第15話:発酵餌と発光するヌシ
空いていた釣り座で準備をしていると、両隣の釣り人が距離を取っていく。
「おじさん、それ、よく触れますね……」
「ははは。こういうのは、臭い方がよく釣れるんだよ」
発酵餌を針に付け、狙う深さに合わせてウキの位置を調整する。
仕掛けを川へ投げ込むと、ぽちゃん、と小さな音を立ててウキが立った。
【イースト:興味深く観察しています】
イーストは鞄から出てきて、ウキの近くまで行き、一緒に上下に揺れている。
流れは穏やかで、水も澄んでいる。
しかし、かなりの水深があるらしく、見えている魚影はほんの一部だ。
これは腕の見せ所だ。
すると、すぐにウキが沈み、竿先がしなる。
「食った!」
やはり発酵餌は偉大だ。
「わ、凄いです! おじさん、頑張って!」
俺は、元の世界のものと比べれば機能も何もない、糸が巻かれて取っ手が付いただけの巨大なリールをぐるぐると巻いていく。
「やった! ヤマメだ!」
【イースト:喜んでいます】
「ほう、ウェルズトラウトか。やるじゃねえか」
ヤマメとは少し違うらしい。
俺は今日一番の笑顔で針を外し、川に垂らした籠へと入れる。
イーストは拍手をくれたあと、興味深そうに籠の中を覗いている。
ニナにも釣り糸の結び方やエサの付け方を教え、俺、ニナ、ハンクの三人で並び、遠くに山の見える豊かな景色を楽しみながら、のんびりと竿を出す。
しばらくすると、陽が頂点を過ぎ、少し傾き始めた。こうなると魚の食い気も渋めだ。
ニナは竿を出してから一匹も釣れていない。手を変え品を変え工夫を凝らすが、上手くいかないようだ。ついにはあれだけ文句を言っていた俺の発酵餌をも使っている。
ハンクは黙々と同じ虫エサのみを使い、五匹程度の川魚を釣りあげている。
俺はというと、発酵餌を使っているというのに、最初の一匹しか釣れていなかった。おかしい。川下にいるハンクの仕掛けに獲物を取られているに違いない。
「なんで、俺の発酵餌より、臭いの出ない方を選ぶんだ……」
「ふん。だから妙な餌なんて使わず、虫エサで誘えば充分なんだ」
ハンクの得意げな顔に、俺は笑顔が引きつる。
くそ、これはおかしい。こんなことがあってはいけない。くさいと魚が集まるはずなんだ。そう、くさくなくてはいけない。もっとくさく――!
「〈促進〉ッ!!」
俺は、自分の仕掛けに向けてありったけの集中力を込め、〈発酵術Ⅱ〉の発動を念じる。
ぷくぷくっ。
「来た来たぁっ!」
俺のウキの下に、細かい泡がいくつも立つ。
すると、周囲に黒いエキスがもやのように広がり、小さな魚影が集まってくる。
「お、おい、ユタカ。それはずるくねえか?」
「ズルとは? 釣りにズルなんてあるでしょうか?」
別に勝負をしているわけではないが。
すっ、とウキが沈む。いち、に、ぐっとタイミング良く竿を立てる。
「ようし! かかった!」
二匹目のウェルズトラウトを釣りあげた。
「ふん……」
ハンクも少し悔しそうにしている。
よし、ここから追い上げてやるぞ。
俺が次の仕掛けを用意していると、ニナとイーストが何かを話している。
「――だからね、あの時のブクブクの魔法、試してみようよ」
イーストはこくこくと頷いている。
どうやら俺がスキルを使ったのを見て、真似しようとしているらしい。
「ニナ、あまり派手なのは……」
【〈イースト・ブルーム・ぷち〉】
言い終える前に、イーストは両手をニナの仕掛けの方に向けると、スキル使用のログが表示された。
ボコボコボコォ。
ニナのウキの下から大きな泡が凄い勢いで上がってくる。
周囲の水一帯が黒く染まり、その周辺だけ淀んだドブ川のような様相に変わる。
「わ、凄い。これなら魚、たくさん寄ってきそう……!」
ニナがそう言ってこちらを向いた次の瞬間。
川下からぬぅっと、川魚とはとても思えないほど巨大な黒い影が現れ、ニナのウキの下へ凄い速さで向かっていく。そのサイズは、人の背丈をゆうに越え、胴の太い部分は酒場の大きな樽ほどもある。
「お、おい、ニナ! あれ!」
俺は指さして叫ぶ。
「え?」
ニナのウキが、すぅっと静かに川の底へ沈んだ。
「あ! やったぁ! おじさん、見てください――」
