第17話:決行前夜と作戦開始
食事の皿が下げられたあとも、俺たちは〈旅鳥の止まり木〉の食堂に残っていた。
代わりに運ばれてきた紅茶から、細い湯気が立ち上っている。
食堂の客はもうまばらで、時折、厨房から皿の重なる音が聞こえてくる。
イーストは焼き菓子を両手に抱え、小さな口で夢中になってかじっていた。
ハンクは椅子の背にもたれ、黙って紅茶を飲んでいる。
ニナは両手でカップを包んだまま、しばらく湯気を眺めていた。
「私たちは、明日の作戦が終わったら、一晩休んで村へ戻ろうと思っています」
分かっていたことだ。
二人には、モルトン村での暮らしと役目がある。
それでも、いざ言葉にされると、返事が少し遅れた。
「ニナには、たくさん助けられたね。デスベアの時も、ギャロンの件でも」
突然の異世界転移から、まだ七日目。
日数にすれば短いが、色々なことがあった。
この世界へ来てからの日々を思い返せば、真っ先に浮かぶのは、ニナの顔だった。
「ふふ、ピカピカマスのこと、思い出すと笑っちゃいます」
地下でのニナは、本当に怖かったのであまり思い出したくはないが。
「おじさんは、街に残って、ギルドで働くんですよね?」
ニナの視線がこちらに向く。
「まだ決まったわけじゃないけどね。でも、悪くない話だとは思ってる」
「ふん。お前なら、魔獣退治よりも鑑定士の方がお似合いだろうな」
褒めているつもりだろうか? いや、感じたままを言っているだけだろう。
「ハンクさんにも、お世話になりっぱなしでした。いつかこの恩は、必ず」
「よせ。毒野郎の世話をしたつもりなんてない」
「それと、フレッドさんに借りた服も、返しておいてもらえるかな?」
「はい。お預かりします」
たったそれだけの話で、二人が本当に帰るのだと実感した。
焼き菓子を食べ終わり、お腹をさすっているイーストにニナが向き直る。
「イーストちゃん。また、会いに来るからね」
イーストは首を傾げている。
「一日もかからない距離だ。またいつでも会いに来れるだろう」
その通りではあるが、俺にもニナにも、役割がある。この数日のように、頻繁に顔を合わせるのは難しいだろう。
「明日、また皆で夕食を食べましょう。今度は、イリスちゃんも誘って」
「そうだね。作戦が終わったら、俺がみんなにご馳走するよ」
「本当ですか?」
「ああ。約束だ」
別れを惜しむのは、それからでいい。
カップの紅茶からは、いつの間にか湯気が消えていた。
* * *
日の出前の街は、静寂に包まれている。
だが、水管理詰め所だけは窓から明かりが漏れ、職員と作業員がせわしなく行き交っていた。
事務所奥の地下入り口では、箱や台車に載せられた種砂の密閉容器、空の容器、水汲み機、点検道具、補給魔石などが、次々と石段の下へ運び入れられていく。
俺たちにも、それぞれの役割に合わせた装備が支給されていた。
俺は水管理組合の作業服に着替え、木製のヘルメットをかぶっている。その上から、元の世界から持ち込んだウェーダーを着込み、腰には検査器具を収めた鞄と、安全縄を下げている。
同じ作業服を着て、木製のヘルメットをかぶったイリスは、色付きのゴーグルを額へ上げている。ニナは普段着のままだが、ヘルメットに厚手の手袋。それぞれの腕には、役割を示す腕章も巻かれている。
イーストまで、頭にぴったりの小さなヘルメットをかぶっている。木工好きな職員が、徹夜で作ったらしい。
ハンクはギルドの臨時職員用の上着を羽織り、腕章を巻いている。ヘルメットはかぶらず、点呼用の記録板を抱えている。
チャック、ホッシュ、コリィさんは普段通りの服装だが、それぞれ同型の木製ヘルメットをかぶっている。
「押忍、搬入作業は以上で終了っス!」
