製の送水管を引き、両端を接続する。


 イリスは水球を点検槽へ沈めると、形を崩しきらないまま送水口へ押し付けた。


「いけェ!」


 イリスに押し込まれた培養水が、送水管を勢いよく駆け上がっていく。


 数秒後、接続先である上水路最奥――最初の浄化区画から、水の流れ込む音が聞こえた。


「これが本当の、人間ポンプ……」


「ああ? 聞こえてンぞ、おっさん!」


 イリスは左手でこちらに水をかけてきた。


「うわ、こら。ウェーダーに入るだろ! 別に悪口じゃないって!」


 すぐに止めてくれた。余計な魔力を消費しないで欲しい。


 保守路の上から、職員が濡れた試験紙を持って叫んだ。


「魔障反応、ありません! 第一浄化区画、成功です!」


 伝声管の向こうや保守班員から歓声が上がる。


 俺とイリスが失敗すれば、ここに集まった全員の作業が止まる。


 最初の成功に、緊張がほどけた。


「やりましたね、おじさん!」


「ほら見ろ、やっぱり水をぶッ掛けりゃ綺麗になるンだよ」


 イーストは、じっとゴーレムを見ていた。


「押忍! これにて第一区画は浄化完了っス。お疲れ様っス! 次は来た道を戻り、第二区画へ向かうっス」


 ホッシュを先頭に、俺たちは石段を上り始めた。


 その時。


 ごり、と。


 すぐ近くのどこかで、重い石同士を擦り合わせる音がした。


 俺は音のした方へと振り返る。


 北を向いていたはずのゴーレムが、こちらを見ていた。


「……? あの、ホッシュさん。ゴーレムの顔って……」


 ブシュウウーーーーー!!


 聞き終える前に、ゴーレムの全身から、黒紫《こくし》の水煙が凄い勢いで噴き上がる。


「わわわわ、なんですかっ!?」


「のわァーーー! やっぱ動くんじゃねェか~~~!」


【イースト:怯えています】


 ホッシュは上ってきた石段を駆け下り、壁際の計器盤を確認する。


「停止桿は下りたまま……規定外の再起動っス! 全員、可動部から離れてくださいっス~~~!」


 まだ数段しか上っていなかったため、俺たちは急いで最下層の保守路へ戻る。


『揚水室! ホッシュ班長! 応答してくださいませ! ゴーレムの予期せぬ再起動が確認されております。緊急停止の操作をお願いいたします!』


「押忍! もうしてるっス~~!」


『内部の魔障反応が上昇しております! 稼働停止により、制御核周辺へ瘴気が――』


 ごうん。


 ゴーレムの瞳が怪しく光った。


 直後、両肩の継ぎ目から石粉が爆ぜる。


 巨大な両腕が、弾かれたように持ち上がった。開かれた掌からパラパラと石粉が落ちていく。


「う、腕が――!」


 右腕が勢いよく振り下ろされ、中央吸水槽の水面へ叩き込まれる。


 ばしゃあん!