ぎゅるぎゅるぎゅる、とリールが猛然に回り始めた。
「へ? ……うわ、わわわ、止まらないですっ!」
「ニナ! 落ち着いて! 少しずつリールに力を入れろ!」
「は、早すぎて、リール、持てません~~!」
リールの回転が速すぎて、ニナは取っ手を握りなおすことすらできない。
「おい、大丈夫かニナ! ユタカ、何か手伝えるか!?」
ハンクが竿を上げ、やってきた。
「網を! 網を持ってきてください!」
あの巨体だ、巨大な引き網でもないと引き上げるのは無理だろう。
「分かった、任せろ!」
ハンクは貸し竿屋へ走っていった。
周りで竿を出していた、地元民らしきおじさんたちが、騒ぎを聞きつけ集まってきた。
「なんだぁ? 大物でもかかったか?」
「いや、あれ、大きすぎないか……?」
少しだけ勢いが弱まってきたので、俺は駆け寄ってニナにリールの取っ手を握らせる。
「落ち着いて、ゆっくり引くんだ」
「は、はひ~~~~」
俺はニナの手を取り、竿の操作の補助をしてやる。
イーストもやってきて、竿にしがみついた。おそらく意味はない。
下流の方で、黒い影が少しずつ浮かんできて、その巨大さに周囲がざわつく。
「で、でけぇ……あんな魚、見たことねえぞ!」
「というか、光ってるぞ! まさか――」
「あ、あれは……間違いない。俺たち釣り人が恋焦がれるニジニジマス。その中でも魔素を溜め続け、虹色に輝きすぎて、ついには発光まで始めた、この川のヌシ――魔獣ピカピカマスだ!! その身は締まりながらも柔らかく、ひと噛みすれば七色の脂がほどける! 焼けば香りだけで酒場中の客が振り向くという、まさに絶世の美味!! 一生に一度は口にしたい、究極の川魚よぉ!!」
妙に説明めいたおじさんの叫びを聞き、釣り人たちが一斉に騒ぎ出す。
「お前ら竿を上げろ! ヌシが走るぞぉ!」
「お嬢ちゃん、もっと竿を立てるんだ! 絶対に糸を緩めるなぁ!」
「慌てて巻くな! バラすぞぉ!」
「魔法は撃つな! 身が崩れるぞ!」
ある者は仕掛けを上げ、ある者は下流へ走る。釣り場は騒然としている。
「あ、あわわわわ……。お、お、おじさぁぁん!」
【イースト:竿を支えています】
「ニナならできる! ニナなら大丈夫だ! 絶対に釣りあげよう!」
ばしゃん!
大きな音を上げ、巨大な光の塊、ピカピカマスが水面を跳ね、その姿を露わにした。
その身体は神々しいほど眩く、舞い上がった水飛沫まで七色に染めている。なるほど、これならヌシと呼ばれるのも納得だ。
「ピカピカマスだ! 皆集まれ!」
釣り人が大声を張り上げる。
「くぅ~~、む、無理、無理ですぅ~~~!」
ニナの竿が今にも折れそうなほどしなる。俺は手をそえ、竿が折れないギリギリの角度をキープする。
「おい、ユタカ! 網を持ってきたぞ! どうすればいい!?」
ハンクが貸し竿屋から戻ってくると、どう見ても尻尾すら入らなさそうな柄のついた玉網を抱えて、ヌシとニナの間を往復している。その網ではない。
「おぉーい! 引き網だ! 下流に浅場がある、そこまで引っ張れぇ!」
貸し竿店の店主が、大きな引き網を抱えて走ってきた。
「よし、ニナ! こっちだ! ヌシを誘導してやれ!」
「ううう~~、重い、ですぅ~~」
「頑張れ、嬢ちゃん!」
「追い込めぇ!」
釣り人以外にも、騒ぎを聞きつけた人がどんどんと集まり、大騒ぎに発展している。
もはや、川で竿を出している人は、騒ぎの中心人物であるニナのみだ。
皆で応援しながらかなりの距離をファイトし続け、いよいよ川面まで岩がでこぼこと突き出した浅場へと追い込むことができた。
浅場では、既に貸し竿屋の店主や地元のおじさんたちが引き網を投げ広げて身構えている。
「こっちだぁー! あと少しだぞ!」
「お姉ちゃん、頑張って~!」
通りがかりの親子や商人まで集まり、皆でニナを応援している。
「よし! 網に入ったぞぉ!」
「引け、引けぇー!」
川の水流に任せて、ヌシを網に捉えることに成功する。
引き網に次々と人が集まり、皆で一斉に力を込めて引いている。
「おーえす、おーえす!」
「上がるぞ、気張れぇー!」
ばしゃぁん!