ホッシュはチャックとコリィさんに報告を済ませると、保守班員たちを連れ、地下の持ち場へ向かっていく。
「全員の点呼は終了しています。詰め所前の封鎖、救護班の配置、帰還者の受け入れ準備も完了しました」
「いよいよ突入だなッ!」
コリィさんの報告を聞くなり、イリスが一段前のめりになる。単身で突入しかねない勢いだ。
「ニナ、そんなに荷物があって大丈夫かい?」
ニナは木と革で組んだ背負い枠に、種砂の密閉容器、巻いた革製の送水管、予備の安全縄に工具類まで括り付けて背負っている。
「はい! 私、これでも毎日重~い小麦粉をたくさん運んでるんですよ!」
「あまり無理しないようにね」
「ふふ、おじさんこそ、釣りの時みたいに無茶しないでくださいね」
「おいニナ、お前はもう暴走すンなよ!」
「はぁ、私、その時のこと覚えてませんので……」
「ヒヒ……。皆さま、準備はよろしいでしょうか」
俺は皆の顔を見渡し、大きな声で答えた。
「はい、いつでも行けます」
「皆さま、魔障にはお気を付けください。ご無事をお祈りしております」
コリィさんが胸に手を当て、深くお辞儀をする。
「入口側は俺たちで見ている。さっさと済ませてこい」
ハンクは点呼用の記録板を小脇に抱えたまま、空いた手を軽く上げた。
「ヒヒヒ、それでは……浄化作戦、開始です!」
ハンクとコリィさんに見送られ、俺たちはそれぞれの荷を携えて、地下へ続く石段を下り始めた。
「わぁ、今日はこんなに明るいんですねぇ」
前回はニナの白炎だけが頼りだったが、今日は通路の手すりに、等間隔でランタンが掛けられている。
職員たちの声や台車の音も絶えず、同じ地下施設とは思えないほど活気があった。
この数日で顔見知りになった職員も何人かいたので、片手を上げて挨拶しながら奥へと進む。
「イースト、平気かい?」
【イースト:頷いています】
イーストは鞄に入らず、小さなヘルメットをかぶったまま、俺たちの少し上を飛んでついてきている。
以前は地下へ近づくことすら嫌がっていたが、もしかしたら、地下そのものではなく、施設に溜まっていた瘴気を嫌がっていたのかもしれない。換気された今なら、もう平気なのだろう。
チャックとは中央制御所で別れ、俺たちはそのまま濾過槽室、呼び水槽室を通り過ぎ、鉄格子のある最奥へと向かう。
最奥の鉄格子までたどり着くと、中からホッシュが出迎えてくる。
「押忍! お待ちしてたっス。こちらが揚水施設っス」
複数の錠と固定具はすでに外され、重い格子扉が壁際まで開かれていた。
錠のあった場所を横目に見て、ホッシュのあとに続く。
鉄格子の向こうは、ゴーレムを中心とした巨大な円筒形の空間になっていた。
ゴーレムは四日前と変わらず北を向き、俺たちには石造りの横顔だけを見せている。
壁沿いには四層の環状保守路が巡り、それぞれが石段でつながっていた。
俺たちが出たのは、下から二層目。
手すり越しに見下ろすと、四メートルほど下に最下層の保守路と、ゴーレムの立つ中央吸水槽がある。見上げれば、さらに二層の保守路が続き、壁や天井を太い水管が縦横に走っていた。
「こっちっス。石段があるので、足元に気を付けてくださいっス」
ホッシュに続き、壁沿いの石段を下りていく。
ゴーレムの両脚は、中央吸水槽の底と一体化している。
それぞれが地下水を吸い上げるための巨大な吸水柱らしい。
その場から動かない設備だと分かっていても、足元から見上げると、さすがに落ち着かない。
揚水設備に顔を付けた設計者に、その時の気持ちをインタビューしたい。
「……でけェな」
「大きいですねぇ……」
「……なんで、人型なンだろうな」
「どうしてでしょうねぇ……」
この世界の人でも、同じ疑問を持つようだ。
「押忍! 全高十四メートルっス!」