 黒紫の飛沫を含んだ水柱が立ち上がり、大きな波となって最下層の保守路へ押し寄せた。


「うわ、やべェ! お前ら、黒いのに触れんなよッ!」


 イリスが大きな水球を造り、横薙ぎに太い水柱を放っていく。水柱は蛇のようにくねり、黒紫の波を押し返していく。


「押忍! 全員、ひとつ上の保守路まで退避するっス!」


 ホッシュの号令で、保守班員たちが一斉に石段へ向かう。


 しかし、立ち上った黒紫の水煙に遮られ、足元がほとんど見えない。


「皆さん、あっちです! 〈白炎〉っ!」


 ニナが掲げた手から白い炎が伸び、石段の手すりに沿って明るい道を作った。


「白炎を目印にしてください!」


 保守班員たちは白く照らされた石段を、声を掛け合いながら駆け上がっていく。


「イリス!」


「分かッてる!」


 しんがりを務めていたイリスも、黒紫の波が到達する寸前に石段を上りきった。


 直後、最下層の保守路が黒紫の水に呑まれる。


『第一浄化区画、魔障反応を再検出! 濃度、上昇しております!』


 チャックではない、現場職員の伝声が流れる。


「さっき浄化したばかりだぞ!?」


 上水路を見ると、淡く光っていた水に、黒紫の濁りが流れ込んでいた。


『安全水門を閉鎖いたします! 全員、ただちに揚水室から退避してくださいませ! ホッシュ班長、誘導を!』


「押忍! 保守班、負傷者を中央に! 鉄格子まで走るっス!」


 ホッシュたちが出口へ向かう。


 俺もあとを追おうとして――足を止めた。


 黒紫に染まりかけた上水路の中で、淡い光はまだ消えていない。


「……浄化反応が続いてる」


 マナ・バクテリアは、黒紫に染まった高濃度の魔障水さえも、ゆっくりと取り込んでいる。


「チャックさん! 培養水を送り続けます。ここで汚染を食い止める!」


『しかし、オオコウジ様――』


「大丈夫です。危険になったら、必ず退避します」


 せっかく見えてきた未来への道を、こんなところで終えたくない。


「おっさん一人で、何するつもりだよ」


 隣を見ると、イリスが水球を携えて立っていた。


「これ、必要なンだろ?」


「わ、私も……お手伝いします!」


 ニナも、種砂の容器を抱え直す。


 イーストもニナの頭の上で、片腕を上げている。


「皆、でも……いや、ありがとう。ヤバいと思ったら必ず逃げてくれ」


 全員が頷く。


「急ぐぞ。ニナ!」


「はいっ!」


 ニナは種砂を取り出し、イリスの水球へ手を差し入れると、その中へそっと放す。


 イリスが柄杓で黒紫の魔障水を汲み、水球に掛けると、ひときわ強めの光が発生した。


「〈培養〉!」


 すると、マナ・バクテリアは強く反応し、今まで見たことのないほど眩い光の球になった。


「おらァ、押し返せ!」


 イリスは光る水球を、上水路の流れを遡るように放った。


 培養水は水管を通り、一本の光となってゴーレムの肩へ走り、付近を覆っていた黒紫の水煙が、次々と色を失っていく。


「効いていますっ」


 だが――。


 最下層をまるごと浸した汚染水が、再び中央吸水槽へ流れ込んでいた。


 ゴーレムの両脚の周りで、大きな渦が巻く。


 清浄な地下水と汚染水が混ぜ返され、吸水柱となっている両脚へ吸い込まれていく。


 胸元で黒紫の光が脈打ち、全身の亀裂から新たな魔障水が噴き出した。


 せっかく光を帯びた水煙も、見る間に黒紫へ戻っていく。


「うわぁ……どうすんだ? キリがねェぞ、おっさん」


「ゴーレムの中に残った瘴気が、水を汚しながら循環させているみたいだね」


『最奥第一水門、送水圧上昇! このままでは閉鎖を維持できませんぞ!』


 下流へ続く水門が、再び揚水された黒紫の水圧を受けて軋み始める。


「このままじゃ水門が破られる! その先の安全水門まで突破されたら、街中が魔障水に浸かるぞ! 止める方法が見つかるまで、吐き出した端から浄化するしかない……!」


「力比べかよッ! 嫌いじゃねェが、あいつ、いつまで動くんだ!?」


 そう言いながらも、イリスは次の水球を作りだす。


 動力源が分からない以上、いつ止まるかも分からない。だが――。


「他に方法があるか!?」


「チッ。ニナ、次の種砂をよこせッ!」


「は、はいっ!」


 急いで培養水を作り、イリスが再びゴーレムへと延びる水管に放つ。


 一度は黒紫の水煙が薄れる。


 しかし、中央吸水槽から汚染水が吸い上げられるたび、ゴーレムの全身から新しい魔障水が噴き出した。


「おじさん、このままでは、次の区画に使うぶんが……!」


「分かってる。でも、ここで止めたら第一水門を突破される!」


 どうする――!


【イースト:上を警戒しています】


 イーストのログを見て、顔を上げる。


 ゴーレムが、こちらを見下ろしていた。


 石の指が一本ずつ折れ曲がり、開かれていた右手が、巨大な拳へ変わっていく。


 その瞳は、俺の前で輝く培養水へ向けられていた。


「お、おい……おっさん。これ、ヤバいんじゃねェか?」


「はわわわわ」


「まさか――」


 ゴーレムの右拳が、保守路へ向かってまっすぐに振り下ろされた。


「散れェ!」


 イリスの叫びに、全員が左右へ飛びのく。


 イーストは、俺の腕へしがみついた。


 ズドォン!!


 石の巨拳が環状保守路へ叩きつけられ、足元が大きく跳ね上がった。


 砕けた石床と手すりが宙を舞う。


 拳を中心に亀裂が走り――。


 バキ、バキバキバキッ!