ついに皆の力で、ヌシを引き揚げることができた。
思わず拍手が巻き起こった。俺もつい、目頭が熱くなる。
「嬢ちゃん、良かったなぁ!」
「おめでとう、君は釣りの女神だ!」
ニナは息を切らし、竿を握ったままその場にへたり込んだ。
「よぅし、締めるぞ!」
玉網を返したハンクが、店主から受け取った鉈をヌシのエラに振り下ろす。
重く鋭い音がして、ヌシは静かになり、身体の光を失う。地元の釣り人たちはヌシを持ち上げるとそのまま川へ入り、流れの中で手早く血を抜いた。
【対象の生命活動停止を確認】
【保留中の魔素吸収を実行します】
【レベルが上昇しました】
【〈毒鑑定Ⅰ〉が〈毒鑑定Ⅱ〉へ成長しました】
おぉ? デスベア以来のレベルアップのログが出た。
デスベアの時もそうだったが、魔素の吸収とやらのために、自身でトドメを刺す必要はないらしい。
血抜きが終わり、ヌシが再び引き揚がる。
しん、と、静かになった。
その場にいた皆が一斉に、ニナの方を見ている。
「え、あ、あの……?」
何人集まっただろうか。大人も子供も、冒険者も釣り人も、皆ニナの一言を待っている。
ニナはきょろきょろと周りを見回し、皆に向けて言った。
「み、皆さんで、食べましょう」
「うおぉーーーー!」
歓声がどっと上がる。
「店まで担いでいくぞぉ! 今日はピカピカマス祭りだぁ!」
「わっせ! わっせ!」
店主が声を上げ、皆でヌシを神輿のように担ぎ、川上の貸し竿屋へ戻っていく。
その後は、流れるように作業が進んだ。
並べた卓にヌシを乗せ、店主が巨大な魚用の包丁で器用に三枚に下ろし、半身をいくつかの切り身へと分ける。
巨大な二股の鉄串へ切り身を差し、居合わせた人たちが協力して組み上げた焚き木の近くの地面へと刺す。
店に残っていた塩を全て振る。ニナは白炎で厚い身へじっくり火を通し、最後に紅炎で皮目をぱりっと焼き上げた。切り身からは、じゅうじゅうと七色に輝く脂がしたたり落ちる。
ピカピカマスの塩焼きができあがった。
釣りあげた時と同じように周囲が静まり返るなか、ニナが最初の一口を食べる。
「はあ~~、美味しいですぅ」
わぁっと歓声が上がる。
その後は皆で分け合い、ピカピカマス祭りが開催された。
俺も取り分けて食べてみる。
フォークを入れると、白い身が湯気とともにふわりとほどけた。皮目はぱりぱりに焼け、噛むたびにあふれてくる甘い脂は、大自然のジュースと言っても過言ではない。
「これは……俺が今まで食ったもののなかでも、一番美味いかもしれん」
ハンクに言わせてもこれである。
口にした者の中には、涙を流している者までいる。
店主はひとしきり堪能したあと、温めていた大鍋に、ヌシのアラと、野菜や他の釣り人が釣った魚までまとめて入れ、ピカピカマスのあら汁まで振る舞う。
こちらも絶品で、浮いた七色の脂がウェルズトラウトや野菜の出汁と絡まり、この世の物とは思えないほどの奥行きがあるスープであった。
「俺っちの人生の中でも一番の大物、そして一番のファイトだったぜ。この先の人生、胸を張って生きていけよ、嬢ちゃん!」
とは店主の談だ。
その場にいる全員で分けても半分近く残り、噂を聞いた街の人々まで押しかけ、全て無くなるころには本当の祭りのような規模になっていた。
いつの間にかコリィさんやチャック、イリスまで参加していて、皆でピカピカマスの感動を分かち合うことができた。
日が暮れるまでひとしきり騒ぎ、皆で綺麗に片付け終えたところでお開きとなる。
「いやあ、食べた食べた。美味しくてお腹いっぱい食べられるなんて、幸せだなぁ」
俺が腹をさすっていると、ニナがやってきた。
頭の上ではイーストが座ったまま眠っている。
「皆さん集まってきて、凄い騒ぎになっちゃいましたね」
「ははは、ニナとイーストには完敗だよ」
「そもそも勝負なんてしてねえだろう」
ハンクが呆れた顔をして戻ってきた。
「そうでしたっけ? なんにせよ、楽しい休日が過ごせました」
「聞いたぜぇニナ。ピカピカマス、お前が釣ったンだってな。最高に美味かったぜ!」
イリスが、チャックとコリィさんを伴ってこちらへ歩いてきた。
「噂には聞いてましたが、まさか川のヌシを食べられる日が来るとは思いませんでした」
「ヒヒヒ、ご相伴に預かりまして、ありがとうございます――それと、オオコウジ様。お待ちしていた試験結果が出ました」