「ギルド会館とどちらが大きいでしょうか……」
「あれは三階建てだから、同じくらいかもしれないね」
ゴーレムについて話していると、東側の水路の前でホッシュが立ち止まる。
「押忍! こちらは、揚水後の水を一部だけ取り分ける点検槽っス! ここで本番と同じ手順を試してもらいたいっス!」
「わかりました」
保守路の脇には、上水路への送水管から分岐した細い水管と、石造りの浅い槽が設けられていた。
入口の弁を開けば、本流の水を引き込み、上水路の状態を小さく再現できるらしい。
天井の放送口から、かさかさとノイズが響いた。
『ヒヒ……。伝声試験、ひとつ、ふたつ。……職員の皆さま、おはようございます。統括責任者のチャックでございます。本日は臨時保守作業へのご協力、まことにありがとうございます。ヒーヒヒヒ……』
チャックは職員へ安全確認や注意事項を伝えると、作戦の指示へうつる。
『浄化作戦のため、日の出の鐘を合図に、揚水ゴーレムの稼働を停止いたします。停止の確認が取れるまで、ゴーレム本体と水門の可動部には近づかれませんよう……ヒヒ』
『揚水施設保守班、ならびに特別清掃員の方々は、鐘が鳴るまでに点検槽での浄化試験を完了してくださいませ。それでは各員、作業を開始してください。ヒヒヒ……』
再びノイズが走り、放送が切れた。
特別清掃員というのは、俺たちのことだろうか。
保守班員が弁を開くと、細い水管から魔障水が点検槽へ流れ込んだ。
必要な量が溜まったところで、再び弁が閉じられる。
ホッシュに頼まれ、〈毒鑑定Ⅱ〉で検査をする。
【魔障反応:あり】
「想定通り、魔障水ですね」
「押忍! それでは浄化試験を始めるっス!」
「お、おすっ! よろしくお願いしますっ」
【イースト:意気込んでいます】
ニナとイーストがホッシュの真似をして胸の前で拳をにぎる。
「よっしゃ、本日一発目だッ」
イリスが目の前に小さな水球を造り、ひとかけらの種砂と、点検槽から掬った匙一杯の魔障水を雑に放り入れた。
俺は荷物を下ろすと、水球へ両手をかざす。
「いきます。……マナ・バクテリアよ、わが声に応えよ。〈培養・ぷち〉ッ」
「おぉっ! 格好良いですっ!」
別にスキルに大小があるわけではなく、イーストの真似をしたかっただけだ。ニナが反応してくれたので、上々である。
いい加減な詠唱とは裏腹に、水球の種砂は魔障水と反応し、淡い明滅が始まる。
「おっさん、それ毎回言うつもりか……?」
「気分次第だね」
呆れたように眉をひそめられるが、魔法の詠唱とは漢の浪漫なのである。そのうち長~いやつを考える予定だ。
イリスが小さな光る水球を点検槽へ沈め、その形を崩す。槽全体の水が強く輝き、やがて淡い明滅へと変わった。
「そして、〈毒鑑定Ⅱ〉!」
俺は右手でブイサインを作り、指の隙間から右目をのぞかせるようにポーズを決める。
【魔障反応:なし】
「どうっスか?」
「……ええと、問題ありません。浄化されています」
見た目に変化がない魔法なので、演出過剰である。今度はニナも反応してくれなかった。二度とやらないでおこう。
ホッシュは記録板に結果を書き込み、トン、とペンで叩いた。
「押忍! 実地試験、成功っス!」
作業員たちから短い歓声が上がった。
ホッシュが排水側の水門を開き、試験に使った水を流していく。
「北東水門、準備完了」
「南東水門、準備完了」
「各水門、確認よーし!」
「実地試験、完了っスー!!」
各所から報告の声が響く。
ほどなく、日の出を告げる鐘が鳴った。
天井から、再びノイズが響く。
『ヒヒヒ、皆さま、お疲れ様でございます。作戦要員以外は、地上へ帰還してくださいませ』
『それでは――揚水ゴーレムを停止いたします』