 一拍遅れて、保守路の一部が最下層へと崩れ落ちた。


「ニナ! イリス! 無事か!?」


「な、なんとかぁ~~~!」


 水煙と巻き上がった粉塵の向こうに、白炎が上がる。ニナが居場所を示してくれているのだろう。


 イーストは、俺の腕にしがみついたまま震えている。


「いッてて……大丈夫だ! おっさんこそ平気か!?」


「あぁ! だが、まずいな」


 拳が引き抜かれる。


 さっきまで俺たちが立っていた保守路は、最下層まで大きく崩れ落ちていた。


 鉄格子へ戻る道が、途中で完全に途切れている。


 後ろを振り返っても、反対回りの保守路は、ゴーレムの背後から噴き出す黒紫の水流に塞がれていた。


『環状保守路、部分崩落! ヒヒ……。最奥第一水門は閉鎖を維持しております。送水圧、なお上昇中でございます』


 くそ、都合よく送水管まで壊れてはくれなかったようだ。


 崩落箇所を挟み、俺とイーストは下層へ続く石段側に、ニナとイリスは上層へ続く石段側に取り残された。


「おじさん、下へ! 私たちは上から回り込みます!」


 ニナが白炎を掲げたまま、上りの石段を駆けていく。イリスもそのあとを追った。


 俺もイーストを連れ、下層へ向かって走り出す。


 ゴーレムの左腕が、石段を駆け上がる二人の背後から横薙ぎに迫る。


「ニナ、イリス! 上へ跳ぶんだっ!」


 石の前腕が二層目の保守路を削り、手すりと石段をまとめて吹き飛ばす。


「のわああッ!?」


「イリスちゃん! 手を!」


 足元の石段が砕け、イリスの身体が宙へ投げ出された。


 一足先に三層目へ飛び込んだニナは、そのまま腹ばいになって腕を伸ばすと、イリスの手首を掴み、片腕だけで一気に上まで引き上げた。


「わりィ、助かった! お前、本当に力持ちだな!」


「上から、おじさんのところまで回ります!」


 二人は三層目の保守路を走り始める。


 白炎の灯りが、巨大なゴーレムの背後を回り込みながら、少しずつ俺たちの頭上へ近づいてきた。


 ゴーレムはごり、と音を立てながら、ニナとイリスの姿を目で追っている。


 俺は最下層まで降り立つ。


 黒紫の水が、ウェーダーの膝下まで押し寄せてきた。


「こんなことのために買ったわけじゃないんだけどね……!」


 流れに足を取られながら、壁際の手すりを掴んで進む。


 イーストは俺の肩へ移り、首元にしがみついている。


「おじさん、こっちです!」


 声に顔を上げる。


 三層目の保守路から、ニナが身を乗り出していた。


 ニナは腰から安全縄を外し、釣りの時に教えた手順で手早く手すりへ結び付けると、俺のいる最下層へ向かって縄を投げ下ろした。


「これに掴まってください!」


 縄の先が、俺の数メートル前で揺れる。


 あと少し――。


 その時、頭上から、ごり、ごり、と石の擦れる音が聞こえてきた。


 ゴーレムの右拳が、二層目の残骸を削りながら、再び俺たちの頭上へ持ち上がっていく。


 黒紫に光る瞳が下を向き、俺を捉えた。


「おじさん、急いで!」


 水を蹴り、縄へ向かう。


 だが、ウェーダーが水の抵抗を受け、思うように足が前へ出ない。


「こっち見ろ、デカブツッ!」


 頭上からイリスが水柱を放った。


 水柱は黒紫の水煙を穿ち、ゴーレムの顔を横から打ち据えたが、わずかに首を揺らしただけだ。


「やぁっ!」


 ニナが白炎を放ち、ゴーレムの眼前を覆った。


 眩い光に眼がくらんだのか、ゴーレムの視線が逸れ、右腕の動きが一瞬止まる。


「イースト、君だけでもニナのところへ!」


【イースト:拒否しています】


「俺は大丈夫だから、早く!」


 何が大丈夫だかわからないが、絶対にこの小さな生命を巻き込んではいけない。


 イーストは、俺の肩から離れた。


 よし、そのまま上へ――。


 そう思ったのに。


 イーストは俺とゴーレムの間へ飛び、小さな両腕をいっぱいに広げた。


「イースト……?」


「イーストちゃん、逃げてぇ!」


 頭上でニナが叫ぶ。


 白炎がゴーレムから噴き出す黒紫の水煙に呑み込まれ、黒紫の瞳が再び俺を捉えた。


 俺たちを押しつぶそうと、巨大な拳が振り下ろされる。


 巻き起こった風に、小さな木製のヘルメットが吹き飛んだ。


「だめだ、イーストォ!」


 イーストは一度だけ振り返り、まっすぐに俺を見る。


【真名解放条件を満たしました】


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